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 猫かぶり御曹司とニセモノ令嬢  油断大敵

 夜、お風呂から上がった私は、喉の渇きを覚えてキッチンに向かった。
 ドライヤーの温風で少し広がってしまっている髪を押さえながら食器棚を覗く。普段使いのグラスを取り出したところで、背中に視線を感じた。
 二人暮らしの家の中で、私を見つめているのが誰かなんてわかりきっている。振り返り、アイランドキッチンの向こうに目をやった。
「何? 啓也」
 声をかけると、ソファに座っている彼はふわっと微笑んで首を横に振った。
「いや。なんでもないよ」
「そう……?」
 なんでもないと言われてしまえば、それ以上、追及できない。私は釈然としないまま、食器棚の方に向き直った。
 ……でも、やっぱり背後からの視線を感じる。これが第六感というものなのかは知らないけど、啓也がこっちをじーっと見ているのは振り向かなくてもわかった。
 代理のお見合いなんて変わった出会い方をして、もうすぐ一年。
 出会った頃、それぞれの事情でお互い異性に不信感を抱いていた私たちは、同じ時を過ごすうちに、いつの間にか心を通わせていた。
 大企業を経営している家の息子で、会社の役員を務めている彼と、サラリーマン家庭に生まれた普通の会社員な私は、付き合うようになってからも、立場の違いやつらい過去に翻弄された。でも今はその全てを乗り越えて一緒に暮らしている。
 時々、彼の愛情の深さに困惑することもあるけど、幸せな毎日を送っていた。
 それにしても、あの視線はなんなんだろう……
 同棲を始めてからというもの、今みたいに見つめられていることが何度もあった。その度に理由を訊くけど、返ってくるのはいつも優しい笑顔と「なんでもない」という言葉だけ。彼の返事が嘘だということは、見つめられる頻度が証明していた。
 相変わらず背中に当たっている視線に、内心で首をひねる。
 もしかしたら何か私に不満があるのかもしれない。でも、彼が教えてくれない以上どうにもできない。私は歯がゆい思いをかかえたまま水を飲み、リビングへ移動した。
 私よりも先にお風呂を使っていた啓也は、上がったあとテレビのスポーツ中継を見ていたらしい。並んでソファに座ると、すかさず伸びてきた彼の腕に抱き寄せられた。
 啓也の肩に頭を寄りかからせる。コットン地のパジャマの優しい感触と、お風呂上がりの湿り気を帯びた気配。少し高い体温、石鹸の香り。あたりまえの、いつもと同じ夜を過ごせることに幸せを感じた。
 しばらくそうして二人でテレビを見ていると、画面がCMに切り替わった。ビールの新商品から始まり、自動車保険、就職情報サイト、旅行会社の宣伝と次々に変わっていく。最後に女性ファッション誌の新刊案内が表示されたところで、また視線を感じた。
 頭を起こしてみれば、やっぱり啓也がこちらをじっと見ている。首をかしげてみせると、ハッとした彼は何かをごまかすように、にっこり笑った。
 私には言えない、やましいことでもあるのかと疑う気持ちが湧き上がる。問い詰めた方がいいのか悩んでいるうちに、スポーツ中継が再開された。
 啓也の視線がまたテレビへ向かう。訊くタイミングを逸してしまった私は、彼に気づかれないように息を吐いて、ソファの横のマガジンラックから通信販売のカタログを引き出した。
 そんなに頻繁に買うわけじゃないけど、洋服のカタログは見ていて楽しいし、コーディネートの参考にもなるから好きだ。私は啓也に身体をかたむけて、膝の上に広げたカタログを眺め始めた。

