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 星降る夜

 真夜中の1時。

 大音量で鳴り響く携帯の着信音に飛び起きた私は、寝ぼけ眼で画面を見て顔をしかめた。
 ……こんな時間に電話よこさないでよ!!
 これ以上無いくらいバッドなタイミング。
 間違ってもボタンを押さないように気をつけながら、そっと携帯を閉じてベッドサイドへと放り投げた。
 ムリムリ、出れない。私はもうとっくに寝てるんです。明日早いんです。
 頭から布団をかぶって一人で言い訳していると、やがて携帯は大人しくなった。
 ほっと息をつくと、とろとろと眠りがやってくる……。
 が、またもや着信音。
 一度切れた時にバイブにしておけば良かったと思ったけれど、後の祭り。
 私はイライラしながら携帯を開くと、受話ボタンを押した。
「アンタ誰?!」
 開口一番そう怒鳴ると、電話の相手はこれっぽっちも動じないでへらへらと笑った。
「みずほの愛する、せいきでーす」
「ああそう。私は誰も愛してませんから人違いです。さようなら!」
 皮肉たっぷりに力を込めて言うと、問答無用で通話を切り、そのままバイブにしてまた放った。
 ……くーっ! いまいましい!
 寝入りばなに起こされたせいで目が覚めてしまった私は、布団の中で拳を震わせた。
 本当は、着信音のイントロが流れただけで、誰からの電話か判ってた。あの人からの着信の時だけ曲を変えてあるから。
 南川征記(みなみかわ せいき)。
 名前を聞くだけで、ほとんどの人が「ああ、テレビに出てる人ね」と言うくらいメジャーな俳優。
 優しい感じの二枚目で、正統派な役しかやらないから、ファンのおばさま達には『爽やか貴公子』とか言われてるらしい。
 実際の彼は爽やかどころか、腹黒大王だけど。
 対して、私はそこそこ売れてる女優だったりする。基本的に舞台でやってるから認知度は低いけど、一応、演技でご飯食べれるくらいには売れてる。
 芸名は本名と同じ、桑名瑞穂(くわな みずほ)。
 よくある展開だけど、私たちは付き合っている……はず。
 物思いに耽っている間も、ブルブルいっていた携帯を手に取ると、ふっと溜息をついた。
 しぶしぶ電話に出てやる。
「……みずほー」
「何よ。何の用?」
 投げやりに答えると、征記は気にしない風に笑った。
「映画の撮影終わってオフに入ったから、今日泊めて?」
 2ヶ月ぶりの連絡だというのに全く気にしないで、いつものように電話してくるとは。
 私はこめかみを押さえた。
 今年の頭から征記は長期ロケの仕事に入った。それでもたまに電話はくれていたのに、2ヶ月前からぱったりと無くなった。
 とはいえ、私も決まっている仕事があるし、芸能界という特殊な環境では騒ぎ立てるわけにもいかない。
 何よりも付き合って10年になるのに、いちいち勘ぐったりしていたらキリが無い。
 奇跡的に交際がバレてないせいで、征記の恋愛報道はたまにあるのだ。全部、誤報だけど……多分。
 微塵も罪悪感のなさそうな征記に呆れつつも、オフ入ってすぐ連絡くれたからいいやと思い直した。
 我ながら寛大。
「泊めてって……もうそっち出たんでしょ」
「うん、タクシーで向かってるとこ」
 ……やっぱりね。
 とりあえず「気をつけて」と一言添えて電話を切った。
 どこからタクシーに乗ったのか知らないけど、1時間もしないうちに来るんだろう。
 私は布団に潜りなおすと、寝室のカーテンの隙間から夜空を見上げた。
 ……都心のマンションから星は見えない。

