朝倉家住宅 (あさくらけじゅうたく) 重要文化財



 文字通り谷となっている渋谷駅周辺から、急な坂道を上って桜丘・南平台・代官山と続く小高い一帯は、かつては瀟洒な洋館や中流階級の集合住宅などが建ち並ぶ、戦前の洒落た郊外の住宅街として開発された地域でした。代官山の同潤会アパートや桜丘の日本館(共に現存せず)、南平台の内田邸(横浜のイタリア山公園へ移築)に西郷山の西郷従道邸(明治村へ移築)などの、クラシックスタイルの美しい洋館やモダンでハイカラな集合住宅が多く見られた場所で、当時としてはとても先鋭的で上質な街並が造られていたようです。特に代官山一帯は空襲に罹災した後も、その焼け跡に60年代から長い年月を経て継続的に建設されたヒルサイドテラスに代表されるように、その先進的で美しい街並は今も受け継がれており、東京でも最も小洒落た町として住みたい町ランキングの常連にもなっています。その知的で機能美に縁取られた建築群であるヒルサイドテラスのすぐ裏手に、この代官山一帯の大地主だった朝倉家の豪邸が残されており、今は文化庁が所有し渋谷区が管理運営して公開されています。
 朝倉家は江戸中期の享和・元文年間に武士から帰農して当地に赴き、地主として近在を統括していた格式の高い家柄で、幕末には精米業も始めて明治期以降は不動産屋としても成功を治めた東京生粋の旧家です。実は今でも朝倉家は不動産業としても活躍しており、ヒルサイドテラスの大家さんは現在も朝倉家です。この邸宅は1919年(大正8年)に当主だった虎治郎が建てたもので、敷地面積1650坪に及ぶ大豪邸。戦前のリッチなアーバンライフを垣間見られる施設なのですが、戦後はどこの御大尽も大変だったようで、旧華族や財閥の豪邸が次々に売却されていったようにご多分に漏れず維持が困難となり中央馬事会へ売却、その後農水省や大蔵省の管轄となり経済企画庁の渋谷会議所として利用されていましたが、小泉行政改革の波をもろに被って処分が決まり、民間に売却されて更地と化してしまう瀬戸際で朝倉家と関係が近くヒルサイドテラスの設計者でもある建築家の槇文彦氏らが中心となって保存運動が始まり、2004年(平成16年)に国の重要文化財の指定を受けることになって保存が決定し、文化庁所有渋谷区運営管理の線で落着いたという次第です。
 

 

 この朝倉家住宅は主屋に土蔵が付属して建てられ、門近くに車庫(これも重文指定)が置かれて、主屋の南西側に広い庭園が配置される構成で、特に主屋は庭に面して横長な展開となり、各部屋とも採光充分の明るい空間が並びます。主屋は木造二階建ての屋根が入母家造りの桟瓦葺。外壁は下見板張りで一部に漆喰が塗られています。部屋数の多い住宅で20部屋もあり、来客用・仕事用・家族用とに明確にブロック毎に分けられており、その用途に応じて室内意匠も異なっています。まず門に近く一番東側にある玄関を入った主屋東部は接客空間となっており、玄関南側に庭側へ突き出すように12畳半の座敷が応接間として設けられていて、長押や違い棚を備えた端正な書院造りで客人を迎えます。

 

 

 玄関を挟んでこの応接間の反対側、つまり北側にはこの住宅唯一の洋間があります。これも接客空間で、外国人等の来客に対処したもの。天井は折上格子天井に凝った細工の文様が装飾として掘り込まれています。この洋間は普段は執事の仕事部屋としても使用されていた模様です。
 洋間の西側には金庫付きの事務室が続き、その奥には女中部屋・納戸と続きます。主屋中央部の北側にあたり、仕事用の空間だった場所で、異様に暗く細い廊下が走ります。この住宅で面白いのが戸のレールが木製で、鉄錆による破損が少なく短いので交換も容易な点が特徴。でも市販されているわけでは無いでしょうからそれだけ手間隙がかかるという理由ですね。