 ふと眠気を覚えて目をこする。寄りかかっていた姿勢を正すのに合わせて、欠伸がこぼれた。
 軽くカタログを眺めるだけのつもりだったのに、けっこうな時間が過ぎていたらしい。時計を確認するついでにテレビへ目を向ければ、いつの間にか情報番組に変わっていた。
 スポーツ中継が終わったのかを訊くために振り向くと、啓也の視線にぶつかった。気づかないうちに、また見つめられていたようだ。
「どうしたの?」
「ん。それ、汐里がよく見てるから、面白いのかなって」
 彼の指が私の膝の上のカタログを差す。
「面白いっていうか、ただの通信販売のカタログだけど。こういうの見たことない?」
「ないよ。服は直接買いに行くから」
 物珍しそうにカタログを覗き込む啓也に、通信販売のシステムをざっと説明する。触ったり試着したりはできないけど、流行りの服を簡単に沢山見られるし、珍しいデザインのものもあったりするから飽きないと言うと、彼はいちいち感心していた。
「見る? 女性用のばっかりだけど」
「うん。見たい」
 啓也がうなずくのを見て、カタログを渡す。手持ち無沙汰になった私はテレビを消し、歯磨きをするために洗面所へ向かった。
 私が寝る準備を全て終えても、啓也はソファでカタログを見続けていた。テレビを消されたことにすら気づいていないらしい。載っているもののほとんどが女性用の洋服と下着なのに、何が楽しいのか真剣な顔でカタログを見つめている。
「啓也、私もう寝るけど……」
 私の声で我に返ったのか、啓也はパッと顔を上げる。時計の針がいつもの寝る時間を過ぎていると知って、不満そうに口を曲げた。
「ああ……こんな時間か」
「そんなに気に入ったの?」
 カタログを見て自分が着たところを想像したり、自分流のアレンジを考えたりするのは着せ替えみたいで確かに楽しいけど、啓也にもそういう趣味があるとは思わなかった。意外な気持ちを隠さずに訊くと、彼は苦笑いしてゆっくりと首を横に振った。
「いや。気に入ったんじゃなくて、参考にしようと思ってね。ファッションの」
「ふうん」
 あいづちを打って流したものの、取ってつけたような理由に違和感を覚える。メンズファッションはおまけ程度にしか掲載されていないから参考になるとは思えないし、今さら磨かなくても啓也のセンスが良いのは普段の服装でわかっていた。
「俺も歯磨きしてくるから、先に寝てていいよ」
「うん……」
 立ち上がった啓也に促され、寝室へ足を向ける。
 はっきりした何かがあるわけじゃないけど、妙に不安で胸の内がすっきりしない。多分、他の人が見たらバカバカしいと笑ってしまうような、些細なことなんだろう。でも気になる。
 上手く言い表せない想いをかかえた私は、モヤモヤしたままベッドに潜り込んだ。

「旦那の視線が気になる、ねえ……」
 昼食がてら会社近くのカフェにやって来た私は、同僚の智絵に、啓也から見つめられ続けていることを相談していた。
「だ、旦那じゃないし」
 私と啓也は一緒に暮らしているけど、まだ正式に結婚はしていない。彼を旦那と呼ばれることが恥ずかしいのもあって否定すると、向かいの席に座った智絵は「同じようなもんでしょうが」と言い、カラカラと笑った。
 智絵はざっくばらんすぎるところがあるけど友達想いで、私と啓也がすれ違ってしまった時に助けてくれた恩人でもある。私は親身になってくれる彼女に甘え、いつも相談をもちかけていた。
 難しい表情を浮かべた智絵が、テーブルに頬杖をつく。
「……にしても、汐里に気づかれないように見てるっていうのは、何か後ろめたいことがあるんだろうね」
「やっぱり、そう思う?」
 疑うのは良くないってわかっていても、こそこそされると気になってしまう。智絵は私に目線を合わせ、はっきりとうなずいた。
「思う。けど、カレが汐里のことを気持ち悪いくらい命懸けで愛してるのは間違いないから、浮気とかじゃないだろうし」
「う、うん」
 確かに啓也の愛情は行きすぎだと思うけど、智絵の表現もどうだろう……気持ち悪いくらい命懸けって……
 少し引きつつ肯定すると、彼女は真面目な顔でしばらく考え込み、次にパッと目を見開いた。
「あっ! もしかして、汐里が油断してるからじゃないの?」
「油断?」
 なんのことかわからずに眉を寄せる。智絵は私の胸元を指差して、わざとらしくニタリと笑った。
「たとえば下着とかさあ。ババシャツまではいかなくても、見た目を無視して超地味な補正下着とかにしてない?」
「う……」
 ギクッと身体が強張る。智絵が言うほど地味なものにはしていないつもりだけど、見た目よりも機能性を重視しているのは事実だ。
 内心で焦る私を追い詰めるように、彼女は言葉を重ねてきた。
「男って彼女の下着にうるさかったりするでしょ。記念日とかはすぐ忘れるくせに、好きな下着のデザインはしつこく覚えてるし。デートの時は飾ってたのに、同棲始めた途端に彼女の下着がダサくなってがっかりとか、普通にありえそう。汐里のカレはそういうことを指摘しないだろうから、こっそり不満に思ってるのかもよ。通販のカタログをガン見していたのってそういうことじゃない?」
 私の知る限り、啓也に下着フェチっぽい様子はないし、記念日も忘れずにいてくれる。でも実際のところ、一緒に暮らし始めてから下着に気を遣わなくなりつつあった私は蒼くなった。
「そ、それはそうかもしれないけど、毎日可愛い下着ばっかりなんて無理だよ」
 デート用のいわゆる勝負下着は一日だけだから着けられるのであって、毎日は難しい。機能的にも、デザイン的にも、お手入れにお値段も、普段使いには向いていない。
 うなだれる私に向かって、智絵はふっと微笑んだ。
「毎日じゃなくても、たまに色っぽいのを着けてせまるとかさ。ちょっとドキッとさせてみたらいいと思う。ってこれは結婚してる友達の受け売りなんだけどね」
 色っぽい下着でせまるとか私にはハードルが高すぎるし、もともと精力的な彼をさらに焚きつけるのもちょっと困る。けど、啓也が私に対して不満に思うことはできるだけ直していきたい。彼が本当に私の下着を気にしているのかはともかく、前よりも近くにいるからこそ、もっともっと女を磨いていかなきゃいけないんだろう。
「うん。そうだね」
 啓也に呆れられないように、精一杯頑張ってみよう。実際にせまるのは難しいと思うけど……
「お、やる気出たね。じゃあ今度一緒にランジェリーショップでも行く? 私も春物の新作を見たいし」
「行く」
 智絵の提案に私は力強くうなずいた。

