※一部に男性同士の露骨な生描写が見られます。18歳以下の方は閲覧しないで下さい。
※ 劇場版のネタバレを含みます。
※ 2期最終回から劇場版までの話です。



『 ノクターン―飛翔する用意はできていた 』

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 あの男と過した一日一日、交わした会話の一つ一つを今でも鮮明に思い出せる。

 最初は、単に生きているかどうか確認する為だった。
 宇宙で漂流していたあの男を救助し、治療を施した。そのさい皮膚下に埋め込んだマイクロチップは今もグラハムの背中にあって、特定の周波数で彼の心拍数や体温を発信し続けている。彼の背中に、計測と転送用のマイクロチップを埋め込んだのは純粋に治療が目的だったが、治療が終わって島を出ていく際に、そのチップを取り出さないようにしたのは刹那だった。あの男がアロウズとガンダムが消えた新しい世界でどのような選択をするのか、興味があった。生き続けるか、それとも。どちらにせよ彼にとっては辛い世界だ。


 グラハム・エーカー。アロウズのパイロットだった男。アロウズとの戦いの後、刹那はこの男を宇宙で救助した。なぜそんなことをしたのか……実は今でも疑問に思うことがある。ただ、GN粒子の濃く拡散した空間の隅っこで、一つ酷く気になる気配があって、そうたったひとりで小さく丸まるようにして漂う気配があまりに弱々しかったからか、何故かその小さな瞬きを無視することが出来ず、救助した。それが、あの男グラハム・エーカーだったのだ。そのまま地上に降ろし、CBの地上基地の一つで怪我の治療をさせたのだが……それが、まさかこんな風に後を引くことになるとは、想像もしなかった。
 治療ポッドの中、意識の無いグラハムは、整った鼻梁をぴくとも動かさず、まるで人形のようだと思った。あの宇宙での戦いの時に、切り裂くような闘志と殺気をぶつけてきた相手とは思えない、まるで抜け殻のようだった。その金色の睫毛を凝視しながら、刹那は彼の名を呼んだ。自分の声を聞けば、またあの強い闘争心を思い出して、起き上がるのではないかと思った。そして顔面から肩、胸へと無残な傷跡にそってガラスを撫でた。それは刹那との戦いで出来た傷だ。こうして刹那の前に無謀に横たわることは、この男にとって屈辱以外の何ものでもないだろうに、好きにされても、グラハムは一向に眼を覚まさなかった。相変わらず、生きているのか死んでいるのか分からない、その態度に腹が立った刹那はもう一度、治療ポッドを強く叩いて、怒りを込めて名を呼んだ。
 だがそれでも、グラハムは眼を覚まさなかった。
 本当に死んでしまうのだろうか、数値が示す心拍数や脈拍は安定していたが、その可能性は決してゼロではない。彼自身に生きる意欲がないならなおさら……そう思った途端、目頭が熱くなった。思わずさっき殴ったガラスに口づける。丁度、グラハムの胸に当たる所だった。その冷たさが怖くて、さらに強く手を押し当てると、目頭に溜まった熱が溢れて、そして涙が一筋落ちた。人形のようなグラハムなど嫌だと思った。それなら、憎まれている方がいい。

 そう、死なれるよりは憎まれている方がいい。
『俺は、刹那だ、グラハム・エーカー。あんたが憎むガンダムのパイロットが目の前にいるのに、あんたは寝たままでいいのか』
 その時、睫毛が揺れた。チクリと胸が痛んだ。ガンダムの名に反応したのかと思って、もう一度繰り返すが今度はぴくとも動かなかった。失望と同時に暗い喜びが湧きあがって、刹那は戸惑った。目を覚まさないグラハムに、もう一度己の名を告げる。無意識でも刷り込まれてくれるようにと。ガンダムよりも強く。そしていつか目を覚ました時に思い出せるように、自分の名を誰も触れない、彼の意識の深いところへ刻みつけたいと思った。
 それが嫉妬と独占欲だと、あの時は気付かなかった。だが今にして思えば気付かなくて良かったと分かる。
 宇宙と地球という、どうしようもない距離に隔てられていても、こんなにも逢いたいのに、もしあの時この気持ちに気付いていたら、こうなることが分かっていたら、あのまま、小さな島の一室で眠らせたままでいたかもしれない。
 あの時、彼の命は刹那の手の中にあって、誰も二人を妨げることはなくて、刹那は確かに幸福を感じていたのだから。

