※一部に男性同士の露骨な生描写が見られます。18歳以下の方は閲覧しないで下さい。

『 福の神さんいらっしゃい 』

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 12月31日師走も押し迫った大みそか。人々はゆく年を惜しみ、新しい一年に向けて希望を膨らませ、家族団欒を過ごす。日本では三百年以上続く伝統行事"紅白歌合戦"を観ながら、日付が変わる頃になると"ゆく年くる年"の鐘の音を聞き、年越しそばを食べる。これがスタンダードだという。教えてくれたのは隣に住む沙慈・クロスロードだった。潜伏中で特にやることのない刹那は沙慈に教えられたとおりにテレビの前で過ごしていた。
「…これが紅白…」
 聞いていた通り、どうやら数十人の歌手が集まり互いの持ち歌を歌う音楽番組のようだ。男女で紅白に別れ、互いの歌を歌い、そして審査員が歌の善し悪しで勝敗を決めるようだ。次から次へと人が変わって刹那の知らない歌を歌う。中には舞台セットの中に埋もれて歌う歌手もいて(司会者はそれを"衣装"と言っているが、どう考えても衣服の定義には反するだろうと刹那は思った。何せ動くことも儘ならないのだ)なかなかに華やかだ。しかし。
「歌で勝敗を決めることに意味があるのか…」
 これが三百年も続いているのだというから、文化圏が全く違う刹那には分からない、何か深淵な意味があるのだろう。伝統行事とはそういうものだからこそ尊重しなければならない。がかれこれ三時間も未知の歌を聞かせられ、さらには意味不明のダンスや笑えない寸劇まで、華やかな中に笑いを盛り込みバラエティに富んでいる。だが如何せん刹那には満ち過ぎた。夕食を食べ終わり、一時間が過ぎた頃には意識が朦朧とし始めた。確かにリラックスするにはいいかもしれない…気がつくと身体がソファンにだらしなく横たわっていた。まぁいいか。今日は特に任務もなし、激しい睡魔に抗う理由も無い。日本は今日も平和だ。そうまともな情報機関がなく規制も緩いこの国はテロ天国と言われて久しく、市民の警戒心もうすい。おかげで刹那も容易く溶け込むことが出来た訳だが…そんなことを考えていたところに、インターフォンが鳴った。モニターを確認すると見知った男だ。
「コイツは確か…隣に住む、沙慈・クロスロードだったな」
 彼は刹那の部屋の隣に住む学生で、何かと刹那に気を使う。今時珍しい男だと刹那は思っていた。隣人というだけで無条件に信用するなど警戒心が足りないと思うが、しかし彼の人の良さそうな笑顔を見るとそれも長所なのかもなと思った。ドアの外には沙慈の他にもう一人金髪のロングヘアを背中に垂らした女がいた。彼女はルイス・ハレヴィ、AEUからの留学生だ。
「何だ?」
 強制的に覚醒させられたせいで、ややかすれて不機嫌そうな声になった。
「あ、あの…ごめんね急にお邪魔して。実は年越しそばがあるんだけど、姉さん急に仕事が入って帰れなくなっちゃって…良かったら一緒に食べない?」
 沙慈・クロスロードの手の中には、こんも灰色の麺が盛られた四角い箱があった。
「そばとはソレか?」
「ああ、ひょっとして初めて?日本独特の麺でこのペットボトルに入っている汁に付けて食べるんだ。好みはあると思うけど、美味しいよ。前にちょっと話したけど、日本では大みそかにそばを食べるのが習慣なんだ。そうだ、良かったら家に来て一緒に食べない?」
「ちょっと、沙慈!」
 饒舌に語る沙慈に、それまで腕にしがみ着いて黙っていたルイスが口を挟む。沙慈の腕に白いニットに覆われて胸が押し付けられて、柔らかい肉に挟まりそうだ。だがそんな男なら一度は夢見る状況に慌てる風もなく、屈託のない笑みを浮かべている。
「どうしたの、ルイス」
