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 お人好しな彼の覚悟

 金曜の夜、6時半。駅前の広場に立つ私は、鳴り出した携帯を見つめ、こめかみを震わせた。
 ……いい度胸じゃないの、駿太。
 携帯を握る手がわななく。
 仕事が終わった後、デートを兼ねて食事に行こうと言い出したのは駿太の方だ。待ち合わせは、最寄の駅前に6時。今日だけは頼まれても絶対に残業を入れないからと懇願され、しぶしぶ受け入れた約束だった。
 それなのに何の連絡も無く30分遅刻。しかも今更、電話よこすとか、いくら寛大な私だってぶち切れる。
 ふと目の合った隣の待ち人が、ぎょっとして目を逸らした。この場でわざわざ鏡を出して確認する気も無いけれど、今の私はかなり怖ろしい形相をしているらしい。
 一瞬、受けないで電源を落としてやろうかと思ったものの、文句を言ってやらなければ治まらない。大きく息を吸い込んだ私は、笑顔を貼り付けて携帯を耳に当てた。
「何の御用かしらぁ。斉藤(さいとう)くん」
 わざと苗字で呼んでやる。一言目で私の機嫌を察したらしい駿太は、電話の向こうで「うっ」と呻いた。
「ご、ごめん。瑠璃……」
「え、何が。何の連絡もしないで30分も待たせた事? それとも、待ち合わせをドタキャンするのが今日で3回目っていう事?」
 これまでの所業を上げ連ねる。
 あろうことか、駿太は自分で言い出したデートの約束を、断れない残業とやらで既に2回キャンセルしていた。
 まあ……別に理由はどうでもいい。どんな用事であれ、頼まれた以上、彼が断れないのは判っているから。問題は、自分の性格を把握しているくせに、なぜ懲りずにデートに誘うのかという事。
 付き合い始めて早々に、駿太のアパートの鍵は貰ってあるんだし、会いたいと言うなら直接、部屋で待っていた方が良い。そうすれば彼が帰ってくるまでに夕飯も、お風呂の用意もしてあげられる。晩酌して、だるくなっても、わざわざ帰る必要も無い。そのままベッドになだれ込むのもアリだ。
 けれど、良い事づくめの私の提案に、駿太は頷かない。何のこだわりか、とにかく夜に外で会いたがる。結果、何度も待ちぼうけを喰らうはめになっていた。
「本当にごめん」
 声だけで、物凄くしょげているのが判る。そんなに落ち込むなら、最初から誘わなければ良いのに。
 私は半ば諦めの境地で、溜息をついた。
「……まあ、いいよ。駿太が仕事断れないの判ってるし。ただ、もう誘わないでね。会いたい時は直接家に行くから、待ち合わせは無し。判った?」
 母親が子供に語るように、言い含める。
 今回こそ、いくらなんでも聞き分けるだろうと思っていた駿太は、急に慌てだした。
「いや、違うんだ。今日はキャンセルじゃなくて、何て言うか……その……」
「その、何?」
 はっきり言えない段階で嫌な予感しかしないけど、一応、聞く態度を装う。
 少しの間「ん」とか「う」とかモゴモゴ言っていた駿太は、観念したらしく弱々しい声を出した。
「会社の後輩が、瑠璃に会いたいって、言ってて……」
「ええ? 何で」
「俺に彼女いるのが、信じられないって」
 何よ、それ。
 直接関わりの無い私にだって判る。駿太は後輩に馬鹿にされているんだ。パッと見、気の弱そうな先輩に彼女が居る訳無いって。
 上手く言い表せない、嫌な気持ちが胸に広がった。
 まあ確かに駿太は頼りないし、呆れるほどお人好しだし、背も高くないし、もちろんイケメンじゃないし、学歴だってそれなりの平社員。約束はドタキャンするし、女心は判って無いし、えっちだってすぐ疲れちゃうし。
 けれど、私はそういう駿太が好きだ。本当は一生懸命で、芯の強い人だって事も知ってる。
 彼の良い所に気付きもしないで馬鹿にするなんて、誰であっても許せない。
 私はぎゅっと携帯を握り直し、口の端を上げた。
「いいわよ。夕飯でも何でも一緒に行く」
「え、瑠璃?」
「でも1時間後ね。先に行って、場所決まったら連絡して。じゃ、後で」
 驚く駿太に構わず、早口でまくし立てる。
 ……上等じゃないの。馬鹿にできないくらい、見せ付けてあげるわよ。
 問答無用で通話を切った私は、ヒールを鳴らし間近の駅ビルへ向かう。気分はさながら、戦いへ赴く騎士のようだった。

