2000年度支援する会総会あいさつ


 皆さん、こんにちわ。松谷英子です。きょうは寒い中にこんなに沢山の方々にご参加頂き、本当にありがとうございました。また、きょうは九州各県の被団協の代表の皆さん方にもご参加頂いているとお聞きし、心から感謝申し上げます。
 この裁判も、12年目を迎えました。長崎地裁、福岡高裁のときは、裁判のたびに傍聴席に入りきれない程の皆さん方とお会いし、弁護士の先生方から法廷でのやりとりの意味をご説明頂いてきましたので、裁判の進行状況をそれなりに理解できたのですが、最高裁へ移ってからは、どうなっているのかさっぱりわかりません。私も、何度か松谷裁判ネットワークの皆さん方と一緒に最高裁へ行って、全国から集まった署名を提出し、書記官という方にお会いしてお話しするのですが、書記官という方は黙って私たちの云うのをメモされるだけなのです。しかし、そのような書記官ですが、沢山の署名が寄せられているのにはびっくりされているようです。昨日も、23,OOOを越える署名が最高裁へ提出されたと伺いました。個人署名は、48万を越えたそうです。こんなに多くの方々が、厚生省の上告を棄却して下さいと署名して頂いたのかと思うと、絶対に負けられないとの思いが身体中にみなぎってきます。本当に有難うございます。
 原爆症の認定についての裁判は、東京と北海道で新たにはじまり、全国で4件になりました。そのほかに、外国に住む方の健康管理手当の打ち切りをめぐって、長崎と大阪で韓国の被爆者の方の裁判も進行しています。国民は戦争の被害をがまんするのが当たり前だ、原爆の被害も戦争だったのだからがまんせよ、という厚生省の間違った被爆者対策は、全国各地で、きびしい追及にさらされているのです。
 最高裁での審理も、いよいよ終盤です。皆さん方と手をたずさえて、長崎地裁、福岡高裁につづく立派な判決をかちとるため、私もがんばります。これまでにも増して、ご支援、ご協力をよろしくお願いします。

総会に寄せられた、ともに原爆裁判をたたかう原告のメッセージ

 20世紀最後の年を迎え、あの日から55年間にわたる苦しみと悲しみ、そして怒りに満ちた被爆者の半世紀を振り返り『ここまで生きてきて良かった』という思いを噛みしめることの出来る年としなければならないと、己の心に誓った年でもあります。
 同志松谷英子さんの体と心にむち打った不届の11年間の闘いに、たくさんの被爆者が励まされ、被爆者の使命として、今までに亡くなった被爆者の心と自身の被爆実相を国内外への伝承運動として励んで来る事が出来ました。
 この一年間を、生きてきた証しが巨大な星として、[被爆者の頭上に−]「核兵器廃絶のしっかりした展望と平和を願う世界の人々の心に−」明星のように光輝くことの実現にむけ、持っている力を集中させましょう。その第一は、松谷さんの最高裁、京都の高裁、東京と札幌の地裁の訴訟で勝利判決を手にすることこそ、被爆者援護が国家補償の立場に立たせることになり、その第二は、国の外交が被爆国として核兵器即時廃絶の先頭に立たせることに繋がると確信しています。
 私の第二回公判は2月21日に決定しました。目下、弁護団会議・準備書面提出準備・支援連絡会加盟団体の学習会などで、長崎へ行く日が取れなく申し訳ありません。
 総会の成功と松谷さんの御健勝を祈りメッセージと致します。

2000年1月26日
札幌より安井晃一


 松谷さんと、支援する会のみなさんの運動に励まされて、昨年私も東京で原爆症認定裁判をおこしました。
 昨年11月の第一回口頭弁論の傍聴には、みなさんの代表を派遣していただき、ありがとうございました。
 長崎市大橋の三菱兵器製作所で被爆し、家族に最初「死亡した」と知らされた私が、病気をかかえながらも55年間、生きてこられたのは、あの地獄で殺されていった同僚たらが、「自分に代わって、核兵器とたたかってほしい」と、言っているのだと思えてなりません。
 厚生省が私たちの原爆症認定申請を却下し、半世紀を過ぎてもなお、私たちの身体に原爆放射線が被害を与えつづけているという事実を狭く、小さくしようとしていることと、核兵器は国際法違反といわない、核兵器の即時完全禁止に向かっての行動を起こさない政府の姿勢は、深く結びついています。
 私のC型肝炎は進行して、主治医から、「肝硬変になるのは時間の問題だ」といわれています。しかし、あの地獄を知る被爆者として、このような政府の姿勢を絶対に認めることはできません。
 私の裁判は始まったばかりですが、先輩である松谷さんにつづいて、30万人の全国の被爆者の願いを背負って、たたかいつづけます。
 松谷さんが健康に注意されてたたかいつづけられることを、支援する会のみなさんの運動がいっそう広がることを期待して、私のメッセージとさせていただきます。

2000年1月29日
東数男


長崎原爆松谷訴訟を支援する会御中
 長崎原爆松谷訴訟を支援する会の年次総会にご参集の皆様方に、心より連帯のご挨拶を申し上げます。
 長崎原爆松谷訴訟も高裁での全面勝訴から上告審に移って早3年がたち、一日も早い勝訴判決が待たれます。
原爆がもたらした被害の国家補償を求め、また,原爆被害の真相を明らかにするため、現在,京都原爆訴訟も控訴審を闘っておりますが、国は不当な裁判の引き延ばしを行っております。
 しかし、京都原爆訴訟弁護団は、原告を先頭に、元気で闘っています。
 京都の裁判は,長崎の裁判の成果を大いに活用させていただいておりますし、京都の裁判の成果も長崎の裁判に幾分かのお返しができているのではないかと自負しております。
 今、原爆症の認定をめぐる裁判は,長崎、京都だけでなく、東京、北海道と全国的に大きく広がって参りました。厚生省の原爆症認定申請の切り捨て政策によって、今なお原爆の被害の救済が放置されており、深刻な後遺症に悩んでいる多くの被爆者のためにも、お互いに連帯の輪をさらに大きくして、全面勝訴を目指して、さらに頑張りましょう。

2000年1月29日
京都原爆訴訟弁護団
弁護士 尾藤廣喜