「余ったおそばを差し入れるだけだって言ったじゃない!」
「でも刹那はそばを食べたことがないんだってさ。だったら一緒に食べたほうがきっと美味しく食べられるよ」
「そうじゃないでしょっ」
 ルイスは地団太を踏んで沙慈に噛みつく。
「折角の大みそかに二人きりなのに…!君、今のはほんの社交辞令だからね、空気よみなさいよ!」
「ルイス!」
 沙慈が慌ててルイスの口を両手で覆う。ルイスは細い眉を怒らせて、先ほどまで力強く絡めていた細い腕を全力で突っ張って抵抗するが敵わない。沙慈は顔面に笑みを貼り付けながら、乾いた笑みを顔面に貼り付けて言い訳する
「違うよ!ほんとに来て欲しいと思ってるんだ、そばは食べきらないと美味しくなくなるし、なんというか…居たたまれないし…イタッ」
 女が沙慈の指に咬みついた。
「何よ、私と二人きりなのが不満なわけ?そのために日本に残ったのにぃ…バカバカバカ、もぉ、沙慈のバカ!」
「え、そうだったの!?僕はてっきり、日本のお正月を体験するために、興味本位で残ったんだと…」
「そのくらい察しなさいよ!」
 コレはいわゆる痴話げんかというやつか…ルイスの甲高い声を聞きながら、現実を認識した途端刹那の肩に疲労感が重くのしかかって来た。馬鹿馬鹿しい、あまり他人の行動に感情を左右されることのない刹那ですら今すぐこの二人を目の前から排除したい衝動に駆られる。
「…すまないが、もう夕食は済ませているから、帰ってくれないか」
 そうはっきり告げると途端にルイスの表情が明るくなる。
「そう?邪魔して悪かったわね、戻りましょう沙慈!」
「ちょっと待ってよルイス…あの、色々ゴメンね、本当いつでも来ていいから。じゃあ、おやすみ」
「空気読みなさいよ!」
 そして二人は帰っていった。
 全く、この国は平和すぎる。うんざりした刹那は部屋に戻った。するとリビングのテレビでは沙慈とルイスと同レベルなやり取りが繰り広げられている。今度はさっきまで賑やかだとしか思わなかったテレビの音が酷く馬鹿馬鹿しく思えて、刹那は電源を落とした。

 テレビを消したはいいが、他に何もすることがない。日課のトレーニングはもう済んだし、定期連絡も済ませている。トレーニングももう1セットやってもいいが、さっきのやり取りで溜まった精神的疲労のせいでトレーニングにも集中できそうもない。集中できないならやらない方がいい。そうなると他に何も思いつかなくて、刹那は手持無沙汰を持て余す。
 一人には慣れているはずなのに、今日はいつもは気にならない、時計の秒針の音やエアコンの風の音などが耳につき、静寂に神経が過敏になっているようだ。いつもとは違う街の雰囲気と、楽しげな人々の笑顔にあてられたのかもしれない。何の不安もなく浮かれ騒ぐ人々。それが当たり前の日常なのだ、この国では。
 軽く舌打ちをして、刹那はゴロリとベッドに横になった。何か気が紛れることがしたい。あまり考える必要がなくて、時間がつぶせること。あった。一つだけ思いついた行為のあまりの卑俗さに、自分でも呆れるが、結局他に思いつかなくて、刹那は無造作にズボンの中に手を入れた。そして力無く項垂れたままの自身に右手を絡めゆっくりと上下に動かす。先の方を特に強くこすると腰から全身に痺れが走った。
 16歳の刹那に暇つぶしといったら、こんなことぐらいだ。
「ん」
 自慰行為は久しぶりだった。
