nishio3
拝島駅を巡る鉄道史
2008年7月6日に開催された多摩地域史研究会 第17回大会「多摩の鉄道史」
の発表要旨で「拝島駅を巡る鉄道史」三村 章氏(青梅鉄道資料調査会)の発表部分の中の
2.拝島駅に運ばれた多摩川砂利(p.6〜p.10)に「拝島駅に向かった2本のトロッコ」として、
「東京府砂利運搬軌道」とともに「西尾組砂利運搬軌道」(西尾砂利線)が掲載されていました。
以下「多摩の鉄道史」発表要旨からの引用
「西尾 保から拝島村役場に対し、砂利運搬用12ポンド軌条(レール)を村道に敷設したい旨
の申請が出されたのは大正13年3月5日。」
「青梅鉄道と西尾の契約 大正13年7月、青梅鉄道と西尾保は次の通り15年間の契約を締結している。
(略) 添付の図面(図2のB 西尾組専用線予定図)によれば、西尾組の軌道は軽便馬車軌道で、
多摩川まで約2.2kmとある。さらに多摩川右岸まで敷設したと思われる。」
「船で砂利採取 西尾組は昭和4年10月、拝島村に続いて南多摩郡加住村でも砂利採取の許可
を得るが、そこには機械船での採取とある。」
「その後どうなったか (略)西尾組はやがて第一砂利合資会社に引き継がれるが、青梅鉄道資料
には昭和4年12月以降の使用が今のところ見当たらない。他方、五日市鉄道の立川延長路線と砂利軌道
が立体交差している場所があることからも、その後も存続したものと思われる。一方で、五日市線
の砂利線(拝島支線)が昭和6年12月8日、西尾組採取地近くまで敷設された事実を考えれば、
青梅線ではなく、五日市線乗り入れに変更した可能性も高い。なお、五日市鉄道の立川延長線、
及び砂利線はともに昭和19年10月に廃止となっている。また、第一砂利合資会社は、第一石産として
現在も操業中である。」
引用終わり
路線図については、現在の地図上に描かれたものが掲載されていました。「昭島市域鉄道関連年表」で
古い地図に描かれていた路線図と現在の地図と照らし合わせて私が想像したものとは若干異なるようでした。
西尾 保という人は資料中の写真「西尾組の砂利採取許可書」によると(北多摩郡)拝島村の人でした)
西尾組は、現在も引き継がれ操業中なのですね。
戻る
次へ