※一部に男性同士の露骨な生描写が見られます。18歳以下の方は閲覧しないで下さい。
 (この回にはありませんが)

※ 劇場版のネタバレを含みます。
※ 2期最終回から劇場版までの話です。



『 ノクターン―飛翔する用意はできていた 』

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 ピー、 ピー、 ピー。

 これが、あの男の心臓の音。


 刹那はイヤホンから流れる規則正しい電子音に耳を傾けた。乱れた己の鼓動とはまったく正反対の穏やかなリズムにすっと気持ちが落ち着く。時刻を確認すると、出撃の時間が迫っていた。そろそろコックピットへ移らなければならない。刹那は待機ルームからスタンバイ中の新しい機体をみた。暗い青系統の塗装が施された機体はガンダムではない、フラッグだ。これから刹那は初搭乗するフラッグの実践テストを行うことになっている。
 アロウズとの戦い以来、刹那はガンダムで出撃していない。連邦政府が融和政策を進めている今、ガンダムが出ることは連邦政府への不満を煽り沈静化している戦争の火種を再び揺り起こすことにもなりかねないからだ。だが、戦闘やテロがなくなった訳ではない。またそれらの異変を未然に防ぐためにも、ソレスタルビーングの介入行動が必要な時もある。そんな状況に対応するため、新たに導入したのがこのMSだった。
 今や世代遅れになったフラッグだが、刹那は今までにない、ガンダムの時とは違う高揚感を味わっていた。
(あの男が乗っていた機体……)
 グラハム・エーカー、彼にとって、この機体は試作段階から関わってきた機体だ。ユニオンが解体された後、アロウズでの彼の専用機にまで、その面影を残していたほどに思い入れが強い。これを駆ってガンダムに挑み、そして敗れた。刹那も何度も戦ったことがある。彼が駆った機体は漆黒だったが、刹那のは汎用型の青だった。


 ピー、ピー、ピー。
 尚も刹那はガラス越しにMSを見つめ続けた。パルスは途切れることなく、実に安定している。鼓膜を打つ音を聞くと、不思議と心が落ち着いた。このパルスは、グラハムの背中に埋め込んだマイクロチップから発せられている。脈拍や体温などの基礎的なデータを拾って、脈拍を音声として返還したもので、グラハムの鼓動を忠実に再現している。途切れることのない音に耳を澄ませながら、刹那は聞こえてくるパルスの数を数えた。
 脈拍60。
 成人男性としてはやや低い。
 現在地の座標を調べると、現地時間は午前2時。きっと就寝中だろう。道理で、あの男にしては低いわけだと、納得したとき、声を掛けられた。


「なにを聞いているの?」

 夢心地を破ったのは、同僚のフェルト・グレイスだった。
「音楽?」
 驚いて振り返った刹那に、フェルトは短く切った髪を耳に掛けながら近づいてきた。
「別に」
 直ぐ傍まできたフェルトに、刹那はいささか乱暴ともいえる素っ気なさで返事を返すが、フェルトは気分を害した様子もなく、邪魔してごめんなさい、と微笑むものだから、返って自分の大人げない態度に恥ずかしい思いがした。
 しかし、本当のことはいえなかった。……いえるはずがなかった。もし理由を聞かれたら、答えることができない。かといって嘘もつきたくなくて、結局口を噤むことしかできない刹那は、それ以上フォローらしきものもいえず、結局ぶっきらぼうに「そんなことはない」と、気の利かないことしかいえなかった。
 するとフェルトはもう一度微笑んだ。彼女は最近よく笑うようになった。それも昔のようなどこかおどおどした笑みではなく、柔らかくほころぶような自然な風に。
「気になって。刹那がどんな音楽が好きなのか」
 そして彼女は僅かに眉を顰めた。ちくりと刹那の胸に痛みが走る。なぜかはわからない。些細なやりとりのはずなのに、彼女を傷つけたような気がして、謝罪の言葉が出そうになるのを寸でのところで飲み込んだ。
「ミッション開始時刻だ」
 謝られることをフェルトは望んでいないだろう。
「……あの……」
 なにかいいたげなフェルトを残して、刹那はフラッグが収納された第一格納庫へ移動を始めた。

