月夜の王国 仮の王と男装の騎士
耳に届く密やかな鳥のさえずりと、まぶたにそそぐ爽やかな朝日を感じて、ランはゆっくりと瞳を開けた。
まず眼に入るのは自室の天井。ランはふっと息を吐いてから寝台の上へ起き上がった。
一度大きく伸びをすると、腰まで伸びている長い髪が音も立てずになびく。
勢いよく寝台を降りて、作りつけの姿見の前まで行き、その中を覗き込んだ。鏡の向こうから見返すのは金髪に碧眼の女。23年間飽きるほど見てきた自分の顔を今日も確認し、それから寝巻き代わりに着ている訓練用の稽古着の胸元を開いた。
「ああ、やっぱり黒くなっているな」
鎖骨の少し左、肩の下のあたりがうっすらと内出血している。昨日の訓練中に同僚からしたたかに打ち付けられた場所だった。すぐに冷やしたものの、多少は出血したらしい。
女だてらに近衛騎士などという職に就いているのだから、怪我は仕方がない。この程度で済んで良かったと頭を切り替えてランは着替えるために再度、服に手をかけた。
と、開いた胸元のもっと下、膨らみの付け根に消えかかった痣を見て、さっと顔をしかめる。
忘れてしまいたい事を思い出しそうになったランは、苦りきったまま鏡の奥の自分を睨み付けた。
「陛下、本日もご機嫌麗しゅうございます」
近衛騎士隊長の一声を合図に、大広間に並んだ騎士たち全員が跪き頭を下げた。
朝食を終えた後、城内の大広間に集合し、主君である国王の前で挨拶をする。それが毎朝の仕事始めの儀式だった。
近衛騎士はその名の通り国王の身辺警護を担う要職で、軍属の騎士とはいえ王家から爵位を賜った由緒正しき貴族だけがなれる。だからこそ警護も謁見もたやすく叶うのだ。事実、ランもデュトイ伯爵家の嫡子として生を受けていた。
ランの生家デュトイ家は代々騎士を勤めてきた貴族で、ランはその長女にあたる。父は3人の子に恵まれたがその全部が女で、ついに男児はできなかった。
その為、ランは子供の頃から男と変わりなく育てられた。父はランを騎士にせずに孫に男子が産まれるまで自分が職務を全とうするつもりであったようだが、念のためランに騎士の訓練を受けさせたのだろう。結果的に両親が早世し、ランは近衛騎士隊唯一の女騎士として城勤めを送っているというわけだった。
本日任務に就く近衛騎士だけとはいえ50名を下らない人数が頭を下げている中、当の国王はのんびりした調子で片手を挙げた。
「おはよー」
声も寝ぼけているとしか思えないほど覇気がない。
騎士隊長の合図と共に全員が一斉に顔を上げると、そこには玉座に身体を預けてぼんやりしている国王の姿があった。しかしいつもの事なので誰も驚きはしない。
ファイゴス王国17代国王シューバート・ファイゴス様、という。
国王の御歳は29歳。兄であった前王の急逝で15歳の時に即位してから14年になる。
王族特有の美しい容姿に黒髪。同じく黒い瞳。細身で長身のスタイルに長めの前髪が、影がありそうで良いなどと庶民の娘たちに人気らしい。しかし本人はそんな事を気にもしていないのか自身の格好に構わず、道楽ばかりを繰り返し、そのせいか未だに独り身だった。更に本日も部屋着のまま玉座に座っている。
だから国の重鎮たちに影で『うつけもの』と言われるのだと、ランは冷ややかな眼で国王を見た。
と、国王がぼんやりした視線をさっとランに向け、誰にも判らないように微かに口角を上げる。その時、王の瞳に浮かんだ光を見て、ランは慌てて視線を外した。
(……どこが、うつけなものか)
真の国王の姿を思い浮かべ、ランは唇を噛んだ。
朝の儀式はいつも通りの進行で、いつも通りに滞りなく進んでいく。
隊長が本日任務する者の名前と、警備の部署を高らかに読み上げ、呼ばれた者は返事をして一礼するのが慣わしだ。
「ランフェリア・デュトイ、国王執務室」
「はっ!」
ランも呼ばれた後に立ち上がり一礼をする。
ランフェリアというのがランの正式な本名。昔からの通称で、気心の知れた者や同僚からは「ラン」と呼ばれていた。
……国王執務室。
近衛騎士にあるまじき態度だが、ランは国王執務室の任務が一番嫌いだった。つい先日までは騎士が騎士たる最高の任務だと誇りを持ってあたっていたというのに……。
そんな自分を自嘲しながら、今日1日が何事も無く過ぎてくれるように……と心密かに祈らずにはいられなかった。
近衛騎士の仕事というのは国王の警護であるから、単純に言えば城内の巡回や、定位置での見張りが仕事だ。
今日のランの任務は国王執務室の警護。うつけでも一応、国王としての仕事をする為に昼間、執務室に詰めている国王を守るべく部屋の前にただ突っ立っているという訳だ。
任務は2人1組、もちろん私語は禁止。国王や以下の執務官の邪魔をしないように気配を消して任務にあたる。ただ突っ立っているだけというのも意外に難しいのだった。
午前中は願った通り何事も無く、国王も大人しく執務をこなしたらしい。昼食後、午後の任務に就いたランは、何とか無事に過ごせそうだと胸を撫で下ろした。
任務開始から3時間、定期的に回ってくる巡回の騎士を何度か見送った時、見知った顔がこちらへやってきたのを見つけた。
同じ近衛騎士のタティルだった。
珍しい事もあるものだとランは眼を見張る。
(よその隊で何かあったのだろうか?)
