※一部に男性同士の露骨な生描写が見られます。18歳以下の方は閲覧しないで下さい。
(この回にはありませんが)

※ 劇場版のネタバレを含みます。
※ 2期最終回から劇場版までの話です。



『 ノクターン―飛翔する用意はできていた 』

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 まだ眠気のせいで僅かに焦点が合わない目を擦り、じっとグラハムの顔を見た。殴られて腫れあがった頬は、ふっくらして元の白さを取り戻していた。傷は完全に治っている。刹那はほっと胸を撫で下ろした。グラハムの怪我は顔の打撲と肋骨と大たい骨の骨折。この程度の傷なら、この島の医療設備を使えば、2日もあれば動けるようになるだろう。問題はそこではなく。
「怪我人は寝ていろ」
 グラハムは地下の治療室で眠っていたはずだ。刹那は治療が一段落したので少し仮眠を取ろうと地上のコテージに上がったのだ。あの爆発のあと、眠らずにこの島までフラッグで移動したので、さすがに疲れを感じ始めていたから。ただ異変がおきたらすぐ起きられるようベッドではなく長椅子に座っていたはずだ。それなのに、何故ベッドにいるのか?糊のきいたシーツの冷たい感触を手のひらに感じて、考えられるのはひとつしかない。
「ロックはどうした?」
 見下ろしていたグラハムが肩を竦めた。
「気が付いたら治療ポッドに寝かされていたので、驚いた。が、痛みもないし、脚も動くし、動いてもいいかと思ってな」
「……勝手に動いたのか……」
 相変わらず無茶をする……時計を確認すると時刻は午後3時を過ぎていた。ということは、2時間ほど寝てしまっていたらしい。溜息を吐いた刹那に、グラハムは小声で、誰も咎めなかった、と言って朗らかに笑った。底抜けに影のない笑顔で、カーテンが揺れて薄暗い部屋に南国の風が吹き込んだ。塩の匂いと甘い花の香りが鼻孔を撫でていく。それで怒気を抜かれた。久しぶりの島の香りに、すーっと心が落ち着いた。
「無理をするな」
 小声でボソリと呟くと、グラハムはまったく悪びれた様子はなく。
「なに、礼はいらん。君一人くらいなら訳はない」
 などと言いだし、腕を曲げてジャブを打つポーズをとるのでヒヤリとさせられる。長椅子からベッドまで運ぶなど、大した距離ではないが、それでも大の男一人を運ぶのだ、怪我人にそんなことをさせたこともさることもさることながら、気付かなかったことと、簡単に運ばれてしまったことが悔しい。どうせなら逆が良かったのに。彼が目覚めた時そばにいたいと思っていたのに……これではあべこべだ。なんだかすごく虚しい。
 グラハムが刹那の肩を抑え付けていた右手で、額に掛かる前髪を払って真面目な顔で聞いてきた。
「あの後、モビルスーツで運んでくれたそうだな」
 爆発車から救助したあと、夜まで待ってそのまま太平洋を越えた。燃料は十分あったので助かった。グラハムはベッドに腰掛けて、身を乗り出して刹那の顔を覗き込んできた。横たわる刹那からは、彼の傷のない白い顎からふっくらとした円い耳までのラインが見えるが、部屋が薄暗いために表情は良く分からない。室内には電気の照明はなく、白い紗のカーテンが掛かった窓と、入口から入りこむ自然光だけだ。コテージのまわりに植えられている椰子の葉で遮られて、直射日光は届かない。先程感じた塩の匂いは椰子の林を縫って届いたのだろうか。また甘い花の香りもする。
 ふと、笑顔だけれどグラハムが怒っているような気がして不安になる。彼の意志を無視してこんなところまで連れて来てしまったからか。今頃は彼を探して騒ぎになっているかもしれない。
 だとしたら、傷が治ったらすぐにでも返してやらなければ……そう思った途端、胸が重く締め付けられるけれど、だからと言ってどうしようもない。彼には待っている友人がいるのだ、帰さなければ。しかしグラハムの指は止まらず、髪を梳き続けている。
「無茶をして……二日眠ってないそうじゃないか」
 叱るような口調とは裏腹に髪をすく指は何処までも優しくて、あやすように労るように、そんなこと不要なのに、何故だか目の奥が熱くて、腕で覆って目を隠す。

