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 猫かぶり御曹司とニセモノ令嬢  ヤキモチ彼氏と無自覚な彼女

 仕事帰りの一杯に誘われ入った居酒屋で、テーブルの隅に置いてあった携帯が震えた。
 振動の短さから考えて、たぶんメール。あとで確認しようか少し迷ったものの、目の前で先日の合コンについて熱く語っている同僚の智絵へ一声かけてから、携帯を手に取った。
 送信元は啓也のアドレス。内容は明日のデートの待ち合わせについて。メールを見た私は、つい微笑んでしまった。
「なによ、ニヤニヤしちゃってー。彼氏からのメールぅ?」
 智絵はテーブルに肘をつき、握った割り箸の先を私の携帯へ向ける。ちょっと行儀が悪いけど、既にほろ酔いだから仕方ない。
「まあ、うん」
 隠すことでもないから、素直にうなずく。
 何度か啓也と会ったことのある智絵は、大げさな溜息をついてテーブルに突っ伏した。
「あー、いいなあ。優しくてイケメンの彼氏、羨ましい。元ダサ男でもさ」
「そうかな……」
 確かに啓也は優しいし、外見も整っている。ほとんど親の七光りだけど会社の重役で、お金持ちだから、ダサ男をやめた今はパーフェクトな男性だ……表向きは。
 実際の彼がワガママでドSでヘンタイっぽいことを知っている私は、あいまいに笑ってごまかした。
 テーブルの上で顔だけをこちらへ向け、智絵が目を細くする。不思議に思って首をかしげると、今度は箸じゃなく指をさされた。
「恋をすると綺麗になるってホントよね。汐里、カレと付き合いだしてから、凄くいい感じだもん」
「え?」
 いきなり飛躍した話題についていけず、瞳をまたたかせる。
 智絵は視線をそらすと、何かを思い出すように遠い目をした。
「カレと知り合う前の汐里は、男が近づきにくい感じだったんだよね。野郎は寄って来んなオーラ出してたっていうか」
 智絵命名の謎のオーラはともかく、男性不信だということを隠していなかったから、近寄りがたいと思われたとしても、おかしくはない。
「でも今の汐里には、それがないの。雰囲気が柔らかくなってて。かまいたくなるみたいな、放っておけないみたいな」
「ふうん?」
 返事をしながら内心で更に首をひねる。確かに啓也を好きになったことで男性への苦手意識は薄らいだけれど、雰囲気まで変わるものなんだろうか。
 智絵はそらしていた視線を戻し、上目遣いで私を見つめた。
「ま、とにかく、それだけイイ女になってるってこと。私が男だったら、今の汐里に迷わずアタックするし」
「なによそれ」
 日頃から女磨きに余念のない智絵が男だったら、なんて想像できない。突拍子のない例え話に苦笑いする。
 智絵は私のつっこみを綺麗に無視して両手で頭を抱えると、また唐突に、おひとりさまの現状を嘆きだした。
 アルコールに強くないと自覚している彼女は普段あまり飲まないけど、一旦酔っぱらうと、くだを巻く。こうなると長い。
 くり返し最近の合コンの不作っぷりをグチる智絵にうなずきつつ、私は頭の隅で明日のデートのことを考えていた。