彼は同僚たちの中でも一番、気心の知れた仲だったが、任務中なのでお互いに敬礼をしてから用件を聞く。タティルが何か言いたそうな眼でこちらを見るのでランは内心首をかしげた。
「隊長からの伝達です。本日の国王の執務は現時刻をもって終了。のちは退室されて私室で過ごされます。執務室警護2名のうち1名は任務終了後、休憩ののち中庭夜間警護にあたること。残り1名ランフェリア・デュトイは国王の退室に同行し、のち国王私室夜間警護にあたること。以上」
突然の指令に、ランともう一人の執務室警護の騎士はお互いの顔を見て眼を瞬いた。
嫌な予感がしてランはタティルに問うた。
「どういう事でしょうか。朝礼時には私の夜間警護は通用門だったはずですが」
近衛騎士のシフトは、基本的に週2日の非番がある。大体が2〜3日ごとに1日の休みだが月に1度だけ連休になるのだった。連休前の騎士は昼間の警護の後、夜半までの夜間警備をこなした後2日休みという仕組みになっている。
明日から連休のランは今日の昼間は執務室警護に、夜間は通用門前警護に就くはずだった。
突然の任務変更はよほどの事がない限り有り得ない。変更すれば誰かにしわ寄せがいくからだ。当然の疑問をぶつけたランにタティルは渋い顔をして答えた。
「通用門警護は私があたります。隊長からの命令は絶対です。変更確かに通達致しました、ただちに取り掛かってください」
「はっ!」
任務中なので余計な事を聞きただす訳にもいかず、ランは返事をした後、国王を迎えるために執務室のドアに向き直った。
と、わき腹を微かにつつかれる。顔を上げると難しい顔をしたタティルが耳元に口を寄せた。もう一人の騎士は早速、休憩をとるために去ったらしい。
「……お前、なにやったの? 今日の命令変更は国王の命らしいぜ。隊長がすげー嫌な顔してた」
国王の命令……。
ランはぎくりと背中を強張らせる。
「わからない。だが、すまないタティル」
「俺はいいけどさ」
ランのせいではないが結果的にタティルにしわ寄せがいくことになるので謝った。
城に上がってから兄のように接してくれているタティルは、少しおどけて肩をすくめると「何か知らんが、がんばれよ」と言って去っていった。
誰もいなくなった廊下。ランは一度大きく深呼吸をしてから、国王を私室まで送り届ける為、ドアをノックした。
案の定……と認めてしまうのが口惜しいが、国王を私室へ送り届けた後、ランは室内に引き込まれて出るなと命令された。
国王の命令は絶対だ。ランは黙してドアの脇に立った。
「そんなところにいないで、こっちへ来てお茶でも飲んだらいいだろうに……」
「今は任務中ですので」
できるだけ冷たく言い放ったというのに、目の前の国王はさも楽しそうにくつくつと笑った。朝から着っぱなしの部屋着で手ずから紅茶を入れてテーブルへと置く。どうやらメイドも下がらせているらしい。
「言い方を変えないとダメかい? そうだな……愛しのランフェリア、我が元へ来て共に紅茶を楽しもうではないか。とか、どう?」
「お戯れは無用に願います、陛下」
相変わらずのランの調子に、国王は長い前髪の間から覗く瞳をきらりと輝かせた。
「陛下、じゃなくてシュウね。これ命令」
「そのご命令には従えません」
「ランには拒否権ないよ。あとそのゴツイ鎧も脱ぐように。これも命令」
「従えません!!」
悔しさに思わず声を荒げる。爪が食い込んで白くなる程こぶしを握り締めた。
国王……シュウはランの声など聞こえなかったかのように、優雅に椅子に座ると一口紅茶を飲んで、ふうと溜息をついた。
「むりやり脱がせても良いんだけど、それじゃつまらないしな。んー……脱いでくれたらランが不思議に思ってること教えてあげようか。どう?」
謎かけのようだが、ランには魅力的な言葉。
実のところ、ランは先週から溢れ出る疑問に苛まれていた。突然知ってしまったうつけ王の真実の姿は、うつけどころか切れ者だった。そして何故それを自分に教えたのか……それから。
