松谷さんは、3歳5カ月のとき、爆心地から約2.45キロメートルの距離にある長崎市内の自宅の縁側で被爆しました。彼女は原爆放射線をさえぎるものなく全身に浴び、頭には爆風で吹き飛ばされた瓦があたりました。泣き声に驚いた父親がかけつけたときには、手も足もぶらぶらで、意識はもうありませんでした。彼女の頭蓋骨を陥没させる縦5センチメートルにも及ぶ傷を見た医師は、「手遅れです」というだけでした。
やがて頭髪が抜けはじめ、傷口からは腐った魚のようなにおいのする膿が出るようになりました。傷口がふさがるまでに2年〜2年半の月日がかかりました。その治癒の遅れが脳を傷つけ、その後、彼女は発熱や失神発作を繰り返し、右半身不随の障害を受けました。松谷さんは、厚生大臣に対し、2回にわたり原爆症の認定申請をおこないましたが、申請は2度とも却下されました。
却下を伝える紙切れには、ただ「申請にかかる申請人の疾病は、原爆放射能に起因する可能性は否定できる」と書いてあるだけでした。
彼女は、国のこのやり方に納得できず、1988年9月26日、却下処分の取り消しを求める裁判を長崎地方裁判所に提起します。
被告の厚生大臣の主張は、要するに、DS86という被曝線量推定方式によって計算された松谷さんの被曝線量はわずか数ラド程度にすぎず、その程度の被曝ではおよそ放射線の人体に対する影響は考えられないというものでした。その主張は、一見単純明解で、科学的ともいえる装いをまとっていました。
しかし、その結論は、私たちの常識に明らかに反しています。私たちは被告の論理によれば、およそ放射線の影響を受けるはずのない多くの遠距離被爆者が、今もなお原爆後障害に苦しみ、また、被爆直後には、彼らに脱毛や下痢といった明らかな放射線障害が発生していたことを知っています。結局、国の主張の誤りは、現在の科学が原爆放射線の被爆者に与えた影響を解明しつくしているというごうまんな立場をとったところにありました。
私たちは、この国の主張する非科学性をつくことに焦点を絞り、被爆の実相、とくに遠距離被爆者にあらわれる脱毛などの放射線障害を事実として豊富に裁判所に示してきました。
そうして下された1993年5月26日の長崎地方裁判所判決は、私たちの主張をおおむね認めた画期的なものとなりました。
公正判決を求める53万人の署名を受け、1997年11月7日、福岡高等裁判所も、松谷さんを原爆症と認めましたが、それは、地裁判決後の国側の新たな主張とそれに対する私たちの反論の深化をふまえ、現時点で望みうる最高の判決となったのです。
被爆者に対する援護がどのようなものであるべきかを考えるに当たって、被爆の実相を正確にとらえることは不可欠の前提です。高裁判決は、被害について、健康面の被害にとどまらず、貧困と障害の悪循環という社会的側面からみた被害にも言及しました。また、立法の経過では、国家補償の見地からの被爆者援護を求める運動にもふえるなど、その内容においても、立ち入ったものとなっています。
この被爆の実相に対する十分な理解があったからこそ、判決は被爆者の立場にたったものになりえたのです。
裁判における法律上の争いは、原爆放射線と被爆者の症状との関係(起因性)について、被爆者がどの程度まで証明しなければならないかということでした。現在の科学をもってしても、原爆放射線の人体に対する影響を科学的に証明することは難しく、その厳格な証明を被爆者に求めることは、ほとんど被爆者にとって、その障害を原爆症と認めないというにも等しいのです。
そこで、裁判所は、地裁、高裁とも、被爆者の証明の負担を軽くする基準を採用しました。高裁は「物理的、医学的に高度の蓋然性の程度まで証明する必要はなく、相当程度の蓋然性が証明されればよい」としました。国の原爆症否定の唯一の理由は、DS86により計算された被曝放射線の量が人体に影響青及ぼすような量に達していないということでした。