 終電ぎりぎりまで智絵に付き合わされたせいで身体は疲れていたけれど、朝の気分は爽快だった。
 朝食もそこそこに、準備をして家をあとにした。
 待ち合わせをしているショッピングモールまでは、市バスで向かう。いつもはどこへ行くにも啓也が車で迎えに来てくれるけど、今日はあえて断った。会えるまでのドキドキを楽しみたかったから。
 今日のプランは私から提案した。外で待ち合わせてランチを食べ、普通のお買い物デートをする。お金は全て割り勘で。
 隙あらばすぐ「泊りがけでどこかへ行こう」とか「二人きりになれるとこがいい」とか言いだす彼は乗り気じゃなさそうだったけど、どうしても行きたいとごねる私に、最後はしぶしぶうなずいてくれた。
 ショッピングモール前でバスを降りて、時計を確認する。待ち合わせの時間には、まだ早い。場所は建物の中の広場と決めてあったから、私はわざとゆっくり歩きだした。
 大きなポスターが貼り出されているウィンドウの前を行く。日差しのなかでガラスが鏡みたいに私の姿を映していた。
 裾にレースをあしらった少し甘めのカットソーに、デニムのクロップドパンツを合わせた。カジュアルで、でもちょっとだけ可愛い感じにしたくて。
 歯の浮くようなセリフを平気で吐く啓也のことだから、私がどんな格好をしていても可愛いと言うのは想像がつく。でも、やっぱり、お世辞じゃなく本当の気持ちで可愛いと思われたい。ほんの少しだけでも。
 立ち止まって、ガラスのなかの自分を見つめる。ここへ来るまでに少しほつれてしまった髪の毛を直してから行くべきか考えていると、後ろから声をかけられた。
「すみません。ちょっといいですか?」
「はい?」
 聞いたことのない声。振り返った先には、見覚えのない二十歳くらいの男の子が立っていた。
「あの、友達と待ち合わせをしてて。場所がわからなくなっちゃって。ちょっと教えてもらってもいいですか?」
 男の子は困り顔で頭を押さえると、もう一方の手に持っていたショッピングモールの案内図を私に見せた。
「地図はあるんですけど、ここがどこなのかがわからなくて」
「ああ、はい」
 どうやら迷っているらしい。郊外型のショッピングモールは、やたらと敷地が広いから無理もなかった。
 広げられた案内図を覗き込んだ。地図のなかで、さっき降りたバス停を探す。私が今いる場所を示すために指を出しかけたところで、突然、肩をつかまれ思い切り後ろに引かれた。
「きゃっ」
 驚いて目を瞠る。何事かと振り向けば、笑みをたたえた啓也が私を見下ろしていた。
「何してるの、汐里」
「え、啓也、どうして……」
 待ち合わせはここじゃないはず。なぜ啓也がいるのかわからずにきょとんとすると、私の疑問を察したらしい彼が少しだけ眉を寄せた。
「早く着いちゃって、待ちきれないから迎えに来た。バス停まで行けば会えるかと思ってね」
「あ、そうなの」
 聞いてみれば、至って普通の理由だ。私が今日市バスで来ることは言ってあったから、不思議でもなんでもない。
 定番の待ち合わせスポットである広場で会えなかったのは残念だけど、外で待ち合わせたことには変わりないと思い直した。
 啓也は私から視線をはずし、前に立つ男の子へ目を向ける。
「お知り合い?」
「ううん。お友達との待ち合わせ場所に行きたいらしいんだけど、ここがどこかわからないから、教えてほしいって言われて」
 状況を説明するうちに、啓也の笑みがどんどん深くなる。顔は微笑んでいるのに、なぜか背中が薄ら寒くなった。
 私が話し終えるのと同時に、啓也は男の子を見つめたまま、きゅっと口の端を上げた。
「へーえ。こんなところで大の男が迷子ねえ」
 バカにするような口調。失礼極まりない態度に驚き彼を見上げた。
 啓也と知り合ってすぐの頃は、こんな風に私をさげすむような態度を取られたこともある。でもあれは彼の本質ではなかったし、今ではまったく見られなくなっていた。それなのに……
「……啓也」
 どうしたの、と続ける前に、男の子がガバッと頭を下げた。
「すいません! あと、自分で探すんで。失礼しましたっ」
「あ、え?」
 わけがわからずに男の子と啓也を見比べる。男の子は手にしていた地図を握りしめると、まるで逃げるみたいに踵を返して走り去った。
「な、なんなの?」
 本当に何だったのか、さっぱりわからない。茫然としてその場に立ち尽くしていると、パシッと右手を握られた。当然、繋がっているのは啓也の左手。
「次は汐里の番ね」
「へ?」
 意味不明のまま目を向ける。にやりと意地悪い笑顔を浮かべた啓也の瞳は、少しも笑っていなかった。