……それに、どうせ頑なに抗ったところで時間稼ぎにしかならない。
それは先週、身をもって知ったところだ。じわり、と体内に熱が篭もる。
ランは諦めて項垂れると、聞こえないような小声で
「仰せのままに」
と呟いた。
わき腹にある留め具を外し、腕を抜いて頭から脱ぐ。それから手甲、篭手、腰に巻く紋章入りの飾り布、脛当てまで外した。残ったのはシャツと細身のパンツを穿いたみすぼらしい格好の女。無音の室内で漆黒の瞳に見つめられているのを意識すれば、裸を見られているわけでもないのに羞恥でおかしくなりそうだった。
鎧を全て脱ぎ終わると、シュウは満足そうに微笑んで、自分の対座にあるイスを指し示した。
ランはもはや抗う気など失せたようにのろのろと顔を上げて、そこへ座る。
「よくできました。さて、何をどこから知りたい?」
さも楽しそうに笑うシュウに、抱いてはいけない憤りを感じた。
「……陛下は何故うつけの真似をしておられるのですか?」
聞きたい事は他にあったが、まずそれを知らねば始まらない。
「うつけの真似ねえ……あ、お茶、冷めない内に飲むといいよ」
それも半ば、命令。断ることもできずにランはしぶしぶ茶器を手に取った。
「……失礼致します」
何か気の利いた礼の言葉でも言えればいいのだろうが、国王自ら入れたお茶を飲む場合に相応しい言葉などあるわけもない。一口含んで、予想外に美味しいことに驚いた。
「俺、紅茶入れるの上手いでしょ。昔はよくやってたんだ、兄上が生きてる頃はね」
どこか遠いところを見つめる瞳を、ぼんやりと眺めた。
兄上というのは、前王ザースレントの事だ。14年前に急な病で身罷られた若き王。まだ子供だったランは当時の事はよく知らない。
「申し訳ありません、ザースレント前国王陛下の事は余り存じません。歴史的な側面ではもちろん存じておりますが……」
素直に述べたランにシュウはにこっと笑った。
「いいさ、ランはまだ幼かっただろうし、貴族とはいえ婦人や子息には余り関係ないことだ。14年前はいくつだった?」
「9歳でございました」
シュウはテーブルに肘をついて手の上に顎を乗せると上目遣いでランを見た。普段、長い前髪に隠れてはっきりとは見えない瞳に見つめられて、知らず鼓動が速くなる。
「ふぅん、じゃ今23歳ね。と、俺の即位宣言の話は知ってる?」
「いいえ、存じません。騎士学校でも特に触れていなかったように思いますが……」
ファイゴス王国は王が変わると即位宣言という儀式が行われる。元々は神に自分が王に即位した報告と慈悲、加護を請うものだったらしいが、現在では諸貴族を集めて人前で宣言し、皆に認めさせるような内容に変わっている。
ランの答えを聞いて、シュウはおかしそうに含み笑いをした。
「じゃあわざと隠してるのか。大方ゴルツの仕業だな。あのジジイ」
ゴルツというのは元老院の長をしている方だ。齢70を越えファイゴスの長老、生き字引とまで呼ばれている。
「即位宣言が何か……?」
「ああ、俺、即位宣言した後すぐ退位宣言して宣言書に調印したんだ」
「はっ?!」
ランは思わず声に出して聞き返してしまった。退位宣言というのは言葉どおり即位宣言の逆だ。崩御されたり、ご病気などで政務が滞ったりした場合以外に退位する際、必要になる儀式。
「んーと、元々ファイゴスは兄上が国王だっただろう。で、兄上に息子がいるのは知っているよね?」
「はい、ベネートリウス皇太子殿下でございますね」
前々代のファイゴスには2人の王子がいた。兄のザースレント、そして弟のシューバート。
父王が亡くなった後、古のしきたりに習い長兄が国王となった。後にザースレントは王妃を娶るのだが、王妃が懐妊した直後に、突然の病でこの世を去ってしまう。
国王を不在にはできないので、時の皇太子であったシューバートが国王になるも、兄王妃が男子を産み落とし、その王子ベネートリウスが現在の皇太子となった。
……というのがファイゴスの現状だ。
