「第3回世界市民平和会議」に参加し、
オーストリア・ウイーン、ポーランド・アウシュビッツを訪ねる

鮮烈番外旅日記 5月11日〜21日

(1)

5月10日(月)長崎出発成田泊
  11日(火)
 集合時間の8:15より少し早めにホテルの連絡バスで第一ターミナルへ到着したが、すでに私たち以外のメンバーは集合していた。ターミナル宛に送っておいたトランクを受け取り、出発準備OK。グループ別に搭乗手続きを済ませ、チケットを受け取ると松谷さんが車椅子使用となっていない。なんと後方の65列、その上、介護者の牧山は隣ではない。先行きの不安がよぎる。どうにか交渉して係員の誘導を受けることになったが、満席のため席の変更は不可能。一般乗客より早めに搭乗し、参加代表団のメンバーに席を譲ってもらい、松谷さんと牧山は並んで座れた。最後尾から3列目だったので多少の余裕があり、楽な位置だったのは助かった。
 予定の時間より20分遅れて出発。アムステルダムのスキポール空港までノンストップで約11時間だ。1万メートル上空を時速900キロのスピードで飛行する。
 ベルトサインが消えると飲み物とピーナツが出てきて、1時間もしないうちにもう食事。その後飲み物、カップヌードル、また食事と、ただ座っているだけなのに食べるだけ食べてどうかなりそうだった。松谷さんは初めてのカップヌードル、まあまあのようであった。比較的松谷さんは眠れていたようで退屈せずにすんだよう。
 本州を縦断し新潟の北方から日本海へでてシベリア低地地帯になり雪というか凍土が雲の合間から見え隠れする。飛行時間の殆どはこのシベリア大陸。そしてスカンジナビア半島を南下し、デンマーク、オランダとなる。フィンランドのフィヨルド地形は圧巻。さらにオランダの干拓地は区画整理され整然と土地が並んでいた。
 午後の日差しの照りつけるスキポール空港に到着。成田より汗ばむ陽気だ。バスで1時間弱で目的地のハーグ着。さすがハウステンボスにそっくりだなんて逆説で納得する長崎代表団。
 前日の団会議で宿泊するはずのホテルがダブルブッキングしていることが報告されていた。野宿かもしれない?しかしついたところは五つ星ホテル。その威容に圧倒されてしまう。後日このホテルは会議参加の各国のVIPが多数宿泊していることがわかる。私たちも災い転じて福となるような部屋でその後の国際会議を乗り切るのである。ということでもちろん夕食は各自でとなった。
 誘い合わせてホテルから歩いて15分位の所にあるという運河沿いのレストランへ行くことになり、先発は歩いて、私たちはタクシーで向かう。通訳のIさん(ドイツ語)が一緒なので安心だが、なぜか歩いて15分ぐらいのところのはずなのに、タクシーで15分かかってしまった。後発は大分遅れて出てきたので、もうみんなきているはずなのにレストランへ入るといない。そのうち来るはずだから入ってと食事していても先発のみなさんは現れなかった。ホテルに帰ると、玄関で先発のうちの数人と一緒になる。聞けば50分歩いてもレストランに行き着かず、途中でリタイアして別のレストランで食べたとか。それはそうだよね、タクシーで15分もかかったところだもの。 
 午後9時を過ぎても明るく、10時になってやっと日が暮れ、「はずなのに」の連発で日本からの長い一日が終わった。

12日(水)
 昨日の部屋割りで松谷さんと牧山は252号室だったが1階が車椅子移動に都合がいいだろうと通訳のTさん、Kさん組の103号室と変更してもらったが、1階はグランドフロアで客室はないである。103号室は2階だった。でもエレベーターは両側にドアがあり、乗ったらそのまま出られる、車椅子移動には都合がいいが行き先階のボタンを押しても動かない。各階の部屋番号別に部屋のキーを差し込まないと動かないようになっている。4泊もしたので作動は熟練し、牧山はちょうど乗り合わせた外人の客に作動を教えたくらいなのだ。

   続く・・・