 後日、智絵と連れ立って出かけた私は、彼女の助言を聞きながら下着を購入した。
 智絵としては「もっときわどくてもいいくらい」だそうだけど、あまり派手なのは恥ずかしさが勝ってしまうし、啓也に引かれるかもしれないという不安もある。私は結局、いつもより少しだけセクシーなデザインの物を手に取った。

 仕事が休みの日の夕方、私は早めに帰宅した啓也に、ご飯を食べに行こうと提案した。
 これも智絵のアイディア。せっかく色っぽい下着を着けるなら、デートに誘ってみるとか非日常を演出した方がさらにドキッとさせられると彼女は言っていた。それがマンネリな恋愛関係を防ぐコツなんだとか。どこからそういう情報を仕入れてくるのかはしらないけど、ありがたく採用させてもらった。
 とはいえ週末休みの彼とシフト制勤務の私は、なかなか一緒の休日を取れない。結局、外で夕飯を食べて、少しだけショッピングを楽しむことにした。

 久しぶりの外食は楽しかった。出かける時間が少し早かったおかげで、人気の創作和食のお店に入ることができた。車で来たからお酒はなしだけど、ちょっと贅沢なコース料理を頼んで、旬の食材や上品な味を堪能した。
 お店を出て少しだけ歩く。ここから通りを一本越えたところにあるデパートで買い物をしていくことにしていた。
 自然に繋がれた手をキュッと握り返す。信号待ちの間に身体を寄せると、啓也が振り向いた。
「どうしたの、寒い?」
「あ、ううん。そうじゃないけど、なんとなく」
 厚手の上着を着てきたから寒さは感じない。雰囲気に呑まれてつい近づいてしまったけど、どう説明していいかわからない私は、ただ首を横に振った。
 私の曖昧な返事に、啓也は不思議そうな表情を浮かべる。
「ふうん。なんか意外というか新鮮。汐里、外でベタベタするの嫌がるのに」
 確かに人の目のある場所で必要以上にくっつくのは苦手。恥ずかしいし、啓也が調子に乗ったら困る。
 普段の彼は強引なところがあるくらいで凄く優しい人だけど、スイッチが入るとSっぽくなってしまう。痛いことをしてくるとかじゃなくて、私を追い詰めるのが好きらしい。
 スイッチが入る原因はその時によって違うけど、私が傍にいるせいで変わってしまうこともあるから、外で触れ合うのは危険だった。
「嫌っていうか、恥ずかしいし……い、今だけだからね?」
 デパートに着くまでだと強調する。焦る私にはおかまいなしで、啓也は嬉しそうに笑った。
「可愛い、汐里」
「もう」
 私の言葉を聞いているのか、いないのか。啓也は微笑んだまま、私のこめかみに唇をつけた。

