abst8
花鳥風月
「花鳥風月」自然の美しい風景や日本のもつ風流という価値観の一面を表現する言葉としても使われる言葉です。最近
(とは言っても2002年の話ですが(^^;)でこの言葉に慣れ親しんだといえばケツメイシの楽曲でしょうか。ケツメイシは自分
がHip Hopと言われるジャンルの中でも1番好きなアーティストで、その中でもこの花鳥風月は最高峰の名作だと思って
います。カラオケでは別の盛り上がるヤツをよく歌うのですが(^^;
言葉というのは1人歩きして本来の意味とは別の意味合いを持ったりすることがしばしばあります。例えば「こじゃれた
格好」という言葉は元々「小戯れた(こざれた)」という事から「ふざけた格好」という意味だったらしいですが、今となって
は肯定的な意味合いで使われることが多くなりましたよね、自分もそうやって使っている一人です。そして、話を元に戻して
この花鳥風月という言葉も「人が年を重ねていく過程で愛でていくものの順番」という意味を聞いたことがあります。決して
一般的な解釈ではないかもしれませんが。
自分にあてはめると、ここ1・2年前ぐらいから「桜」という日本人の心に根ざしている花に惹かれている自分がいたり
しますし、桜に限らず外を歩いていると自然に花に目がいっている自分に気づいたり。まだまだ、風や月が1番心を占める
ところには到達していないのですが、風を感じ、月に癒される気持ちもなんとなく分かりますね。それでも、まだまだ花と
いう4つの中で一番煌びやかなものに1番惹かれている内は若造だ、ということなんでしょうが(^^;
そういった意味でこのMaNaPageをとらえると、こうやって更新している時に感じるのは花の時期を通り越した風や月の
時期、もっと簡単にいうと終末に向かっていく感覚なのかもしれません・・・いや、閉鎖宣言ではないですよ(汗)それでも、
一番盛り上がりをみせていた時期を考えると、静かに残しているこのページに明らかな折り返し後の過程を感じます。
ただ、この月の時期の感覚は決していやな感じではなく、むしろ心地よい感覚もあるんですよね。
このページが静まり返っている要因は明らかに自分が更新にかける熱量です。それでもそのことは今の自分にとって
さほど重要じゃないのです。自分の持てるエネルギーの大部分を注ぎ込んでいた花の時期、それはそれで充実していたし
楽しい時期だったのですが、こうやって家族にかける時間の傍らで自分のできる更新を淡々としていく。追加される情報より
明らかに削除されていく情報が多い状況も、決して自分の中では退化ではなくて過程なのです。
「何もないころに生まれ、だからこそ今に残る。何もないころに生まれ、だからこそ意味がある。」
※ケツメイシ「花鳥風月」より
我が子のように育ててきたこのMaNaPageは、個人HPも少なく、ましてブログもない、まさに何もないころに生まれました。
そのMaNaPageは、だからこそ残っていくことに意味があるのかもしれないし、今後もその意味を探しながらの道程を進んで
行きます。
2008・6・28 西田 まなブ