 10年前。
 21歳だった私は指定されたダイニングバーでぼんやりとカウンター席に座っていた。

 こういうのって……まずいんだろうな。
 いくら売れない女優だとは言っても、これから売っていこうとしてるのに男と待ち合わせなんかしちゃ駄目だと思う。
 しかも相手は、あの南川征記。
 なんだか現実離れした展開に溜息をつくと、携帯を手にとってメモリをスクロールさせた。
 今をときめく南川征記主演の連続ドラマ。その端役をやってるのが私。
 彼と恋に落ちるヒロインの妹の同期生という3回しか出てこない役。セリフも「うん」「すてき!」「じゃあね」しか無いし、役名も無い。そんなポジション。まぁセリフあるだけいいけど。
 ヒロインの妹が偶然、主人公と出くわした時に一緒にいる。というシーンを撮影した時、彼と初めて会った。
 でも特別なにかがあったわけじゃない。主役の彼と、名前も無い女子大生役の私じゃ、挨拶するのが精一杯。なのに、帰り際に呼び止められて携帯の番号を書いた紙を貰ってしまった。
 ……正直に言うと、困る。
 事実だけを見れば、下心ありありの展開だと思うんだけど、あの南川征記が初めて会った私なんかをそんな目で見るのかなぁ……て感じ。これまで大したスクープも無いし、仕事一直線な二枚目俳優っていうイメージの人だから。
 でも、先輩だし、無視するわけにもいかなくて、しぶしぶ電話した。
 はっきりとどういう意図があるのか判らないまま、一緒に夜ご飯食べる約束をさせられて。結局向こうが指定した店で待ってる状況。
 ……やっぱり、下心ありなのかな。
 私もそれなりに見た目は整ってると思うけど、私なんかよりも綺麗な人は業界にいっぱいいるわけで。わけが判らないまま、また溜息をついた。
「ごめん、遅くなった」
 そう言って、隣に座った男を見て、私は軽く引いた。
 白地に青のチェックの入ったシャツに、ベージュの綿パンツ。長めの前髪を全部下ろして、眼鏡をかけてる。それにリュック。もちろんシャツはズボンにインしてある。
 なんていうか……良く言えば、素朴……過ぎる感じ。
「あの……えと……」
 何て言ったらいいものやら、しどろもどろしていると彼はちょっと眉を上げてから、声を潜めた。
「判らなかった? 南川だけど」
「あ、いえ、そうですよね……はは」
 何とか誤魔化そうとすると、彼は気を悪くするでもなくにっこり笑った。
「変装じゃないよ。普段はいつもこんななんだ」
 マジでっ?!
 テレビに映っている彼からはとても想像できなくて、ちょっと唖然とする。
「そ、そうなんですかぁ……」
 つられるように、あははと笑うと、彼は周りを見渡して照れたように首を掻いた。
「でも流石にちょっと場違いだったかな。料理テイクアウトして場所変えようか」
 オシャレなダイニングバーに、モスグリーンのお洒落なワンピースを着た私と彼。どう考えてもちぐはぐでおかしな二人だろう。
 お互いに目立っては困る立場だから異論も無く従った。
 タクシーを捕まえて、都心から少し離れた郊外へ。40分くらい乗ると、高台の住宅街に着いた。
「ここは……?」
 高台の一番高い場所にあるログハウス風の家。もともと住宅地で閑静なのもあるだろうけど、一番上まで来る人がほとんどいないせいか静まり返っている。
 時々、裏に植えてあるらしき背の高い木が風でざわざわと音を立てた。夜で明かりも無いし少し気味が悪い。
「ん。親父の持ち家の1つ。さすがにここなら誰にも見られないだろうと思って」
 もう一度周りを見渡して納得した。失礼だけど普段使ってないらしき、こんな不気味なところをチェックしてる奴がいたら、お目にかかりたい。
 彼は料理の入ったビニール袋をぶらぶらさせながら入り口に近づくと、ポケットから鍵を出してドアを開けた。
 それからこちらを向いて、空いている方の手をドアにかざす。どうぞって事らしい。
 中は真っ暗だし誰もいない事は判っていたけれど一応「おじゃまします」と声をかけた。
「鍵いつも持ってらっしゃるんですか?」
 そんなに広くない玄関に立ったまま、後ろにいる彼を振り向いた。
「まさか。今日は親父に借りてきたんだよ」
 ……それってどういう……。
 意味が判らずにぼんやりと見上げると、にこっと微笑んだ彼の唇が私の右頬に触れた。
 少し冷たくて柔らかい感触に、心臓が大きく跳ねる。
「なっ、な、な、な、なにをっ!」
 思わず仰け反って触れられたところを手で押さえた。彼は可笑しそうにくつくつと笑っている。
「だって余りにも無防備なんだもん。俺ってそんなに安全圏?」
「……うー」
 からかわれているのは判っていても、言い返す言葉が見つからなくて俯く。突然ほっぺにちゅーされて、かなり動揺してる私にはどうしようも無かった。
 彼は笑いをおさめると私の頭にぽんぽんと軽く手を置いた。
 見ると、私の横をすり抜けて室内の電気を灯し、右手の部屋へと入っていく。
