はじめに

現在のJR五日市線の前身である五日市鉄道は、石灰石輸送を主目的に 大正14年(1925年)4月21日、拝島・武蔵五日市間(11.1km)が最初に開通し、 蒸気機関車が走りました。後に南武鉄道(現・JR南武線)と結ぶため、 立川駅までの延長が認められ、立川・拝島間(8.1km)が昭和5年(1930年)に開通しました。
青梅鉄道(現・JR青梅線)とは別の独自の線で、奥多摩街道に沿った集落を結びました。 立川・拝島駅間には、「武蔵上ノ原」「郷地」「武蔵福島」「南中神」 「宮沢」「大神」「武蔵田中」「南拝島」の8駅がありました。
旅客用にはガソリンカーが運転され、「五鉄」の愛称で親しまれた五日市 鉄道は、昭和15年(1940年)に南武鉄道と合併し、昭和19年(1944年) 4月1日には、太平洋戦争の影響で青梅線といっしょに国に買収されました。 そして、青梅線と並行して走っているという事情から、立川・拝島駅間は昭和 19年10月11日付けで休止路線とされました。昭和20年の初期に資材転用のため、 一部を除いて線路は撤去され、そのまま廃止されました。

平成13年(2001年)3月以降の五日市鉄道廃線跡「拝島・立川間」を歩き、写真に収めてきたものです。
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