『 正義の声が聞こえたから 』



「鏑木・T・虎徹、お前だけは許さない」
 目の前で四つん這いになって蹲る古臭い青いヒーロースーツもどきを身に纏った犯罪者に冷たい一別を加えて、バーナビーは立ちふさがった、嘲笑を受けて見上げた鏑木・T・虎徹がにやりと強がりの笑みを浮かべた。屋上を吹き抜ける乾いた風に、青いヒーロースーツのマントが揺れた。
 ヒーロー達の攻撃に、虎徹の身体はもうぼろぼろだった。だが、男は立ち上がろうと膝を立てた。
 本当に痛いのは身体じゃない、虎徹は胸に手を宛てバーナビーを見る。
「本当に、忘れちまったのか、バニー」
「気安く呼ぶなっ」
 バーナビーの右足が虎徹の鳩尾に入る。ぐっと声にならない悲鳴が漏れる。容赦なくもう一発。つま先が内臓にめり込んで、そして、もう一発。肋骨が二三本は折れているだろうが、内蔵をやられたら不味いので、背を丸めて庇う。
 しかし今度はバーナビーはその背中を数度続けて蹴りつけた。
 息が止まるほどの衝撃が虎徹をおそう。折れた骨の痛みよりも、心の方がずっと痛い。
(お前まで、俺を忘れちまったんだな)
 容赦ない攻撃に、認めたくない事実が突きつけられて、虎徹は唸った。

 こうなったら――――最後の手段を使うしかねェか。

 虎徹の脳裏に、ベンとの会話が蘇る。

『これを使うのか、虎徹』
 ベンの言葉に、虎徹は静かに頷いた。
『どうなっても良いんだな』
『ああ、俺はどんなことをしても、あいつの記憶を取り戻したい』
 そうか、とベンは首を振る。
『決意は固いようだな。なら、俺も協力するさ』
『ベンさん……』
 思わず目頭が熱くなる。こぼれ落ちそうなものを堪えるために虎徹は精一杯の笑顔を作った――――
 ベンが手に持っていたもの、それは古臭いCDラジカセだった。



「バーナビー」
 突然名を叫ばれて、バーナビーは顔を顰めた。犯罪者に呼び捨てにされる言われはない、嫌悪感に怒りがこみ上げる、しかし男は悪びれず、真っ直ぐにバーナビーを睨んだまま全力で吠えた。
「お前が俺を忘れても、歌は消えない――――忘れたくても忘れられない、俺たちの――――」


 チュラッチュララチュラッチュララ

 どこからともなく、音楽が大音量で響き渡った。殺伐とした雰囲気を吹き飛ばす脳天気で明るいリズム。特徴的な電子音。それに続く弦楽器の前奏、疾走感溢れるリズムにのって高い男の声が響いた。
 思わず、バーナビーの動きが止まる。
『快適ならば何より――――』
 それは、よく知っているはずの曲だった。それもそのはず、タイガー&バーナビーのコンビで出した初めてのCDの曲だった。どうして、この歌を?疑問に思ったバーナビーの耳に、今度は別の男の歌が響いた。
『いつもの角を曲がって――――』
 バーナビーの声より僅かに低い。だが柔らかい声音。
(これは――――ワイルドタイガー……)
 当然のことだが、一緒に歌ったのはバディであるワイルドタイガーだ。だが――――
 この声は。
(なんだ、この歌)
 これは確かに自分の歌だった。ジャケット写真も歌詞も一字一句覚えている。だが、記憶にあるものとは全く違う。――――いや、たった今まで記憶になかった。忘れていた?
 爽やかさを絵に描いた、嫌、音にしたような歌だった。これを自分とワイルドタイガーが歌っていたのかと思うと背筋に薄ら寒い震えが走る。羞恥心と嫌悪感。だが、これも仕事だと割り切ればなんとかやれないことはなかった。だがしかし、忘れた頃に聞くとその破壊力は半端なかった。いっそこのまま何処かへ消えてしまいたいような。バーナビーはぎりりと歯を食いしばった。
「なぜ、こんなモノを――――」
 やめろ、止めてくれッ。バーナビーは耳を塞擬態衝動を必死で耐えた。

「俺たちの歌を聴けよッ、バーナビー!!」
 いつの間にか立ち上がった、男が再び吠えた。



「こんなこっぱずかしい歌、そこに海老野郎に歌えるかってんだッ」
 思わず、隣にいるワイルドタイガーを見た。彼は無言で首をこきこきと動かしている。動揺した様子は全くない。ふとそれに違和感を覚えた。どちらかといえば、歌うのを嫌がっていたのはワイルドタイガーの方だったはずだ。
 すると虎徹が話し出した。
「俺は歌なんて歌いたくなかったよ、でもお前が仕事は選ぶなっていうから、仕方なく歌ったさ。レッスンだって真面目にやった。お前は滑舌が悪くて何度も注意されてたけど、俺は根気強く付きってやっただろ。お前、プレッシャー感じると滑舌悪くなるから、そんなお前をリラックスさせてやろうと――――」
「嘘を吐くんじゃない!」
 バーナビーは無意識に叫んでいた。
「足を引っ張ったのは、あなたじゃないか!」
 自分の言葉に驚いて目を剥く。
 青いマスクに覆われた口ににやりと笑みが浮かぶ。

『どんな時も忘れないで――――』

 忘れていたのは、歌だけか?
 バーナビーの脳裏に過ぎる記憶。レコーディングに虎徹は遅刻した。しかも歌詞を間違えて十回もリテイクしなければならなかった。僕の歌を『ちゃらちゃらした歌』といった。僕が歌っているときに変な顔で笑わせようとしたり……本当に呆れた。
 リラックスさせようとしたとか、いつも余計なお世話ばかり。
 そうだ、いつもそうだった。
 現場ではつまらないミスで脚を引っ張るくせにこう言う時ばかり先輩面で世話を焼く。それも的外れな。

『それはまるで当たり前に 受け取る愛と同じさ』

 そんなことを当たり前のように繰り返していたんだ。僕たちは。
 僕たち。
 僕たちというのは誰のことだ。
 一人は僕で、もう一人は――――
(こいつじゃない)
 ふとバーナビーは隣に立つ黒と赤のヒーロースーツを見た。顔を覆うマスクには一切の表情がない。コイツがこんな歌を歌うなんて想像できない。いやできっこない。ありえないのだ。ワイルドタイガーは、いつだって鬱陶しいくらい熱い男だったはずだ。凝視するバーナビーに対しても、黒いスーツの男はまったく反応しない。それを初めて不気味だと思った。そう思った途端、ずっと視界を薄く覆っていた膜のようなものがすっと溶けてなくなって。

「――――おじさん?」

 世界が色を取り戻す。

『知らず知らず聞こえている 正義の声が今日も』


「虎徹さん」


 そうだ。
 僕たちの、正義の声は、ここに。

++ end ++



2011.8.28:初出(8月28日無料配布)
2011.8.28:ピクシブ掲載
2011.10.19:サイト掲載