1999年度総会決定

1998年度活動のまとめ

  裁判提訴10周年を迎える98年度は、厚生省の上告棄却を最高裁に求める署
名運動を100万筆と設定し取り組みました。そして99年1月には最高裁への提出
数が32万筆を突破することができました。このあと、一日も早く目標を達成す
ることが私たちの課題となっています。
 昨年5月に、東京で14団体が結集して、「原爆松谷裁判ネットワーク」が誕生
したことは、支援運動を大きく発展させる土台になりました。これを教訓に、
今年は地方での「支援センター」づくりが求められています。
 今、国会ではアメリカのおこす戦争に日本をまきこむ新ガイドライン関連法
案が審議されています。厚生省のいう「戦争犠牲受忍論」の背景には、このよ
うな日米間の核戦略を含む軍事協力、軍事同盟があることを見逃すことができ
ません。そしてそれだけに原爆被害の実相を明らかにし、国の責任による補償
を求める長崎原爆松谷訴訟の完全な勝利を勝ち取る意義はますます大きくなっ
ています。
 以下、1998年度の取り組みとその特徴を述べます。
氈D裁判所に対するとりくみ

◇100万署名運動を提起、短期間に32万筆集約
 法廷の開かれない最高裁では被爆者、国民の思いを反映させる取り組みを全
国的に展開させることが重要です。そのために98年度を特別な一年として位置
づけ、たたかいを進めてきました。
 中央組織での「原爆松谷裁判ネットワーク」の発足を機に「厚生省の上告棄
却要請署名」の大運動を開始し、福岡高裁勝訴一周年の11月7日までに100万
署名の目標を掲げました。
 裁判所への要請行動は4次にわたって行いました。
 この行動には原告松谷英子さんやネットワーク参加の各団体、全国の支援者
も参加しました。目標とした100万署名には到達できませんでしたが、中央で
の「ネットワーク」結成により運動は福岡高裁段階の規模を上回り一年で32万
筆もの署名を集約することができました。
 (内訳は支援する会 =73,000 ネットワーク=247,946)
 書記官交渉では入室者が17名と限られましたが、行動参加者は口々に上告棄
却要請や被爆者の思いを訴えました。書記官は聞いているだけですが、署名数
などはきちんとメモしてあり「累計は○○○ですね」と応える場面もありまし
た。書記官交渉の前に裁判所職員向けの宣伝行動を併せて行い、チラシなどを
まきました。
 署名等の内容は以下の通りです
行動日 個人署名 (累計) 団体署名 (累計) 上申書 (累計)
7月23日 46,330 - 165 - 116 -
9月25日 41,000 87,330 291 456 51 167
11月13日 114,261 201,591 245 701 47 214
1月26日 119,355 320,946 400 1,101 14 228
 ネットワークは署名推進の中心となり全国的に強力な応援団として宣伝、活
動を広げる力になりました。反核運動の共同の広がりもあって、今まで十分な
働きかけができなかった個人・団体へアプローチすることができました。しか
しその反面、ネットワークとの連携不足や構成団体の個々の実情もあり、緻密
な運動の構築ができませんでした。
 100署名をやりとげる必要性や達成への手だてを役員会、事務局で練り上げ
全会員への提起が不足していました。
.支援運動強化の取り組み
 日本被団協は各ブッロク別講習会に松谷さんの話を聞く機会を設け、全被爆
者の問題として位置づけ協力を呼びかけました。しかしその派遣費用などの財
政面では支援する会によるところが大きく、集会後に支援の輪をさらに広げき
る活動を展開するという点で課題を残した地域もありました。
 宮城県では「宮城に松谷英子さんを招く会」を組織し支援要請行動を取り組
みました。この取り組みの中で39名の新規会員を迎え県内会員は107名となり、
東北地方初の三桁の会員組織とすることができました。派遣費用、集会経費、
募金などの財政も招く会が作り出し成功させるという教訓も生まれました。
◇一万人会員の実現/長崎県内三千人会員
 数年来一日も早く一万人会員をと目標にしてきましたが今年度も達成するこ
とができませんでした。この一年間の入会者は358名で昨年をも下回ることに
なりました。さらに退会者も今年度は多く会員の現況は次の通りです。