 

  

 中央部の南側は家族用の生活空間だった場所で、「寝間」「中の間」「仏間」と座敷が庭に面して連なりますが、官庁の会議所時代に改造があったようで、やけにダダッ広い無機質な会議室に変わり果てています。この中央部には2階があり、内部は15畳と12畳半の広間が並ぶ宴会場のような空間。当主だった虎治郎は東京府議会議長や渋谷区議会議長も務めていたので、公職の際の会合用にこのような大広間が必要だったとか。天井は高く長押を打ち、両違い棚や書院窓を設えた格式の高い書院造の座敷です。
 特に15畳の広間は床周りの意匠が優れ、床の隣の付書院と違い棚の隣の書院窓はそれぞれタイプの異なる花頭窓を配し、戸袋の絵にも花鳥画の描かれた扇を模した図案で華やかに彩どっています。

 

 

 彩色豊かな襖絵や板戸の絵はこの主屋の特徴の一つで、あちらこちらに桜・松・菊・竹・牡丹・桔梗等の花鳥風月による純和風のデザインのものが見られます。何故か唐獅子牡丹の図案もあり、狩野派の流れを汲む絵師による手のものだとか。それとこの2階には茶室もあり、要職にあった身のせいか密談用にでも使われていたのかもしれませんね?ちなみにこの邸宅は茶室が多い住宅でもあります。

  

 主屋西部は主人のプライベートスペースだった箇所で、中央部の仏間奥から渡り廊下で繋がる他の場所とは一つ区分けされる場所。このエリアは中々面白い構成を持っており、応接間や家族用の中央部座敷から見渡せる東側の部屋は長押を打ち書院窓を設けた比較的まともな書院造の座敷。ところがこの座敷横には家族用の部屋から見えない場所に板戸があり、ここを開けると裏手に一風変った座敷が隠されています。

 

 

 10畳半ほどのこの座敷は、柱や梁などの全ての木目を板目で見せる不思議な空間で、「杉の間」と呼ばれています。名の通り杉材で設えた数寄屋造りの座敷で、当主は若い頃に材木店で働いた経験があり、全国から良質の杉材を自ら厳選してこのような板目のみの部屋を考案したとか。雪見障子に庇の網代天井と、主人の趣味嗜好性がよく出ている部屋なのでしょう。陳情などの私的な客人を応対した部屋との説がありますが、おそらく東側の部屋がそれにあたり、この座敷は庭園から直接園路が通じており、奥に茶室があることから寄付として機能していたのではないのでしょうか?

 

 

 その茶室は「杉の間」の隣にあり、5畳半に置床風の床の間が付いた小間と、5畳に円窓が開いた小間が並びます。戦前は茶道がセレブの必修科目でしたので、茶室が多いのもそんな理由なのかも。

  

 この茶室と「杉の間」の前にはひっそりと中庭があります。南側の庭園とは趣が異なり、数寄屋や茶室に合わせてか少し小暗い露地風の佇まい。

 

 主屋南面は明るく広大な庭園が広がります。敷地は目黒川を見下ろす台地上にあり、庭園は途中で崖となって落ち込み、木立の向こうにはかつて富士山も拝めたと言うとても展望の良い構成。今は隣のマンションしか見えませんが・・・。回遊式の庭園にもなっており、様々タイプの石灯籠が客人を迎えてくれます。この園路を進むと「杉の間」まで到達するので、外露地の役目もあるのかもしれません。

 

  



 「旧朝倉家住宅」
   〒150-0033 東京都渋谷区猿楽町29-20
   電話番号 03-3476-1021
   開館時間 3月1日〜10月31日 AM10:00〜PM5:00
         11月1日〜2月末日 AM10:00〜PM4:30
   休館日 月曜日 12月29日〜1月3日