※一部に男性同士の露骨な生描写が見られます。18歳以下の方は閲覧しないで下さい。
(この回にはありませんが)

※ 劇場版のネタバレを含みます。
※ 2期最終回から劇場版までの話です。



『 ノクターン―飛翔する用意はできていた 』

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 落下する自動車をかろうじて掴んだ刹那の耳に声が聞こえた。グラハムが必死にハンドルにしがみつきながら、車から離れろ、と叫んだのだ。その警告で、刹那は運転席のドアにある爆弾に気付いた。このままでは、爆発する……スローモーションのように細部まで分かる。自分の身体がモビルスーツと自動車に同化したような、神経が外へと拡張していくような感覚、流れ込む膨大な細部の情報の中から、刹那はひとつの光を取り出した。それは、グラハムの濁りのない澄んだ眼差しと、すぐ傍にある起爆装置の緑色の表示灯だった。刹那はその感覚を信じた。
『後部座席に移動しろ、早くっ――』
 音声のボリュームをマックスにして叫んだとき、グラハムがハンドルから手を離した。不安定ななかシートにしがみつくようにして後部座席に移動していく。一か八かだが、刹那の声をグラハムが聞いてくれて、その通りに動いてくれて良かった。――信じてくれた、それが刹那は嬉しかった。絶対に助ける、そう決意を込めて、刹那はドアをこじ開けた。




 爆風をやり過ごし、フラッグを前のめりに地面に着地させ、刹那は息を着いた。
 グラハムの乗る車は原型をとどめたままだ。爆弾をドアごと投げ捨てるという賭けは上手くいった。だがまだ安心はできない……掴んでいた自動車をそっと地面に下ろして、刹那はコックピットハッチを開いて外へ出た。断崖は数百メートル上まで続いている。上では大変な騒ぎになっているはずだ。見上げて様子を窺うっていると、携帯が着信を告げた。ロックオン・ストラトスからだった。ロックオンはツアー客に紛れてコチラに来ていた。彼が低い声で、終わったぜと告げると、緊張の糸がひとつ解れた。テロリストは?と聞こうとしたが、ロックオンの穏やかな口調に結果は明らかだった。彼は、敵であれ誰かを殺した後に安らげる男ではない。警察が間に合ったのだ。ならば、自分はやることはない。長居は無用と、ロックオンに速やかに退避する、とだけ告げて短いが充実した会話は終了した。
 そう、まだ終わってはいない。
 刹那は地上から、ドアがもぎ取られたSUVに近付いた。爆風の衝撃で、ガラスは割れリアタイアがひとつ外れている。車のドアに仕掛けられた爆弾の威力は予想以上で、MSの中でさえびりびりと衝撃を感じた。もしこれがただの乗用車だったら、車体など跡形もなく木破微塵だったろう……当然、運転手も。ドアがないせいで中が剥き出しになっているが、そこに人の姿はなかった。そのことに最悪の可能性がひとつ消えた。

 息を詰めて後部座席を覗き込むと、シートの裏に張り付くように金色の髪が見えた。鼓動が一つ跳ね上がる。刹那はそっとグラハムの肩に手を置いて軽く揺さぶった。すると小振りな頭がかくんと力なく揺れて、フワリとなびく金髪のしたから、閉じた瞼が現れた。彼は意識を失っていた。
 刹那の脳裏にノアノアの治療ポッドの中で横たわるグラハムが浮かんだ。治療ポッドの中、意識の無いグラハムは、整った鼻梁をぴくとも動かさず、まるで人形のようだと思った。あの宇宙での戦いの時に、切り裂くような闘志と殺気をぶつけてきた相手とは思えない、まるで抜け殻のようだった。
 刹那が背中に腕を回すと、腕に体重がかかってずしりと重い。恐る恐る白い額に掛かる髪を払いうと、そこで無惨に腫れ上がった頬が目に入って息を飲んだ。何度も殴られた傷だ、瞼と唇が腫れて血を流していた。
 強い怒りに目が眩む。
 自分のせいだ。自分の判断ミスでグラハムが怪我をした。こんなことになるなら機密事項など気にせず最後まで一緒にいれば良かった。もしくは、こんな場所まで連れて来なければ良かったのか。別れがたくて、引き回した挙句、関係のない事件に巻き込んでしまった……彼がテロリストの車に乗っていた理由は分からないが……少なくとも、自分について来なければこんな目に合わなかった。
 自分の身勝手な欲のためにこの男を傷つけてしまった。
 それにしても、なぜグラハムが標的にされなければならなかったのか……刹那の心に強い怒りが湧き上がった。理由は分からないが、アロウズで関わりがあったのだろうか、その私怨か、そうだとしても到底許すことなどできなかった。
 しかし、男は既に捕まっている。今は復讐よりもグラハムを助けることが先決だ。
 この男の命が、今や自分の手の内にあるということがたとえようもなく恐ろしい。誰かに助けを求めたい、だがロックオンはテロリストの逮捕を見届けなくてはならない。自分がなんとかするしかない。腕の中ではグラハムが細い息をついていた。寝息のようにも見える。刹那はグラハムの胸に耳を当てた。呼吸も脈拍も正常。大丈夫、彼は助かる、刹那はそう自分に言い聞かせた。