「なぜ、あんなことをした?」
 グラハムは何も答えない。意味は分かっているはずだ。普段は煩すぎるくらいなのに、やっぱり今日のグラハムはおかしい。それとも、自分がおかしくなったのか……いうつもりなどなかった言葉がとめどなく流れて止めることができない。
「……死ぬつもりだったのか、と聞いている」
 するとグラハムはきっぱりと首を振った。だがそれだけでは信用はできない。
「なぜだ、何故お前は、そうやって自分の命を粗末にする。」
 その問いに対するグラハムの答えは刹那の想像とは違っていた。
「……絶体絶命な状況だというのは熟知していた。だが、なんとかなるか、とも思った」

 君がいたからだ、驚いて言葉もでない刹那の手を取り、グラハムは自分の胸に押し当てた。
「この奥に発信機があるのだろう?だからきっと君が来ると思った」
「……どうしてそれを……?」
 さらに予想外の言葉に混乱する。事態が理解できないまま、混乱した刹那の頭にもの凄い勢いで回転する。気づいていた?俺がグラハムのデータを追いかけていたことも?……一人で慰めていたことも?
 恥ずかしくて死にたい、と刹那は本気で考えていた時、グラハムが説明を始めた。
「精密検査を受けたんだ……なに長年の無理が溜まっていたし、一度きちんと検査をしようと。まぁ暇つぶしさ。そうしたらこの発信機が見つかって、かつてそのような治療を受けた記録はないし、他に何らかの医療措置を受けたことといえば……君のことしか思いつかなかった。つまりソレスタルビーングが私を監視するために施したのかと」
 二人の間の空気が張り詰めた。冷たい汗が米神の辺りに溜まって今にも伝わり落ちそうだ。そんな刹那をみて、グラハムが目を光らせた。
「ソレスタルビーングにしては随分幼稚な策だが……私の推測は正しかったようだな。一時とはいえ君らの施設にいたのだから、情報を漏らされることのないよう警戒するのは当然の措置だと理解している」
 カマをかけられた。勘がいい男だと表情を険しくすると同時に、刹那が独断でやっていることと、その目的はバレていないようで安心した。だが、面白くはない。グラハムの腕の力は緩んでいたので起きあがる。するとすぐそこに白いシャツを羽織った薄い肩が迫ってきて、刹那はそれを掴んで引き寄せると凄みを利かせた声でいった。
「だから、俺が助けに来ると?そんな根拠のない希望に自分の命を掛けたのか……」
「君ならば、可能かと思った。君のいい方を借りれば、根拠はないがね、だからと言って私はこの行動が無謀だとは思わんよ」
 グラハムの肩が震えている。
「ふふふ……私以上に、君のガンダムに熱視線を送り続けたパイロットはいない、ずっと君とガンダムを追いかけてきた私だからこその確信だ」
 にわかには信じられない言葉だった。敵であり仇であり、消えない傷をつけた俺を、信頼してくれたとは……嬉しかった。刹那は身体が熱くなるのを感じた。
 身体の奥で思いが熱いマグマのように膨れて、弾けた。決して口にするつもりなど無かったのに。
「……好きだ」
 自分の言葉に焦る。
 今更そんな風に思われていると知っても、気持悪いとか馬鹿ばかしいとか思うに違いない。
「……本気で言っているのか?」
 案の定、グラハムは怪訝な顔で刹那をみている。刹那は頷いた。すると今度は、意味をわかっているのか、と問うてきたのでもう一度頷いた。
 急にグラハムが自分のことをどう思っているのか気になりだした。これまでは自分の気持を整理するので精一杯で、相手の気持ちにまで思い至らなかったのだけれど。
 この男と対話がしたいという強い気持ちが湧いてきて、それが刹那に力を与える。刹那は脳量子波をとおして、グラハムの意識に入り込もうと試みた。しかし丁度その時、グラハムが両手で頬を覆って、触れるだけのキスをするので、ぱっと集中が途切れてしまう。
「そんな無粋な真似はやめたまえ……いい加減認めようじゃないか、」
 グラハムの唇が刹那の唇に触れた。柔らかい温もりはあっという間に離れてしまったが、余韻で暫く刹那の口は甘く痺れた。
「私は混乱している。慄いている。……ふざけるな、と叫びだしたい衝動と、消え入りたいような恥じらいが同時に存在して、頭の中がぐちゃぐちゃだ……だが、それは私自身の問題だ。自分一人で解決しなければならない。君が介入することは出来ない」
「俺は、」
 それ以上は声にならずにグラハムをベッドに押し倒した。金髪が白いサテンのシーツに散る。……どおりで甘い香りがするはずだ。ベッドには幾つもの白い花が散っていて、グラハムが押しつぶした花びらから強い芳香が散った。濃い緑色の硬い葉に、白い肉厚の花弁の中心に濃いオレンジ色の雌しべがあって、目眩がするくらい強い甘い香りだ。その官能的な香りに目眩を憶える。
 しかしグラハムは逃げることなく、真っ直ぐに刹那を見つめて、もう一度それは駄目だと拒絶した。
「私には選択する権利がある。君に何を伝えるべきか、何を伝えたいのか、伝えるべきか……上手く選べないこともあるが」
 一旦言葉を切りながら、ゆっくりと語りかけてくる。その声の穏やかさに誘われて、刹那はグラハムの頭を両腕で囲って、右頬の傷をそっと撫でた。
「例え上手くいかなかったとしても、心を尽くして考えること、それが思い合うということではないかな」
 そうだろうか。刹那はもし仲間や大事な人間が辛い思いをしているなら、その痛みを理解して少しでも軽くしてやりたいと思う。脳量子波を使えば、言葉よりももっと直截的に相手を理解出来るはずだ。それこそグラハムのように他人に痛みを見せない人間でも、労ってやることができるのではないか。皆がそうやって理解しあえれば世界はきっともっとよくなる、そう刹那は思うのだが。
 だがグラハムはそうではないらしい。
「なら、どうやって対話すればいい」
 脳量子波を使わず、どうやって人の心を知ればいい?あんたの心を。そしてこの身内でドロドロと渦巻く感情をどうしたらいい?好きだという言葉だけでは全然足りない。何もしなければ飲み込まれて暴走しそうだが、吐き出せば彼を失望させるのではないかと怖い。
 宥めるようにグラハムが言った。
「我々は、もっと言葉を交わす必要があるのではないかな」
 何を語る?そう問いかけると、グラハムはウムと唸って思案し始めた。刹那は額や頬に小刻みに口づける。
「……こら、止めたまえ私は真面目に考えているというのに……そうだな……たとえば、好きな音楽とかか?私はあまり聴かないから多くは知らないのだが……君がどんなのが好きか興味はあるな。音楽だけでなく、他のことについても、好きな色とか、食べ物とか。まずは、そんなとりとめもないこととか、私は話したい」
 そんなことを知って何の意味があるのだろか、しかし好きなもの、そういわれて真っ先に思いついたものがすぐ近くにあったので、手を伸ばして触れてみる。
「あんたの髪が好きだ、あと常磐色の瞳も」
 この肌も好きだ、と刹那はシャツから覗く首筋にキスをした。好き過ぎて、なんだか目の奥が熱い。少し強く吸うと赤い跡が残り、グラハムが身をよじらせて目をそらすので、可笑しくなる。今更、恥ずかしがることもないのに。しかしそんなことを意識する様子も可愛くて、つい苛めたくなって、刹那はこれまた大好きな丸い貝殻のような耳に口づけるようにして吹き込んだ。
「真っ白で、感じやすくて」
「……そういうことではなくっ。……したいのか……?」
 その問いかけには答えずに、煩い口をキスで塞いで、刹那はうっとりと微笑んだ。
「あんたはしたくないのか?」
 そう尋ねたら、更に顔を真っ赤に染めて、口ごもる。
「……馬鹿なことをっっ……」
「俺はしたい。あんたともっと一緒にいたい」
 素直になるとはこういうことで、言葉にすると面映ゆくて、舞い上がるほど幸せだった。

