加美上水橋の歴史
昭和二年二月、大正天皇の陵墓造営
に必要な多摩川石を運搬するため、福
生駅から多摩川の羽村境に至る一.八
km間の砂利運搬専用線が布設され、
通称ガードと呼ばれる鉄橋がここ玉川
上水にその姿をうつすこととなった。
このガードを日に二回電気機関車が
四、五輌の貨車を引いて通り、また、地
域の人々は枕木をわたり利用していた。
昭和三十四年十二月、砂利運搬停止
昭和三十六年三月、線路、架線撤去
昭和三十七年七月、福生町へ売却
その後、鉄板製の歩道橋に改良
平成三年三月、新東京百景にふさ
わしく欄干等を改良し加美上水橋と命名
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