 駿太が指定してきたのは、地下街の洋風居酒屋だった。メンバーは駿太と、後輩の男性社員が2人。それから、私。
 強引にもぎ取った1時間で、化粧と髪を完璧に決めた私は、敵陣の前に姿を晒した。
「お待たせ、駿太。遅れてごめんね?」
 優しく微笑みながら駿太を見つめた。ラブラブなのを匂わすために、語尾を上げるのも忘れない。
 驚く彼を確認してから、今更気付いたように、向かいの後輩とやらへ視線を向けた。
 奥に座っている真面目そうな眼鏡と、髪の色抜き過ぎな手前のイマドキなコが、目を真ん丸にしてこちらを見上げていた。
 内心でほくそえむ。普段、余り手をかけていない十人並みな私でも、気合入れて飾れば見れない事も無い。隠れ美人とかじゃなくて、単に最近の化粧品の効果が凄いだけだけど。
 ニッコリ笑って会釈する。計算通り、下ろした髪がするんと揺れた。
「初めまして、遠山(とおやま)瑠璃です。駿太がいつもお世話になってます」
 わざとへりくだって挨拶すると、眼鏡の方が慌ててブルブル首を振った。もう一人は私を見つめたまま、ぽかんとしている。
「い、いえ。俺たちの方がお世話になってて……あ、俺が笠木(かさぎ)で、こいつが丹野(たんの)です。宜しくお願いします」
 一応「こちらこそ」なんて社交辞令を返したけれど、宜しくする気も、される気も無い。とりあえず駿太の彼女の存在を印象付けたいだけだから。
 駿太はと言えば、丹野とかいうチャラ男っぽいのと同じく、呆然と私を見ていた。
 普段より化粧バッチリとはいえ、見慣れた彼女なんだから、もうちょっと普通にして欲しい。少し呆れたけれど顔には出さずに、ぐっと近付いた。
「駿太、どうしたの。酔っちゃった?」
 息がかかる距離まで寄ると、パッと赤面した駿太が仰け反った。
「だ、だ、大丈夫」
 いや全然、大丈夫じゃないし。余りにも挙動不審だ。対後輩用のおしゃれは、駿太にも効果テキメンだったらしい。
 3人に気付かれないように、こっそり息を吐く。
 ……やりすぎたかな。
 愛想笑いを振り撒きながら、私は早くも後悔しはじめていた。

