{ちえのわ農園の由来}

 
1997年5月、僕はカナダに旅立つ予定だった。
大学を卒業してから一年、ログハウス会社でバイトをし、そこと提携していたバンクーバーにある日本人経営ログ会社で、とりあえず二ヶ月の修行計画をしていた。出発の数日前、親戚の紹介で出会ったのが千恵さん(嫁さん)で、彼女は茨城のとある農園で管理人として畑仕事をしていた。

 彼女は、自然が大好きで、畑の植物達と会話をするように農作業をする。趣味は草取りというように、もくもくと土に向かう姿は、大変そうと言うよりはむしろ楽しそうなのである。

 農業はきつい仕事で敬遠されがちだが、本来は人間の「食」という生きるために最も重要な活動である。
しかし、今では食べ物よりもお金の方が重要視されるような世の中になっている。そして何だかわからないものを餌のように食べている現代人。

 本当に豊かで美味しい食べ物は、自分たちでつくらなきゃ食べられないんじゃないか・・・自分たちの健康は自分たちで守らなければならない。・・・っていうか畑っておもしろい。では畑を耕そう。やるからには楽しもう。そして仲間を増やしてみんなで耕そう。そして盛り上がろう!!収穫を祝って飲もう!!

それが彼女の農園のスタイルで、出発点は機械を使わず、クワ、カマなどの道具での開墾からであった。
何事も自分の手でやってみないと納得できない。その姿に感動して僕も参加するようになった。
彼女の活動の輪を広げようと言うことで「ちえのわ農園」と名付けられたのです。
まあ、言うまでもなく、カナダから帰った僕は、彼女と生活しながら畑を耕し始めた

{農園の歩み}

 茨城で二年間畑暮らしをし、その後「移住地探しの旅」にバイクで日本一週して回った。
そこでたどり着いた熊本県の南阿蘇で二年間畑暮らしをし、現在、信州松本のこの地で百姓をしている。
色々経験させてもらったが、最終的には自分の祖父の家に入ることになったわけである。(すでにジジババは他界)

 小さな畑と田んぼと昔の家と、これでも我が財産となるのならばありがたい。百姓にとっては必須アイテム。
自給自足ニャばっちりだし、親戚の農家もいるからいろいろお世話になりっぱなしで、なんとかかんとかの田舎暮らしである。

ようやくじっくり腰を据えて土と向き合えるようになったのだが・・・またまた自然の厳しさ故に試練は続くのである。

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{これからの夢}

ブルーベリーの樹も年々増え、摘み取り園も本格的にスタートしました。これからは農園の周辺環境を整備していく段階に突入。石がまを作ったり、小川の横に散策路をつくったり、あげくのはてには小さな小屋でお茶を出す。そう「農園カフェ」をつくろう。訪れた仲間にはブルーベリー摘み取りの他にも、そばうち体験や、陶芸、田植え、稲刈りなどの農作業体験。キャンプもいいな。

中山の空気を吸って少しだけ幸せになれればいい。疲れを癒して元気になれればいい。とにかくそんな空間をつくりたい。

そして、一人でも僕たちの活動に共感をもってくれる仲間ができればいい。農業に挑戦する若者を増やしたい。
それが僕たちが未来の子供たちの社会に、少しだけ貢献できることと思っている。

旅人は温かく迎えたい。若者と楽しく呑みたい。子供たちの笑い声を広めたい。大自然に抱かれ、「農を通じて豊かさを得る」それが僕たちがお世話になった方々への恩返しです。