 年間 新会員358名 退会321名 不明66名
 長崎     10名    44名    4名
 裁判のことはかなり知れ渡って来ているにもかかわらず、昨年から世界大会
などの夏の取り組みでも入会者が伸び悩みの状況です。
 このような状況の原因として
 ◎会員がある程度増えさらに、ネットワークも組織された中、会員一人ひと
  りが「自分が頑張らなくては」という気概が薄れてきているのではないか
  と考えられます。
  会の規模が大きくなった中で、一人ひとりの活動がすぐに組織の前進につ
  ながる手応えが伝わりにくくなったこともあります。
 ◎地裁、高裁と勝利したことによって最高裁でもとりあえず勝つだろうとい
  う楽観的気持ちもあるのではないでしょうか。
◇都道府県単位の組織化ー支援センター
 「支援センター」づくりはその地域で最高裁勝利をめざす個人・団体を組織
し運動を推進していく上で重要な取り組みです。複数の地域でセンターづくり
の動きはあるものの、支援する会としてそれらの地域へ個別の働きかけができ
ず、組織化には至りませんでした。
◇新しいリーフレット、ポスターの作成と普及
 最高裁での支援行動のために福岡在住で自身も被爆者である漫画家の西山進
さんの協力を得て新しいリーフを3万枚作成し、会員拡大等で活用しました。
 署名運動推進のためポスターを3千枚作成し約1500枚普及しました。
◇街頭宣伝行動
 毎週土曜日に地元長崎の繁華街で続けてる街頭宣伝・署名行動は今年度も着
実に実行し、裁判への市民、特に小学生、中学生、高校生などの若い世代の関
心を喚起するうえで大きな役割を果たしました。実施回数は5月から17回です。
この行動は団体会員に依拠し、分担しあうことで取り組みました。
 参加者は最高で23名最低で7名 署名27,06筆 募金49,284円
 団体会員の中には地域での独自行動をすすめたところもあります。 
 原告松谷英子さんは事情の許すかぎり参加しました。
◇裁判資料集の作成ー厚生省の上告理由書
 国側の上告理由書は資料集として日本被団協作成のものを活用しました。集
会や行動ごとに地裁判決、高裁判決などの裁判資料集を普及していますが、ま
だかなりの在庫があり、活用の工夫が必要です。
◇運動の節目ごとに、集会、行動を設定
 法廷が開かれず、高裁段階と違った運動スタイルが求められました。運動の
盛り上がりをつくるのが困難なため節目を設定し推進しました。以下取り組み
です。
 98年度節目とした日
3月1日 ビキニデー集会 最高裁勝利への支援要請
5月26日 地裁判決5周年 判決、上告理由書の学習とシンポ、決起集会
8月4〜9日 原水禁世界大会 支援要請行動
9月26日 提訴10周年 「世界の核問題と松谷訴訟」と題する講演、決起集会開催
11月7日 高裁判決1周年 長崎市内繁華街での宣伝行動
12月10日 支援する会10周年 8時間ロングラン署名行動
 これらの取り組みで高裁判決、上告理由書についての学習や会員拡大、地
元長崎市民へアピールをしました。街頭宣伝などは大きくマスコミも取り上
げました。
 また、連鎖し、東京、愛知、千葉で街頭宣伝や集会が持たれました。
◇支援する会「にゅうす」の定期発行化と発送作業の改善
 支援する会と会員、会員相互をむすぶ、「にゅうす」はこれまで法廷の中
味を知らせ次の法廷までの運動をつくるという形で年間3回〜4回発行して
きました。今年は3回(6/25、11/25,1/23)の発行でした。
 最高裁では法廷が開かれず裁判所や国側の動きが見えにくくなりました。
そのため発行間隔が延びて迅速な運動の提起ができませんでした。
 発送作業は半数を団体会員(依頼先は10団体、作業数は各500〜1000部)
へ、残り半数を事務局で行いました。事務局では長崎被災恊の会員を中心に
個人会員、事務局員が作業を行いました。発送作業は大変負担のかかる作業
のため1〜2週間を要しています。より多くの地元の団体・個人会員の協力
が必要です。
 運動を推進する団体への定期的な連絡も重要です。長崎市内の団体会員向
けには毎週通信を発行しましたが、全国的にはできませんでした。
・高裁判決、裁判の意義等の学習、普及、上告理由書批判、
 節目の集会ではシンポジウムや講演会をしました。しかし団体や地域で学
習会を設定するには至りませんでした。

