※一部に男性同士の露骨な生描写が見られます。18歳以下の方は閲覧しないで下さい。
(この回にはありませんが)

※ 劇場版のネタバレを含みます。
※ 2期最終回から劇場版までの話です。



『 ノクターン―飛翔する用意はできていた 』

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 電飾で飾られた巨大なアリ塚のように聳える摩天楼のしたで、刹那は白いTシャツに黒いコートを羽織った格好で歩いていた。初めての道で、特にこれと言った目的がある訳ではなかった。初めてだが、未知というわけでもない。揺るやかに左へカーブしている歩道がその先で煉瓦色のビルが建つ交差点にぶつかることを刹那は知っていた。トレミーの衛生画像で、この街の地図は何度も何度も繰り返し調べているので、細かな路地まで暗記できている。この先に、あるファーストフードのチェーン店のホットドックは美味い。
 刹那はミッションのため、アメリカのアリゾナ州に来ていた。荒涼とした荒れ地のまん中に突然間欠泉のように大都会が湧きだしている。そこに、爆弾テロ犯が潜伏しているという情報がベーダを通じてもたらされた。そこで、近くに連邦軍の基地はあるが、観光客など、外国人の多い街のほうが身を隠すには好都合ではある。木を隠すには森の中だ……当然、政府も同じ情報は掴んでおり、軍を動かしている。刹那達のミッションは、陰ながら(軍にも知られないように)彼らを見守り、サポートすることだ。そして万が一彼らが失敗した時には、即座に止める。刹那とロックオンはそのプランを実行すべく地上に降りた。ロックオン・ストラトスも、別行動だがターゲットを監視している。もし、男が少しでもそれらしい行動をとったら、その時は彼の狙撃技術が役に立つ。そんな場面が来なければいいが……刹那は、ファーストフード店の窓際の席に座って端末を弄りながら考えていた。トレミーへの定期通信を送った。特に異常なし、引き続き待機する。
 その時、携帯に着信が入った。
「はい」
『よう、刹那そっちはどうだ?』
「変りない」
 軽い声の調子から、彼がやや退屈していることが窺えた。
『こっちは動きがあったぜ。奴さんマジで観光にきたらしい……明日グランドキャニオンへ行く飛行機のツアーを予約した……俺も同じツアーで行く。お前は別行動で合流してくれ』
「出発は何時だ?」
『明日の9時発の飛行機で日帰りだ』
「なら、俺は夜明け前に出発して、先行する」
『了解。しっかし、一人でツアーかぁ……味気ねぇぜ』
「確かに、男一人では不自然だな」
 刹那が思ったことを正直に口にすると、重い溜息とともに呆れた口調で返された。
『お前ってさ、“真面目すぎてつまらない”とか言われちゃうタイプだよな……』
 それのどこが問題なのか、尋ねようとしたが、そのまえにロックオンに機先を制された。
『これからナンパでもすっかなー』

 それで通信は切れた。

 現在尾行の中心はロックオンだ。刹那は彼の状況次第にいつでも助けに行けるように、待機中である。二輪車でグランドキャニオンへ行くには、飛行機より倍以上時間がかかるから、夜明け前に出発しなければならない。
 つまり、あと半日はこの街にいることになるな、と頭の中で明日にかけての行動計画をたてると、刹那はもう一度テロリストの現在位置の座標が動いていないことを確認して、端末を閉じた。
 注文しておいたホットドックは、既に幾らか冷めていた。だが、齧り付くとソーセージ自身はまだ熱く、ぷつりと皮が破れる感触に続いて、熱い肉汁が、マスタードの辛みとケチャップの甘みと一緒に、口の中に広がって、想像した通りの味で美味い。肉とパンを咀嚼して飲み込むことを繰り返していると、ガラス越しに流れていく雑踏が目に入る。途切れ途切れに流れていく雑踏を、ぼんやりと眺めていると、誰もかれも一様に無表情で、男も女も、老人も若者も右から左へ流れていく。その中で、ふと一点に視線が止まった。店が面する大通りの丁度斜め向かいの位置、大きな椰子の街路樹の傍に黒いジープが一台駐車している。分厚いタイヤに厚い外装、完全なオフロード仕様だ……いくら砂漠のまん中の都市だとしても、このような街中にはやや不釣り合いにうつった。ふと気になって、運転席を注視した。すると運転手の男に刹那は見覚えがあった。
(……あれは、スメラギの古い友人の科学者)
 スメラギと一時同棲していた男だ。刹那は一度だけ彼のマンションで鉢合わせしている。あの頃とほとんど変わらない。特徴的な髪型もそのままだから直ぐ分った。確か、アロウズでもMS開発に携わっていたはず……それまではユニオン軍で技術顧問を務めていた。確か、グラハムの親友だとい言っていた、名をビリー・カタギリという。
 待ち合わせだろうか、彼は運転席で端末を開いて何やら熱心に作業している。