「そう、兄上の大切な忘れ形見だ。俺は元々、王位を継ぐつもりが無かったし、今でも王位はベネートリウスの物だと思ってる。だから即位宣言の時に産まれてくる子供が成人したら退位するっていう宣言をしたわけ」
「なんという……ことを」
初めて知った事実にランは眼を丸くした。聞けば判らないでもない理由だが、それでは周りが黙っていないだろう。
ランの思考が判るのか、シュウは少し肩をすくめた。
「だけどさ、それだけじゃ上手くいかないんだな。ランの考え通りに色々言うやつがいて。ベネートリウスが兄上の子供という証拠が無いから俺がずっと国王やればいいだとか。俺が結婚して子供ができたら考え変わるだろうってやつとか。勝手に俺派、ベネート派とか作ったりしてたみたいで」
「それは、そうでしょうね」
当事者には悪いが、王家によくある御家事情というやつだ。
思い出しても腹が立つのか、シュウは残りの紅茶を一気に飲み干して乱暴にカップを戻した。
「一時期、このままだとベネートリウスの身に危険が及ぶかも知れないってくらい危ない時があって。事態を収めるには、俺が使い物にならないんだって事を知らせる必要があったんだ」
そこまで聞いてランはシュウをまじまじと見つめた。
「ま……さか」
「俺が能無しで手がかかるなら誰だってベネートリウスが国王になればって思うだろうし、俺を手なづけて影で牛耳ろうとする不届きなやつは勝手に尻尾を出してくれるから処理が楽だし。で、良いことだらけ。これでわかったでしょ」
それが、うつけ者の理由。
「……はい」
「王家には1人の有能な王と、愚者がいればいいんだよ」
したり顔で笑う目の前の男に、ランは寒気がした。底なし沼を覗いたような恐ろしさを感じる。
しかし、ランが本当に知りたいのは、そのことではない。
何も知らぬ方が良いのかも知れないが、ここだけは譲れないのだ。震える手を力で押さえつけて顔を上げた。
「しかしどうして、その秘密を私にお見せになったのですか? ……どうして、あの時……」
「君を無理に抱いたのか?」
シュウがあっさりと口にした言葉は、矢となってランを突き刺した。
今から1週間前、今日と同じように夜間私室前警護の任務に就いていたランは、もう一人の騎士が隊長に呼ばれて不在となった隙に、ここへと通され無理矢理に身体を奪われた。
女の身で騎士として城に上がるということは、そういうことがあるかも知れないと覚悟はしていた。同僚や上官、出入りする貴族連中に目を付けられたら、いつかそうなるだろう事は容易に想像できた。
嫌な考え方だが、城に出入りする女が手付きになるのは、よくある事だ。
でもまさか国王がそんな暴挙に出るとは思いもしなかったし、何よりも初めて触れる男性の存在に酷くショックを受けた。そして、自分が女なのだと思い知らされた事、男と肩を並べてやっていけるという自信が崩れ去った事がただ悲しかった。
それでも、思いつきの戯れなら、いい。
相手が誰であろうと、忘れ諦める事しかできないのだから。
しかし情交の後のシュウは、いつものうつけぶりなど微塵も感じさせない程、隙なく立ち回り、且つ予定通りだと言わんばかりの言動をした。
シュウの根回しによって周りに知られること無く自室に帰されたランは、身体の痛みと共に混乱を抱え込んだ。
自分をその腕に抱いた男は、一体誰なのか。自分が従っていた主君はどんな人物だったのか。何故、自分を選んだのか。そして、全ては仕組まれた事なのか。
しかし一介の近衛騎士には国王に話しかける権利など無い。そうして何も無かったように時が過ぎていった。胸元に刻まれた花びらだけを残して。
「……」
先週この部屋で自分の身に起きた事を思い出し、ランは瞬きも忘れて空を見つめた。
シュウは流れるような動作で、もう一度紅茶を入れなおし、自分とランのカップに静かに注いでから窓際へ進んで中庭を見下ろした。
「……理由は、他にもあるけど。結局は、俺が君を愛しているから。かな」
「お戯れを!」