*** *** ***

 漆黒の宇宙空間を背にして、立ちつくす黒いモビルスーツは墓標のようだと思った。



「わたしを切り裂き、その手に勝利を掴んで見せろ」
 拳を宙に強く突き出した男は、かすかに微笑んでいるようにも見えた。その姿は巨大なモビルスーツに比べとても小さく、彼がごく普通の人間だという事実を刹那に突きつけた。最初に会ったのはアザディスタンの砂漠だった。それから五年に渡る因縁が終ろうとしている。いや、終らせることを望まれている。
「何故だ」
 無意識に刹那は呟いた。
 ヘルメット越しでは男の表情はほとんど見えなかったが、黒っぽいものがの濃い色のバイザーに付着しているのがわかった。血を吐いたのだろうか?多分そうだ。五年前の戦いでも、男は血を吐いていた。身体がGに耐え切れないのだろう。トランザム状態になればガンダムですら身体に相当の負荷が掛かる。それが、普通のモビルスーツなら…しかもこの男の動きはとてもトリッキーで素早く、生身の人間で耐えられるものではないだろうに。
そうまでして…刹那は硬く唇を噛んだ。

 なぜ、この男は、いつも自分に刃を向ける?
 なぜ、この男は、いつも死に急ぐような戦い方しかしないのか。

 なぜ、この男は、アロウズなどで力をふるう。
なんのために。

 幾つもの疑問が浮かんでは、また新しい疑問が湧き上がって混乱した。どうしろというのか、この男は。最早勝負は決していた。グラハムの武器は破壊したし、MSは完全に沈黙している。武装解除した人間を殺したくはない。
 しかしそれだけでは治まらない気持ちがあった。確かめたい、確かめなければならない、彼の歪みが、己の引き起こしたものだというのなら、逃げることは許されない。立ち向かうのが、己の義務だ。刹那は決意し、武器を下ろした。
「生きるために戦え」
 それが刹那がグラハムに残した決着の言葉だった。
 なぜ、そんなことをいったのか。
 あの時は、それ以上考えなかった。だが、今ならば他に幾つもの思いがある。なにより、こんな冷たく寂しい宇宙に一人置き去りになど出来ないと思った。
 それに抑え切れない欲求、もっとこの男のことが知りたいと、痛切に感じた。



 刹那はコックピットを開き、思い切って漆黒の宇宙空間へ身を躍らせた。そうして肉眼で見ると目の前のモビルスーツは驚くほど嘗て彼が騎乗していたユニオンの黒いフラッグに似ていた。
 突然の刹那の行動に、グラハムも驚いたのか、近づいてくる刹那に、銃を構えて叫んでいた。
「何をする、少年?!」
 一撃だけ、ビームが二の腕の脇を掠ったが、第二射は続かない。刹那は臆せずそのまま勢いよくモビルスーツのコックピットに取り付いた。
 そして叫んだ。
「今のアロウズでお前が戦う理由が何所にある?アロウズはイノベーターの道具に過ぎない、お前も知っているはずだ」
 息を飲んだグラハムが反論した。
「アロウズは関係ない!!世界など、私には一切、関係あるものか」
「だったら、なぜ俺があんたを殺さなきゃならない?なぜ俺たちが戦わなきゃならないんだ?誰が決めた、神か、それとも、お前がいう宿命か?」
 ヘルメットが邪魔で、刹那はコックピットのハッチを閉じると、シュンという音と共に、コックピットが宇宙空間から途絶される。刹那はヘルメットを脱いだ。
「俺はあんたと戦いたくない」
 しかし、グラハムは頑なだった。射殺さんばかりの恐ろしい目で睨みつけてくる。
「いった筈だ、これは宿命だと!私たちは戦うことを宿命づけられた存在、たとえこれまでに何があろうと、……どれだけ、君を愛したとしても、私たちは戦わなければならない」
 だから頼む、もう楽にしてくれ。蚊の鳴くような呟きは、しかしヘルメット越しでも確かに刹那の心に届いた。
「いやだ」
 そう叫ぶと、刹那は強く、グラハムの身体を抱き締めた。抱き締めた身体は、驚くほど細く華奢で、胸が一杯になる。
 ヘルメット越しでは表情がよく見えなくて、もどかしくなった刹那は無理やり彼のヘルメット取り外してしまった。するとふわりと金色の癖毛が宙に舞う。ついでに目元を覆う仮面も外した。現れたのは翡翠色の双眸と、焼け爛れたように変色した酷い傷跡だった。思わず目をそむけてしまう。
 しかし目を逸らしてはいけない、刹那は直感的にそう感じた。
 白い肌が、そこだけ肉が剥きだしになったように変色している。顔面の半分近くを覆う無残な傷跡に心が痛んだ。しかし、同時に、目の前にあるミルクを流したような白い肌と、金色の柔らかそうな髪、緑色の明るい瞳は始めて会った時と寸分の狂いもなく、刹那の心を掻き乱す。そう思えばアザディスタンで最初に逢ったときから、この男は強い印象を残していた。ほんの数分間にも満たない邂逅だった。だが、刹那は今でもその時のことを鮮やかに思い出すことができた。赤茶色の荒れ地に、鮮やかなコバルトブルーの軍服がまぶしくて、その青に映える金色の髪と、ミルクを流したような乳白の肌、そして何よりも気になったのは、その双眸で。好奇心できらきら輝く緑色の瞳は、まるで砂漠に沸いたオアシスの緑のようだった。黄金と乳白とオアシスの緑、砂漠の民が憧れてやまぬこの世の富の全てを宿し、その強く鮮やかな光に惹きつけられた。
 そうだった。
 思えば、始めてあったときから、この男は特別で、土足で刹那の中に入ってくる。
 その強い瞳と、自信に満ちた言葉で。