 刹那は食べかけのホットドックを置き去りに店をでた。ワンブロック下がった横断歩道から道路を渡り、彼の様子を探る為近付いた。丁度ジープから10メートルほど離れたところにある路地に入ったところで、通りに気配を感じて、コートのフードを被って身を隠す。壁際を金髪の男が通り過ぎた。
 そんなはずはない、そう自分に言い聞かせた。ココはグラハムの住む街から飛行機で数時間は掛かる。しかも大都市で立ったひとりの人間と偶然出会える確立なんて、砂漠でオアシスを見つけるのよりも難しいに違いない。金髪の男は駐車しているジープに向かい左手を上げた。黒っぽいジャケットとジーンズを着たているが、間違いない、いや間違うはずもない。男はグラハム・エーカーだった。
(なぜ、ココにいる……?)
 刹那はもう一度フードを被りなおして、身を隠して二人を窺う。グラハムはスーツではなく、黒い革製のジャケットにジーンズというラフな格好だった。少し大き目で、肩のあたりがだぶついているが、似合っている、と刹那は思った。こういう洋服も着るんだな……見なれない様子で違和感を感じたけれど悪くない。グラハムは右手で大きな紙袋を抱えて、肩にはショルダーバックをぶら下げている。紙袋からは酒瓶の口が数本覗いている。一人で飲むには多過ぎやしないだろうか。しかしその疑問もすぐに晴れた。
「待たせたな!」
 グラハムは車窓越しにそう声をかけた。どうやら待ち合わせをしていたらしい。直ぐにサイドウィンドウが降りて、ビリーが顔を出す。
「久しぶりだね」
 二人は短く挨拶を交わした。通りは幹線道路らしく、ひっきりなしに車と人が行き交って、会話すらおぼつかないような雑踏なのに、グラハムの声はそれら全てを飛び越えて刹那の鼓膜を直接揺らす。彼の声を聞いたのは一体何日振りだろう。そこだけが、スローモーションのようで、刹那はグラハムの一挙手一投足を凝視した。少し髪が伸びている。耳元で切りそろえられていた金髪が、耳たぶに掛かる位置でくるりとカールしている。血管が透けて見えるほど白かった肌は、健康的な肌色になっていて、赤みがかって健康そうだった。どうやら、体調に問題はなさそうだ。だが、変わらないところもある。真っ直ぐに伸びた姿勢もそうだ。きびきびと力強い歩調、大きく輝く目、それから、右頬を覆う傷跡。グラハムは目を覆いたくなる傷を消していなかった。
 そのことに暗い満足を覚える。
 近付いたグラハムに気付いたポニーテールの男が、ジープの分厚いドアを開いて降りる。そして助手席のドアを開けようと回り込んだ時、彼の全身が見えた。灰青色と白の上下は、連邦軍の制服だ。その姿を見た途端、グラハムの顔色が変わった。皮肉気な笑みで言った。
「旅行中まで仕事とは、君もつまらぬ男だな」
 カタギリは肩をすくめた。
「仕方ないさ、仕事は待ってくれないし、僕は休職中の君とちがって忙しいんだ」
 グラハムは真面目な顔になっていった。
「これは一体どういうことだ?」
 カタギリが開けたドアに、グラハムは一瞥もくれない。立ち尽くしたまま険しい顔だ。
「君は旅行だといった。それなのに何故、軍服なんぞ着ているのか?理由を説明してくれないか?」
「僕がいま手がけている機体、実証試験の許可が正式に下りた。いよいよアリゾナの基地で本格的な試験飛行にはいるんだ。パイロット候補は何人かいるけど、僕は君とやりたいと思っている」
「それで、嘘をついて私を呼び出したということか?」
「……騙したのは悪かったよ。でも、そうでもしないと君は来てくれないから……!」
「帰る」
「待ってよ、グラハム」
 グラハムは取り付く島もない態度で、踵を返すと、刹那の方へ向かって歩き始めた。驚くほど速足で、堅い革靴がカツカツと高い音をたてて近付いてくる。刹那は咄嗟に身動きを忘れた。そして丁度、刹那のいる路地の入口で、軍人がグラハムに追いついた。
 男がグラハムの腕を掴んで引き寄せる、が細い体型で、体力もあまりないらしい、掴んだはいいが逆に自分より背の低いグラハムに引きずられた格好だ。
「僕はもう一度君と一緒にやりたいんだ。一から新しいモビルスーツを作りたい。アイディアはある、でも機体がいくら優秀でもパイロットが平凡なら、機体性能の全てを引き出して……いや、それ以上、僕ら技術者が予想していた以上のキャパシティーを提示してくれる。君ならそういう奇跡が起こせる。だからもう一度……」
「君のその信頼には感謝するが、何度請われても答えは同じ、NOだ。今はまだMSに乗ることはできない」
「ダメだよ、君は飛び続けなきゃいけない、空にある君は誰よりも力強くて輝いているのに」
 ポニーテールは上半身をくの字に折り曲げ、引きずられながらも手を放さなかった。グラハムも力づくで振り払おうとはしない。向き合って彼の手に自分の手のひらを重ねて、覗きこんだ。
「私は、軍に戻らないと決めた」
 刹那は動目して二人の会話に聞き入った。……グラハムのような優秀なパイロットを連邦軍が放っておくはずはない。復帰の話は当然だし予想できたし、彼は受けるだろうとも思っていた。しかし、グラハムは拒んでいる。何故だ、と刹那は思った。
「君が自分勝手で強情で、一度決めたことは決して曲げない性格だってことはよく知っているけど、僕もこの件に関しては、譲れないものがあるんだ」
 グラハムの肩を掴みながらビリー・カタギリが迫る。
「また、君と空を飛びたいんだよ、グラハム」
 身体を硬直させて立ち尽くすグラハムの気持ちが大きく揺れた。
「決めたことだ……私欲のために、空を汚した私には、もう飛ぶ理由がない」
「僕だって、いや僕は君よりずっと卑怯だった。クジョウに復讐するために、君の憎しみを利用した。自分は安全なところに身を置きながら、君を戦場にけし掛けた。卑怯な男だよ。そんな僕でも、またMS開発の現場に戻れた。理由が必要なら、また作ればいいじゃないか!」
 カタギリの真剣な言葉に、彼の心がそれまでが嘘のように湧きたつのが分かった。緑の湖面のように凪いでいた双眸が、今は嵐の前のようにざわざわと激しく揺れている。言葉とは裏腹に、内心は彼の言葉が嬉しくてしかたがないのが手に取るように感じられて、刹那はうっそりと笑った。本当は、飛びたくて飛びたくて、彼の心は今にも張り裂けんばかりに膨らんでいる。