 突然の食事会は、普通の飲み会と同様に、世間話を挟みながら進んだ。
 お互い初対面だから、大きく羽目を外す事も無く、適度に飲んで食べて話して、そろそろお開きの気配が漂っていた。
 話の流れで見聞きした感じでは、向かいのチャラ男こと丹野が駿太を軽く見ているだけで、眼鏡の笠木さんは先輩として敬ってくれているらしい。後輩みんなから馬鹿にされている訳じゃない事にほっとした反面、丹野への怒りがつのった。
 しかもコイツ、何を勘違いしているのか、さっきから舐めるような湿った視線を私へ向けている。恋愛事に敏感じゃない私にも判るくらいの、あからさまな態度に胸がムカムカした。
 仮にも先輩の恋人に色目を使うなんて、全く信じられない。
 文句を言えとまでは思わないけど、牽制ぐらいして欲しいと隣へ目を向ければ、駿太は物凄く遠い目をして、ビールをがぶ飲みしていた。
「ちょっと、駿太……」
 体質的にアルコールと相性の悪い駿太は、ビール2杯で悪酔いをする。3杯越えると確実に吐く。その先は見た事が無いから知らないけど……。
 今、彼の手にあるビールが何杯目なのか思い返そうとしたものの、後輩のリサーチに意識を向けていたせいで判らない。
 とにかく止めさせようと手を伸ばしたところで、私の膝頭に何かが触れた。
 接触したものが意思を持って、右から左へ膝を撫でていく。この位置と姿勢から考えるに、触れているのは丹野の足だろうか。
 気持ち悪さにぞっとして足を引き、向かいの男を睨む。そしらぬふりをしているけれど、僅かに上がった口の端で憶測が確信に変わった。
 わざとだ、絶対に!
 怒りに手が震える。相手が駿太の同僚だという事も忘れ、凶悪な思考に取り憑かれた。
 ……本気でどうしてやろうかしら。
 密かに足蹴りするくらいじゃ気持ちが治まらない。相手が女だという油断につけこんで、金的でも喰らわしてしまおうか思案していると、駿太が前触れも無くいきなり立ち上がった。
 余りの勢いで足がテーブルに当たり、食器同士のぶつかる音が響く。ぎょっとしてそれぞれが見上げた。
 不機嫌さを隠しもしないで眉を寄せた駿太は、丹野を指差し、ギリッと睨んだ。
「丹野、瑠璃の事ヘンな目で見るな。瑠璃は俺の彼女だっ!!」
 かなりの大声で叫んだせいで、ざわついていた店内がしんと静まり返る。
 近くの席のお客さんも、料理を運ぶ途中の店員さんも、ピタッと止まってこちらを見ていた。
 名指された丹野と笠木さん、当然、私も、彼を見上げ唖然とした。
 大きな声を出して眩暈でも起こしたのか、駿太の身体がふらっと傾ぐ。慌てて立ち上がり下から支えると、思い切り抱き締められた。
「瑠璃」
「駿太」
 触れた温もりが、心に沁みる。
 私を守ろうとしてくれた事に感動して胸を震わせたのも束の間、真っ青な顔の駿太は、バッと離れて口を押さえた。
「ぅぐ……吐ぎぞう」
「え、ええええっ!」
 店の中に多数の叫び声が響く。
「ト、トイレ。早く!」
 誰かは判らないけれど、推定店員さんの声に圧されて、駿太を引っ張る。ぐったりした彼を引きずった私は、火事場のなんとやらで男子トイレへと駆け出した。

