『 イノセント・インパルス 』 02



 笑顔、という表情だとメカニックが教えてくれた。
 口角を引き上げて、白い歯を剥き出しにして、時折尖った犬歯を覗かせる。面白い時の笑いに、穏やかな微笑み、卑屈な媚びを滲ませた薄笑い、挑発的な嘲笑、子供っぽく破顔したかと思えば、陰を含んだ微笑に変わる。笑いのバリエーションの豊富さに脳がくらくらした。意味を理解するだけでもかなりのメモリーを消費してしまうだろう。
 
 
 生まれてこれまで、毎日のようにワイルドタイガーの映像を見せられてきたから、ある日自分がワイルドタイガーと呼ばれて、彼の相棒であるバーナビーと並ばされたときでも、然程違和感を感じなかった。
 むしろ、ああそうか、とすとんと納得できたのだ。自分はワイルドタイガーになるために造られたのだと。
 この外見は、この男のパーソナルデータを元に作成されている。顔貌・目の色・髪の色・身長、ほとんど同じだ。肌色だけは若干濃いめだが、そんなことは些細なことだった。スクリーンに映し出される鏑木虎徹の映像を見て、初めて自分の動く姿を知った。その動きを記憶の中でトレースする。この研究室から出るときには、完璧にこの男と同じに振る舞おう。彼は目の前のスクリーンに映し出された映像を凝視する。既に同じ映像を101回見ている。それは、ヒーローTVのVTRだった。緑色に発光したヒーロースーツを着たワイルドタイガーが、高層ビル群の隙間を、ワイヤーを使って器用に移動していく映像だった。その姿はジャングルにに棲む猿を連想させた。動きに無駄が多い。
 ハイウェイを疾走している。やや外側に膝を開いた独特の走り方。そんな走り方では力が効率的に伝わらない。飛行船に飛びついたり、モノレールのレールを曲げたり、その行動はとてもスマートとは言えない。ヒーロースーツの性能を生かしていない。ワイルドタイガーの能力はパワー系のハンドレットパワーだ。だから自分ならそれに対抗、いや上回ることが出来る。そのように能力を強化されている。
 だが、何かが足りない気がした。
 理由を分析してみるが、納得のいく答えは導き出せていなかった。スピード・パワーどれをとっても自分の方が上だというのに。
 分からない。
 分からないからだろうか、こんなに気になるのは――――

「君がタイガーのことを知りたがっているからさ」
 ふと背後から声が掛けられたので、小首を傾げる。
「私が?」
 彼を制作したメカニックはとても小さな声で話す。だからセンサーの感度を最大にして会話しなければならない。
「あなたは私に馬鹿になれというのですか?」
「確かにタイガーは馬鹿だね」
 メカニックは小柄な身体を震わせた。
 その態度が意味も無く気に掛かり、思わず反論してしまった。
「あなたは私にデータを取り込みもっと賢くなれという。だが、知れば知るほど彼の行動パターンは愚かとしかいいようがない。私は学習しなければならない。それは賢くなるためのはずなのに、あなたは私に愚か者から学べという。それは馬鹿になれということではないか?矛盾しているではないか」
 するとメカニックは今度は得意げに顔を上げて、嬉しいよ、と言った。
「君は僕が想像していたよりも、ずっと優秀なんだね。矛盾は人間の一つの特徴だから」
「彼は矛盾している?」
「そうだね」
「彼は、私?」
「違う」
 メカニックは画面の中で変な顔をして写真に写っている男を指さしていった。
「これは鏑木虎徹で」
 次に、彼の頬に指を当てた。
「君は君だよ」
 その言葉を聞いた途端、胸の奥から息が吹き出す。
「よかった」
 私は、こんな愚か者にはなりたくなかった。

 このメカニックは、バーナビーの玩具の中に隠されていたバーナビー夫妻が造ったプログラムを、いまのボディに移植した人間だ。だからなるべくなら希望に沿うように行動したいと思う。だが、これだけは納得できない、とアンドロイドは思った。

 思えばそれが、私が自我というモノを意識した最初だった。鏑木虎徹になりきる。と同時に彼とは違う存在であること、そうありたいと思うようになった。


 *** *** ***


 そして今。

「鏑木・T・虎徹」

 その名を持つ男が、今自分の目の前にいる。



「お前、なぜ……?」
 開かれたスーツのマスクから驚いた顔が覗いている。驚きに見開かれた琥珀色の双眸に自分の姿が映っていることに気付い、さらに一心に魅入った。瞳孔に陽光が反射して光る。瞳孔の筋肉一筋一筋をたどる。光を反射して金色に光る眼球は機械である己の物とは似て非なる物だ。タンパク質を主成分として出来た水晶体で、高純度のクリスタルではないそれは、薄い水の膜を纏いいくらか青みを帯びていた。
「なんで、俺を助けたんだ」
 虎徹の眼孔が戸惑いに揺れている。物理的には何も変わらないというのに、背筋にぞくりと寒気が走った。虎徹から発散されている何かが自分を圧迫している。と同時に引きつけられた。彼の感情が自分に向けられているということに。
 アンドロイドは未知の事象に小首を傾げて考えた。
 何故、と問われれば答えなければならない。だが。自分でも分からないことでは答えようが無かった。
 ほぼ無意識と言って言い行動だった。
 バーナビーの記憶が戻った時、彼は自分では無く鏑木虎徹の手を取った。
 その時感じた失望は、今もまだ手脚の先まで小さな痺れとして残っている。神経が麻痺してしまったようだ。もう何も動かない、動かなくて良い。
 だが、その時、虎徹がいるすぐ後ろの壁から小さな瓦礫が落ちてくる。だが、虎徹はそれに気づかない。おそらくはバーナビーの陰になって見えないのだ……
 それに気づいた時、身体が勝手に飛び出していた。