この国の主張を、地裁は「どうしても相当とは考えられない」といい、高裁は「絶対的尺度としてそのまま適用することを躊躇させる」といい、否定したのです。
高裁段階では、国は、このDS86の正確性について、地裁よりも詳しい立証を執拗におこないました。しかし、この時期、DS86が不正確な部分を含むとする研究結果が発表され、ついには、DS86の見直し作業もはじまりました。高裁判決は、そのような最近の動きもていねいにフォローした上で、DS86だけを理由に個々の被爆者の障害に対する原爆放射線の影響を否定することを誤りと断じたのです。
地裁判決は、DS86だけを理由に放射線の影響を否定することが誤りだと判断する事情として、私たちの指摘を受け、DS86によれば放射線の影響がないはずの遠距離被爆者に放射線障害があらわれていることに注目しました。
そこで、国は、高裁において、これらの被爆者調査が、疫学的には欠陥だらけの調査結果であって、無視すべきと主張していました。自ら十分な調査をせずに、被爆者と放置してきたのにです。
高裁判決は、この国の非難に対して、確かにこれら調査が厳密に学問的には正確といえないかも知れないが、敗戦の混乱のなかで生じた障害を厳密に調査することは困難であって、2キロメートルより遠くで被爆した被爆者に脱毛等が生じたことを否定できないと、その意味を認めました。
地裁判決は、松谷さんの瓦を頭に受けた傷が2年半にもわたり治らなかったことが、。脳の傷を大きくし、現在の障害を残したという認定の上で、その傷が治りにくかったことに放射線が影響しているとしました。
高裁判決は、このことに加えて、瓦の直撃、脳に対する放射線の直接の影響などが「複合的、相乗的」に作用して、現在の松谷さんの障害がある可能性も認めています。これも、私たちが地裁以来一貫して主張してきたことです。
このように判決の論理は明解ですし、きわめて常識的なものです。
にもかかわらず、国は上告しました。
判決は松谷さんを原爆症と認定しただけではなく、その考え方によれば、これまで切り捨てられてきた多くの被爆者が救済されることとなります。だからこそ、国は上告したのでしょうが、そうであれば、私たちは、最高裁判所でもこの判決を維持し、被爆者を援護すべき国の責任を確定させなければなりません。
法廷外のたたかいも重要です。最高裁へ向けてとりくんでいる上告棄却の100万人署名活動に協力を訴えます。
たった3歳の私が受けた原爆被害は、とてつもなく、大きなものでした。
被爆時の頭のけがと放射能の影響による脳孔症のために50年間にわたり右半身不全マヒという障害に苦しんできました。その後の人生は、つらいことの多いものでした。この障害を原爆症と認めてほしいと認定申請をしました。ところが厚生省は、申請書だけで判断し、私の身体を見ることもなく却下しました。この厚生省のやり方には我慢できませんでした。1988年9月、厚生大臣を被告とする裁判を起こしたのです。
裁判は長崎地裁で全面勝訴、続く福岡高裁。裁判長の「控訴人の控訴を棄却する」の申し渡しは、私だけでなく、永年原爆のために苦しんできた多くの被爆者の勝利となりました。
私のこの裁判は「長崎原爆松谷訴訟」と呼ばれ、私を原爆症と認めさせるだけでなく、「国家補償による被爆者援護」、「一日も早い核兵器廃絶」への思いをこめてたたかわれてきました。
福岡高裁勝訴後、直ちに「上告するな」の声が全国に広がり大運動となり厚生省に抗議や要請のFAX、ハガキが送りつけられました。厚生省前の座り込み行動には連日、100名を越す支援者の方がたが全国から参加していただき、私も弁護団とともに上京しました。このようななか、厚生省はまるで私たちに挑戦するかのように上告したのです。
上告された以上、三度、勝利するまでたたかいます。支援運動は福岡高裁を大きく超えてひろがり、中央には青年団、地婦連、生協などの市民団体や世界大会も参加して「原爆松谷裁判ネットワーク」が発足し、今、「上告棄却要請100万署名運動」を全国的に展開中です。
