人間の本質を知ること
来る者拒まず、去る者追わず

その意味におきまして、

今皆さん方は恵まれた環境に存在しているということが言えま
す。


最後までついて来る者、途中で落伍する者、

その人の自由意思は犯せませんから、

それを来る者は拒まず、去る者は追わずと言うのです。
あなたが落伍しても、あなたが落伍したと誰も言いません。
例えば引き止めたところで、

引き止めたことによって苦しみが増すばかりです。

去る者
は去らさなければなりません。


「道は示すから歩みなさい」

とイエス・キリストが言った
のはその意味です。

だから皆さんにも道は示すけれど、歩むのは皆さんです。

それを最後の最後まで成し遂げるか、

自己完成を図るか、

未完成で生涯を終わるか、
それは皆さん次第です。


必要に応じて必要な場で皆さん方に道を示すことはできます。


それを実行して歩むのは皆さん一人ひとりです。

だから今自分という者は「物」の世
界に向いているのか、

精神世界に向いているのか、

その二つが皆さんの選択だと思いま
す。


つまり、中間というものがない、

上か下があるだけです。

天と地があるだけです。

すなわち皆さんの神我は上にあり、自我は下です。

人生はドラマのようなものですというのはそのような意味です。

そのドラマに振り回され、
それを写している原点を顧みようとしない。


それは皆さんの自由意思ですが、

そのこと
はよく選択していかなければなりません。

この世のものを粗末にする者は、

天を粗末に
する者である、

見える世界を粗末にしてはいけません。

天と地は一体ですから。


見える
ものを粗末にすることは、

見えないものを粗末にしていることになります。

結果も大事、原因も大事、

その原因と結果のバランスです。


今、原因と結果のバラン
スが取れていない、

この見える世界は結果次元ですから、

不可視そのものが本源です。

見えるものもエネルギーと質料であり、

見えないものもエネルギーと質料です。

この形
あるものを粗末にする者は、

形無き不偏源質を粗末にすることになります。


だからこの
世を傍観すると、

あの世を傍観していることになります。


昇天とは低い者から高い者となるか、

これが高揚です。

皆さん方の肉我は低我で、

神我は高我
です。


神我の世界は天で肉我の世界は地です。

それが昇天といいまして、

天に昇ると
書きます。

天に昇るということは、

自我意識状態が神我意識状態になることを天に帰る
といいます。

天というものは、本来の姿です。


地というのは陰、幻にすぎないのです。

その写しに無我夢中なのか、

本質的な天に皆さん方が到達するか、

という選択が今皆
さんに行われているのです。

自己選択ですから、

どちらかを選ぶかは皆さん方の自由です。


天は永遠なるものです
から、

諸行は無常と言いまして、

下の見える世界は常に変化して止まない、

移り変わり
の世界。


しかし、本質的なものは変化しない、

不変不動そして久遠にして常在です。


我々のこの見える世界で久遠なるものはありません。

これは写しの世界です。


だから人
生はドラマのようなものですというのはそのような意味です。

そのドラマに振り回され、


それを写している原点を顧みようとしない。


それは皆さんの自由意思ですが、

そのこと
はよく選択していかなければなりません。

この世のものを粗末にする者は、

天を粗末に
する者である、

見える世界を粗末にしてはいけません、

天と地は一体ですから。


見える
ものを粗末にすることは、

見えないものを粗末にしていることになります。

結果も大事、原因も大事、

その原因と結果のバランスです。


今、原因と結果のバラン
スが取れていない、

この見える世界は結果次元ですから、

不可視そのものが本源です。


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