長崎地裁の判断をうわまわる画期的な判決
弁護団 原 章夫

一 長崎原爆松谷訴訟の始まり

 1945年8月9日午前11時2分、当時3歳5か月の幼女だった松谷英子さんは、爆心地から約2.45キロメートルの距離にある長崎市内の自宅の縁側で被爆しました。
 原爆の放射線が彼女の全身を襲い、爆風で吹き飛ばされた瓦が頭を直撃しました。泣き声に驚いた父親が駆けつけたときには、手も足もぶらぶらで、意識はもうなかったといいます。彼女の頭蓋骨を陥没させる縦五センチメートルにも及ぶ傷を見た医師は、「手後れです」と言うだけでした。
 やがて、頭髪が抜け始め、傷口からは腐った魚のような臭いのする膿が出るようになります。傷口がふさがるまでに二年半もの月日がかかりました。
 そのために、彼女の脳はひどく傷つけられたのです。今でも、頭の傷は痛みますし、右半身は不自由なままです。右足の裏は固く変形し、常に針で刺すような痛みが襲います。
 それでも、彼女は訴えます。厚生省が却下した原爆症の認定を求めて…。
 彼女の二度にわたる原爆症の認定申請に対して、その却下を伝える紙切れには、ただ「申請にかかる申請人の疾病は、原爆放射能に起因する可能性は否定できる」と書いてあるだけでした。彼女は、国のこのやり方を、どうしても許すことができなかったのです。1988年9月26日、彼女は、多くの仲間に支えられ、原爆症認定却下処分の取消しを求めて、長崎地方裁判所に裁判を起こします。

 長崎原爆松谷訴訟の始まりです。

二 国の主張とその誤り
 松谷さんを原爆症と認めない国の主張は、一見単純で明快なものでした。
 すなわち、DS86という被爆者が浴びた放射線の量を計算する方法によって、松谷さんの被曝線量を計算すると、それはわずか数ラド程度にしかならない。しかし、放射線は、ある一定の量(閾値といいます。)を超えなければ、人体に影響は現れないのであって、松谷さんが浴びた程度のわずかな放射線では、松谷さんの身体への影響は考えられないというのです。
 そう言われると、放射線防護学などの専門的な知識を持たない素人は、そんなものかと思うかもしれません。
 しかし、その結論は、被爆者の常識に明らかに反しています。私たちは、国の理屈によれば、原爆放射線の影響などあるはずがない多くの遠距離被爆者が、今もなお健康上の問題をかかえ、また、被爆直後には、脱毛や下痢といった明らかな放射線障害を訴えていたことを知っています。
 結局、国の主張の誤りは、現在の科学が原爆放射線の被爆者に与える影響を解明しつくしているのだから、その影響を被爆者の側で厳密に証明できない以上、そのような障害は原爆放射線の影響ではありえないという傲慢な立場をとったところにあったのです。
 私たちの裁判所におけるたたかいは、裁判所に、国の理屈によっては説明できない遠距離被爆者の放射線障害の事実をはっきりと認識させるところから始まりました。そうすれば、おのずと、国が唯一のよりどころとしているDS86と閾値だけで原爆症を否定することの誤りが明らかになると考えたのです。

三 長崎地裁判決
 そうした私たちの方針は、誤ってはいませんでした。
 私たちは、まず、安斎育郎・立命館大学教授に、放射線防護学の立場から、DS86が必ずしも正しいものではないことの証言をお願いしました。肥田舜太郎医師には、多くの被爆者の診療にたずさわってきた経験から、遠距離被爆者に現れた放射線障害の具体例を証言していただきました。被爆者故渡辺千恵子さん、山口仙二さん、また、松谷さんの被爆地近くに住んでいた楠本光則さんからも具体的な被爆の実態の証言を得ることができました。加えて、被爆直後のいくつかの調査結果も文献として指摘しました。
 その基礎の上に、松谷さんの主治医である山下兼彦医師が、松谷さんの障害は、瓦が頭にあたったという単なる外傷だけでは説明できないこと、つまり、何らかの放射線の影響が考えられることを明らかにしました。
 そうして、1993年5月26日に言い渡された長崎地裁の判決は、おおむね私たちの主張を認めた画期的なものとなったのです。
 その詳しい内容については、支援する会の「資料集8」を参照してください。

四 福岡高裁判決
 しかし、地裁判決が私たちの主張をいれ、結論として、国の原爆症認定に対する姿勢、ひいては被爆者行政のあり方に対する批判を含むものだったがために、国は地裁判決にしたがうことができず、控訴します。
 もっとも、控訴したからといって、国の主張はDS86と閾値以外にはありえません。国が高裁でやったことといえば、DS86が科学的で正確なものであることを、研究者に証言させ、一方で、遠距離被爆者に現れている放射線障害の事実を否定したことぐらいでした。
 それに対して、私たちは、これまでの主張をさらに補充することに加え、日本原水爆被害者団体協議会が一九八五年に行った原爆被害者調査を分析した濱谷正晴・一橋大学教授の貴重な証言を得ることができました。
 その結果言渡された一九九七年一一月七日の福岡高裁判決も、地裁判決に続いて、松谷さんを原爆症と認めたのです。
 かつて、私たちは、長崎地裁判決を、望みうる最高の判決と評価したことがありましたが、今回の高裁判決は、地裁判決後の高裁での国側の新たな主張とそれに対する私たちの反論をふまえ、ふたたび、現時点での望みうる最高の判決となったのです。
 それでは、高裁判決のポイントを、簡単に確認してみましょう。

