※一部に男性同士の露骨な生描写が見られます。18歳以下の方は閲覧しないで下さい。
(この回にはありませんが)

※ 劇場版のネタバレを含みます。
※ 2期最終回から劇場版までの話です。
※ 暴力や流血など痛い描写がありますので、ご注意ください。



『 ノクターン―飛翔する用意はできていた 』

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 刹那の黒いバイクを見送って、一人きりになったグラハムは、ハイウェイから1メートルほど離れた場所に転がっている岩に腰を下ろした。カタギリはまだラスベガスか近くの連邦軍基地にいるはずだ。刹那にはああ言ったものの、流石にこんな早朝に親友を起こすのも偲びなく、こうしてしばし時が経つのを待つことにした。岩の冷たさが厚いジーンズの生地ごしにも伝わってきて腰に響くが原因は考えないことにする。グラハムは長い溜息をついた。顔を上げると、いつのまにか太陽が地平線から完全に姿を現わしていた。地平線のまばゆいほどの金色は薄らいで、空全体が徐々に明るさを増していく。先ほどまで、彼の少年に包まれて感じた手の温もりとともに現れた金色の光は今はない。夜から朝へ過渡期のほんの一瞬、そこに二人で居合わせたことに改めて運命のようなものを感じて、グラハムは唇を歪めた。
「何をやっているのか、私は」
 もう一度相まみえることがあったら、今度こそ決着をつける――決着とはすなわち、己かガンダムの死、そう信じていたのに。
 ソレスタルビーングが戦争根絶を唱って行った無慈悲な殺戮行為を突きつけて、その欺瞞を暴きたてて、ハワードやダリル、オーバーフラッグスの皆、プロフェッサー、殺された人々の無念を、あの輝かしい白い装甲に刻みつけてやる。それが生き残ったグラハムが死んでしまった仲間に対してできる唯一のことだと信じていた。しかし、そんなことをしても誰も喜びはしなかったし、自分の心さえ満足することはなかった。それでも、憎まずにいられなかった。自分がガンダムを倒せば、仲間たちの死も幾らか報われるのではないか――

 だが、グラハムは知ってしまった。彼らの覚悟を。

 全力を望み、憎しみをぶつけてもガンダムから返ってきたのは、「生きるために戦え」という一言だけだっで、歯牙にも掛けぬ態度でグラハムの憎悪ははね退けられた。
 そしてグラハムは理解したのだ。
 彼はすべて覚悟の上で戦っている。誰かに恨まれることも憎まれることも、すべてを覚悟の上で戦っているのだと。世界の憎悪も彼らにとっては、最初から覚悟の上なのだ。
 そこにちっぽけな男の憎悪がひとつ加わったところで、何も変わりはしないのだ。いくらグラハムが憎もうが彼は決して変わらない。憎しみでは、彼を動かすことはできない。
「私は、小さな男だ」
 グラハムの心を折ったのは、その事実だった。

 ついさっきまでガンダムのパイロットは自分の隣に立っていた。手を伸ばせば縊り殺してしまえるほど近くにいたというのに、グラハムの手は彼の細い首ではなくて、骨ばった指の長い手に絡まっていた。そんな有様を思い起こして、グラハムは泣きたいような、それでいて晴れやかなような、不思議な気持ちになっていた。
 宿敵はガンダムであって彼ではない。挑むべき相手は、ガンダムであって彼ではない。
 だから、あの少年を憎めなくても、仕方ないではないか。グラハムはそこで物思いに区切りをつけた。
 気温は低く、上着の隙間から刺すような冷気が侵入し体温を奪っていく。動いている方がマシに思えてグラハムは歩きだした。