いくら近衛騎士とはいえ、国王と個人的に接する機会などあるわけが無い。ランは唯一の女騎士だがそれでも男と同じ鎧を身に着け、100人以上いる騎士団に混ざってしまえば目に付く事も無い。そんな状態でどうやってシュウがランを見初めたというのか。
「戯れだったら良かったけどね」
はぐらかされたと憤ったランに向かって、シュウは静かに振り向いた。その表情を見た途端、ランの心が激しく騒ぐ。
あの時と、同じ。
嵐のような時が過ぎて最後に想いを遂げたシュウは、呆然とするランの頬に触れながら今と同じ顔でこちらを見下ろしていた。
「なぜ、私なのでございますか……」
「わからない。だが、愛してる。自分でもどうにもならない」
初めて受ける愛の告白に、ランは息を呑む。
ただ事実だけを述べるように淡々と告げられたそれは、情熱的でもロマンチックでも無い分、真実味を帯びてランを怯ませた。
「し、しかし私は騎士です! お気持ちにお応えすることはできかねます!」
思い余って立ち上がると、シュウは少し驚いてから優しく苦笑した。そしてそのまま近づくと腕を伸ばしてランの身体を包み込む。
「うん、すまない」
「あ、あの、陛下……?」
シュウの言動と行動が噛み合わず、ランは狼狽した。
(この状況は何だ?)
相手が国王なので、あからさまに跳ね除けるわけにもいかず、ランは腕の中でもじもじと身体を捻った。
「だめだなぁ。ランの前では格好もつけられない」
「???」
全く意味が判らずにシュウを見上げた途端、髪を結っていた紐を取り去られ、長い髪が一気に広がる。
驚いて振り返る間もなく、うなじに指を差し入れられ、背中がぞわりと波立った。
「1度きりで解放してあげようと思ってたんだけどなぁ」
「はっ、えっ?」
素っ頓狂な声を上げたランになどお構いなしで、シュウはすかさず唇を重ねる。
とっさに逃げようとしたランは、後ろに回された手で頭をがっちりと押さえ込まれ、享受せざるを得なかった。
(なんでっ、なんでこうなるんだ?!)
ランの叫びはしっかりと塞がれた口から出ることなく、ただ心の中に響くのみであった。
「ん……ふ……」
鼻にかかった甘だるい声とも吐息ともつかぬ音色が漏れ出るのを、ランは抑えることができなかった。
普段の自分の声からは想像できないような声音に、驚愕と羞恥を覚える。
緊急時以外、騎士には入る事すら許されない国王の私室の寝台の上。シャツの前をはだけられたまま寝具に押し付けられて、ただ唇を貪られていた。
逃げなければ、と思うのに叶わない。
ランを押しとどめるシュウの腕がびくともしないという事もだが、何より国王に忠誠を誓う者としての意識が、ランの力を削いでいた。
やがて長い口付けが終わり、解放された口で大きく息をつくランを追い詰めるように、シュウは首筋に顔を埋めて敏感な部分を舐めとっていく。
「あっ、う、んん……!」
抑えきれない声を上げると、シュウは鎖骨にキスしながら、ふふっと笑った。
「いいね、凄いそそる」
「あぁっ……お、やめ下さい、陛下」
最後の理性で止めるように促すが、シュウは眉間に皺を寄せてランを顔を覗き込んだ。
「陛下じゃなくて、シュウ。次に陛下って言ったら容赦しないから」
言い終わる前に、はだけた胸元から膨らみに触れられたので、ランは肯定も否定もできないまま嬌声をあげた。
純白のシーツにランの金の髪が広がってゆく。
元々日に焼けない体質のランの肌は白く、上気した今となっては、ほんのりと朱がさして実に扇情的だった。
シュウは触れていた手を一旦除けると、ランの胸元から谷間へ向かって指を滑らせる。と、ある一点で指を止めた。
「ここ、消えかかってるから、もう一度つけておこうね」
ぼんやりした思考で一体何のことかと思い返すが、記憶が浮上する前にチクリとした甘い痛みを感じて、また声を上げた。
……朝に気付いた薄赤い痣のあと。
先週、シュウはランが自分の物だと言わんばかりに、そこに吸い付いて痕を付けた。今と同じように。
遠くから拝見し忠誠を誓った相手が、自分の剥き出しの肌に触れ口付けする様を想像し、ランの中は熱くたぎった。
