『 That's one small step for mankind、one giant leap for him 』



 ヒーローTVの創設者アルバート・マーベリックが起こした事件は、シュテルンビルドの市民に少なからぬ衝撃を与えた。と同時に、暴かれたヒーローTVの裏に隠された真相に、市民は落胆し、ヒーローに対する信頼は地に落ちた。アポロンメディアはヒーロー事業からの撤退を余儀なくされ、所属する二人のヒーロー。
 一人は真っ赤なヒーロースーツに身を包み、鮮烈なデビューを飾ったルーキー。いつもスマートで鮮やかに事件を解決し、レジェンドの記録を塗り替えた元キング・オブ・ヒーロー、バーナビー・ブルックス・Jr.。
 もう一人は、彼の相棒。人気・成績ともに落ち目だが、無骨な正義を愚直に信じる正義の壊し屋、ワイルドタイガー。
 二人がヒーロー界初のコンビとして話題を攫った。それもほんの二年前のこと。
 だが現在、彼らは人々の前から姿を消している。
 
 それから、半年。


『さぁ、今夜も始まりましたヒーローTVライブ。シュテルンメダイユ・ブロンズ地区で強盗事件が発生。犯人は武器を持ったまま車で逃走しています。さて、今日のヒーロー達はどんな活躍を見せてくれるのでしょうか!おおっと、真っ先に到着したのは――――キング・オブ・ヒーローのスカイハイだ!!』
 テレビ画面から飛び出してくる大げさなナレーションに虎徹は腕組みしたままで目を細めた。
 マーベリックが逮捕されてから半年が経った今でも、ヒーローTVは存続している。
 以前の熱狂的な人気は無いが、それでもヒーロー達は地道に犯罪者の逮捕と人命救助を続けていた。これがただ単に人気取りのためだけだったら、きっと挫けていただろうけれど、彼らはそうではなかった。
『誰かに評価されたくてヒーローをやっているんじゃない』
 皆、言葉にこそしなかったけれど、この言葉を胸において戦っていたのかもしれない。だから市民から避難を受けても挫けなかった。事件のあとも変わらないその姿は、少しずつではあるが、あの悪夢を市民の心から覆い隠し、ヒーローへの期待を取り戻していった。
 と同時に、人々はそこに“彼ら”がいないことに一抹の寂しさを感じるようになっていた。
 バーナビーを責める声が無かったわけではない。実際、彼はマーベリックの援助でヒーローになった。そしてデビューシーズンでMVPをとり、次々と記録を塗り変えた。それらの活躍が全てマーベリックが仕組んだものではないか、そんな疑惑も取りざたされた。
 
 だが、人々は忘れられなかった。
 彼の涼しげな美貌も、テレビの中で向けられる爽やかな笑みも、正義感溢れる人柄も。
 
「なんか、すっかり遠いところに来ちまったなぁ」
 虎徹はトレードマークのハンチングを目深に被り直して呟いた。そしてダークグレーのスーツの袖を捲って、時計を見る。八時半のゴールデンタイムに生中継なら、視聴率は高い。良い傾向だ、とほくそ笑んでマイクに向かって呼びかけた。
「斉藤さん、スーツの調整は?」
 トランスポーターのラウンジにあるモニターで始まった中継を見ながら、虎徹は変身ルームにいる斉藤を呼び出した。
『もちろん、完璧だよ』
 インカム越しに大声が響いて、虎徹は思わず仰け反った。まったく、マイク越しだと声がでけぇな、何度聞いても呆れるが、しかし地声だと小さすぎて聞き取れないのだから、利便性を考えて、こういうことになった。自分の鼓膜が持てば良いがな、と独りごちた。
「了解、いつも有りがとな」
 そういうと、斉藤はニヒッという笑い声を発てた。
『お礼なら、アイスクリームでいいぞ』
「OK、じゃあこれが片付いたら、みんなで食いに行こうぜ!」

