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 金色 、ひらり

 何てこと無い、いつもの昼休み。
 社員食堂で同じ部署の女子社員さん達とおしゃべりしていた私は、視線を感じて後ろを振り返った。
 目に見えないビームでも出てるのかってくらい強い視線の主は、予想通りに人事部の崎田(さきた)係長さま。今日も射殺しそうなほど切れのあるクールな眼差しを背中に感じながら、思い切り溜息をついた。
「……いやー、いつもながら睨まれちゃってるよ。青柳(あおやぎ)さん」
「もう見慣れちゃったけどさぁ。ホント何でそんなに恨み買ってるわけ?」
「でもまぁ、崎田係長も大人げ無いよね。何を根に持ってるのか知らないけど、毎日あんな睨まなくてもねぇ」
 向かい側に座る社員さんが、口々に感想を述べる。
 私はと言えば、全く持ってその通りとばかりに何度も頷いた。
 この会社に身を置く私は、もう大分前から彼の視線に晒され続けている。
 例えば今みたいに休憩が重なった時や、出社と退社が重なった時。廊下ですれ違った時もそう。何が気に食わないのか知らないけれど、眼鏡の奥からの鋭い眼光を向けられる事は、常になっていた。
「今更、契約社員だからって訳でも無いだろうし……」
「ですよねー」
 隣に座っている社員さんの言葉に、相槌を打つ。
 契約社員組である私……と同期たちは、過去、一部の社員に良く思われていない時期があった。
 細かい事はよく知らないし、私たちが何かをした訳でもない。ただ、あちこちから聞きかじった所によると、私たちの途用制度の話が出たとき、経費の無駄だと人事部が猛反発していたのに、上層部の鶴の一声で決定されてしまった経緯があったらしい。
 おかげで入社した私たちが歓迎されていないという、とばっちりを受けた。
 とはいえ、ちょっとギクシャクしていただけで、イジメとかがあった訳でも無いし、それももう何年も前の話。今では契約社員という制度が社内に定着し、目の敵にされる事も無くなった……はずなのに。
「正直、何で睨まれてるのか、よく判らないんですよね。仕事のミス多いからかなぁ?」
「えー?」
「それは無いよー」
「大丈夫だって」
 私の言葉を皆がフォローしてくれた事が嬉しい。
 まぁ実際、ミスは多いかも知れないけど、それにしたって総務部の私と、人事部の崎田係長の接点はほとんど無いから、理由にはならないような気がする。
 しかも別部署の社員さんが直接尋ねてくれたところによると、本人も私を嫌っている訳では無いと言っているらしい。
 ……もちろん本当は何か思うところがあるのだろうけれど。
 この状況は私としても大いに不満だし、はっきり言って腹が立つ。言いたい事があるなら、言いなさいよって感じ。でも接点も実害も無い以上、直接ぶつかるのもどうかと思うし、何より、別部署とはいえ彼は上役だ。
 睨まないでくれれば、まぁまぁ格好良い上司なんだけどね。
 そういう訳で……何故か睨んでくる崎田係長と、意地でも辞めないと決めた私は、凄く微妙な位置をだらだらと保ち続けていた。

 退社時刻後、私は休憩室の窓際に置いてあるスツールに座って、足をぶらぶらさせていた。
 失礼ながら無駄にお洒落な造りの社屋は、休憩室の窓が出窓みたいになっていて、そこに金魚鉢が置いてある。というか、元々何も無かったのだけど、私が買って来て置いた。
 金魚鉢の中には、よくいる和金が一匹。名前はキンちゃん。これも私が勝手に付けた。
 キンちゃんは捨て犬ならぬ、捨て金魚だ。去年の夏の朝、会社の入り口前に置いてあった。金魚すくいにありがちなビニルの巾着に入っていたから、どこぞの祭り屋台ですくったのを、飼えないからか誰かが置いて行ったのだろう。
 その日、珍しく早く出社した私は、酸欠でぐったりしたキンちゃんを見つけ、緊急避難的に休憩室へ置いた。
 最初は自宅に連れ帰るつもりだったキンちゃんは、あっという間に社内のマスコットと化し、水槽が掃除用バケツから金魚鉢に。エサが焼き麩から、専用餌へと変わり今に至る。
「ねー、ねー、キンちゃーん。私なにか悪い事したのかなぁ?」
 ごまつぶ大のエサを指先で摘んで、水槽に落としながら、キンちゃんに話しかけた。
 当たり前だけどキンちゃんに人間の言葉は理解できないし、もし判っていたとしても、あのパクパクするだけの口じゃしゃべれない。しかも今は上から降ってくるエサに夢中でそれどころじゃ無さそうだった。
 小さな鉢の中をくるりくるりと回りながら、時間を掛けて落ちてきたエサを口に入れる。窓から射す夕日が金色の鱗に反射して、きらきら光った。
「……きれーい」
 無邪気に泳ぐキンちゃんに、思わず微笑む。キンちゃんは自分の美しさを判っているのか、まるで自慢するように一際大きく輪を描いた。
「むぅ……愛い奴め。でも、もうゴハンは終わりだよー」
 金魚の絵が描かれた小箱を揺らして見せる。買って来た時よりも大分軽くなった箱を覗くと、いつの間にかエサの残りが少なくなっていた。
 あと数回分はあるけれど、そのうち買いに行かなきゃいけない。
 エサをしまうついでに、キンちゃん専用の道具入れも確認すると、カルキ抜き剤も少ししか残っていなかった。
「あれー、エサもカルキも足りないや。明日の昼休みにでも、買って来てあげるね」
 ガラス製の金魚鉢のふちを爪で弾く。風鈴に似た涼やかな音に気がついたらしいキンちゃんは、判っていると言わんばかりに、また一回りした。

