※一部に男性同士の露骨な生描写が見られます。18歳以下の方は閲覧しないで下さい。
(この回にはありませんが)

※ 劇場版のネタバレを含みます。
※ 2期最終回から劇場版までの話です。



『 ノクターン―飛翔する用意はできていた 』

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 ヘルメットのバイザー越しに薄曇りの広い空と荒野が延々と流れていく。
 舗装が所々はげた荒れた路面にタイヤをとられそうになるのを抑えるために、刹那はいつもよりも強くハンドルを握り締めて運転していた。だがそれ以外は対向車もほとんどおらずただ真っ直ぐに荒れ地を切り裂くハイウェイはバイクで走るのは心地よいはずだが――刹那は戸惑っていた。運転に集中しよう、そう思うのだが、そのたびに背中全体を覆う温もりに意識を持っていかれてしまう。いくら走っても速度を上げても背中の温もりは振り払えなかった。それもそのはず、温もりの主はしっかりと刹那のウェストに腕を巻き付けてしがみついているのだから。背中に感じる温もりは確かに本物で、ぴったりと張り付いた背中と胸を思うと、どうしても昨夜の熱を思い出す。手袋をしていない手は白い皮膚が剥き出しだ。もし、路面の小石を跳ねて、それが飛んできたら怪我をしてしまう。そう思ったらスピードも出せない。
 時折大きく揺れて、そのたびに背後から息を飲んだ気配がして、腹にしがみつく腕の力が強くなった気がした。首筋に吐息が掛かるし、彼のジャケットの革の匂いがした。後ろから小さな舌打ちが聞こえた。やはり辛いのだろうか。それはそうだろう、昨日は無理をさせたと刹那は反省した。


 視界は遠くにぽつぽつと高層ビルのような赤い断崖が散在するだけで、遮るものはほとんどなく、地平線まで見渡せて、微かにせり上がっているような大地を遠目まで透き通る藍色の天球が覆っていた。時刻は午前5時、あと数十分で夜が明ける。走っていると、空と大地、朝と夜との境目に向けてダイブする、そんな感覚を憶えた。
 そうはいっても同じような景色が続くドライブは単調だ。するといくつかの疑問が浮上して、刹那の意識を背中の温もりへ向ける。どうして彼はついてきたのか。それは走り始めてから何度も繰り返し考えた疑問だった。誘ったのは確かに自分だが、半ば断られるのを前提とした問いかけだった。偶然にも同じ目的地があるのだし、仮にそうなったとしても、このまま監視対象のテロリストが何もしないなら、任務に差しさわりもないだろうし、ほんの戯れだったのだ。ココで別れたらきっともう二度と逢うこともないだろうという予測から、もう少し、夢を見ていたかったのかもしれない。
 もう一つの疑問は、彼はなぜ、自分に抱かれたんのだろうか、ということだ。
 逃げようと思えばできたはずだ。しかしグラハムは逃げなかった。彼の中に、全てを注ぎ終えた時、温かい彼の身体に包まれて、受け入れられたと感じた。それは単なる拡大解釈だと、エゴイスティックな自己満足かもしれない。だが、あの時は本当にそう感じたのだ。
 手放したくない、と思った。
 だから、刹那はグラハムのチップを破壊することができなかった。彼の背中のチップはまだ生きていて、彼の鼓動を伝えてくれる。ピッピッピ、と右耳に埋め込んだイヤホンから規則的な電子音が流れてくる。触れ合う距離にありながら、その音だけは地上と宇宙とに離れている時と全く同じ音だった。
 いっそ破壊してしまえば簡単だったのに、分かっているが刹那にはできなかった。未だ未練を捨てきれない己を刹那はひっそりと呪った。まだ希望を捨てきれないのだ。