 そうやって数時間ほど歩いただろうか、既に陽は高くなっていた。ハイウェイに一台の車がコチラへ走ってくる。ストームグレーのSUVだ。歩き続けている間、すれ違ったの車は僅かで、交通量の少ない時間帯に当たったようだと溜め息を吐くしかなかった(街へ向かう車があれば同乗させて貰えないか頼みたかったが)。それこそこんな早朝に一人でとぼとぼ歩いている男の方が不審だろう。車はグラハムの真横で止まった。警戒されないようにと笑顔を浮かべると、運転席の窓が下がり若い男が顔をだした。白人で、野球帽にオリーブ色のウィンドブレーカーを着ている。男は、薄く切れあがった唇を歪めて笑みを浮かべて話しかけてきた。
「すみません、グランド・キャニオンへ行きたいのですが、道を教えていただけませんか?」
 男の車は、グラハムの進行方向、つまり街の方からやって来た。グラハムは黙って元来た方向を指指した。
「君は間違っていない。そのまま真っ直ぐ進めばいい」
 道は直線の一本道だ。迷いようがない。しかし男は青白い顔にさらに笑顔を深めると、ポケットに突っ込んでいた左手をおもむろに取り出した。
「アナタと一緒に行きたいんですよ、グラハム・エーカーさん」
 何故、名を知っている?と疑問に思う暇もなかった。男は左手に持ったスプレーを噴射した。催涙ガスだと気付いたが遅かった。猛烈な痛みに目をつぶって蹲った途端、背中に強い衝撃と痛みが走って、背中を棍棒のようなもので殴られたのだと気付いた時には、グラハムは意識を失ってしまった。

