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 猫かぶり御曹司とニセモノ令嬢  優しい口づけ

 今年のクリスマスは啓也の発案で、パーティを二回することになった。
 イヴはサンタさんが来るから自宅でいつものホームパーティを。その二日前の今日は守崎家の本宅で、啓也のご両親とお兄さん家族を交えての食事会が行われた。
 今までお正月には集まっていたけど、皆でクリスマスパーティをしたことはなかった。
 ご両親は喜んでくださったし、大学受験を控えたマサくんと、クラブ活動が忙しいというシュウくんにも久しぶりに会えた。もちろん我が家の子供たちは大興奮。とても楽しい時間を過ごすことができた。
 自宅へ戻る車の中。暗い窓ガラスに映る、街路灯の光を目で追う。私と啓也しか乗っていないせいか、車内はやけに静かだ。
 うちの子供たちは、お兄さんの末っ子、篤志(あつし)くんと一緒に寝ると言い張り、今日は守崎家に泊まることになった。
 何かというとそれぞれの実家や、お兄さんの家に泊まりたがる子供たちは外泊に慣れっこで、自宅へ帰る私たちを笑顔で見送ってくれた。
 あまりべったりされるのは大変だけど、甘えられないのも少し寂しい。親のワガママだとわかっているけど、複雑な心境になる。
 窓の外に目線を向けたまま子供たちのことを考えていると、運転席の啓也がふふっと笑った。
「もうすぐ着くから、寝ちゃダメだよ」
「……大丈夫」
 からかい混じりな啓也の言葉に、私は唇を尖らせる。少しだけ眠気を感じていたことは内緒にしておいた。
 生まれつきの体質なのか、車に乗るとすぐに眠くなってしまう。乗り物酔いをしないのは助かるけど、小さな子供みたいでちょっと恥ずかしかった。
 私たちを乗せた車は、国道を右折して駅前へ向かう。去年までならこの道で合っていたけど、今は曲がらずに直進した方が近道だ。
 不思議に思った私は啓也の横顔を見つめた。
「啓也、こっちじゃないよ?」
 元々、運転することが好きで、普段の通勤にも車を使っている彼が道を間違えるとは思えないけど、一応、訊いてみる。
 啓也はまたふっと微笑んで、小さく首を横に振った。
「いや、これでいいんだ。ちょっとマンションに用があってね」
「ふうん」
 特に拒否する理由がないから、あいづちを打ったものの、私は密かに首をひねった。
 去年まで私たちが暮らしていた部屋には、もう誰も住んでいない。
 上の子が小学校へ入学するのに合わせて、私たちは新たに家を建てた。同じ市内だからそう離れてはいないけど、緑や遊び場の多い、子供たちがのびのびと暮らせる場所に。
 元の家は売ったり貸したりすることも考えたのだけど、啓也の希望でそのまま残してあった。
 車はマンションの駐車場へと入っていく。専用スペースに車を停めた啓也は、後部座席に置いてあった上着を取り、私の肩にかけた。
「さ、汐里も降りて。きみに確認してもらいたいんだ」
「え?」
 どういうことかと、まばたきをくり返す。私が一緒に確認しなきゃいけないほど、重要なことらしい。
「早く」
 急かされ、慌てて車を降りる。近づいてきた啓也が当然のように私の腕を取った。
 いくら夜でまわりに誰もいないといっても、くっついて歩くのは恥ずかしくてそわそわしてしまう。顔を隠すようにうつむくと、頭のてっぺんにキスをされた。
「ちょっと、止め」
「汐里は出会ったころから全然変わらないね」
 とっさに顔を上げて睨んだけど、私の文句を掻き消すように言葉をかぶせられた。
 啓也は私がむくれていることなんて気にもせずに、にこにこしている。守崎家での食事会が楽しかったからか、今日の彼は妙に上機嫌だ。
 機嫌が良すぎる時の啓也は何を言っても聞かない。この十年で諦めることを覚えた私は、そっと溜息をついた。
 変わらないのは私じゃなくて、啓也の方だよ……
 呆れ混じりに心の中でつぶやく。
 何故かうきうきしている彼に引きずられるようにして、私はエレベーターへ乗り込んだ。