「何もしないからおいで。ご飯食べよう」
 私は溜息をついて肩を落とすと彼に従って部屋へ向かった。
 オレンジの淡い光が灯された室内は、外観と同じくログハウス調で統一されていた。広めの部屋の真ん中には円筒形の薪ストーブが置いてあって、その近くに大きな木のテーブルがある。
 彼はそのテーブルに買ってきた料理を並べていた。手伝おうかと思ったけれど、出して開けるだけなのですでに終わりそうだった。
「おうち、素敵ですね」
 部屋を見渡して言うと、彼は少しだけ眉を上げた。
「親父の趣味なんだけどね、手作りなんだよ。俺もちょっとは手伝ったけど」
「これ手作りなんですかっ? ……凄い」
 もう一度見渡しても、とても個人で作ったものには見えない。
 尊敬の眼差しで見つめると、彼は照れたのか肩を竦めた。
「親父はアウトドアとか大好きだから。今度会わせてあげようか? 凄いよ、見た目が。髭がボーボーで、山から熊が出てきたのかって感じ」
「あははっ、そんな凄いならちょっと会ってみたいかも」
 そんな他愛も無い話をしながら、私たちは食事をした。
 彼が指定した店の料理はテイクアウトでもとても美味しかったし、二人きりでも彼のリードで話が盛り上がった。
 メディアのイメージの彼と、実際の彼は当たり前だけど大違いで、目の前に座る彼の素朴な格好も相まって、なんだか南川征記じゃない人と会っているように錯覚しそうだった。
 彼の出してくれたコーヒーをご馳走になりながら、ふと時計を見る。
 そろそろ……お暇しないと……。
 予想外に長い時間おしゃべりをしていたらしい。もう大分遅い時間だと気付いてちょっと焦る。
 私は都内のマンションに一人暮らしで門限なんて無い上、悲しいことに明日仕事も無いからいいんだけど、彼はきっと仕事だろう。今が旬の俳優さんだもの、私の想像なんて遥かに超えるほど仕事してるに違いない。
 そんな私の考えを読んだのか、彼は困ったようにくすっと笑った。
「そろそろ帰らないとダメ?」
「え、いえ、私はいいんですけど。南川さん明日も仕事でしょう?」
 あ……「いいんですけど」とか言っちゃったよ。
 楽しかったせいでつい言ってしまったけれど、これじゃ誘ってるっぽく聞こえたかも知れない。
 まずいなあ、と思いながら見ると、彼はぶぶっと吹き出した。
「今、誘ってるって思われたかも! って焦ったでしょ?」
「……」
 かあっと顔が熱くなる。
「俺としては嬉しいけど……さすがにすぐ手出したりはしませんよ。でも、もうちょっと付き合って。そろそろなんだ」
「……なにがですか?」
 不思議な思いで見つめると、彼は立ち上がって手招きした。
 奥のバーカウンターらしき場所の壁に外へと通じるドアがあった。どうやら彼はそこから外に出るつもりらしい。
 小ぶりの木製のドアを開けると、ちょうど家の北側に広いウッドデッキがあった。来た時に外から見えた大木が脇に植えてある。
 彼はウッドデッキの真ん中に立つと上空を指差した。
「ほら、星が綺麗でしょう」
 つられて上を見上げると、そこには満天の星。
「わぁ……」
 思わず声が漏れた。
「判りにくいけど、この丘の下に商店街があって、そこの明かりが消えるまでは見えにくいんだ。だから夜中にしか見えないとっておきの場所」
 ぽかんと口を開けて星に見入っていた私は、ふと彼へ視線を戻す。
「もしかして今日ここに連れて来て下さったのは、この為?」
「うん。ちょっと気障すぎたかな。誰にも邪魔されない特別な場所ってここしか無くてさ」
 茶化すみたいに、ちょっと肩を竦めた彼を見て不覚にも感動してしまった。
「……嬉しいです……けど、どうして」
 声が震える。
 ここまでしてくれる理由なんて判りきってても、ちゃんと聞きたい。
「どうしてって、もちろん瑞穂ちゃんの事いいなあって思ってるから。一目惚れって言ったらダメ?」
 こっちを真っ直ぐ見て優しく微笑む彼の視線にたじろいだ。激しく打つ鼓動がうるさいくらい。
「で、でも私、すぐお返事はできないんですけど。会ったばかりだし。き、今日は凄く楽しかったし、南川さん素敵だけど、すぐって言うのはちょっとアレかなって思うわけでして、はい、その……」
 気が動転して自分でも何を言ってるのか判らない。ただ思いつくままを言い放っていると、彼が苦笑した。
「判ったから落ち着いて。とりあえず次会えるの早くても2週間先になっちゃうから、それまで返事、考えといて」
「は、はいっ!」
 なぜか直立不動で力いっぱい返事をしてしまった……。
 それを見た彼がまた、ぶぶっと笑う。
 可笑しくて浮いた涙を拭う為に、指で目じりを押さえながら、彼はニヤリと口元を上げた。
「俺、瑞穂ちゃんにハマりそう……お付き合いOK出すときは、覚悟してね?」
「はっ、えっ!?」
 突然吹いた風がざわざわと木々を揺らすのと同じに、空の星が降ってきた……ような気がした。