「歪んでいるか、俺は?」
 グラハムの髪から塩の香りがするのに気が付いた。先ほどから感じた潮の香りはこれだったのか……刹那は金髪を一房手に取って鼻に当てて嗅いでみる。すると彼の体臭と混じって潮の匂いがした。
「海に入ったのか?」
「傷も塞がったし、問題ないさ」
 それだけかと問い詰めると、グラハムは僅かに頬を赤くした。
「いいではないか、ちょっとした旅行気分を味わったって。この前は海水浴どころではなかったし……」
 ……海水浴、そんないきなり海水を浴びて大丈夫なのだろうか?懸念を口にすると、グラハムは大げさに目を見張ってみせた。
「なんと……君は意外と心配症だな!」
 可愛いなぁ、と叫ぶびながら突然抱きつき、頭をかいぐるから焦る。拗ねてなんかない、と何度も叫んでもグラハムは腕をほどこうとしない。ギュウギュウと抱きしめて、頬を擦り寄せる。すると耳の裏に違和感を感じた。指で探ると硬く冷たいものが触れた。外してみると、それはベッドに散っていたのと同じ花だったので訳を尋ねると、グラハムは小首を傾げてみせる。
「うん、テフラに聞いたのだが……前に沢山くれただろう?」
 花の中で眠る君は、本物の眠り姫のようで起こすのが勿体無かった、と歯の浮くような台詞を吐いたグラハムが、そっと刹那の額にキスをする。
「君に幸せがおとずれますように」
 そして白い花のような頬を綻ばせて笑った。この笑顔を一人占めしていいのだろうか?戸惑いは消えないけれど、彼はいいという。ならば、違う、と塩辛い耳に言葉を吹き込んで頬を緩めた。
「俺たちに、だろ」
 問題は何一つ解決している訳ではないけれど、その言葉に、甘えてもいいのだろうか。
 甘えるのは怖い。
 心を許した途端、失うことが怖くなるから。
 だが、それを認めないと、どこへも進めないから。認めようじゃないか、刹那は決めた。悩んで悩んでパンクするくらいなら、開き直るほうが建設的なのかもしれない。