 デパートに着くなり、私はアクセサリーコーナーに連れていかれた。啓也が選んだものを渡され、試してみるように言われる。呆気に取られつつ従うと、彼は評論家のように難しい顔をして別の品を差し出してきた。
 代わる代わる何度も着けては外しをくり返して、結局買わずにテナントのジュエリーショップへ。そこでも同じようにお店を冷やかし、今はレディスファッションのエリアに来ていた。
 一体なんなんだろう?
 フィッティングルームの中で、鏡に映る自分を見つめながら首をかしげる。案の定、ここでも沢山の服を試着させられていた。まるで着せ替え人形だ。
「汐里、開けてもいい?」
「うん……」
 外からかかった啓也の声に返事をして振り返る。フィッティングルームのドアを細く開けた彼は、私を上から下まで眺め、二度うなずいてから別の服を差し入れてきた。
「次、これ着てみて」
「……まだ着るの? もういいでしょ」
 思わず不満が漏れる。今初めて知ったけど、着替えって意外に疲れるものだったらしい。次々と違うものを持ってこられるから落ち着かないし、ずっとフィッティングルームに閉じ込められている状態も楽しくなかった。
「んー、じゃあ最後にこの一着だけ」
 私がうんざりしているのに気づいたのか、啓也は苦笑いを浮かべて肩をすくめる。彼が納得するまで付き合ってあげたい気もするけど、脱ぎ着をくり返しているうちにちょっと寒くなってきた。
「本当にこれで最後だからね」
 もう終わりだと念を押してからドアを閉める。啓也に渡された服を広げてみると、春らしい若草色のワンピースだった。
 ハンガーにかけた状態で身体に当ててみる。襟が大きく開いているから、このまま着るとインナーが見えてしまいそう。一人で試着するならそれでもかまわないけど、啓也に見せるのを考えると少し恥ずかしかった。
 どうせ最後だからと寒さを我慢してインナーを脱ぐ。ワンピースを羽織ったところで、背中のファスナーが上げられないと気づいた。
 ……まあ、途中まで閉まっていればいいよね。
 もう一度、鏡を見た私は正面の形を整えて、ドアに向き直った。
「ねえ、啓也」
 外に私の姿が見えないように顔だけをドアから出す。近くにいた啓也はすぐに気づいて来てくれた。
「できた?」
「うん。どうかな?」
 少し下がり、両腕を軽く広げてみせる。驚いたように目を見開いた彼は、私の後ろの鏡を見つめていた。そこに映っているのは、間違いなく私の背中で……
「あ、あのね。一人じゃ上げられなくて。大体の感じがわかればいいかなと思って。ダメ?」
 慌ててファスナーが開いている理由を告げると、啓也は口元に手を当てて少し考え込んでから、指先で私を呼んだ。私が顔を寄せるのに合わせて、彼も耳元に口を近づける。
「そうじゃなくて。その下着、新しいやつだよね。しかもいつもと雰囲気が違うし。なんで?」
「あ……」
 この前買った下着を身に着けていたことも、啓也をドキッとさせる計画も、すっかり忘れていた。こんなところで見られてしまうなんて。
 私が呆然としているうちに、彼はワンピースの襟に指をかけ、中を覗き込む。
「へえ。凄く色っぽい」
「や、あの、これは……!」
 なんとかして言い繕おうとしたものの、何も思いつかない。あわあわしながら声を上げると、啓也の指先が唇に触れた。
「今は言わなくていいよ。家に帰ったあとで教えてもらうから」
 彼の纏う雰囲気が、急に重くなる。嬉しそうに目を細めた啓也は、にいっと口元を引いた。
 ああ、なんか凄くまずい気がする……ドSのスイッチが入っちゃったような……
 声を封じられた私は、単なる冷えなのか、ドキドキからくる痺れなのかわからない怖気を感じて、ぶるっと大きく震えた。