私だけでなく、8月のあの日から心安らくことのない多くの被爆者の思いを裁判官にわかってもらえる日までたたかいます。どうかみなさん、二度と再びこの過ちを繰り返させないために、私といっしょにたたかってください。
松谷英子さんの原爆症認定を求める長崎原爆松谷訴訟は、現在最高裁判所に舞台を移して最後のたたかいがすすめられています。提訴以来、10年になろうとしているこの裁判ですが、これまで長崎地方裁判所でも、福岡高等裁判所でも原告勝訴の画期的な判決を勝ちとってこれたのは、全国のみなさまの力強いご支援のおかげです。ここに、あらためてお礼を申しあげたいと思います。
政府・厚生大臣は、松谷英子さんの原爆症認定について、なぜにこれほどかたくなに抗争をつづけ、最高裁判所にまで上告したのでしょうか。それは、この裁判は、単に松谷英子さんが原爆症として認められるかどうかの争いではなく、政府の被爆者行政そのものの見直しをせまる裁判であり、ひいては日本の核政策の根本について問題を提起し、核廃絶を求める広範な国民運動の起爆剤となる裁判であるからです。
日本政府は、日米安保条約という体制のなかで、アメリカの核の傘に守られ、核抑止力という力に依存して日本の平和と安全を図ろうとしています。アメリカの世界核戦略、ならびにこれに追随する日本政府の姿勢というものと、日本政府の被爆者きり捨て政策ともいうべき基本姿勢というものは、表裏一体のものであり、無関係ではありません。
ご存じの通り、日本政府は核廃絶を究極的な目的とすることによってこれを事実上棚上げしています。そして国連における核廃絶に関する種々の決議についで、いずれも棄権もしくは白紙投票をすることにより、アメリカの核政策の強力な支持者となっています。国際司法裁判所における意見陳述においても日本政府は核兵器の使用、威嚇も国際法に違反するものではないと言いました。大多数の核廃絶を求める日本国民の願いにそむき、アメリカに追従してアメリカの核政策のお先棒を担ぐような日本政府の態度は絶対に許せません。
日本政府の被爆者行政は、このような日本の核政策の枠内に閉じ込められているのです。被爆53年を経た今日においても、松谷英子さんにだけでなく、多数の被爆者がいまだに種々の健康障害に苦しみ、ガンや将来的影響の不安にさらされている、ということを日本政府としてはみずから認めるわけにはいかない、というのが本音なのです。日本政府としては原爆被害の非人道性、残虐性というものを過少に評価し、すでに原爆による被害はわずかしか残っていないといわざるを得ないのです。もし正面から原爆被害を認めるならば、核廃絶の選択しなければならないし、アメリカの核政策に批判的立場に立っ必要が出てくるのです。アメリカの顔色を気にせざるを得ない日本政府は、そのために松谷さんをはじめ多数の被爆者の苦しみを切り捨てている、といっても間違いではないと考えます。
このように考えれば、私たちは最高裁判所においてぜひとも勝利を勝ちとる必要があります。この裁判の唯一最大の争点は松谷さんのこの障害が原爆放射線によるものかは単なる外傷によるものかということです。日本政府、厚生大臣は単なる外傷によるものであり、放射線の影響はありえないという主張をしており、そのためDS86という科学論争に終始しています。われわれは被爆の実体を直視すべきであり、裁判所も被爆者の声を聞くべきであると主張してきました。そして高裁裁判では53万人の公正判決を求める署名を提出しました。高等裁判所の裁判官に訴えるにこれ以上の力となったものはないと思います。松谷裁判が全国の数十万、数百万の人々に注目されているということを最高裁判所にも理解してもらうことこそが、最高裁判官をして核廃絶の立場、国民の立場に立つか、それとも核政策を擁護する立場、日本政府の立場に立つかの分岐点になると思います。最高裁へ向けての100万人署名にぜひみなさまのご協力をいただきたいと思います。ともに核廃絶のためにたたかいましょう。