 無駄に広いベッドにうつ伏せになって、枕元の写真立てを覗く。
 まだ若い……私と征記。最初に出会ったドラマの現場で撮ってもらった貴重な写真。
 10年かぁ、長いなぁ。
 溜息交じりに写真の中の征記を指で弾いた。
 結婚とかを意識したことが無いわけじゃない。一緒にいる時間が長くなって慣れれば慣れるほど、傍にいない時間を考えてしまうから。
 でも、お互いにこういう仕事をしていたら、結婚して同居したところで上手くいくか判らないし、何より征記にとってパートナーの存在を知られる事はマイナスになるだろう。征記の事務所だってNOというはずだ。
 少しだけ、唇をかむ。
 まぁ私だって、今すぐ子供ができたりしたら困るわけだし。お互い様なのかも。
 またぼんやりと外を眺めていると、インターフォンが鳴った。
 寝起きのだるい身体を引きずって、のろのろとテレビモニターを覗くと、のほほんとした顔の男が映っている。
「みーずほー。開けてー」
「はいはい」
 オートロックの解除ボタンを押してからインターフォンを切ると、そのまま玄関まで移動した。
 遠慮がちなノックを合図に鍵を開けると、入ってきた征記は有無を言わせずに私をぎゅーっと抱き締める。
「うぅ、会いたかったー」
「うぐっ。く、苦しい! 離してよっ」
 征記の腕の中でもがくと、ちゅっと私のこめかみにキスしてから離してくれた。
 音信不通も何とも思わずに、いつも通りに現れて、いつも通りに抱き締めてキスして、いつも通りの顔をした征記に眩暈を覚えそうになったところで、私ははっと我に返った。
 何かおかしい……。
 私が凝視しているのに気付いた征記はわざとらしく首をかしげた。
「何?」
「……なんで仕事モードなの?」
 『仕事モード』というのは征記の服装に私がつけた呼び方。仕事行くときにするパリっとしたイケてる格好が『仕事モード』。逆にオフの時に着ている素朴でちょっとダサい格好が『オフモード』。
 いつもならオフモードでしかウチに来ないのに、なぜか今日は仕事モードだった。しかもかなり気合いが入ってる。
「なんでだと思う?」
「仕事あがりでそのまま来たから?」
 いじわるい笑顔で聞く征記に、両手を上げて降参のポーズを見せた。
「まぁ、半分当たりだけどね」
 勝手知ったる私の家。征記はさっさとリビングに行くとソファに座って、大きく息を吐いた。
 珍しく顔色がすぐれない。
「疲れてる?」
「さすがに長期はきついよ。この歳じゃ」
 コーヒーを淹れる為にキッチンへと向かいながら、征記のおじさんぶった言い方に苦笑する。
「36でそんな事言ってたら、諸先輩方に怒られるよ」
「まあね、でも今回は特別きつかったなー……」
 項垂れる征記に、カウンター越しで声をかけた。
「ふうん。打ち上げは?」
「もう済んだよ」
 1杯分しか淹れないから、と、簡単に上からお湯を注ぐだけのドリップパックにした。すぐにいい香りがたったのを確認して、征記にカップを渡す。
 一口飲んだ征記は短く溜息をついてから、立ったままの私を上目遣いで見つめた。
「?」
「ネタバレになっちゃうんだけどさ、今回の映画、俺が犯人なの」
 何のことか判らずに目をぱちぱちさせた。
 同じ業種なので余り立ち入らないように、私達はお互いの仕事内容を詳しく話さない。だから今回の征記の映画の事も余りよく知らないし、こんな風に、封切前の作品の事を言うなんてかなり珍しい。
「……サスペンス?」
「んー、半分サイコスリラーかなぁ。物腰柔らかで優しくて理想的な恋人が実は快楽殺人犯なわけ。主人公はその現場を目撃するんだけど犯人までは見てなくて、捜査に乗り出しちゃうんだな」