 最初は探るように動かしていた右手が徐々に早さを増していく。刹那は上向きだった身体をよこに倒して、枕に顔を埋めるようにした。籠った息が頬に当たる。徐々に濡れてきた右手が気持ちが悪いし、漏れ出してくる先走りのせいで下着が濡れるのも嫌だ。いっそ脱いでしまおうかとも思ったが、そうして汚れたシーツを洗濯するのは自分なのだ、そう思うと高ぶり始めた気分が途端に萎えた。コレではいけない。何か刺激は無いかと思い浮かべる。がこの部屋にはAVの類はない。ネットを開けばすぐに見つかるだろうが、此処まで来て検索するのも面倒だった。もともとそういうことには淡泊な方で、AVとかもあまり観たことがなかった。第一見ず知らずの女性を、たとえフィクションの世界でもそういう対象として観るのは気好きではなかった。そうすると他に知っているのは、はミス・スメラギの胸とかクリスティナのことで…そんなのはもっとダメだと、すぐに打ち消す。彼女たちは数少ない仲間で、命を預ける対象だ。尊敬しこそすれ、そんなことには使えない。
 しょうがない、今日はこのままするしかないか、と腹をくくった。とりあえず擦れば出るだろう。出せばすっきりして眠れるかもしれない。ため息をついて腹を決めた刹那は、もう一度右手をズボンの中に押し込んだ。
 その時だ。


「君!」
 突然、真横から呼びかけられ思わず飛び起きる。
「…!?」
 思わずベッドの上を壁際までのけぞってしまった。そこには上下とも真っ赤な服を着て赤い帽子を被った男が仁王立ちしていた。右肩には白い巨大な袋を背負っている。中身は空らしくしぼんでだらしなく垂れているだけだ。
「何者だ?!」
 なぜココに…?このアパートはセキュリティシステムは備わっているし、刹那も常に戸締りには用心していた。これでも物心つく前から戦闘訓練を施されてきたのだ。それなのにこんな至近距離まで近づかれるまで、気づかないなんて信じられなかった。茫然としていると、男は緑色の大きな目を眇めて不敵な笑みを浮かべた。
「見て分からないかね」
 とりあえず身を起して、相手との距離を取り様子を窺う。ぬかったな。あいにく武器は持っていない。こうなったら素手で倒すしかないか…しかし相手の目的が分からないのでは迂闊に動けない。刹那は相手の顔を見た。無駄に大きな瞳をきらきらと輝かせて口元には微かに笑みを乗せている。男にしては白い肌に大きな瞳。表情からは殺気や警戒心はまったく感じられなかった。…スパイや暗殺者にしては無防備すぎるが、自分がCBのガンダムマイスターだと知った上での行動ならば即倒さなければならない。違う場合…例えば強盗なら迂闊な行動は返って面倒を引き起こす。死体の始末は面倒だ。適当に金を与えて立ち去らせればいい。他の家…特に隣に…気づかれなければそれでいい。冷静さを取り戻した刹那は、とりあえず一般庶民を装うための疑似人格を発動させる。小刻みに震えて怯えを前面にだした。
「…だ、誰…?」
 すると男は待ってましたとばかりに背筋を伸ばして良く通る張りのある声で宣言した。
「私の名はグラハム・エーカー。敢えて言わせてもらおう、福の神であると!」
「サンタクロースだろ!?」
 思わず素で怒鳴ってしまった。ハッと気づくと冷静さを取り戻そうと自分に言い聞かせる。がどうしても見逃せない矛盾があった。赤い服に白い大きな袋を担いだ格好は、何処からどう見てもサンタクロースだ。
「…福の神だ、福の神だといった。派手な衣を纏い白い袋を担いぎ福を運ぶ者、すなわち福の神…」
「いや、サンタだろ」
 重ねて断言すれば、男はやや俯いて悔しげに唇を噛んだ。そして唸るような低い声で呟いた。
「………く、確かに君の言うとおり、福の神とは仮の姿、正体はクリスマス子供たちに夢を届けるサンタクロースだ。私とて断腸の思いだったのだ。クリスマス中に全てのプレゼントを配り終わらないなどサンタとしてこれ以上の恥辱があろうか」
 握り締めた拳を震わせながら男は呻いた。
 なんかおかしくないかこいつ…本気で言っているのだろうか?それとも正体を誤魔化すための嘘か。にしてはもっと尤もらしい嘘をつけばいいモノを。大みそかにサンタクロースなんて時期外れもいい所、季節物は期を逸すれば説得力ゼロだ。唐突に男は刹那の手を取った。また間合いに…この男の行動が読めない。全身に距離に緊張が増す。
