武蔵田中〜拝島多摩川(〜八高線鉄橋)


(写真13-1)武蔵田中駅から分岐する砂利輸送の為の支線の廃線跡がある。


(写真13-2)曲線を描きながら多摩川方面に向かっている。


(写真13-3)団地の前を通り、拝島多摩川方面に向かう。
この先は健康ランドに至る。


(写真13-4)この先にあるバス停


(写真13-5)多摩川下流の八高線の多摩川鉄橋方面(逆方向)に足を伸ばした。


(写真13-6)この道も立川からの砂利輸送の為の貨物線(多摩川砂利木材鉄道)の廃線跡のようだ。
この先、マンションの先の堤防上に砂利産業の遺構があったようだが見つからなかった。 


(写真13-7)ここが右に向かう側線との分岐点と思われる。


(写真13-8)八高線多摩川鉄橋。八王子方面からの下り電車。


(写真13-9)この鉄橋では、太平洋戦争終戦直後、日本鉄道史上有数の重大事故があった。


(写真13-10,-11)中洲には残骸が残されていた。(H15.7.6撮影)


(写真13-12)その後、近くの堤防にポケットパークを建設する工事が行われていた。(H16.3.27撮影)


(写真13-13,-14)車輪は現場から引きあげられ、モニュメントに使用される。


(写真13-15,-16) この日は昭島市で、事故に関する講演会が行われていた。


(写真13-17)八高線多摩川鉄橋。拝島方面からの上り電車


(写真13-18)ポケットパークは完成していた。(H16.4.3撮影)


(写真13-19)


(写真13-20)


(写真13-21)八高線列車衝突事故(説明板)
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事故で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

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