「さあさあ、こんなところで油を売ってないで、スカイハイに先を越されてしまったではないですか」
 パンパンと手を叩きながら上等なブランド物のスーツに身を包んだ男がやって来た。それに対して、虎徹が自信たっぷりに返す。
「大丈夫だよ、ロイズさん……犯人が逃げ込んだ狭い路地、ここじゃスカイハイの売りの飛行能力と機動性が生かせない」
 しかも現場はここからすぐだ。
 今からスーツを着用して出動しても五分で到着する。挽回は可能だ、と虎徹は踏んでいた。
「しかし、他のヒーローみ見せ場を持って行かれては……ビジネスは最初が肝心なんだよ、ここでスポンサーを失望させてしまっては、契約が続かない」
 ロイズは人差し指を立てて、ずぱりと言ってのけた。虎徹はそんなことは百も承知しているが(なにせ十年間もスポンサーに頭が上がらなかったのだから)、この男に言われるとまたぴしりと引き締まる。
 ヒーローには金が掛かる。しかし金を出すスポンサー企業はある意味第三者であり、利益にならないと踏んだら金は出さない。やっと見つけたスポンサーも今日の出来次第では白紙に戻るかもしれない。ロイズの現在の心配はそこだった。大企業に所属すれば、安定委した親会社の資金を充てに出来るが、この会社は虎徹個人の退職金と数人の個人出資者のみの小さな会社だ。とても自己資金ではヒーロースーツのメンテナンスなど到底金が足りない。だからスポンサーが降りればそこで、ジエンドだ。
 大企業の後ろ盾がない弱小には辛いところだ。
 だが、虎徹はそこら辺は心配していなかった。
 ヒーロー活動だけに特化すれば……社員も最小限に出来る。事務所もブロンズ地区に借りた。小規模だから出来ることだ。そうすれば、あとはヒーローの知名度と人気で、金は集まる。
「ここはコイツの勘を信頼しようじゃないか」
 そう言ったのは、虎徹の隣に座った太った黒人男性だ。
「そうやって放置してきたから“正義の壊し屋”なんて不名誉なあだ名が付いてしまったのではないかね、それでスポンサーを満足させていたといえるのか、賠償金ばかり膨れあがって……それでは今後はやっていけないと私は」
「スポンサー様は大事さ。だがなぁ過度な迎合は腐敗の温床だ。俺はそうやって身を持ち崩したヒーローを何人も知ってる」

「まぁ、まぁ、ロイズさんもベンさんも熱くなんなって」
 二人は、ぎっと睨み合った。
「この男とは組めねぇ」
「こんな男とは組めませんね」
 実際、ロイズとベンは大体いつもぶつかっている。いい年をしたおっさん同士に頭の上で争われては、さすがにげんなりしてしまう。だが、二人とも仕事に関しては優秀だ。ロイズはアポロンメディアで培ったマスコミに対するノウハウと事務処理能力があるし、ベンは十年以上ヒーロー界に身を置いて酸いも甘いも知り尽くしていた。そして何より虎徹にとっては駆け出しヒーロー時代から、最も狂しい時に支えてくれた恩人である。
 二人とも頼りにしているのだ。



 さて、どうやって宥めるか……こういうの苦手なんだよなぁ、と内心溜め息をついた時、アルバイトの少女が入ってきた。
「あの、皆さん……コーヒーお持ちしましたけど」
 おどおどとたたずむ少女からコーヒーを受け取りながら、虎徹は呆れた。
(まったく、どっかの誰かさんたちみてえだな)
「サンキュー、マキちゃん」
 声を掛けると、ほわんと柔らかい笑みを向けてくれる。やっぱりバイトは女の子にして良かった、と虎徹は一人満足した。マキちゃんというのは虎徹が付けたあだ名だ。バイトの面接の時、彼女がよく虎徹達が犯人を逮捕した事件に遭遇していたと聞いたので、「よく巻き込まれる」からマキ子と呼び始めたところ、スタッフ全員がそう呼び始め、いつの間にか定着してしまった。


「あ、バーナビーさん」
 その時、ラウンジへ真っ黒のアンダースーツを着たバーナビーが入ってきた。
「バーナビー君、体調は万全かね」
「しっかり働けよ、若造」
 バーナビーは無言で頷くと、虎徹の正面に立った。
「いよいよですね」
「おう、気張っていけよ」
 虎徹はバーナビーの胸を拳で叩く。
「再デビューの感想は?」
 バーナビーは緑色の瞳を伏せて、じっくりと噛みしめて味わうように胸元を撫でた。
「正直、もう一度このスーツを着れるとは思いませんでした」
 バーナビーは顔を上げて、真っ直ぐ虎徹をみた。
「全部あなたのおかげです……あなたが、この会社を作ってくれなかったら、僕を雇おうなんて会社はなかった」
「その代わり、アポロンより給料は安いが、それ以上に働いて貰わねぇと困るがな」
 ぐしゃぐしゃと綺麗に整えられた髪を掻き回す。ふっとバーナビーが微笑んだ。その場の空気も同時に和む。
「お前には、これからじゃんじゃん活躍して貰わなきゃ困るわけ。俺たちは始めたばっかの弱小企業で、借金ばっか貯まってる。お前が人助けしてポイント稼がないとスポンサーから金が貰えない。つまり俺は借金が返せず破産すると。だからお前は他のことは何も考えるな。そんでもって、絶対に無茶はするなよ!お前が怪我とかすると死活問題なんだぞ。俺たち全員の生活が掛かってるんだからな!」
 すると、ベンとロイズの口から同じような溜め息が零れた。
「お前がそれをいうかな」
「君がそれをいうかね、社長」
 ベンとロイズが互いに見合う。
「奇遇ですな」
「俺は、初めてお前さんに共感したぜ」
「……うるせぇ」
「身から出た錆ですね、虎徹さん」
 今度は、全員の口から笑い声が零れた。