*** *** ***

 個室に下がった刹那は、照明も点けず、寝台に横たわった。見なれたトレミーの天井がモニターの明かりだけを頼りに目の前に迫ってくる。
 そのまま目を閉じた。
 
 静かだった。いまでも、こうして目を閉じてじっと耳を澄ますと、数か月前に数日間を過ごした南洋の孤島の潮騒が聞こえて煩いほどだ。島の名前はノアノアといった。現地の言葉で「芳ばしい」という意味だ。ノアノアの闇はもっと深く、椰子の森の奥やコテージの陰にじっとりと肌にまとわりつくようなで、それ自身が目の前に存在するかのような存在感を持っていた。
 必然的に、あの孤島で共に過ごした男のことが思い出された。わずか数日間の間だったが、彼の容姿は今でも鮮明に思い出すことができた。蜂蜜のような艶やかな金髪に、オアシスの泉のような、椰子の葉のような濃い緑の瞳、ミルクのような白い肌。砂漠の民が憧れてやまない色彩をその身に宿した男だった。しかしその白い肌に無惨に散る赤黒い傷跡。背中の肩胛骨を覆うように、右肩を中心に肩胛骨まで放射状に広がる傷跡は、触れると予想外に、ほかの皮膚と同じように柔らかかった。
『この傷が哀れかね』
 と男はまっさらな肩越しに振り向いていった。
『哀れだとは思わない。……これは、俺がつけたものだ』
 そう答えた。
 本心だったが、するとあの男は苦く笑って、『君は残酷な男だな、刹那』といった。どういう意味か、問いただしたかったが、あの男の米神のあたりから、透明な汗が一筋、白い首筋に向けて流れ落ちたから、誘われるように舌で舐めとった。味わった汗は、やはり塩辛くて、海水に似ていた。でも海水よりもずっと優しい。それなのにあの男の皮膚に触れている舌先が痺れたようになって、感覚が鋭敏になる。舌で、唇で、頬で、指先で、手のひらで、体中のすべてを使って、あの男を感じた。なぜそんなことをしたのか……ただ少しでも理解したいと、最初はその一心だけだったのに、いつのまにか男への興味に別の色が混じり始めて、刹那はあの男を抱いた。初めての経験だった。同性だということに躊躇はなかった。



 記憶に引きずられて、下半身に熱が高ぶっているのに気づいて、刹那ははぁと一つ溜息をついた。
 いつもそうだ、あの男のことを思い出すと、同時に最後の夜に抱き合った時の感覚が甦って、欲情する。

