あまり物質世界に心を奪われてはいけない

人間の自由意思は犯さないという法則がありますから、
逆に「物」という世界に振り向く人もあります。
「後ろを振り向くな」というのは、このことを言うのです。

ロトの妻がロトとロトの娘は山に向かったのに、
ロトの妻は後ろを振り向いて石になった、例えばその意味です。

だから精神世界へ向けようと一生懸命になっていますが、
後ろを振り向くということは、
下を振り向くすなわち物質世界に心を奪われて、
落ちて行くロトの妻のようなものです。
だから皆さん山に向かってということは高いものに向かってという意味です。

その時ロトの妻は火の洗礼を受けた。

逃げ廻るけれど逃げ場を失ってしまってとうとううずくまってしまった。
ロトとロトの娘の2人しか救われていないのです。

その意味におきましても、家族の者でもロトの妻のようになるものと、
山に向かって、原点に向かって走る者と、接点に向かって走る者とがあります。

それを「後ろを振り向くな」という予言なのです。

それと同時に、イエス.キリストが,
「いったん鋤をかけてから後ろを振り向くな」ということは、
鋤は真っすぐにしか歩けない、
後ろを振り向くと鋤はゆがんでしまいますから、
今、我々が精神世界に向かっているならば、
再び物質世界に心を奪われてはならないということを語っています。

あまり物質主義で物質に心を奪われてしまうと、
私たちは「物」に溺れて水の洗礼を受けねばなりません。

水に溺れるということは「物」に溺れる、
「物」に溺れている人を
救うことを水に溺れている人を救うこと、という時代ですね。

21世紀は精神世界の時代、
だから物質の世界は終わりました。

次の時代は精神世界です。

21世紀からは物よりも精神世界の時代になります。

我々のこの姿・形は不可視の工―テル。
これを工ーテルの時代と言いまして、
工ーテルすなわち「空」の世界です。

この「空」が全ての世界の根元ですから、
本質的なものですから、
そこから様々な形がこの世界に表されて来ます。

だからバイブレーションが低くなると形となります。

バイブレーションを上げますとその形は破壊されて、
普遍的なものになります。

だから普遍的原質があるだけでその結果として固体があります。

その固体は破壊できても普遍的な原質は永遠のものですから破壊できません。
ただ、形の表現として不偏原質の中に還元されて、
また形の世界に舞い戻って来ている循環の法則を輸廻の法則と言っているのです。

高い表現をする者は高い者として生まれて来るけれども、
低い表現しかしない者は低い表現世界に生まれて来なければならない。

だから、過ちを犯すと動物に生まれて来る可能性が高いですよ。
動物以下の生活をして生涯を終え、
そのカルマを持っていたとすると、
動物以下の生活に生まれる可能性もあるのです。

私があえてそこを説かないのは、
どうせ結果の次元であって、現象の世界であって、
あなたがたに知っていただきたいのは、現象の世界ではなく、
本質の世界を知っていただきたいために、
過去生に興味を持たさないようにしているのです。

過去生に興味を持つことは、
物質世界に興昧を持つということですから、
あえて私は過去の話をしない、
というのはそういう意味なのです。

私の過去は何ですかと聞く人は多いですが、
私の本質は何ですかと聞く人はいないんです。

過去生の話をして自分の本質を全く見失っている人が世の中多いんです。

人間の本質を知ること、
本質を知ることが大切か、
過去生を知ることが大切か…。

過去生は閉ざされたぺージなのです。
過ぎ去ったことで一つの想い出にしか過ぎないのです。

皆さん方の知るべきものは白分の本質なのです。

人問の本質は何かということを知るべきであって、
過去生は知るべきではないのです。

その本質的なものをもっともっと理解して、
その本質に恥じないような自分という者を、
この世で確立して行かねばなりません。

これを自已確立と言いまして、
自分を確立して行くことが自己完成につながります。

我々は本質的には皆神ですと言っていますが、
神だという本質があれば神を現すことが出来ます。

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