 キンちゃんを見つけてからというもの、早めに出社して朝一で金魚鉢を確認するのが、私の日課になっていた。
 金魚っていうのは、思ったよりも少ないエサで良いらしく、いつも夕方に1回しかあげないから、朝に面倒をみる必要は無いのだけれど、毎日元気かどうかを確認せずにはいられなかった。
 いつも通りの朝。出社してすぐに休憩室へと足を向けた私は、廊下から続くドアを開けたところで歩みを止めた。
 社員さんどころか、管理職の人すらまだ余り出社していないような時間帯。普段なら他の人がいるわけない休憩室に、慣れたく無いのに見慣れてしまった背中を見つけた。
 深いダークグレーのスーツを着た、すらりと高い上背。小さなビニルの買物袋を手に提げたその人は、背中を僅かに屈めて窓際を覗き込んでいた。
 ……うっわー、何で朝一で遭遇しちゃうかなぁ。
 清々しい朝の気分が、一瞬で台無しになる。向こうに気付かれないうちに逃げてしまおうかと思ったものの、負けを認めるようで悔しいし、何よりキンちゃんが気になるから留まった。
「……おはようございます」
 にこやかに、なんて絶対できない私は、超しぶっしぶ挨拶をする。
 びくっと肩を震わせて、こちらを振り返った崎田係長は、あからさまに驚いた顔をしていた。
「うっ……あ……。お、おはよう」
 私に気付いた彼の顔色がみるみる青くなる。
 呻くようなたどたどしさで挨拶を返した崎田係長の動揺っぷりに、内心、首を捻った。
 元より嫌われているのは判っているけれど、こんな幽霊でも見たような反応は珍しい。一体何なのかと見つめると、思い切り視線を逸らされた。
 てっきりいつものように睨まれると思っていた私は、予想外の彼に肩透かしを喰らった気分になる。
「崎田係長がここにいるなんて珍しいですね。何かあるんですか……?」
 本当なら会話なんてしたくない。でも普通じゃない崎田係長の反応は、私の好奇心を大いに刺激していた。
「いやっ、な、何も……!」
 はっとした彼は、慌てて提げていた買物袋を後ろ手に隠す。静かな休憩室に、ビニルの擦れる音が大きく響いた。
 ……あれ、あのロゴは……。
「それ。ペットショップの袋、ですよね?」
 崎田係長が隠した袋には、キンちゃんを飼い始めてから通っているペットショップのロゴマークが、確かに印字されていた。
 手を後ろに組んで固まってしまった彼は、視線を床に落としたまま、ぐうっと低く唸る。
「……無くなったらしいから、買って来た」
 口元だけでぼそぼそと呟いた崎田係長は、訳が判らない私の目の前に、持っていた買物袋を掲げた。
 思わず受け取ってしまった私は、中身を確認して目を見張る。そこには金魚の絵が描かれたエサの箱と、カルキ抜き剤の詰まった小瓶が入っていた。
「え、何で……」
 驚いた私は袋と彼を見比べる。
 崎田係長は私の視線から逃れるように俯いて、深い溜息をついた。
「金魚、置き去りにしたの……俺なんだ」
「はい?」
 いまいち噛み合っていない会話に目を瞬く。
 完全に項垂れている崎田係長は、自白する犯人みたいに、ぽつりぽつりと語りだした。
「去年の夏、家の前に金魚が捨てられていて。でも俺は生き物を飼った事が無いし、どうしたらいいか判らなかったから、そのまま持ってきて会社の前に置いといたんだ。誰か、そういうのに詳しい奴が、どうにかしてくれると思って……」
 つまり、その金魚がキンちゃんで……。
「詳しい奴っていうのが、私だった?」
 問い掛けに、崎田係長は素直に頷く。
 意外……と言えば、意外だけど、だからどうしたっていう話だ。
 生き物を捨てるのが良くないって事なら、最初に崎田係長の家の前に捨てた人が一番悪いし、彼が金魚に詳しくないのは仕方ない。
 会社で拾ったのが私だったのは単なる偶然で、それを迷惑に思っている訳でも無いし、キンちゃんだって多分、幸せなんだから結果オーライな気がする。
「……で、何故いきなりエサを?」
「いきなりと言うか、昨日ここで青柳さんがエサが切れたって言ってたのを聞いて。ずっと、何か手伝えないかと思っていたから」
 どうやら私とキンちゃんに対して勝手に責任を感じていたらしい崎田係長が、恩返しの為にエサとカルキ抜き剤を買って来てくれたようだ。
 けっこう義理堅いんだなー……って、ちょっと待ってよ。
 割と良い人だったらしい彼を見直しかけた私は、常々向けられていた態度を思い出し、混乱した。
「何か手伝いたいとか思ってるのに、どうしていつも私の事、睨むんですか?」
「えっ!」
 顔を上げた崎田係長は、物凄く意外な顔をして私を見た。
「会うたびに凄い嫌そうに睨まれるから、私、何かして嫌われてるのかと思ってたんですよ?」
 ここぞとばかりに全部聞いてやろうと身を乗り出した私の前で、崎田係長はぶんぶん首を振る。
「違う、誤解だ。確かに、良いなあと思って青柳さんを見てる事はあるけど、嫌ってるなんてそんな、……っ!!」
 自分の言った事に息を呑んだ崎田係長は、片手でばっと口を覆った。青かった顔が、一瞬で真っ赤に染まる。
「……」
 急に静かになった室内で、自分の胸がどくんと鳴った。
 ……えーと、その……それって……。
 慌しく騒ぎ出した心臓の音を抑えるために唾を飲み込み、崎田係長をじっと見つめた。
「あの、ちゃんと聞きたいんですけど……」
 睨むのと同じくらい強い、でも違う熱を持った視線を交わす私たちの脇で、朝日を浴びた金色の魚がひらりと弧を描いた。