「こら、そこでどうして服を脱がす?!」

「怪我が完治したか確認する」
 シャツのボタンを次々に外していくと、グラハムが身をよじらせて声を立てて笑った。
 
 傷が治っていたら、一緒に海で泳ごう。
 それから、とりとめもない話をして、一緒に眠って。そんなことが例えようもなく大切に思えて、刹那はグラハムの心臓の上に口づけた。この鼓動は今確かにココにある。それがこんなにも愛しい。
 そうして二人は、海より先に、互いの腕の中の温もりに溺れていった。

*** *** ***

 フラッグでの初めての実戦を終えて帰還した刹那が第一格納庫のデッキへ飛び移ると、待っていたフェルトが話しかけてきた。
「お疲れ様、刹那」
 差し出されたドリンクを受け取って、刹那もお疲れと返す。するとフェルトが驚いた顔でじっと見つめてくる。
「どうかしたか?」
 見つめ返すと目をそらして俯かれた。体調でも悪いのだろうか?心なしか顔も赤い気がする。もし風邪でも引いたなら、スメラギに報告して対処して貰わなければならない。トレミーの空気清浄機は完璧でウィルスなどいないはずだが、こじれると厄介だ。確認しようと顔を覗きこもうとすると、フェルトは俯いたまま一歩離れた。
「なんでもない、けど」
 けどなんだ、と聞き返すと、消え入りそうな声で言われた。
「地球から帰ってから、刹那ちょっと変わったね」
 予想外の言葉に、今度は刹那が驚いた。変わった、俺が?自分では自覚はないが……いや、あるか。今も実をいうと早く報告を終わらせて、部屋へ戻りたいと思っていたところだった。変わったとするならば、理由は一つしかない。ふと頬がにやけそうになったので慌ててフェルトに背を向けた。変わったのなら、それはあの男のせいだ。あの男のことを考えると気持ちがほっと緩んでしまう。こんなことではいけないと思うけれど、それでも思うことを止められない。
「おかしいか?」
 するとフェルトは黙って首を横に振る。ピンク色の髪が無重力にふわりと揺れた。
 そういえば、結局うやむやにしてしまったが、グラハムは刹那の好きな音楽が知りたいと言っていた。これまでは興味がなくて音楽を聴くことなど無かったけれど、グラハムが知りたいなら教えてやってもいいかもしれない。
「フェルト」
 戻ろうとしたところを呼びとめる。
「今度音楽のダウンロード方法を教えてくれないか?」
 そう願うと、フェルトは驚いたように目を丸くしたが、笑顔で了解してくれた。
 色々試して、好きな曲を探してみよう。これで次にあの男にあった時には、ちゃんと自分の好きな音楽の話ができるように。
 そんな風に考えると、ささやかな日常がなんだか生まれ変わったような気がして、刹那は地球のほうを振り仰ぎ瞳を細めて、愛おしい横顔を思い浮かべるのだった。

+ end +



2011.2.12