「私は、軍には戻れないといった……」

 その時、いよいよグラハムが耐えられないと、ポニーテールを振り払った時、彼の顔が刹那のいる路地へ向いた。緑色の目がぱっちりと開いて路地の奥を……刹那を捕えた。薄暗い湿っぽい路地から、眩しい、作り物の空を背景に、グラハムの金髪が古びた金の彫刻のように光っていた。青と並ぶと嫌が応でも彼の金髪は目立つ。ふと、刹那は彼が着ている上着が昔の飛行士たちが着ていたフライトジャケットに似ていることに気がついた。黒い革製で襟には茶色のファーがついている。なめし革が濡れたような光沢を放っていた。なるほど、彼に似合う訳だ。飛ぶための衣装、時が止まったように、細部まではっきりと分かった。
 逃げなければいけない、と理性は警鐘を鳴らすけど、刹那の脚は動かない。影を縫い付けられたピーターパンのようだった。
(……俺は、会いたかったんだ、この男に)
 ずっと求めていたものが直ぐ手の届くところにあるのだ。このままずっと動かずに、対峙していられたらいい……
 しかし、終わりは唐突にやってきた。
「……少年」
 グラハムの声で、刹那は我に返った。再び人々のざわめきと雑踏が響きだし、自動車のクラクションが空気を切り裂いた。時が再び流れ出していた。そのなかで、あの男が驚いて目を剥いた。止まっているより、動いている方がいい、と刹那は思った。
「すまない、カタギリ。その話は後にしよう」
「ちょっとグラハム、彼は……」
 刹那は一歩前に足を踏み出した。歩きだすとどんどんと勢いをつけて、ついには駆け足になって、そのまま彼の腕を掴んでいた。
 手のひらに伝わる温もりがじんわりと広がる。皮膚から直に伝わる脈拍は、宇宙で聞いたパルスより、微かだが確かな存在感を持っていた。

++ continued...



2010.12.15