神理とは何か 物理とは何か?
神理と物理は表裏一体,
神理を学ぶとよくいいますが、
神理が何であるかを知らなくては、
神理を学ぶことはできません。
皆さんは神理が何であるかを知らない、
また、物理とは何かも知らないのです。
物理もあって神理もある、
二つのものが存在していると思っている方が多いのです。
神理と物理は表裏一体としてあるものです。
元を正せば同じもの、
物理は神理から離れては存在できないのです。
そのことを釈迦は色即是空、空即是色、色心不二といわれました。
神理は物を創るもの、本質的なもののことで、
物理は形的なもののことです。
形があるということは、必ず本質があるのです。
本質は神理で、形は被造物です。
例えばここにコップがあります価形で見るとコップ、本質で観るとガラスです。
コップとガラスは別々のものではなく、境目もありません。
創られたものと創り主は別々に存在するのではありません。
創られたものには、必ず創り主が宿るのです。
その創り主である神理を神と呼んでいるのです。
人と神との一体観人間の本質は霊と水で創られています。
本質は神理で、形は被造物で物理なのです。
人間は人間の形をした神です。
その神理は天、物理を地といっています。
人と神は表裏一体、観るべきものは現れている形なのか、
それを現わしている神理なのでしょうか。
“神理は汝の内にあり"創られたものがあるということは、
必ず創り主が居るということです。
神が物を創るのに、その物から離れて創造するものではありません。
その物になるしかないのです。だから人間一人一人には神が内在しています。
皆さんは形を見るのですか。本質である神を観るのですか。
肉眼を開くのですか、神眼を開くのですか。
人間とは、人間の形をした神なのです。
形は人間で、本質は神です。
初めに神ありき、その本質は神理で形は物理、
形はいかなることがあっても本質から離れて存在することはできません。
これを人と神との一体観といい、人間という形は神の化身なのです。
神は全てに宿り給い、神は全体者であり、絶対者なのです。
天は汝の内にあり、神は汝の内にあり人間とは偽名です。
本名を名乗りましょう。
戒名しないかぎり成仏できません。
天には還れないのです。
何に戒名するのですか。
“神"です。
人は神から出て、神に還るのです。
すなわち天に還るということです。
神から出てきたことを知る者のみが、天に還るのです。
これは天道、神道、神ながらの道といわれるものです。
この世の宗教家は天に還れるのでしょうか回天を知っているのでしょうか。
この世の形を何者も親と呼んではなりません。
神こそが我々の親セす。これを根源神といいます。
そして形をとっているものを神々といいます。
山の神、海の神、動物、人間の神、諸天全神です。
ということは、一人の影響は全体への影響となるのです。
なぜならば、その一人に全体が宿っているからです。
本質的なものは全我なるもの、普遍なるもの、無限なるものです。
これが本来のあなたです。
本来のあなたは血や肉、姿、形、人間ではなく、``我は本質なり"です。
あなたは個人や人間ではなく、無限の中の、無限なのです。
個人という制約は今、捨てるべきです。
あなたは本質において個人ではないのなら、自由自在、無碍自在です。
大宇宙、無限宇宙そのものがご神体だからです。
ということは、小さな神棚や神殿に奉ることはできないということです。
皆さんはさまざまな形を見て、それを現わしている神を観ていないだけなのです。
釈迦は内観しなさいといわれました。
明想とは神への一心集中神は無形無双の本質です。
明想とは無形無双の神へ一心集中することです。
明想中にいろいろなものが見えるということは雑念です。
世の中には偽りの明想を指導する人が掃き捨てるほどいるのです。
ですから明想ほど危険なものはありません。
明想とは何かを知らない者が明想を教えるのですから、怖い存在です。
真実の明想とは、神への一心集中、神を凝視する、
無限を凝視する、無限への一心集中です。
それ以外の明想、内観があってはなりません。
形あるものはことごとく仮想です。
あるのは無限の拡がりだけです。
皆さんの不安と恐怖は、形の世界から掻き集めた雑念です。
それが眠れない原因、肉体疲労の原因となっているのです。
真の価値観とは、形の価値観ですか、本質の価値観ですか。
どんな形や人間も霊と水で現れています。
形や人間はなくなっても、本質である霊と水はなくならない永遠なるものです。
そしてどんな形であろうとも、形あるものは変化するものなのです。
★真の信仰とは?
あなたは神を知るには、己を知ることです。
神理を学ぶことは、己を学ぶことではありませんか。
本当のことを知らぬまま死んではなりません。
盲のまま死んではなりません。
あなたの中に何が内在していますか。
神の居る処にあなたが居り、あなたの居る処に神が居る。
本質である神に己を全託すること、委ねることが大切です。
あ;なたの自我意識、人間意識でもがけばもがくほど、苦しみは拡大するだけです。
もし神に委ねているならば、あなたに悩み苦しみがあるはずがありません。
あなたの信じるべきことは人間という形の存在ではなく、
存在の本源である神ではないでしょうか。
しかし、皆さんはこの形ある人間に完全にがんじがらめになって、
自分だと狂信しているのです。
これを捨てねばなりません。
神は神理で、人間は被造物ではありませんか。
創られたものを信仰するのですか。
創り主を信仰するのですか。
どんな形をしていようと本質においては全体なのです。
すなわち無限です。
この無限という神理を知らないで、何かを知ることが可能なのですか。
何故でしょうか。
無限は全てだからです。
神理はあなたの全ての迷妄から、あなたを開放するということです。
天国は汝.の内に在り初めに無限ありき、無限には制限も制約もありません。
“人間本来無限能力"無限なるものは何を通して現れるのですか。
個人が無限を認めたとき、無限なるものは個我を通して現れるのです。
子が父を知ったとき、父は子を知り給うのです。
あなたは無限を知ったとき、その無限を受け入れるだけです。
無限の臨在観とは、神の臨在観です。
神に満たされるとは、無限に満たされるということです。
その無限はあねたを通してしか現れないのです。
無限の自覚です。
それには心を尽くし、魂を尽くし、
精神を尽くして汝の主なる無限を愛せよという意味なのです。
自我を神我にあげることを天に還るといいます。
誰が個人を無限にあげるのでしょうか。
それは意識の高揚しかありません。
個人意識を無限意識に高めなくてはなりません。
宗教は皆さん郊天に還る最大の妨げです。
最大の足伽です。
あなたは幻覚、現象を・放棄すべきです。
賢者は幸いをもたらし、愚者は禍をもたらす。
神我の言葉は幸いをもたらし、自我の言葉は禍をもたらします。
ここには真実を望む者しかきません。
幻覚、現象を望む者、体験者はこのグループから離れていきます。
去る者追わず、来る者拒まずです。
皆さん真剣に本当の自分を追求していこうではありませんか。
個人意識と神我意識の戦いです。
誰が勝利させるのですか。
わたしはこの神理のアドバイザーです。
勝利するも敗北するも、自分との戦いです。
我々は勉強会でもっともっと真剣に取り組んで勝利者となりまし土う。
本物を得るには常に無限を凝視しなくてはなりません。
常に内観しなくてはなりません。
神理の導き手は常にあなたと共に居ります。
皆さんが何故そうなのかを追求されることをお祈りして、
今回の勉強会を終わりにします。
知花敏彦 公式ホームページ