 宇宙の闇は何処までも深い。刹那はフラッグの操縦桿をゆっくりと起しながら、頭上に広がる暗闇を睨んだ。急旋回と変形を繰り返したせいで、指先が僅かに痺れた。変形の際のGは、想像以上だった。
 だが、あの男は、もっと鋭かった。刹那の脳裏によぎったのは漆黒の機体だ。それは鋭く速い動きで、刹那のガンダムすら翻弄したのだ。その動きを脳裏に浮かべながら、刹那はもう一度、機体の出力を上げて、宇宙の暗闇へ突入していく。旋回、そして急ブレーキ。内蔵が押しつぶされるような強い重力。そして目の前に広がる、宇宙の暗闇。
 深いけれど、希薄だ。
 そこが地上の夜とは違う、と刹那は感じた。地球上では、たとえ夜中でも、いつも何かの気配があった。部屋の電気製品の音、隣人の物音、道路の通行車、飛行機、鳥の声、風、潮騒、とくにあの孤島では、それらがとても濃厚で、空気まで昼とは違う匂いを纏っていた。潮の香りに、頭上から降り注ぐ木の葉のざわめき、夜光性の獣の咆哮、それから花の香り。
 思いだすだけで、目眩がしそうだった。

 その時、前方から高出力のビームがきた。青いビームは正確にフラッグの頭部を狙っている。その攻撃を左右に機体を揺らして避ける。そして近付いてきた機体は、ガンダムサバーニャだ。刹那はリニアライフルで応戦するが、何せ出力が違いすぎる。もっと近かなければ当たらない。刹那は接近するサバーニャに向けて速度を上げて前進する。

「刹那・F・セイエイ、迎撃行動にはいる」




 トレミーのドックに帰還した刹那を出迎えたのは、フェルトだった。
「おかえり刹那、フラッグのテスト飛行どうだった?」
 僅かに笑みを浮かべたフェルトの直ぐ横の手すりに飛び付いた刹那は一言だけ返す。
「悪くない」
 いつも出迎えてくれるフェルトに対して、刹那は態々仕事を中断してまで、ブリッジから降りる必要もないのに、と思う。だが、イアンが新型開発のためいない今、ドックでMSから降りても誰もいないのはやはり寂しいと感じていたから、彼女の顔をみるとホッとするのも事実だった。

 ブリッジで報告中していると、スメラギに質問された。
「実際に乗ってみてどうだった?ミッションに使えると思う?」
「問題ない」
「そう、なら決まりね。今後はこのフラッグを中心にミッションを組み立てましょう。」
 スメラギが手を叩くと、ライルが了解、と笑った。
「しかし、刹那がフラッグを選ぶとは以外だったぜ」
 そうラッセがいうと、ライルが訝しげに何で、と理由を尋ねた。
「ユニオンのフラッグ部隊には、苦戦させられたからな」
 フラッグが対ガンダムの主力機として活躍していた頃、ライルはまだCBではなかったので実際に戦ったことはなかった。刹那が答える。
「デュナメスに剣を抜かせた」
「兄さんに?」
 そりゃすげぇ、という皮肉と感嘆の混じった声を上げた。
「スピードがあるし、小回りが利く」
 ライルは、ラッセと顔を見合わせた。刹那らしい合理的な理由だと思ったが、ラッセは彼がガンダム以外のMSにそんなこだわり、というか好みを持っていたとは正直以外だった。
 ライルがいう。
「でもなぁ、刹那。あまり無茶な操縦はするなよ。みてて冷や冷やしたぜ……いくらカスタマイズしているとはいえ、元はあくまでもフラッグだからな、ガンダムと同じように扱っても、対応できない……」
 しかし刹那は即座に答えた。
「問題ない」
 少し休憩したいという刹那がはブリッジをでて個室へ向かう時、ドアのところで呟いた。
 お疲れ様、と声を掛けたかったフェルトだけがそれに気付いた。
「あの男はもっと速かった」

++ continued...



2010.11.29