 刹那はグラハムが何を考えているのかさっぱり分からない。イノベイターとしての能力で思考を読もうとしてみたが、グラハムの思考には濃い靄が掛かったような状態ではっきりしない。推測だが、彼も迷っているのかもしれない。しかしそれでも、こうして傍にいる時間が長くなるのは、正直にいうと嬉しかった。
 そうしているうちに、遠くにあった絶壁がすぐ傍まで近付いていた。近付いてみると、真っ直ぐな壁だと思っていたものは、ミルフィーユのような断層になっていて、面も荒くごつごつしているのが分かってくる。今刹那達の視界にある断層だけでも数百、千万年の時間を掛けて形成された地形だ。それをまた同じくらいの時間を掛けて風と水が浸食して、現在の峡谷を形作っている。地球の自然に比べれば、人間の文明などほんの瞬きほどの時間のことで、そしてそんな地球ですら、宇宙という視座にたつと繰り返される星の誕生と消滅のサイクルの一部に過ぎない。無限に思える時間の中、見渡す限り他に人のいない荒野で、こうしてグラハムと二人、触れ合っているということは、なんと不思議なことだろう。
 その時、腹に回されていた左腕が、黒いコートの袖口を引くので、軽く振り返ると、グラハムが顎でしゃくって刹那達がやってきた方角を指している。促されるまま横目で振り返ると、丁度東の方角が地平線を切り裂くように金色のラインが走っているのが目に入ってきた。
 刹那はバイクを停めた。
「すばらしい光景だな」
 思わずといった感じで、グラハムが呟いた。彼にしてはとてもシンプルな称賛の言葉だったが、それだけに彼の感動が強く伝わってきて、刹那もうっすらと微笑んだ。良く分か朝焼けのラインの中心で膨張するように膨らむ光の固まりがあった。太陽だ。地平線から顔を出したばかりの太陽は膨張して大きい。刹那は眼を焼く程の光に魅入った。その時、きゅっと手のひらに温かいものが触れて、思わず隣をみると、グラハムが大きな瞳を目一杯に見開いて、朝日を見つめている。多分無意識なのだろう。気付かれないなら、と刹那もその手を握り返してみる。
 朝日に輝く横顔をみて疑問が押さえきれなくなる。
「……グラハム」
 答えが欲しい、ぐいと肩をつかんで無理矢理こちらを向かせて名を呼ぶと、グラハムは透明な視線を返した。


 その時、刹那の携帯が着信を告げた。
 それは二人きりの時間の終わりを告げる、運命の鐘の音だった。


「よぉ、刹那。計画変更だ」
 電話はロックオン・ストラトスからだった。この男の真面目な声はこのミッションが始まって以来初めてだ。刹那は胸騒ぎを覚えて、気を引き締めた。それをグラハムも察知したのだろう、軽く指先が触れる位置から一歩下がった。
「今、どこだ?」
「ハイウェイ上にいる。バイクでグランドキャニオンへ向かう途中だが……」
 一歩離れたグラハムの気配にありがたく思いつつ、会話を続けると、ロックオンの声が僅かに緩む。
「そうか、都合がいいな。奴さんが車でグランドキャニオンへ向けて移動を始めた。理由は不明。予定が変わったのか、監視に気付いたのか、……単なる気まぐれかもしれねぇが……現状ではどちらの可能性もまだ捨てられないだろう。軍は逮捕するように警察に協力を要請している。」
 これはスメラギが立てたターゲットの行動予想の範囲内だ。
「なにかやるきか」
 もし爆弾テロを起こすつもりなら……殺してでも阻止する、それが刹那に与えられたミッションだ。それは、この男も同じだろう、電話口からはいつになく気迫が感じられた。いやむしろもっと強い思いを抱いているはずだ。悔しげな口調でロックオンは言った。
「それは分からん。だが、当然放っておく訳にはいかない。俺はすぐには動けない……こんな時間じゃ車だと尾行が目立ち過ぎるからな。お前に待ち伏せして、監視を引き継いでもらいたい」
 了解、と答えようとしたとき、グラハムのことを思い出して、返答に詰まった。部外者をミッションに巻き込む訳にはいかない。
 しかし、一瞬で刹那は決断を下した。
「了解。刹那・F・セイエイ行動に移る」