「その恋人が征記?」
「そう」
 ちょっと……いや、かなり驚いた。
 征記には根強い固定ファンがいる。ファンクラブのおばさま方に『爽やか貴公子』とか言われてるだけあって、これまでは絶対にイメージを崩すような作品には出ないようにしていた。というか事務所がそうしていた。
「どういう方針変更?」
「俺だって後4年もしたら40だよ。今更、爽やかとか言ってる場合じゃないし。だから事務所にかけあった」
「ふぅん……」
 判ったような、判らないような気持ちで頷く。
 私がいるところは割と放任主義なので他はよく知らないけど、よく事務所がOKしたなぁと思う。
 今のところ歳がいっても征記のファンは変わらずにいてくれるんだし、わざわざイメージ壊さなくても……と思ったりするんだけど。
 納得しきれていないのが私の顔に出ていたらしく、征記は苦笑いすると軽く両手を開いた。
 おいで、のサイン。
 素直に膝の上に乗って見つめると、触れ合うだけのキスをされた。
「俺、この映画で新しい南川征記を出せると思う。自信もある。……だから瑞穂、結婚して?」
「……え?」
 いま、なんて?
 余りに信じられない事を言われたせいで、思わず聞き返してしまった。
 限界まで目を見開いて征記を見ると、上着のポケットから銀色のリングを出して私の手を取った。
 スローモーションのようにゆっくりと薬指に通される指輪。台座に輝く透明の石。
「桑名瑞穂さん、俺と結婚して下さい。この先、一生大事にするから」
 真剣な言葉が脳に染みて、ぶるっと震えた。
「だ、だめよ。ウチの事務所に聞いてないもの。征記のとこだってダメでしょ」
「瑞穂のとこは放任だから平気だろ。俺の方は許可取ったから」
「そ、それに仕事だって結構入ってるし。明日も朝から稽古だし」
「結婚はすぐにじゃなくてもいいよ。もちろん仕事も続けていい。でも……付き合ってるのはすぐ公にしないとダメかもね」
 これ以上無いくらい、にーっこり笑った顔に物凄く嫌な予感がする。
「……なにかしたの?」
 恐々聞くと、征記は良い笑顔のまま首を傾げた。
「何もしてないよ。仕事終わって、この格好のまま事務所からここまで真っ直ぐ来ただけ。まぁ……誰かついてきてたかも知れないけど、瑞穂に会いたくて仕方無かったから許してね?」
「な……っ!」
 自分でも顔が引きつって、こめかみがぴくぴく痙攣してるのが判った。
 次号の週刊誌に『本誌独占スクープ! 南川征記、深夜の密会。本命のお相手はなんと舞台女優!』ていう見出しがでかでかと出ている光景が浮かぶ。
 こ、この腹黒大王がっ!!
 膝の上で俯いて、ぶるぶる拳を震わせる私に、征記は相変わらずの調子で呟く。
「そういうわけで、逃げられないからね」
「う、うるさい! 2ヶ月も放っておいたくせに何言ってんのよっ!!」
 抱き締めようと伸ばした征記の腕をすり抜けて離れると、近寄られないように腕をぶんぶん振り回した。
「いやー、暴力反対ぃ」
 けろっとしていつも通りの征記が、腹立たしいし、悔しい。でも、やっぱりどこか嬉しかった。
 他の誰でもない私を選んでくれた事。ぜんっぜん連絡くれなかったりするけど、ちゃんと考えてくれてた事。
 まぁ、ずるい作戦で丸め込もうとしたのはムカつくから、しばらくは徹底的に反抗するけどね。

 がむしゃらに振り回す腕の先、薬指に嵌められた私だけの星が煌いていた。

                                          End

   

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