許されない事だと判っているのに、流される。
「ひ、あっ! あぁ……あ、んんっ」
膨らみの先端に吸い付かれ、ランは身体を震わせた。足元から背中を駆け上がる快感に恐怖すら感じる。
ランは何とか高ぶりをやり過ごそうと、無意識に足を擦りあわせた。
しかしそのわずかな動きが伝わってしまったのか、シュウはわざと音を立てて口に含んでいたものを離し、伸び上がってランの顔を覗き込んだ。
固く瞑られたままのランの瞼に口付け
「眼あけて」
と言った。
シュウの言葉は絶対だ、否定的な態度をとることはできても、拒否はできない。
ランは恐る恐る瞳を開ける。が、余りの恥ずかしさに顔を背けた。
「み、見ないで……くだ、さい」
「なぜ? こんなに美しいのに」
言いながら、手持ち無沙汰の手がまた胸へと伸びる。
「あ、あ……」
「ラン気持ちいい?」
そんなの、わからない。
ランは答えられず顔を左右にぶんぶんと振った。
初めてこうなった時の事は余りに気が動転したせいで、ほとんど覚えていない。気がついたときには全てが終わり、身体に鈍い痛みだけが残っていた。
「身体は、良さそうだけど」
シュウはくすっと笑うと身体を起こして、自分の衣服を脱ぎ、寝台の下へと放った。それからランの服に手をかけると静かに剥ぎ取っていく。
ほとんど初めてと言ってもいい感覚に翻弄されているランは、ただぼんやりと真上のシュウを見ていた。傍目にはガリガリに痩せて体力が無さそうに見える体躯。しかし服の下の身体は見事に鍛えられて引き締まっていた。
男の裸など訓練中に数え切れないくらい見ている、なのにシュウの身体を見るのは恥ずかしい。密かに頬を染めていると、いつの間にか全ての布を取り去られ、気付けばまたシュウの指が肌を上を滑っていた。
「んっ……くう……」
必死で声を殺して耐えていると、耳に軽くキスされた。
「声出してもいいのに。それとも……巡回の騎士に聞かれたら、困る?」
「いっ、やあぁっ……!」
とっさに誰かが巡回してくる場面を想像して、ランは叫んだ。しかし逃れようと身を捩った隙に、身体の中心にシュウの手が触れる。
「凄く、濡れてる。わかる? ほら……」
「ふ、んんっ、あ! やっ、あぁ」
シュウはわざと水音が立つように、ランの秘所の入り口を撫で上げ、敏感な蕾に擦り付けた。シュウの指が触れた途端そこから全身へと激しい痺れが広がって、ランの身体が跳ねる。きつく閉じた瞳からは一筋涙が零れた。
「……このままいかせるから」
シュウの言う意味が理解できなかったが、身体に灯された炎と苦しい呼吸でそれどころでは無かった。添えられた指が動きを再開すると、ランは立場も場所も忘れて声を上げる。
「は、あ! あっ、う、ああぁっ」
「いいよ、ラン……」
一瞬、違和感を感じたものの、ランの身体はシュウの指をするりと飲み込んでしまった。一気に体内の温度が上がる。
水音を響かせながら蠢く指を中で感じていると、入っていない残りの指が蕾を優しく撫で擦った。それだけでも狂いそうなのに、シュウは空いた片手で胸の先端を摘みあげる。
「やっ、ああ、へ……んっ、へん、な……!」
「シュウって言って」
優しく囁かれた言葉はランの頭に刻まれて、それ以外を考えられなくした。
ランは激しく身体を震わせながら、シュウの首に腕を回し、しっかりと抱きつく。
「あ、シュウ、シュウ! あ、あっ、こ、こわいっ……!」
「大丈夫、愛してるよラン」
「やぁ、あ、あっ、ああぁーっ!!」
高みに押し上げられていく中でランは痛いほどの白い闇に囚われた。もう何も考えられない。全身に広がった甘い痺れと、響く水音。
すぐに気を失ってしまったランには、最後に自ら快感を求めて身体を動かしていたことなど知るよしも無かった。
……朝日がまぶしい。
ファイゴスの王城は小高い丘の上に作られている為、どの居室も日当たりが良い。同じ敷地内にある騎士寮も同じだ。始めの頃は眩しさで目覚めることに違和感を感じていたが、今ではそれが無いと物足りなく思う。