1 判決は、被爆の実相をどうとらえたか
 被爆者に対する援護がどのようなものであるべきかを考える際には、被爆者がどのように被爆し、どのように苦しんできたのかを正確に理解することが出発点にならなければなりません。
 この点で、高裁判決は、原子爆弾の破壊力・特徴、それによる被害、旧原爆医療法の立法の経過について、独立した項目をおこし、かなり詳細に述べていることが注目されます(実は、地裁判決も被爆の実相をふまえていたとは思われるのですが、文字の上で判決文にあらわれたところは少なかったのです。)。その上、高裁判決は、被害について、健康面の被害にとどまらず、貧困と障害の悪循環という社会的側面からみた被害にも目を配り、また、立法の経過では、国家補償の見地からの被爆者援護を求める運動にもふれるなど、その内容においても、かなり立ち入ったものとなっています。
 この被爆の実相に対する十分な理解があったからこそ、判決は被爆者の立場にたったものになりえたのです。

2 被爆者の証明の負担はどうあるべきか
 裁判における法律上の争いは、原爆放射線と被爆者の症状との関係(起因性)について、被爆者がどの程度まで証明しなければならないのかということにありました。現在の科学をもってしても、原爆放射線が人体にどのように影響するかということを科学的に証明することは難しいのです。その厳格な証明を被爆者に求めることは、ほとんどの被爆者にとって、その障害を原爆症と認めないということと同じことになってしまいます。
 そこで、裁判所は、地裁、高裁とも、被爆者の証明の負担を軽くする基準を採用しました。その表現は、地裁、高裁で異なってはいますが、被爆者の証明を軽くするという裁判所の判断は、もはや確立したといってよいでしょう。
 具体的な基準としては、地裁の「被爆者の疾病が原爆放射線に起因する可能性が否定できないことを証明すればよい」という基準に対して、高裁は「物理的、医学的に高度の蓋然性の程度まで証明する必要はなく、相当程度の蓋然性が証明されればよい」としました。高度の蓋然性とは、8、9割がた確からしいということで、通常の裁判ではこの程度の証明が必要とされています。これに対して、相当程度の蓋然性とは、この証明の程度を引き下げてよいとするもので、私たちは、地裁段階から一貫してこのことを主張してきました。
 なお、高裁の基準が地裁の基準と比べて厳しいのか、ゆるやかなのかという疑問も出されていますが、結論として、松谷さんを救済するところでは変わるところがなかったのですから、同じ程度の基準と考えてよいでしょう。

3 DSを理由に原爆放射線の影響を否定できるのか
 国の原爆症否定の唯一の理由は、DS86により計算された被曝放射線の量が人体に影響を及ぼすような量(閾値)に足りないということでした。
 この国の主張を、地裁は「どうしても相当とは考えられない」といい、高裁は「絶対的尺度としてそのまま適用することを躊躇させる」といい、明確に否定したのです。
 高裁段階で、国は、このDS86の正確性について、地裁よりも詳しい立証を執拗に行っていました。しかし、この時期、ちょうどDS86が不正確な部分を含むとする研究成果が発表されるようになり、ついには、DS86の公式な見直し作業も始まったのです。高裁判決は、そのような最近の動きもていねいにフォローした上で、DS86だけを理由に個々の被爆者の障害に対する原爆放射線の影響を否定することを誤りと断じたのでした。

4 遠距離被爆者に脱毛などの放射線障害はあったのか
 地裁判決は、DS86だけを理由に放射線の影響を否定することが誤りと判断する事情として、私たちの指摘を受け、DS86によれば放射線の影響がないはずの遠距離被爆者に放射線障害があらわれていることに注目しました。
 そこで、国は、高裁において、これら被爆者調査が、学問的(疫学といいます。)には欠陥だらけの調査結果であって、無視すべきと主張していました。遠距離被爆者の放射線障害の事実はなかったというのです。
 高裁判決は、この国の非難に対して、確かにこれら調査が厳密に学問的には正確とはいえないかもしれないけれど、敗戦の混乱の中で、障害を厳密に調査することは困難であって、2キロメートルより遠くで被爆した被爆者に脱毛等が生じたことを否定できないと、その意味を認めたのです。

5 松谷さんの障害に放射線はどう影響したのか
 具体的な松谷さんの障害と放射線との関係についても、高裁判決は、地裁判決より一歩踏み込んだものとなっています。
 地裁判決は、松谷さんの瓦を頭に受けた傷が2年半にもわたり治らなかったことが、脳の傷を大きくし、現在の障害を残したと認めた上で、その傷が治りにくかったことに放射線が影響しているとしました。
 高裁判決は、このことに加えて、瓦の直撃、脳に対する放射線の直接の影響などが「複合的、相乗的」に作用して、現在の松谷さんの障害がある可能性も認めています。これも、私たちが地裁以来一貫して主張してきたことなのです。

五 最高裁での勝利のために
 地裁・高裁と続けて、松谷さんは原爆症と認められました。
 しかし、それは松谷さんだけの問題ではありません。
 地裁・高裁の判決は、国の原爆症認定のあり方を批判し、被爆者切捨て行政を断罪したのです。
 それにしたがえず上告した国に対して、最高裁でも地裁・高裁の判断を維持させることができれば、それは、その被爆者切捨ての姿勢の変更を迫る突破口となりえます。その可能性は、確実に私たちの目の前にあります。あとわずかのところまで、国は追い詰められているのです。
 最高裁が勝利判決を言渡す日まで、しなやかに、粘り強くたたかい続けませんか。もう一度、高裁判決を読み直して…。