朝香宮邸 (あさかのみやてい) 重要文化財



 昭和20年終戦当時の東京の地図を開いてみると、都心のあちこちに皇族方の御住まいが点在していたのがわかります。高輪や赤坂などの山の手の高台に御屋敷が多く構えられ、戦前の麗しく優雅な特権階級の生活が営まれていました。がそんなアッパーライフも戦後の皇籍離脱によって一気に没落し(いわゆる斜陽族)、荒廃した戦後の荒波を世間知らずの宮様が潜ってゆけるはずもなく当然家屋は人出に渡り、宮殿も悉く破壊されてゆきました。ヒエラルキーコンプレックスの脱税一族が購入した物件はホテルの貴賓室として残りましたが(竹田宮邸)、首相公邸や迎賓館として残った白金の朝香宮邸は東京都に払い下げられて、今は庭園美術館として公開されています。
 朝香宮は久邇宮の第八皇子が創設した宮家で、妃は明治天皇の第八皇女允子内親王。夫婦でパリ滞在中に「アールデコ博覧会」に遭遇し、ものの見事に流行物に洗礼されて、帰国後白金御料地に新居としてアールデコスタイルの洋館を建てたもので、当時の最も先鋭的な建造物が東京に出現することとなったのでした。ちなみにアールデコは植物的な曲線を多用したアールヌーヴォーに変わって出現した1920年〜30年代の装飾様式で、幾何学的で鉱物を思わせる表現にポイントがあり、代表的な建造物としてニューヨークのクライスラービルやエンパイアステートビル等が有名です。この朝香宮邸も正面外観は幾何学的な長方形や円を非対称に組み合わせた、まるで園児の積み木のような顔立ち。横手に回り南面から見ると左右対称と違った顔も見せています。

 

 この建物は1933年(昭和8年)に竣工され、外観や基本設計は宮内省内匠寮が行いましたが、内部の意匠は宮様の強い希望でアールデコの本場パリのインテリアデザイナーである名手アンリ・ラパンに依頼しました。というわけでこの建物は内部のインテリアデザインが半端でなく、ガラス工芸家のルネ・ラリックやマックス・アングランに彫刻家のブランショだのと一級の芸術家を招集して当たらせた為に、建物自体が秀麗な美術工芸品のような状態になっています。国重要文化財指定。

  

 まず最初に驚くのが正面玄関のガラスレリーフ。天女のように女性の姿が浮かび上がるモチーフで、これはルネ・ラリックの手によるもの。中へ入ると大広間となり、褐色のクルミ材の壁や黒大理石の暖炉が重厚な趣を持つ部屋で、40個の半円球状の照明を嵌めた格子天井に圧倒されます。そして一番ユニークなのが次室の香水塔。頭部に蕨状の照明器具を頂く陶製の装置で、香水を照明の熱で気化させて使用する模様。このデザインもアールデコ。この次室はまた天井は白くドーム状で、壁はプラチナを練りこんだオレンジに柱は黒、床は幾何学模様のモザイクとユニークな意匠ですが、中央の香水塔との調和が取れていて可笑しく感じさせません。

  

 次室の奥にあるのが大客室。この部屋はラパン・ラリック・アングランによる芸術家同士のバトルロワイヤルが展開された空間で、まず天井から吊り下がるシャンデリアはラリック作「ブカレスト」、扉のエッチングガラスはアングランの制作、そして室内上部の絵はラパンが手がけています。現代の視点から見ても全然古くなく、シャープでモダンな意匠に驚かされます。

 

 

 大客間の扉の向こうは大食堂。ここはクールでスタイリッシュな他の部屋と違って、柱や暖炉に黄土色の大理石を使い、暖炉の上には葡萄やバナナといった食材も描かれた、食堂ということもあってやや温かみの感じられる空間となっています。この壁画もラパンの手によるもの。部屋は庭側に半円状に張り出してあり、優雅に庭園を眺めながらお食事をなされたのでしょう。窓下のラジエーターカバーと暖炉のカバーは共通のデザインで、魚をあしらったモチーフは允子妃のお仕事。

 

 二階へ上がる階段の手摺も、大理石と金属を使った幾何学模様のアールデコのデザイン。同様に二階の照明柱もアールデコのスタイルで、各部屋の照明器具の多彩さも見所の一つです。

 

 二階は宮様方のプライベートスペースとなり、こちらは主人の居間と書斎のみがラパンの内装で、他は宮内省内匠寮が設計。そのせいかラパンの手がけた部屋の空間の洗練性が目を引きます。二階のベランダと三階にあるウィンタールームと呼ばれるサンルームは、共に床がイタリア産の大理石が白黒の市松模様に打たれたモダンな空間です。

 



 「東京都庭園美術館」
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