正岡 豊 まさおか・ゆたか
現住所 630-8126
奈良市三条栄町136-3 奈良ハイツ2-106
1962年、大阪に生まれる。幼稚園にあがる前に奈良に転居。
1980年前後 詩や短歌を書きはじめる。奈良の南都書林が最高の教師。
「あんかるわ」「エピステーメー」「遊」「現代歌人文庫」 「學藝書林版・現代文学の発見」等、ワンフロアになんでもあった。 別館がマンガと参考書になっていて鳥図明児のサイン色紙があった。 塚本邦雄選歌欄に短歌を投稿したり短詩型文学研究会「獏」に入会 したりしてるうちに高校を卒業。そのまま働く。
1985年前後 「短歌人」に入会して、関西短歌人歌会に出たり出なかったり。 帝塚山女子大の短歌書きの女の子と塔の大阪歌会にいったり、当時関西や名古屋で あったシンポジウムや他結社の歌会にいったりしていた。 このころの「短歌人」歌会は旧なにわ会館、「未来」は梅田の太融寺、「塔」の 大阪歌会は上本町の婦人センターなどで行われていた。
1990年前後 個人的事情で短歌ほか書くことをやめる決意をして、知人たちとも 関わりを絶つ。持っていたほとんど全ての本も捨てる。司馬遼太郎やスパイ小説を 読みふける。捨てられなかった自分の歌稿を本にする過程で、ひょんなことから 安井浩司句集『中止観』を読むはめに。そのとんでもない内容に、もう一度書くことを はじめようと思う。歌集は出来たがあまりのわかりにくさに愕然とする。
1995年前後 俺はこれ書いて死ぬんだ、と思いながら書いた安井浩司論を書き終え、 俳句結社をいくつか巡る。このころ初めて会ったり再会した俳人多し。はじめてパソコン を買って、しばらくしてパソコン通信をはじめる。おそるおそる電子会議室に再び 短歌を書きはじめる。南都書林は閉店し、古本屋のフジケイ堂が新情報源に。
2000年前後 ホームページを開設するがネットの普遍化とともに陳腐化していく焦燥感に 「折口信夫の別荘日記」をはじめる。”短歌の神様”とのひとりSMプレイのような 内容をよく他人は読むものだと今も思う。「かばん」に入会する。ネット上でのひととの交流 が増す。1988年以来やったことがなかった「朗読」を再びはじめる。はじめてみたら若い ひとたちとの朗読に対する意識の違いに唖然とした。歌集が再刊されて、少部数だが完売する。
2005年前後 飛永京さんとの朗読ユニットがスタート。第一歌集が短歌雑誌に再録され、 一度も活字化されたことのなかった手書きコピー誌からの短歌作品などが増補される。
2010年ごろ 2007年ごろから父の病状が悪化し、家族総出で介護に追われる。精神的にも 経済的にも追いつめられる。事情で奈良市内に転居し、歌集のために用意していたお金は それに費やされる。父は何度かの入院の末、2009年9月に死去。またも葬式代とかが。 あまり本意でなかった転居のため、誰にも転居先も知らせず、歌もネットからもほとんど 遠ざかる。ネットゲームだけをする日々がしばらく続く。2010年ようやくミクシイに 再ログイン。日記や歌も書き始めるが、そこからまもなく自分の人生での「最後の恋」がはじまる。 なんで「最後の恋」とわかるのか? といったひとがいるらしいが、こんな感情の高揚や懊悩が 四度も五度もあるように人間はできていないと思う。とりあえず体重は5キロ減ったよ。
うつくしき耳の女よ「たたかいはまだはじまったばかり」と言えよ 正岡豊:1990年以前作
という歌はもう昔のことで、「はじまったばかり」とはいえない年齢にはなりましたが、 きみとの人生は、まだはじまったばかりだ。きみがほんとうに疲れたときは、卵も蜜柑も ぼくが剥くから、「朝が約束をしにやってくる」のを、ずっとこれから二人で、みつめ させつづけてほしいと、切に願う。
平成22年12月4日更新:最後の部分はプロフィールじゃないと思うに一票
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