。.事務局体制の強化
◇事務局運営を円滑にするために
 運動を着実に推進するためには、事務局体制の強化は重要です。しかし、
専従事務局員が入れ替わり、任務分担の変更もあり事務局運営が順調になる
までに9ヶ月を要しました。
 昨年に引き続き「事務局通信」を発行し事務局内の意志疎通に努めました。
役員や地元会員には「団体会員にゅうすイン長崎」を定期的に発行し、運動
推進、報告、連絡の徹底に努めました。
 大不況、減量経営、リストラなど厳しい社会情勢の中、各団体会員も多く
の困難を抱えている中で、支援組織として奮闘しました。団体会員内での運
動推進の中心となる担当者の配置をめざしましたが十分手だてができません
でした。

「.財政基盤の充実と強化
 最高裁へ入り意識的に財政基盤を強化することが求められました。
◇会費納入の促進、納入率の向上
 個人、団体会員の会費の納入額は97年度を大幅に越えました。
◇恒常的な募金運動
 支援募金額は97年度を大幅に越えました。

」.弁護団との連携など
 弁護団会議への出席、役員会への弁護団からの出席など相互に勝利をめざ
し行動してきました。
 最高裁に入り弁護団の構成、行動も全国的規模となり、弁護団経費は高裁
段階を大幅に増加しました。十分な弁護団費用が必要です。

1999年度活動方針

 昨年12月11日の京都地裁での原爆症認定訴訟の勝利判決は、長崎地裁、
福岡高裁での松谷訴訟の判決の正当性を裏付けることになりました。原爆被害
の実相に目をつぶり、DS86に固執し、被爆者を切り捨てる厚生省の主張は
くずれさり、併せて厚生省の原爆症認定作業のずさんさも明らかになりました。
 国は戦争犠牲受忍論の立場に立っており、これまでの最高裁は国の政策を支
える働きをしてきたことからも決して楽観は許されません。だからこそ「被爆
者は原爆の被害を受忍しない」「国民は戦争の犠牲を受忍しない」という声で
国中を埋めつくす状況をつくりだすことは、最高裁での勝利の展望をきりひら
く力となります。全会員の力を合せて一日も早く100万署名を達成させまし
ょう。会員一万人を越える「支援する会」を築きましょう。
 京都原爆訴訟の場合と違い原告が運動の先頭に立ち奮闘しています。松谷さ
んの頑張りと心労をあらためて全会員が確認し、原告と支援する会、弁護団が
ひとつとなって運動をすすめましょう。

氈D最高裁判所への取り組み
 @あらゆる個人・団体へ呼びかけ、最高裁への厚生省の上告棄却を求める
  「署名」運動を推進します。一日も早く個人署名100万、団体署名2万
  の目標を達成するために全力を上げます。
 A署名運動とともに、具体的な被爆の実相と被爆者の願い、国民の思いを裁
  判官に届ける「最高裁判官への手紙(上申書)運動」をくりひろげます。
 B最高裁への要請行動(最高裁職員への呼びかけ、調査官、書記官への要請、
  署名、上申書の提出)を成功させます。

.支援運動の強化
 @会員一万人を越える「支援する会」をめざして、会員の拡大に努めます。
 A『支援する会にゅうす』の定期発行(当面年4回)につとめるほか情報・
  宣伝活動を重視して取り組みます。
 B法廷が開かれない中での困難さを克服しながら、運動の節目を設定し、全
  会員の知恵を結集した行動を工夫し、マンネリから脱皮した全国各地で最
  高裁での勝利をめざす行動(決起集会、学習会、講演会、宣伝行動)に取
  り組みます。
 C各地の個人・団体は相互に連絡をとり、都道府県単位に「支援センター」
  づくりをすすめます。「支援センター」は「支援する会」との連携のもと
  にその地域での集会・行動など実施、会員の拡大、署名運動の推進など裁
  判支援の運動に取り組みます。
 D長崎地裁、福岡高裁の判決および99年春に提出予定の「答弁書」、さら
  には京都地裁の判決について、その内容と意義について学習し、普及につ
  とめます。上告理由書など国側の文書についてはその内容を分析し、批判
  活動をくりひろげます。
 E「支援する会」では事務局体制の強化、役員会の定例化につとめ、生き生
  きとした活動を展開します。
 F松谷裁判ネットワークとの連携を密にします。
 G国際連帯、国際的規模での支援運動を展開します。

。.弁護団との連携など
  弁護団との連携との一層密にし、支援活動の前進をはかります。大阪高裁
 へ移った京都での原爆症認定訴訟をはじめ、全国で裁判をたたかっている仲
 間との交流・連帯を深めます。

「.財政基盤の充実
  会費の納入を促進するとともに、恒常的な募金活動を推進し、財政基盤の
 充実をはかります

1998年度決算及び99年度予算

1998.1.1〜1998.12.31

事業会計報告