「君が願い事を書いた紙を靴下の中に入れておかないのが悪いのだ。クリスマス当日サンタクロースは多忙を極める。ゆえにルールを守らない者の中には配布リストから抜け落ちてしまう場合がある…しかし安心したまえ、ただ一週間ばかり遅れただけですることは大して変わらないさ!」
 グラハムと名乗る不審者はそう断言すると、肩に担いでいた白い袋を床におろして、身を乗り出してくる。こいつ言ってることがめちゃくちゃだ…強盗でなくただの変人かそれとも誇大妄想家か?いやまて、それにしては手際が良すぎる…やはり只者ではない…様々な仮定が脳裏に浮かぶが、男の言動はどれとも当てはまらない。矛盾だらけだ。にも拘わらず、グラハムと名乗った男は相変わらず大きなグリーンアイズをまるで子供のように純粋そのものといった風にきらきらと輝かせている。そうまで言うなら信じてもいいかも、そう流されそうになる程説得力のある目だ。
「さぁ少年、プレゼントは何がいいかな、一つだけ叶えてあげよう。何せ私はサンタクロースだからな!」
「ない。あったとしても、お前のような胡散臭い男に願いごとなど話すものか」
 断言すると、男はきょとんとした顔をして大きな目を見開いて刹那を凝視する。
「そんなはずはなかろう、何かあるはずだ。正直に言いたまえ」
「だから、俺は神なんて信じない。第一、サンタにしろ福の神にしろ、本物は髭の生えた爺さんだろうが!」
 グラハムは背筋はまっすぐだし、肌は白くて皺ひとつない。それに赤い帽子からはみ出す金髪はくるくると巻いた癖毛で、まるで蜂蜜のように艶やかに光をこぼしている。刹那の指摘に自称サンタクロースは衝撃を受けたらしい。大げさに手を翳してのけぞった。
「む…信じていない割にはディテールにこだわるのだな」
 グラハムはしゅんと項垂れた。その様は叱られた子供のようにも見える。金髪が目の前にあって、思わず手を伸ばしていた。別に慰めようとかそんなつもりではなかった。ただ、ふわふわと跳ねた金髪は柔らかそうで、触ると気持ちがいいのではないかと自然に手が伸びていたのだ。が、すぐに先ほどまでふけっていた行為を思い出して手をひっこめた。とその時グラハムが顔を上げる。不意にぶつかった視線に、何故か下半身に再び熱が籠って、顔が熱くなる。何考えているんだ俺は、刹那は節操のない自分自身を呪った。男相手に何故高ぶっているんだと自問自答するが、グラハムは相変わらず不思議そうに刹那を見つめている。確かに男のくせに顔は可愛い…正直言って好みの顔だ。だからって目があっただけで興奮するなんて、簡単すぎる。しかしそんな刹那の葛藤にもお構いなく、グラハムはやや上目づかいで身を乗り出すと、ベッドの上に四つん這いになって迫ってくる。その体制はまずい。狭いベッドの上だ。彼の顔は刹那の張り詰めた股間のすぐ前まで来ていた。
 グラハムの緑色の目がきらりと光った、気がした。ふふふと不敵な笑みを浮かべた男に思わず背筋に震えが走る。
「…なるほど、そういうことか!相分かったぞ少年……私が悪かった。君の差し迫った状況に気づいてあげられなかったがもう大丈夫、きみ程の年頃の少年が興味を持つものといいえばコレだった。」
 で、グラハムにベッドに押し倒された。途端に目の前に広がる天上が遠い。
「…っおい、何をする」
「恥ずかしがることはない、私とてそうだった」
 ふふふふふ、と不気味な笑みをこぼす男に背筋に震えが走った。なにか、とても嫌な予感がする。禍々しい、この男からとてつもない歪みを感じる。
「慈善事業だ、甘受したまえ」
 そういうとグラハムは刹那に圧し掛かって来た。

+end+



2010.01.2