 そして刹那は通信を切った。
 さて、問題は彼をどうするかということだが……任務のことを明かすことはできないが、さりとてこんな荒野の真ん中に放置する訳にもいかない。砂漠に何の装備もなく放置するなど、間違えば命取りにもなりかねない。舌打ちがひとつ零れたのを、グラハムが目をつけた。
 グラハムは刹那の様子に、異変を察知したらしい。
「怖い顔だ……何かあったのか」
 きつい口調で問い詰められて、刹那は返答に窮した。するとグラハムが険しかった表情を緩めて言った。
「君がいる時点で、何か問題が起きているのは分かっていた。……行くのかね」
 行くか、と聞かれれば、行くと答えざるを得ない。気を使わせてしまったな、と悔しさに唇を噛むが、こればかりはどうしようもなかった。
「すまない」
 漸く刹那がそれだけ言うと、グラハムは心得た、と腕に抱えていたヘルメットを刹那に返してきた。そしてバイクから勝手に荷物を取り出してしまう。
「気にするな、カタギリに連絡して迎えにきてもらうさ」
 本当にすまない、刹那はそういうと唇を噛みしめた。それに対してグラハムは笑顔で手を振った。
 こんな風に別れるなんて、刹那の胸に後悔の感情が押し寄せてきた。もっと話ができると思っていたのに。あまりにあっけない幕切れに体中から力が抜けていく。これからミッションだというのに、こんなことではいけないと刹那は気持ちを引き締めようとした。それなのに、ふと目の前でグラハムが少年のような笑みを浮かべて右手を差し出してくるので、ぎゅっと眉を顰めて、喉奥からせり上がってくる何かを耐えなければならなかった。
「君に会えてよかった」
 明け始めた金色の空を背景にして、彼の輪郭がぼやけてしまう。逆光のせいかその表情は曖昧だ。そのまま、空に解けてしまいそうな風情で、グラハムはうっすらと笑みとも泣き顔ともとれる不思議な顔をして刹那を見た。無垢な子供のような、透明な目だ。今度こそ本当にサヨナラだ、その目はそういっているように見えた。刹那は何も言えなかった。差し出された手も握れない。グラハムからみたら、仏頂面で立ちつくす礼儀知らずの男だと思っていることだろう。案の定、あっさりとグラハムは右手を引っ込めてしまった。
「…………っ」
 言わなければ、刹那はぎゅっと右手を握り締めた。
「謝りたいのは……こんなことじゃない。俺は……あんたの大事なものを壊して、それで……あんたは飛べなくなって、だから……」
 グラハムはじっと聞いている。それなのに続く言葉が出てこなくて刹那は次第に焦り始めた。もともと饒舌な方ではない。感情を言葉にするのは苦手だ。言葉で言えないならと、刹那の赤茶色の虹彩に金色の光が混じる。グラハムの本心が知りたい。自分の気持ちを伝えたい。刹那はじっとグラハムを見た。金色の光が徐々に強くなっていく。感覚が研ぎ澄まされ、ぎゅっと凝縮されて彼へ向かって、彼の奥へと伸ばしていく。
 しかし、グラハムの言葉に刹那の集中がばちりと切れた。
「君は優しい男だな。……だが、その優しさは余計だよ」
 白い手が、不意に翻り、刹那の髪にそっと触れる。まるで労わるような手つきだった。目頭まで熱いものが込み上げてきた。
「君が私を気にするのは、ガンダムのせいで私が歪んでしまったのだと、負い目を感じているからだ。……だが、それはもういいのだよ。私には君の言葉だけで十分だ」
 思いがけない告白に刹那が瞠目すると、覗きこむようにしていた緑の双眸が、すっと眇められる。そして朝日に白む東の空を見て言った。
「生きる為に戦え、という君の言葉。あの戦いからずっと、私はそれだけを考えて生きてきた。……だが、未だにそれがなんだかわからない。愚かな男だと嗤いたまえ。だが、答えが出るまで考え続けるだろう。私にとってはそれほど重い言葉だったのだ」
 眩しいほどの朝日が目に入って、一瞬視界がハレーションを起こし、彼の姿を見失う。夜は明けてしまった。次に振り返った時には、もはや彼の姿は朝日の中で古い傷まで明らかだった。そしてその瞳には、傷を負い、さんざん傷ついてもなお、生きようとする強い意志があった。
「一刻も早く、元の街へ帰れ」
 結局、言えたのはそれだけだった。
「君とグランドキャニオンに行ってみたかったよ、少年。それだけが心残りだ」
 そういうと、グラハムは一度も振り返ることもなく、朝日に向かって歩いて行った。

 本当にこれで良かったのだろうか。
 刹那はあの後すぐに、グランドキャニオンに隠してあった地上活動用のフラッグへと急行した。
 そしてそこの端末で、テロリストの位置を確認しながら、もう一度彼についてのデータを確認する。
 名前、年齢、出身地、経歴……生まれはAEUだった。男の経歴を精査していると気になる記述を見つけた。男は軍人だった。技術員としてMSの整備を担当している。ふと短い記述が刹那の目を引く。
「なんてことだ……」
 男はアロウズに所属していた。
 2カ月で除隊扱いだったため、見逃していた。なんとなく胸騒ぎがして、トレミーへ連絡すると画面にフェルトの顔が映った。
「刹那、お疲れさま。何かあったの?」
「ターゲットがアロウズに所属していた時のデータをくれ。在籍時期と配属先、それから除隊理由も」
 急いでくれ、頼む。最後にそう付け加えると、フェルトが驚いたように目を見張って、しかしすぐにやってみる、と言ってくれた。回線を開いたまま、返事を待っている。ほんの数秒のことが待ち遠しい。刹那は爪を噛んだ。
 すぐにフェルトからの返信が来た。が、それを読んだ刹那は、愕然とした。
 予想していたより、ずっと悪い事態だ。
 慌ててグラハムの現在位置の座標を詳しく引きだした。それとテロリストの座標を重ね合わせてみる……
 それはぴったり重なっていた。

++ continued...



2011.1.13