 家に着いた途端、落ち着く間もなく寝室のベッドに引き込まれた。
 問答無用で服を剥ぎ取られる。恥ずかしさから身体を隠そうとすると、両腕を頭の上で組むような形で押さえつけられてしまった。
 上着はもちろんのこと、中のシャツやスカート、インナーも脱がされたから、私は例の下着姿をさらしている。啓也に見せるために買って身につけたんだけど、いざとなると羞恥で居たたまれなくなった。
 彼の熱い視線が肌をなぞっていく。腕以外は触られていないのに、勝手に息が上がり、身体が震える。
「や……もう、見ないで」
「俺は見ちゃダメなんだ。じゃあ誰のためにこんなやらしい下着を選んだの?」
 啓也がクスクスと笑いながら、ブラの肩ひもを噛んで引いた。
 口では私を責めるようなことを言っているけど、啓也が本気で浮気を疑っているわけじゃないのは雰囲気と表情でわかる。
 それでもちゃんと説明しなきゃ許してもらえないんだろう。彼に逆らえば、ひどいことになるのは目に見えていた。主にえっちな方向で。
 観念した私は、顔を背けて溜息をついた。
「だって、啓也が見つめてくるから……だから、下着でドキッとさせようって……」
 前から啓也の視線に気づいていたこと、同棲に慣れてくるに従い自分の中の女性の部分がおざなりになっていたこと……この下着を身につけるまでの経緯を順に説明していく。黙って最後まで聞いた啓也は、肩を落として大きく息を吐いた。
「バカだなあ、汐里は」
「えっ!?」
 いきなりバカにされたことに驚き、目を剥く。啓也は疲れたような微笑みを浮かべた。
「俺がそんなことで汐里に幻滅するはずないでしょ。そりゃ可愛いのを着ているきみも好きだけど、家の中を裸でうろうろしていても愛してるって言えるよ」
「なっ、そんなことしないから! というか、それじゃなんでいつも私のことを見てるの?」
 逆に質問をぶつけると、彼は笑みをたたえたまま軽く首をかしげた。
「うん。それは汐里のプレゼントを考えていただけ」
「プレゼント?」
「ああ。今年のきみの誕生日に何を贈ろうか、悩んでいたんだよ。服にアクセサリーに小物、どういうのが好きで、どれが一番似合うのかを知りたくてさ」
 今まで啓也に視線を向けられていた場面が、次々と思い出される。お気に入りのパジャマを着ていた時、ファッション雑誌のCMが流れていた時、それに通販カタログと、さっきの試着。あれは全て誕生日プレゼントに悩むがゆえの行動だったらしい。
 智絵まで巻き込んで、オロオロしたのが恥ずかしくなる。
「……私に直接訊けばいいのに。誕生日だってまだまだ先なんだし」
 私が勝手に勘違いして慌てただけだから啓也に非はないんだけど、つい拗ねた口調になってしまう。
 彼の微笑みに少しだけ哀しげな色が混じった。
「まあサプライズにしたかったのと、去年の誕生日は一緒にいられなかったから、今年はちゃんとしたいと思っていたのもあってね」
 彼の種明かしにハッとする。去年の誕生日の頃、私たちはある事情で離れ離れになっていた。
 当時、離れる原因になった騒動が自分のせいで起きたと思い込んだ啓也は、過去のつらい経験から、私と係わったことを後悔していた。
「そんなの、気にしないでいいのに」
 まだ彼があの時のことを気に病んでいるのかはわからない。私が何度「啓也は悪くない」と言っても、心の痛みが癒えるには時間がかかるものだから。
 いつの間にか自由になっていた両手を伸ばし啓也の首にまわすと、彼もまた抱き締め返してくれた。ベッドの上に重なり、ギュッと抱き合う。まるで大丈夫だと証明するように、啓也の唇が私の耳に触れた。
「うん……というか、今はそんな暇ないよ。汐里のえっちな姿に興奮してて」
「あ」
 今、自分がどんな格好をしているのか、またすっかり忘れていた。
「それにしても、本当に色っぽい。よく見たら結構透けてるし。こういうのを着てるところ初めて見たけど、汐里はなんでも似合うんだね」
「よく見ないでよ!」
 嬉しそうに弾む彼の声が、返って怖ろしい。勘違いして自分で撒いた種だけど、なかったことにしたい。
「見ないでって、見せるために着たんでしょ」
「だから、それは誤解で」
「ああ、汐里がここまでしてくれるなんて嬉しいなあ。俺も頑張って期待に応えるよ。これを脱がすのは勿体ないから、今日はこのままでしようね」
 私の声をさえぎるように、啓也は立て続けに言葉をかぶせてくる。最後に「違う」と叫びかけた私の口を、キスで塞いだ。
「んうぅ!」
 すかさず口の中に侵入してくる彼の舌の感触に震えた。濡れているのにザラザラした表面が頬の内側を撫で、私の舌を掬いあげる。お互いが絡みつく感覚にぼうっとしながら、私は内心で溜息をついた。
 果たして彼の変わらない愛情を喜ぶべきなのか……
 彼の手がブラの上を何度も往復しているのに気づいた私は、とりあえず二度とこの下着を身につけないと固く誓う。
 結局、啓也がいじり倒したせいで、刺繍の細かいところがほつれてボロボロになるわ、レースにも穴が開くわで着られなくなり、私の決心は無駄になった。

                                          End


   

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