 やっぱり何の変哲も無い昼休み。
 いつものメンバーで昼ご飯を食べていた私は、背中に刺さる視線に気付いて溜息をついた。
 同じように気付いたらしい向かい側に座る社員さんが、同情の眼差しをくれる。
「あー、相変わらずだねぇ。崎田係長」
「大丈夫? 青柳さん」
「私、ちょっと言ってきてあげようか?」
 優しい先輩たちの言葉に微笑んで、首を振った。
「大丈夫です。あれ、睨んでるんじゃ無いらしいんで」
 一瞬きょとんとした社員さんたちは、崎田係長の方をちらりと見てから眉間に皺を寄せた。
「いや、でも。今日は一段と眼光鋭いけど……」
 そう言われれば、今日の眼差しは格段に強い気がする。
 私は肩を竦めて息を吐くと、ゆっくり後ろを振り返った。僅かに眉を上げた彼と絡まる視線。こちらを見ているのを確認した私は、出来うる限りの笑顔を作って見せた。
 さっと頬を染めた崎田係長は、傍目にも判るくらい動揺しながら視線を外す。
 ……まーったく、無意識にやってるから性質が悪い。
 前に向き直った私は、恥ずかしそうに目を逸らした彼を思い描いて、思わず笑った。
「ね。違うでしょう?」
 いつもと違う展開に、皆がぽかんとしている。
 これから質問攻めに遭うのを承知で、私は笑い続けた。
 今までずっと誤解させられたんだもの。ちょっとくらいからかって、話の種にしたって良いよね? 紛らわしい態度で振り回された分と同じだけ、翻弄してやるんだから。
 にっこり笑う私に、首を傾げた社員さんたちが、それぞれ顔を見合わせた。

                                          End

   

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