「あー、バーナビースーツ着るだろ」
 虎徹とバーナビーは二人で変身ルームへ消えた。
「なんですか、一体」
「俺はなんだ?」
「あなたは……僕が所属する会社の社長で、僕のボスだ」
 バーナビーをアポロンメディアから引き抜いたのは虎徹だった。ついでに斉藤とヒーロースーツとトランスポーター一式その他ヒーローに関する設備を買い取った。ライバルである大手に譲るのはさすがに支障があるし、不要になった設備の売却先に苦慮していたたアポロンメディアにとって、渡りに船だった。
 ついでに元上司のロイズと元々上司のベンを引き抜いた。
 そして虎徹は会社を興した。もう後には戻れない。
「それだけ?」
 こつんと額を合わせた至近距離で見つめ合う。
「あとは、最愛の人です」
「良い答えだ」
 今度は額ではなく唇に口づける。

「勘違いするなよ、俺はお前を責めたりしない。お前は悪く無いと思うからだ。だけどな」

「あの事件は、マーベリックが創ったヒーローTVに安住していた俺たちヒーロー全体の責任だと俺は思うよ。俺たちは何もしなくても活躍する場があって、ポイントさえとって目立てばネクストでも認めて貰える盲目的に信じていた。汚いことに目を瞑ってもな」

「あの事件で、ヒーローの信頼は地に落ちた。その信頼を取り戻せるのはお前しかいない」
 一度失われた信頼を回復するのは、新しく築き上げるのよりも難しい。そのことは虎徹が身をもって知っていた。
 だが、やらなければいけない。
 その決意が、この半年虎徹を動かしてきた原動力だ。
「分かってます。この命に代えても実現してみせます」
 バーナビーの翡翠色の瞳は澄んで、悲壮な決意を浮かべていた。その様子に虎徹の胸は僅かに痛む。
 俺はまた、コイツを追い詰めているのではないか。
 その疑問はこの計画を思いついた最初からあった。
 本当は、もう静かに休ませてやるべきなのかもしれない。誰も知らない田舎にでも引っ込んで暮らすのもいいのではないか、と真剣に考えてもみた。
 だが、バーナビは「ヒーローを辞めたくない」と言った。だったら、どうにかしてやるしかないだろう。
「なに、湿気た面してんだよ、ハンサムが台無しだろが」

「俺、やっぱヒーロー好きだからさ」
 虎徹にとって、レジェンドは今でも最も尊敬する人物だ。たとえ、晩年、彼が八百長していたとしても、子供の時に助けてもらった感動は色褪せなかった。
 だが、目をそらしても駄目だ。
 それでは今までと同じになってしまう。
 そうではなく、もっと格好いいヒーローにすること。
「お前の格好いい姿をもっとみせてくれよ」
 そして、俺に信じさせてくれ。
「あと、ぶっちゃけお前がガンガン人助けしてキング・オブ・ヒーローになってくんねぇと、まじで借金返せねえんだよ」

「それは僕の問題でもあります。なにせ出資者ですから」

「じゃあ、僕行きます」
「おう」
 変身ルームから出ようとしたときだ。
「虎徹さん」
 バーナビーは手を伸ばすと、ダークグレーのスーツの手首をきゅっと掴んだ。ついでに細い腰を引き寄せて、きゅっと抱きしめると、軽く唇を盗んだ。
「そのスーツ、初めて見ました」
「楓がさ、これ着てけって。今日は終わってからインタビューがあるからさ」
「勝負服ですか」
「そう、今日からこれが俺のヒーロースーツだ」
 バーナビーは艶然と微笑んだ。
「そそりますよ……脱がすのが楽しみだ」
「いってろ。ヘマしたら指一本触らせねェからな」
「なら、本気でいきますね」
 息をするより自然に、二人は軽口を叩く。



 タイガー&バーナビーは新しい一歩を踏み出した。それは小さな歩みだったかもしれないが、彼らと、シュテルンビルドにとっては大きな一歩になった。
 ――――かもしれない。


++ end ++



2011.8.24:初出(pixiv)
2011.10.19:サイト掲載