 死なせたくない、と刹那は強く思った。

「俺と一緒に来い」
 グラハムはくっと唇をあげて、皮肉気な笑みを作った。
「馬鹿なことを、私たちは宿敵だと何度いったら…」 刹那の腕が、グラハムの腕をつかんで遮るが、グラハムは言葉を止めない。
「決着は、どちらかの命で。それでこそ、この戦いは結実する。完璧をもって、この宿命が成就するのだ!」
 限界まで見開かれた緑色の双眸に堪らなくなって、刹那は彼の唇に噛みつくように自らの唇で覆った。薄い唇を覆うように食むと、驚いたのか、手の中の細い腕が震えた。すぐ間近に金色の睫毛が蝶の羽のように震えていた。その震えは僅かで、とても儚い。その奥に隠された緑色の虹彩、エバーグリーン、常葉緑、枯れぬ緑の象徴の色。刹那が憧れてやまぬもの。昔むかしから遺伝子に組み込まれた憧憬。そんなものなのかもしれない、だからこそこんなにも強く、惹きつけられずにはいられない。
「さぁ、その銃で殺すがいい、少年。私を殺せ、アロウズに属し、イノベーターの傀儡になり、世界に徒名し、君らの障害になる私を、さぁ、その銃で殺せ!さもなくば…」


「私が、君を殺すまで」


 次第に感情が高ぶり言葉が続かなくなる。
「俺はいやだ」
 言葉は嫌いだ、この気持ちを大昔に他人が作った文字の羅列に押し込めることが嫌だった。もっと直接気持ちを伝えられれば、ダブルオーが生み出した、量子空間のように、無理矢理でもこの男に突き付けたい。
「……そんなのはいやだ」

 しかし、ダブルオーを降りた今、奇跡は起きなかった。
 グラハムが刹那の腕を払い、逆に胸ぐらを掴んで迫ってくる。
「友人を、恩師を、誇りを、自由な空すらを奪った君が」

「死すらも奪うか、ガンダム!!」


 刹那は叫んだ。

「ちがう」

「ちがう、ちがう、ちがう!!」

「俺は、ただ―――」

 グラハムの声が頭に強烈に響き渡るって、そこで初めて刹那は気付いた。グラハムの心の声に。

「私はただ、自由になりたかっただけなんだ。自由に。それが空だっただけだ」

*** *** ***

「……しょうねん、少年。刹那」

 唐突に、目の前に光が差し込み、漆黒の暗闇から一転、視界が眩しい光に満ちた。刹那の身体は背中へ向けて押し付けられる重力を感じる。そうだ、ココは宇宙ではない。目を開けると、そこには黒っぽく煤けた葦の天井が見えて、白いシーツが掛けられた寝台に横になっていた。傍らの漆喰壁に目をやると、赤とオレンジが鮮やかなタペストリーが飛び込んできた。ココは地上で、しかも――
 夢だったのか――そうココは宇宙ではない。太平洋上の孤島ノアノアだ。ダブルオーもいなければ、アロウズも存在しない。全部夢だ、現実では自分はあの時男を一人宇宙に置き去りにした。だから、彼が吐露した真情もただの想像でしかない。それでも鼓動は速く背中は冷たい汗で湿っているし、棒のように伸ばした手足は硬く強ばっていた。現実では無くても、彼の言葉には真実実があって、刹那の心を深く抉った。
 どうやら治療の様子をみていたら転寝をしてしまったらしい。失態だ、と唇を噛んだ。悪夢を振り払うため一度大きく深呼吸したら、今度はひとつの疑問が浮かんだ。寝ている場合ではない、あの男はどうなった――すぐに確かめなければ――ところが、起き上がろうとしても思うようにいかない。強い力で抑え付けられているからだ。怪訝に思っていると、目の前にぬっと顔が飛び出して来た。
「お目覚めかな」
 刹那は不機嫌そうに眉を顰めた。
「なんで、あんたがココにいる」
 掠れた声でそう問うと、グラハムはにやりと笑った。
「連れてきたのは君ではないか」

++ continued...



2011.2.9