 建物の蔭へ引き込まれた私は、問答無用で口をふさがれた。啓也の唇で。
 止めてほしいと言うために開いた口の中へ、彼の舌が滑り込む。自分の身体とは違う体温と感触に震え、とっさに啓也の服をつかんだ。
「ぅ……や、め……っ」
 なんとかして逃れようと顔を背けたものの、両手で頬を包まれ強引に戻された。
 理由がわからないうえ無理矢理キスされているのに、身体はちゃんと反応してしまう。啓也の舌が私のものと絡まり水音を立てるたびに、腰が痺れ、ゾクゾクした。
 私がどんな状態なのか、啓也にはお見通しなんだろう。唇を合わせたまま低く笑うと、頬に当てていた手を離し、服の上から腰をざらりと撫でた。
「んっ」
 感じちゃっていると白状するみたいに、身体が大きくはねる。あふれた吐息も全部吸い取られた。
 ドキドキして顔が熱い。いつの間にか息も上がっている。足が震えるせいでふらついた私は、啓也の背中へ両腕をまわし、すがりついた。
 倒れ込むように寄りかかった勢いで、お互いの顔が離れた。彼の胸に額を押しつけて、必死で呼吸をくり返す。
 啓也がふっと笑う声に続いて、つむじに柔らかくて温かいものが押し当てられた。そこに口付けられているということは気配でわかる。私が嫌がるのを無視して強引に唇を奪ったくせに、どうして今、労わるみたいな優しいキスをするのか。
「な、んで……こんな」
 せわしなく続く呼吸の合間に疑問を口にする。
 つむじから唇を離した啓也は、私の頭の上にあごを乗せた。
「俺に心配かけた代償と、お仕置きだからね」
「おし、おき?」
 あまり良いとはいえない言葉に眉をひそめる。なんで私が啓也にそんなことをされないといけないんだろう。思い返しても、お仕置きされるような理由が見つからない。
 啓也はあごを乗せたまま、呆れたと言わんばかりに長い長い溜息をついた。
「あのねえ、汐里。さっきの奴なんて、みえみえのナンパでしょ。どうして気づかないかな。こんなところで場所を教えてくれとか、ちょっとは怪しいと思わない?」
 危機意識が低いとか何とか、ぶちぶち言う啓也の声をさえぎる。
「ええっ?」
「えー、じゃない。ほんとに迷子なら、店の人に教えてもらうか、その待ち合わせしてる友達とやらに訊くはずだよ。携帯持ってるだろうし。なんで通りすがりの汐里に声かける必要あるの」
 彼の説明はいちいちもっともで反論できない。まんまと騙されたらしい私は、何も言えずにうなだれた。
「どうせ、よくわからないから途中まで一緒に行っていいかとか、お礼に何か奢るから来てほしいとか、適当に繋げるつもりだったんでしょ」
「そんな……最低」
 ナンパのために他人の親切心を利用するなんて神経を疑う。
「最低だけど、そういう奴もいるの。とにかく汐里は隙ありすぎ。お仕置きされるのが嫌なら、知らない男に声かけられても無視すること。次は外でキスするくらいじゃ済まさないよ?」
 啓也の言葉で、いまさら自分がいる場所を思い出した私は、頭に乗っかってる顔を除け、まわりを確認した。
 凹凸のある外壁の蔭になった部分。店の出入り口の死角になっているせいで歩いている人はいないけど、少し離れた駐車場から丸見えだった。
「なっ」
 羞恥にめまいがする。こんなところでキスしてしまった。しかも深いのを。
 居たたまれなくて、そわそわと視線をさまよわせる。私が恥ずかしくて震えていることに気づいているはずの啓也は、わざとらしくのほほんと笑った。
「まあ、何してたかはわかっただろうけど、汐里の姿はほとんど見えてないと思うよ。俺と壁に挟まれてたし」
「そ、そういう問題じゃないでしょ!」
 人前でキスしたという事実だけでも相当なダメージだ。まだ誰かに見られている気がして身をすくめる。
 啓也は少しさがって間をあけると、固く握りしめた私の手に優しく触れた。
「とりあえず、ここじゃなくて他のところに行こうか」
「え。お買い物デートは?」
 今日はここで夕方まで過ごすつもりだった。せっかく彼と普通のデートがしたくて誘ったのに。
 思わず不満が声に出てしまう。私の気持ちに気づいたらしい啓也は一瞬黙り、次に冷たい微笑みを浮かべた。
 ギクッと身体が強張る。これは確実に怒らせた。笑いながら怒ってる時の彼は、本気で怖い。
「さっきの奴がまだうろうろしてるかもしれないところで、楽しくお買い物とかできると思ってる? 汐里のことヘンな目で見た男と再会して、俺が寛容な気持ちで受け流せるとでも?」
「……え……あ、いや、その」
 薄ら笑いでなんとかごまかして取り繕おうとするけど、何をどう言えばいいのかわからない。意味をなさない母音ばかりを繋げているうちに、腕をつかまれ強く引っ張られた。
「お買い物デートは却下ね。汐里は自覚なさすぎるから、少し厳しく教育しないとダメみたいだし」
 首をかしげて、にっこり笑う姿がまた怖い。
 気温は高いのに、ダラダラと冷や汗が流れる。自覚とか教育ってなんなのか疑問に思ったけど、訊いてはいけないと本能的に悟った。
 腕を引く啓也の進む先にあるのは駐車場。ショッピングモールからどんどん離れていく。
 ……私はただ、普通のデートがしたかっただけなのにっ!
 思いっきりあげた心の叫びは、文字通り私の心の中だけに虚しく響き渡った。

                                          End


   

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