 頬に当たる冷たい感触が気持ち良くて目を開けると、うっすらと空いた視界に、遠くを白い雲が流れていて、グラハムは飛び起きた。すると背中に激痛が走り呻き声を堪えられなかった。背中だけではない、脚にも強い痛みがある。両手は手錠で拘束され、胴にはシートベルトが掛けられている。……ということは計画的な犯行ということか……相手が常時手錠を持ち歩くようなサディストでもなければ。意を決して脚を動かしてみると、ずきりと重い痛みが腿に走った。出血はしていないが骨が折れているかもしれない、グラハムは未だにぼんやりとする意識を覚醒させるため、軽く頭を振ってみた。するとグラハムの覚醒に気付いた運転席の男が、錆びついたドアをこじ開けた時のような軋んだ声で話しかけた。
「俺のこと覚えてませんか?ミスター・ブシドー」
 その呼び名を聞くのは実に久しぶりだ。それが導く男の素性と人を小馬鹿にしたような口調に不快感を覚えたグラハムはあからさまに眉を顰めて呻くように言った。
「……アロウズか」
 元アロウズ所属なら、自分に暴行を加える理由もあるだろうな、と考えたとき、電話で話す刹那の横顔が思い出された。思いつめた険しい表情で、朝焼けの光を映したのか、赤茶色のはずの瞳がゆらゆらと金色の光って見えた。触れなば切れんばかりに鋭利な眼差しに、背筋にぞわぞわした緊張が走った。彼は地上にいるということは即ちそういうことなのだ……何か問題が起きている……テロか武力衝突など、ソレスタルビーングの力が必要な事態としたら危険なのにはかわりない。彼は、まだ戦っているのだ。その事実にグラハムの胸が痛んだ。
 あの刹那の眼差しに比べれば、今隣で銃を構えている男の視線は、ずっと弱い、拳銃を構える右手もカタカタと震えている。それではとても照準など定められまい。だが、狂気に歪んだ精神状態では、何をするか分からない……ここは刺激することは避けた方が無難か……そう結論づけたグラハムは、恭順の意を示すため手錠で固定された両腕を静かに上げた。すると元アロウズの男は聞いてもいないのに話し始めた。
「私は空母に乗ってモビルスーツの整備士をしていました。優秀でしたよ、作れないものは何もない。爆弾でもね。あなたはパイロットだった、それも飛びきり優秀な」
 この手錠は厄介だ……グラハムは男が拳銃を下ろし目を離した隙に、両手を下げて手首を動かしてみた。が、手首は手錠でしっかりと固定されていて、そう簡単には外れそうもない。両手が使え無くても脚が動けばれば反撃できる。この手錠も振り回せば武器になる。抵抗するのは簡単だ。だが男が爆弾などと仄めかすのが真実なら、このまま無抵抗を装おって監視した方がいいか。
 グラハムはそっと身じろいだ。肺の辺りがズキズキ痛むので肋骨が折れているかもしれないが、殴られたのは肺の下辺りだし、問題はないだろう。刹那が朝ベッドで触っていたのは背中の心臓の上辺りだ。グラハムはその下に何があるのか知っていた。しかしあの時、刹那がスタンガンを押し当てたので、もう不要になったのかと少し寂しく思ったものだ。その小さな機械にグラハムが安堵と満足を覚える理由と、刹那が幾らかのリスクを冒してまでこの身体に印を残す理由、それはきっと同じもので、だがそれを認めることは二人にとって余りにリスクが多すぎるから、刹那はそれを消そうとしたし、グラハムはその行為を黙認したのだ。しかしそれは今もこの身体にある。恐らくはまだ何らかの印を送信しているはずだ。それが何を変えるのか、変わらないのかは分からないけれど。
 男は視点の定まらない様子で、ハンドルを握り続けている。車はグランドキャニオンへ向けて進んでいた。
「あの頃、あなたは奇怪な仮面をつけていましたからね。……まさかあの醜い仮面の下にそんな美しい容姿を隠していたとはね。まぁ、傷は醜いですが。敵を沢山殺したんでしょうね、いつも最新鋭の機体に乗って、最高の武器を持って、それなのに、あなたはガンダムを倒せなかった」
 支離滅裂、とまではいかないが男の口調は脈絡がなく一貫性がない。喋っている間中、左手はハンドルの上で小刻みに動き続けていた。車内に音楽はない、聞こえるのはラジオのニュースを読み上げる低い男性アナウンサーの声だけだ。揺れる車体のせいで、殴られた背中が痛い。次第に苛立ちが募ってきて、グラハムはつい詰問口調で話してしまった。
「ひとつ聞いてもいいかな?それとこの状況とどんな繋がりがあるのか?」
 するとそれまで比較的大人しかった男が急に口調を荒げて叫んだ。
「あんたのせいなんだよっ!!」
 急ブレーキのせいで車体が揺れた、前のめりにフロントガラスに突っ込みそうになったが、シートベルトのおかげで助かった。両手がこれでは手をついて踏ん張ることもできない、抗議の声を上げると、男はグラハムの顎を掴んで座席に押し付けた。そして一発、拳が右頬にヒットする。
「あんたのせいで、俺はアロウズを首になった。それなのに……」
 さらに一発、続けて二発。口の中に鉄の味がした。どうやら中が切れたらしい。吐き出したいが、男は癇癪のように殴り続けるのでその暇もない。
「今じゃ元アロウズの人殺し扱いだ。仕事をしたくても誰も雇ってくれやしない、周りからも白い目で見られて……それなのに、当のあんたは連邦軍に復帰する。何事もなく、過去の罪を問われることもなく」
 数はあたるが、男の拳は軽く、痛みはあっても骨に異常はない。グラハムは歯を食いしばって耐えた。しかし瞼が切れたのか視界が狭くなってきた。そこで漸く男の両手が止まった。シートに背中を押さえつけ、じっと顔を覗き込んでくる顔は引きつって、歪んでいた。
「ガンダムとの戦闘であなたは出撃したけれど、結局何もせずに帰還した。そのあとあんたのアヘッドの整備をするため近付いた。あなたは角のついた異様なヘルメットを被って、昇降用クレーンで降りてきて、俺はお疲れ様です、と声を掛けたのに……それで、あんたは何と答えたと思う?」
「……覚えていないな」
 本当だった。正直に言うと、男の顔すら記憶にない。まわりに気を配る余裕などあの時のグラハムには無かった。
「私の機体に触るな、だよ」
 男の瞳が冷たく光った。
「俺は整備士だったのに、大勢の同僚の前で無能者呼ばわりされて……それからは悪くなる一方だった。気が付いたら仲間から無能者呼ばわりだ、それで俺は辞めざるを得なくなった。信じてたのに全部あんたのせいだ」
 そんなのは完全な言いがかりだ。被害妄想もいい所だが……しかし、そんなことでこれほど歪んでしまったのは、哀れな男だとグラハムは思った。
「警察にも追われている……あんたさえいなければ……俺はただアロウズの汚名を晴らしたかっただけだ、だからカタギリ司令を自害に追いやった連邦裁判所に爆弾を仕掛けた……」
 グラハムは瞠目した。二か月ほど前ニュースで知った連邦裁判所爆破事件、爆弾は未然に発見されて被害者はいないが、犯人はまだ捕まっていないはず……やはり、この男を刹那は追っているのだ、と確信した。ということは、拳銃ひとつだけではない、何かもっとやばい物を持っているに違いない。目的が自分だけならまだいいが……先ほどまでとは違う冷たい緊張感で背筋が痺れた。
「俺は行動を起こした。あんたは何をした?……何もせず、のうのうと生きて、あげくに軍に戻るだと!そんなことが許されていいはずがない」
 この男は完全に間違っている。彼のようなやり方で、カタギリ司令が喜ぶはずがない。だが、この台詞にはちょっと堪えた。“何もせず、のうのうと生きて”か。その通りだと思った。自分はいまだ何も見つけていないのだ。
「アロウズは間違ってはいなかった。言葉でも分からない連中は、武力で黙らせるしかない。力でしか平和は作れない」
 もう一度銃を突きつけられた。今度は胸に直接。この距離ではいくら震えていても狙いを外すことはないだろう。
「今の連邦政府だって、アロウズを武力で潰して成立したんじゃないか!!アロウズだけを悪モノにして、自分だけが聖人君子の顔をして、アロウズの功績の恩恵を最も受けているのは今の政府だ。それを黙殺し、ソレスタルビーングを英雄に祭り上げる民衆も、あんたも、皆愚かだ。背信だ。」