「なにやってるんですか?!」
 バーナビーの高い声が響く。そんな大声を出してはまた瓦礫が崩れるかもしれない。止めようとするが、巧く声が出なかった。はくはくと唇が動くばかりで、音声は出ない。仕方が無く重い手足を動かしてジェスチャーで伝えようとするが、大きなコンクリートの塊が胸から下を押さえつけていて動けない。
 不意に僅かに圧迫感が軽くなる。
 不審に思って反対を見ると、そこには緑色のスーツを着たワイルドタイガーが瓦礫の橋を持ち上げようとしていた。
「助けるんだよっ」
 そんなことは無駄だ、と思った。彼のハンドレットパワーはもう使えない。スーツで補強されているとはいえ、ハンドレットパワー無しで動かせるような重さではなかった。それは瓦礫をもろに受け止めている身体が一番よく理解していた。
 まだ、聴覚は生きているようだ。不鮮明だがバーナビーと、鏑木虎徹の声が聞こえる。どうやら自分を助けようとしているようだ。
 何故、と疑問が浮かぶ。
 何故助ける?
 私は目的を達成出来なかった。バーナビーは鏑木虎徹を選んだのだ。彼の記憶は戻り、本来の自分を取り戻した。私は幸せだ。同時に自分がもう幸せそうに笑うバーナビーを見ることが出来ないのが残念でならない。
 彼と出会ってから、バーナビーの部屋には様々な不要品が増えた。ピンク色の兎のぬいぐるみや、破れた襷、バーナビーはそれらを大事に物入れに仕舞い込んでいた。私は、部屋に増えた仲間達を喜んでいた。
 もう、独りではない。
 だから、大丈夫だ。
 もう、私は必要ない。
 
「そんな必要ないですよ。コイツは貴方に成りすまして、殺そうとしたんですよ!」

 そう、それで良い。
 アンドロイドは僅かに口角を上げてみた。映像の中で鏑木虎徹が嬉しい時にしていた顔だ。それを自分でも試みる。
 
(ハ、ナ、レ、ロ)

 瓦礫が崩れるのは時間の問題だ。このままでは彼らまで崩壊の巻き添えにしてしまう。それだけは避けなければならない。
「……、……」
 なんとかそれだけは伝えたくて音声にしようと試みるが、もう既に音声回路はいかれていて音が出ない。音が出なくてもなんとか伝えられないか、その時、鏑木虎徹と目が合った。
 とても暖かい、と感じた。
 べつに触れた訳でも無いのに、何故か理解されたような不思議な安心感がある。 
 さっきまで本気で戦っていたというのに行動原理が曖昧で理解に苦しむ。
 
 この男を壊せば、自分が鏑木虎徹になれる。バーナビーのパートナーとして隣に立てる。ずっと守っていける。そう考えた途端、得体の知れない破壊衝動が私を突き動かした。動かないはずの右手が動き、鏑木虎徹の首を掴んだ。
 この男をどうしたい?
 倒したいのか?
 それもある。
 だが、それだけでは何かが足りない。
 この男になりたいのか?
 それもある。
 殺意・憧憬・羨望・嫉妬、複雑に絡み合ったそれらの衝動の根源が何か、分からない。
 お前を壊せば――――
 もう、あの笑顔を見ることはできない。
 手に入るモノと、失うモノと。そのどちらもが無性に欲しくて、苦しい。
 
(タ、ス、ケ、テ)

 気がついたら、埒もないことを口にしていた。こんな意味不明な衝動は要らない。自分が自分でなくなってしまう。
 鏑木虎徹の目が驚きで見開かれる。それから力強く頷いた。

「どんなことをしても助けるぞ、バーナビー」
 バーナビーの顔が信じられないという風に歪んだ。
「コイツは、お前の両親の夢なんだろ」

「お前の――――」

 それが限界だった。
 もう掴んでいられなくなり、右腕は力なく地面に落ちていた。赤い腕が自分を庇うように瓦礫を掴むんだ。
 
 
 最後に、一目だけで良い。この目に焼き付けていたかった。どうせ破壊されればメモリーに保存されたデータは消える。機密保持のためそういう風に出来ている。
 それでも最後の瞬間まで、バーナビーから目を離さない。すべてを壊れかけたメモリーに焼き付ける。
 最初に、抱きしめてくれた柔らかい手の感触も。時々、両親のことを思い出して、私を抱きしめて泣いていたことも。全部まだこの中にある。
 私たちはずっと一緒だった。
 私は、バーナビーのことだけを見ていた。だから君のことはよく理解しているつもりだ。本当はとても真面目で寂しがりやだということも。
 
 ああ、でもそろそろ限界だ。
 鮮明だった映像にノイズが走る。それは次第に大きくなって、最後には中心から真っ白な光に飲み込まれ。
 
 そして。
 
 ああ、瞼が熱い。
 ついにはセンサーもいかれてしまった。私には、泣く、という機能はないのに。何故だろう、目頭から熱い液体が零れた。


++ end ++



2011.8.31:初出(pixiv)
2011.10.19:サイト掲載