 ドアの鍵を開けた啓也は、廊下の灯りだけをつけて「ちょっと寒いな。エアコンまだ使えるといいんだけど……」とぶつぶつ言いながら、リビングに入っていった。
 私は玄関に残り、室内をぐるりと見渡した。家具や小物がなくなったせいで無機質な感じはするけど、十年間暮らしてきた部屋はやっぱり懐かしい。
 啓也と一緒に暮らし始めてから起きた様々なことや、子供たちを授かり、家に迎えた時のこと……普段あまり思い出さない、些細で優しい記憶が一気に蘇った。
「汐里もおいでよ。窓の外が綺麗だ」
 リビングの奥から声をかけられた私は、ハッとして顔を上げた。
 どこかで見た記憶の中の景色と、目の前の情景が重なる。
 がらんとした室内、暗いリビング。冷たい空気。どうしたらいいのかわからず廊下に立っていた私に、啓也が向こうから声をかけてくれて……
 一瞬デジャヴかと思ったけど、違う。あの時と同じだ。啓也が「ここで一緒に暮らそう」って言ってくれた時と。
 吸い寄せられるように、リビングの入り口へ近づいた。
 隅に置かれた白色のファイバーツリーが、広い部屋をかすかに照らしている。窓際にいた啓也が私を振り返り、外を指差した。
「ここに住んでいる時は見慣れてしまっていたけど、改めて見ると結構、良い景色だよね」
「……うん。本当に、綺麗」
 十年前にも口にした言葉をくり返して、窓辺に寄る。過去をなぞるように、後ろから伸びた啓也の腕が、私の身体をそっと包み込んだ。
 おもむろに左手を掴まれる。前は手のひらにマンションのカギを乗せられたけど、今はしっかりと握られていた。重なる指に煌めく、約束の証。
「最初からここに連れてくるつもりだったのね?」
 ただの偶然で全く同じ状況になるとは思えない。きっと何もかも以前から計画していたんだろう。飾られているクリスマスツリーが、その証拠だ。
 啓也は私のこめかみに頬を寄せ、小さくうなずいた。
「うん。新しい家へ引っ越す時に、きみと暮らし始めたころのことを色々と思い出してね。十年目の今日、一緒にここへ来たかったんだ」
 窓の外に広がる数多の光を目に焼きつけて、ぐっと閉じる。瞼に隠された瞳が、熱く潤んでいた。
 振り返ればあっという間だったけど、本当に色々あった。
 何度となくケンカをしたし、感情に任せて家を飛び出したこともある。啓也の愛情は私にはちょっと大きすぎて、戸惑い傷ついたこともあった。子供が生まれてからは、育児方針の違いで衝突をしたり。
 沢山の幸せと、時折やってくるつらい出来事……でも、その全てが幸せで大切な思い出。
「啓也のバカ」
「えっ」
 突然詰られ、啓也が慌てた声を上げる。私は彼の腕を振りほどいて身体を反転させると、目の前の胸にギュッとしがみついた。
「歳を取ったせいで、私が涙もろくなってるって知っているくせに、どうしていつも泣かせるようなことをするの?」
 想いを吐き出すのと同時に、涙が溢れた。頬を伝う滴を、彼のシャツに押しつける。
 どこか困ったように溜息混じりの笑みをこぼした啓也は、私の顔を覗き込んで、濡れている目尻を指で拭ってくれた。
「汐里が泣き虫なのは昔からでしょ。しかも嬉しい時限定。つらい時は追い詰められてどうにもならなくなるまで我慢するんだよね」
 誰よりも近くにいるから当然なんだけど、私のやっかいな性格を全部知られてしまっている。図星をつかれ何も言えなくなった私が唇を噛むと、額に優しく口づけられた。
「だから、汐里の泣き顔を見られるのはちょっと嬉しいんだ。それだけ喜んでくれたんだなってわかるからさ」
 優しいのか、いじわるなのかわからないことを言い、啓也は目を細めた。
 釈然としない気持ちを、つい顔に出してしまう。への字に曲がっているはずの口を、彼の唇で塞がれた。
 触れるだけの、穏やかなキス。
 顔を離し目を合わせると、彼の瞳が輝きを増した。注がれる熱い視線に、胸の鼓動が速くなる。
「愛してるよ、汐里。今まで一緒にいてくれて、ありがとう。これからもずっと傍にいてほしい」
 まっすぐな愛の言葉が、新たな涙を誘う。けど、必死に堪えて、うなずいた。
 時が流れるにつれて、まわりの環境や暮らし、そして私たち自身も少しずつ変化してきた。でも、啓也の想いは変わらない。もちろん私の気持ちも。
「……私も、ありがとう。今までも、これからも、ずっと啓也を愛してる」
 何年経っても愛情を言葉にするのは照れくさいけど、精一杯の想いを彼に返した。
 ツリーから届くあわい光のなかで、啓也がふんわりと笑う。彼を見つめ、私も微笑んだ。
 どちらからともなく顔を寄せる。
 目を閉じて、唇に彼の温もりを感じた私は、優しい口づけも十年前と変わらないことに気がついた。

                                          End


   

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