 さらに車に乗って一時間ほど、男は車両進入禁止の標識を無視して猛スピードで突っ込んだ。そこで男は車を止めた。
「ようこそ、グランドキャニオンへ!ココは観光客に最も人気の展望台だ」
 そうはいってもまだ時間が早いせいか、崖下へと張り出した手すり付きの展望台には人気はなかった。グラハムはほっと安堵の息を吐いた。
「あと20分もすれば、最初のツアー客がやってくる」
 男は後部座席から黒いボストンバックを掴み取り、そこから何本もコードが突き出た箱を取り出して、助手席のドアに張り付けた。
「見ての通り、これは爆弾だ。実に原始的なね。だがその代わり威力は強い……10メートル以内の人間は即死だ」
 男は左手で銃を構えたまま、右手でドアを開いて、グラハムの携帯を見せて後ずさる。どうやら気絶していた内に奪われたらしい。
「これであんたは通報できない。それから、爆弾だが、起爆装置は車のドアだ。次に、車のドアを開けたら爆発するようになっている。さて、あんたはどうする?」
 グラハムは身を乗り出して男に掴みかかろうとしたが、シートベルトが邪魔をして出遅れてしまい逃げられた。男はすぐにドアを閉めて車外へ出た。そしてガラスに顔をつけて叫んだ。
「あなたは自分で車を運転して崖下へ落ちる。……誰も爆発に巻き込まないために」
 最後に不気味な笑みとともに、そう言い残して元アロウズの男は去った。
 どうするか……グラハムは暫く考えたが、その時、人のざわめきが遠くから聞こえて目を見張る。ツアー客が到着してしまった。もし車両進入禁止エリアに車がいたら、誰かがきっと様子を見に近付いて来るに違いない。そうなったら……最悪の事態を想定し、グラハムは覚悟を決めた。最初の客が車に気がついたとき、グラハムは叫んだ。
「近付くな!!」
 男の言うとおりに行動するのは癪に障るが、仕方がない。グラハムはハンドルを握り、折れた脚でアクセルを踏みしめた。車は勢いよく発進し、そしてそのまま、崖下へと飛び出した。

 落下を意識した時、峡谷の谷間から強い風が吹きあがり、一瞬車体がふわりと浮いた。次に全身がシートに叩きつけられるような強い衝撃に襲われ、いよいよ谷底に叩きつけれたかと思ったが、爆発は起きず、グラハムは眼を開けた。フロントガラスの向こうには空を切り裂く断崖絶壁がものすごいスピードで流れていく。
 横をみると、モビルスーツが車を掴んでいるらしい。色は少し違うが、特徴的な二対のフライトユニットとディフェンスロッドは見間違いようもない。フラッグだ。
 MS形態のフラッグは落下しながら、黒いマニュピレーターでしっかりとグラハムの乗るSUVの車体を掴んでいた。グラハムは叫んだ。
「早く放せ、この車には爆弾が……っ」
 しかし、次の瞬間、フラッグは峡谷の底へ着地していた。強い衝撃に、吐き気を覚えたがなんとか耐えた。全身が酷い痛みでくらくらする。次第に朦朧としていく意識の中、後部座席へ移動して伏せろ、という大声が聞こえた気がして、グラハムは言われたとおり、助手席のシートの裏へ身を伏せた。途端に、フラッグの指が助手席のドアをこじ開けた。爆発するっ、そう思った途端、フラッグはすぐにドアを遠くへ投げた。大きな爆音と衝撃が谷間を走り、茶色の壁がビリビリ揺れた。乾いた音を立てて礫がガラスにぶつかりパラパラと乾いた音を立てている。ふとこの程度で済んだことを訝しく思ったグラハムが見たのは、フロントガラスを覆う、フラッグの胸部だった。

++ continued...



2011.1.20