 大騒ぎの中、店を出た私は、意識の定かじゃない駿太を抱え、何とか彼のアパートまで帰りついた。
 とりあえず水分を取らせて、ざっと服を剥ぎ取り、ベッドへ押し込む。急性アルコール中毒じゃないから、大人しく寝ておけば大丈夫だろうけれど、不安から枕元へ座った。
 そうっと彼の顔を覗き込んだ。店にいるうちに飲んだものを出したせいか、思ったよりも穏やかな表情で目を瞑っていた。
 ゆっくり大きく息を吐く。
「つっかれたぁ」
 誰にともなく呟いて、駿太の顔のすぐ脇に頭を乗せた。
 ふと別れ際の後輩たちを思い出し、笑えてきた。普段穏やかな駿太がキレて怒鳴った事に、丹野は凄く驚いて怯えていた。
 笠木さんが言うには、大分前に彼女に振られて以来ご縁の全く無い丹野が、幸せそうな駿太を妬んでいただけの事らしい。ひがみっぽい丹野の暴走を止めようとついて来たのに、役に立たなくて申し訳無いと謝られてしまった。
「俺の彼女、だって」
 ついつい、にやけてしまう。完全に酔った勢いで言ったんだろうし、起きたら忘れてそうだけど、それでも嬉しい。
 感極まって、ほっぺにチューしようとしたところで、頭を撫でられた。
「ん、駿太?」
 てっきり眠っていると思ってたのに、起きていたらしい。目を向けると、弱々しい微笑みを返された。
「……瑠璃、ごめん」
「何が?」
「また酔っ払って、迷惑かけた」
 内心で首を捻る。お酒に弱い事を自覚している駿太は、飲み過ぎて潰れる事の方が珍しい。
 また、と言うほど迷惑をかけられた事があったろうかと考えた私は、付き合うきっかけになった日を思い出した。
「あー、うん。いいよ別に。でも気をつけて、飲み過ぎは本当に危ないから」
「ん」
 駿太は素直に頷き、腕を額に乗せて、はあっと溜息をついた。まだ気分が悪いのかも知れない。
「どうしたの。どこか辛い?」
 心配して立ち上がりかけた私を制するように、駿太は静かに首を振った。
「そうじゃなくて。俺すげーカッコ悪い……」
「え?」
 何の話かさっぱり判らない。お互い、良い所も悪い所も、知り過ぎるくらい長い時間を過ごして来たのに、今更何を言っているんだろう。
 ぽかんとしていると、駿太は部屋の入り口を指差した。まだ片付けも何もしていないせいで、たたきの手前に脱ぎ散らかしたスーツと靴、鞄が放置してあった。
「俺の通勤鞄に箱入ってるから、取って」
「いいけど……」
 いまいち繋がっていない会話に首を傾げながら、鞄を取りに行く。促されるまま開けた中には、ラッピングされた細長い箱が入っていた。
 プレゼント用だろうけれど、硬くて軽い。振り返って、駿太の方に掲げて見せた。
「これ?」
「うん。それ、瑠璃に渡そうと思って」
「え、私に?」
 驚いて瞳を瞬く。まさか私への贈り物だとは思っていなかった。
 手の中の箱と駿太を、交互に見比べる。長く友達をやってたけれど、今までプレゼントのやり取りなんてした事が無い。
「嬉しいけど、何で急に。今年の誕生日もう終わってるよ?」
 春先生まれの私の誕生日が、付き合いだすよりも前に過ぎていた事は知っているはず。
 私の素朴な疑問に頬を染めた駿太は、一瞬ぐっと言葉に詰まり、ぼそぼそと説明しはじめた。
「記念日の贈り物じゃなくて……いつも瑠璃に面倒かけてるから、そういう意味の感謝と……あと、これからも、ずっと一緒にいたいって、言おうと思ってて……」
「それって、プロポーズ?」
 駿太の事だから、そこまで考えずに言ってるんだろうとは思うけれど、一応聞いてみる。
 案の定、驚いたらしい彼は目を見開き、慌てて飛び起きた。
「えっ! あ、いや……ううん、多分、それで合ってる、と思う」
「どっちなのよ」
 さすがに呆れて言葉を重ねると、駿太は口元を引き締めて、私をじっと見つめた。
「ごめん。はっきり考えてなかったけど、一生、瑠璃の隣にいたい。だから、すぐは無理かも知れないけど、俺と結婚して欲しい」
 あ……。
 静かに、でも確かに、胸の奥が波立つ。
 まさかこんなにまっすぐ言われるとは思っていなかった。恥ずかしくて、嬉しくて、とっさに俯いた。
「……それ言う為に、いつも外に呼び出してたの?」
「うん。ちゃんと言って渡したかったから。家だと上手く切り出せない気がして。でも結局こんなだけど」
 駿太の言葉につられて、顔を上げる。
 酔っ払ってヨレヨレで、青い顔したTシャツ姿の駿太と、ここまで彼を抱えてきたせいで、化粧も髪もボロボロな私。まじまじとお互いを眺めて、思わず吹き出した。
「もう。ほんとバカねえ」
「え」
 突然、貶され呆然とした駿太に、抱きついた。
「無理して格好つけようとするから、失敗するのよ。飾らなくたって駿太には、良い所いっぱいあるのに。私はね、そのままの駿太が好きなの」
「瑠璃」
 私を抱き返す腕に、ぎゅっと力が篭もる。
 同じようにきつく抱き締めると、手に持ったままだったプレゼントの包装が、かすかな音を立てた。
「ねえ、駿太。プレゼントって、ネックレス?」
「あ、うん」
 少し驚いたように、駿太が頷いた。
 開けないままで言い当てた事を不思議に思っているんだろうけれど、箱の形と重さで想像がつく。アクセサリーは包装も凝っているから判りやすいし。
「それじゃ、次のクリスマスは、これに合う指輪を買ってよ。お返しに私は駿太の指輪を買うから」
「え……それって」
 腕を解かずに背伸びして、驚きっぱなしの駿太の耳元にキスをした。
「さっきの返事。ダメ?」
「あ、いや、嬉しい。凄く」
 みるみる駿太の耳たぶが赤く染まる。見れば、鼓動に合わせて震えていた。
 そうっと口付けると、熱を持っているはずの肌が冷たい。駿太よりも私の方がドキドキして熱くなっている事に気付いて、こそばゆくなった。
「私も凄く嬉しいよ。ありがとう、駿太」
「瑠璃……」
 また、お互いを抱き締め合う。
 時々頼りなさ過ぎて「えー」って思う事もあるけれど、そんな駿太も好きだから。
 下着姿で髪もボサボサの駿太の額に、想いを込めてキスをした。

                                          おしまい

   

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