見える世界と見えない世界
この世は一般に三次元世界、物質界といわれています。
または、自然界ともいわれています。
この世には見えるものと見えないものもあるのです。
氷山は海面に浮かぶ部分しか見えません。
残り90%は海面下にあり、そこは見ることが出来ません。
私達は可視の10%を見て、残りの見えない90%を推定します。
10%+90%=100%なのですが、この100%のものを10%のみで推定します。
これは仮説を立てることになります。
人間も姿・形を見て、肉体を見て人間があると思っています。
しかし、人間には目に見えない生命があります。
生命エネルギーを今だかつて見た人はいません。
私達は見える肉体を人間だと思い、肉体が死ぬと人間も死ぬと考えています。
生命は見えませんから、肉体が生きていると思っているのです。
でも私達は生まれると名前をつけます。
そのことは名とはいわず、命名といいます。
即ち肉体に名付けるのではなく、命に名付けているのです。
生きているのは肉体ではなく命、生命のみなのです。
人間は姿・形として見て触れる肉体を人間と呼びます。
そして肉体の死を人間の死と考えます。
しかし、不可視のエネルギーと質量から、
この宇宙の万象万物は成り立っているとアインシュタイン博士は相対性原理を説きました。
このエネルギーも質量も目には見えません。
私達は物質は原子一個に電子が何個つくかで、各々の元素が生まれると考えています。
肉体は原子と電子から出来ています。原子も電子も目には見えません。
今だかつてエネルギーを見た人間はおりません。
この世の物質も肉体も原子と電子が化けた物です。
エネルギーと質量とから成り立っている物であり、エネルギーと質量の仮の姿なのです。
ということは、この三次元物質界の物質は不可視のエネルギーと質量あるいは
原子と電子の仮の姿にすぎないことになります。
目に見えないミクロのものが原因で、マクロの物質は結果となります。
人間の科学は結果の物質のみを対象としていますから、
結果論で原因論は無視していることになります。
見える物は見えないものから創られています。
見える物と見えないものは表裏一体として一つのものとして存在しているのです。