 刹那はパイロットスーツの前を開いて、黒いアンダーシャツを露わにする。そして大きく深呼吸すると、伸び上がって端末を取り出して、そこにつないだ白いイヤホンを耳に挿入した。するとピッピッピッと無機質な電子音が鼓膜を揺らす。いつもよりかなり早い。どうやらあの男も興奮状態らしい。時間を確認すると、午後2時を過ぎたあたりだ。場所はアメリカ、彼の部屋だ。天気図を開く、天気は晴天。上空に雲は無し。地上から見上げれば、きっと抜けるような青空だろう。……あの男のことだから、青空をみて欲情しているのかもしれない。
 根拠はないが、あの男は青空が好きだと思った。あの綺麗な金の髪は、青い空によく映えたから。
 本人に尋ねたらきっと失礼な、と怒るだろうな、怒りに顔を赤くするグラハムを想像して、刹那は眼を閉じた。制服のスラックスのジッパーを下ろし、そっと下着越しに熱を持ち始めた自身に触れた。そこは既に堅くなり始めている。現金な自分に呆れながら、刹那はそのまま下着の中に指を突っ込んだ。手首にゴムが食い込んで邪魔だが、気にしない。
 自分の部屋で一人きりで興奮することといったら、なんだろうか、刹那は自分の状態を思って笑みを浮かべる。ひょっとすると同じ事をしているのかもしれない。グラハムが自慰に耽る様を想像して、息が荒くなる。
 白い肌を赤く染めて、一枚だけ羽織ったシャツの前を肌蹴て、下半身は剥き出しで。あの長くて堅く引き締まった足を淫らに開いて、そのあわいに指を潜めて、立ち上がった欲望の兆しに指が絡む。
 だが、もし一人ではなかったら?その想像にかっとなるる。恋人が出来たのかもしれない。そしてその相手と抱き合っているのかも……ありえないことじゃない、あの男、容姿はいいからな……刹那は枕を壁に投げつけた。ボスンと軽い音をたててから、枕が床にずるりと落ちた。そして暗い笑みを浮かべた。だが、あの酷い傷跡のせいで、誰も気付かないだろう。あの傷があって良かった。あれは自分がつけたものだから。それが呪いになって彼を覆って、誰も近付けないならいいのに。様々な想像が脳裏をよぎるが、結局身体は直截な刺激に敏感に反応していく。
 耳をうつ荒く乱れたパルスに、体温がどんどん上昇していった。
 背後から抱きしめたとき背中から聞いた心臓の鼓動が脳裏に鮮やかによみがえる。記憶には匂いも味もないけれど、音と想像を引金にして、欲を掻き立てていった。熱くなった自身に強く指を絡めて、乱暴にしごく。途端に背筋をぞくぞくと快感が駆け上り、しごく指にもさらに力がこもっていく。いささか乱暴だったが構わなかずに、はっ、はっと短い息を瓶に振りかけながら、きゅっと眉をよせて快感に耐えた。こんなことをしては、だめだと思うのに、止められない。刹那自身をきつく締め付けたあの男の内部の感触を模倣するように握力を加減するが、上手くいかない。けれど、無いよりはましだった。刹那は喉を開いて息をした。
「……っ……」
 声にしたいのに、出てこない。喉が固まってしまって音にならない。たぶん、声にしてしまったら最後、取り返しがつかなくなると無意識に恐れているのだ。それは自分の劣情の行く先を自分で認めることだから。
 認めてはいけない。
 刹那は堅く目をつぶり、行為に没頭するため、濡れてきた指の動きを早くした。
「……ふっ……」
 刹那はぐっと唇を咬んで息を殺す。下半身からせり上がってくる快感が自然と喉を突き上げてくるのを、唇を咬んで堪えた。それでも、右手の動きは止めない。
 フィニッシュまであと少し……右手の間からくちゅくちゅと淫らな水音が漏れ始めていた。先端からこぼれ出す滑りを裏筋に塗り込めるように強くこすり、強烈な刺激に、頭の中が真っ白になる。
 終わりはあっけなく訪れた。
 欲望を吐き出してしまうと、途端に全身を覆っていた熱はあっという間に引いてしまって、あとに残ったのは、手のひらを汚す白い残滓と、倦怠感だけだ。やり場のない汚れた手の甲で、刹那は目を覆った。

 あの男はどうしているのだろうか。
 自分のように、あの夜のことを思いだして欲情したりするのだろうか、だとしたらこの虚しさも少しは報われる気がする。だが、そんなことはないだろう、と刹那は思った。あの男にとって、敵だった自分に抱かれた記憶など、一刻も早く忘れたいに違いない。それか、もうとっくに忘れているか。
 ……どちらでもいい、と刹那は思った。
 たとえあの男が忘れていても、それはそれで良かった。むしろ忘れてくれた方がいい。
『君を許すことはできない。許すには君が私から奪ったものは大きすぎたから』
 あの男はそういった。
 その通りだと刹那は思う。
 ソレスタルビーングとして自分はあの男から多くの幸せを奪った。ガンダムで行ってきた武力介入・破壊行為・殺戮には後悔はない。たとえ世界中から糾弾されたとしても、正しいことだったと信じている。だが、グラハムを知って、彼が戦いに熱狂した原因が、CBの武力介入への憎しみだと知って、漸くその正義の裏側で払われた犠牲の大きさを実感したのだ。グラハムだけではない。優しかった父と母、ロックオン・ストラトスの家族、そしてアニュー・リターナー、数えきれない程の命という犠牲を払わせたのは自分の罪だ。
 許される資格はない。
 幸せになることなど許されないのだ。
 それなのに、あの男を思うと不思議と温かい気持ちになる。出来るならこの手で抱きしめたいと思う。そして笑っていてほしい。

 矛盾した思いを抱えて、刹那は再びイヤホンから流れる無機質なパルスに耳をすませた。

 だから、この気持ちを認めることはできない。
 これが愛だと認めたら、きっと今までと同じようには戦えない。欲しいものができたら、きっと失うことが怖くなる。

 気がつくとパルスは平均値へ戻っていた。
 刹那は安心すると、眼を閉じた。

++ continued...



2010.12.1