新発田藩足軽長屋 (しばたはんあしがるながや) 重要文化財



 新発田にある大名庭園の清水園というのは中々面白い所で、お殿様の御殿・御茶屋と中級武士の武家屋敷と足軽長屋がセットで保存公開されている、武家社会のヒエラルキーをまざまざと見せつける興味深い施設。特に足軽長屋は全国で見ても他に例がなく、近世における下層武士の暮らしぶりを伺うという意味でもとても貴重な建物です。
 清水園本園とは川を挟んで隣り合っている為に、てっきり何処かにあったものを移築したものかと思いきや当初から建てられてあったもののようで、顎が外れるくらいの酷い格差が当時から展開されていたのですね。

 

 清水園は新発田藩主の下屋敷だった大名庭園で、この下屋敷周辺に下級武士の居住地が形成されました。この足軽長屋以外にも周辺には同様の長屋が3棟ほどあったそうですが、一番北側のこの長屋だけが現存しています。
 建築年代は江戸後期の1842年(天保13年)で、大きさは桁行43.6m奥行7.3mと南北に細長く、屋根が寄棟造の葭葺となり、背面に一間の柿葺の庇が取り付く構成。側面は土壁となり、幅半間の出入口と一間の窓を開ける他は内方より下は板張りとなります。軒先は低く葺き下ろされ、開口部が少ないうえに装飾性が全く見られない外観は、武士というよりは完全に庶民階層の住宅です。

 

 内部は、桁行二十四間を三間ずつ均等に八等分した八軒長屋で、各戸は土壁により区切られています。天井は張らず屋根裏が丸見えで、長押は打たず差鴨居もありませんが、柱の数を多くして強度を保っています。
 各戸の間取りはそれぞれバラバラですが、玄関部の一畳分の土間とその奥に続く囲炉裏の切られた板の間、横に並ぶ床の間の無い畳敷きの部屋二室に、背面の台所用の土間が並ぶ構成は各戸とも共通です。殆ど今の安アパートと一緒ですね。外観同様に閉鎖的で原始的な内容で、とても武士の身分の住宅とは思えません。なんでも姓のある人も一人しかいなかったようで、足軽の中でもさらに低い身分の最下層武士の住宅だったらしく、そうなると一般の庶民となにも変わらなかったのでしょう。ここで傘張りの内職でもしていたのでしょうか?国重要文化財指定。



  



 「清水園」
  〒957-0056 新潟県新発田市大栄町7-9-32
  電話番号 0254-22-2659
  開園時間 4月〜10月 AM9:00〜PM5:00
         11月〜3月 AM9:00〜PM4:30
  休園日 年末 1・2月の水曜日