ランはいつも通りに朝日を瞼に浴びてから状況を少し考え、今日と明日が休みだという事を思い出した。休みとはいえ、朝食の時間は変わらないので寝坊するわけにはいかないのだが、何故か起きる気にならない。
酷く身体がだるい。思考も靄がかかったように覚束ない。
瞳を閉じたまま伸びをしようとして、自分の身体が拘束されている事に気づいた。驚いて眼を開けると、自分の部屋とは比べ物にならないほどの豪華な調度品が見えた。
(え……)
寝転がったまま慌てて振り向けば、そこには漆黒の髪を持つ男。
「へ、陛下っ!」
飛びのこうとするが叶わない。全く身体が言う事を聞かないのに驚いて自身を見下ろすと腰にシュウの腕がしっかりと絡みついていた。
しかも2人とも裸。場所はシュウの私室。
激しく動揺してきょろきょろと辺りを見回すと、シュウの腕が力を持ちランを引き寄せた。ランの背中とシュウの胸がぴたりと触れる。
「……ん、ラン。おはよう」
今目覚めたらしいシュウはくっついたまま、ランのうなじに顔を埋めて囁いた。吐息がくすぐったくてランは首をすくめる。
「お、おはようございます。陛下」
「……また『陛下』に戻ってるし」
シュウの少し不機嫌そうに呟いた意味が判らなくて、一瞬疑問を感じるが、そんな状況ではないのを思い出して身じろぎした。
「あ、の。私は一体?」
「んー、ランが気を失ったから、そのまま泊めた」
「へ……」
「良すぎて失神したんだよ。そんなに感じちゃった?」
面白そうに笑いながらシュウが太ももを撫でたので、ランは全てを思い出し赤面した。
(なんという醜態を!)
「も、申し訳ありません!」
「いや、むしろ嬉しいけど? いく時のランの顔、凄い可愛かった」
いく……?
言葉の意味が判らずに押し黙ると、シュウはランに見えないように人の悪い笑顔を作った。
「あの……あっ」
ともかく離して貰って服を着たい旨を言い出そうとした矢先、シュウの手が足の付け根を撫でたので、ランは思わず仰け反った。
「昨夜、こういうことしてるうちに気持ち良すぎておかしくなったでしょ。身体が震えて頭が真っ白になって。それをいくって言うんだよ」
「あ……へい、か……」
ピンポイントで攻めてくる愛撫と相まって、シュウの声は媚薬のようにランの中に沁みる。思わず昨夜の痴態を思い出し、燻っていた炎が再燃するのを感じた。
シュウはせわしなく手を動かしながら更に身を寄せると、ランの腰に自分自身をこすりつけランの耳元で囁いた。
「昨夜は最後までできなかったから、ね?」
シュウの言わんとしていることを理解したランは、ただ流されていくしか無かった。
結局、ランは連休中ずっと自室へ帰る事を許されず、丸2日を国王の私室で過ごすこととなった。
食堂、トイレ、浴場が隣接している為、誰にも知られることは無かった。更にどういう根回しをしたのか2日間、私室前の警護はつかず、巡回の回数も極端に減っていた。2人の身の回りの世話のために出入りするメイドは1人きりで、必ずダイアという若い女性が来ていた。シュウ曰く彼女は信用に足る人物で秘密を漏らす事は無いらしい。
一方、ランが連休中にいないのは、城下町の屋敷へ帰ったという作り話までできあがっていた。
前回もだが、今回も隙の無い工作に閉口する。
2日目の夜やっと帰された自室で、ランは夜空を見上げた。
(……とんでもない事に巻き込まれたのかも知れない)
去り際、シュウはくったくの無い笑顔で「またね」と言った。ランがどうであろうと、またいつの間にかシュウの策にはまって同じような目に遭うのだろう。
想像しただけで体内の温度が上がる気がする。2日間何度と無く触れ合い、しっかりとシュウの肌と温もりを覚えてしまった身体。
(私はどうなってしまうのだろう……)
ランの溜息はシュウの瞳と同じ、漆黒の闇に吸い込まれていった。
END
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