※『旦那様はテロリスト』の続編です、が話しは独立しております。新婚ネタとかパラレルですので苦手な方はご遠慮ください。

『 甘えさせて、甘やかすから 』



 刹那は不平を口にしない。それどころか、 ほんの他愛のない我儘すら、一度も口にしたことがない。
 対する私は…恥ずかしながら白状すれば、これまで幾つ彼に我儘を言ってきたことだろう。家を探すときにも、芝生で犬を飼いたいから庭がある家がいいとか、彼が帰って来るときなるべく人目につかずに済むよう人通りの少ないひっそりとした場所がいいとか等々、日常では、家では靴を脱ぐようにしたのも私の希望だし、帰って来るときは必ず連絡するようにと約束もさせた。そうしなければ何の前触れも無く突然帰って来て、突然また出ていってしまう。一度などは行き違いになって折角帰って来た彼に逢えずじまいだったこともあったのだ。それから家にいる時はなるべく私の見えるところにいること、キスをすること、抱きしめることなど…ああ、数えだしたらきりがない。
現状では前述の私の我儘はほとんど実現されている(犬以外は…犬は私も仕事があるから世話ができないのでやめた)。私が我儘をいうたびに、刹那は少しばかり困った顔をしながらも、ほとんど許してくれている。誠に理解があるパートナーだといえた。しかし最近思うのだが、彼は本当にこんな生活で満足しているのだろうか。私の我儘に生活スタイルを合わせ、彼は不平一つ言わない。こうして欲しいとか、これは止めてほしいとか、そういう希望を彼は口にしたことがない。ないはずはないと思うのだが。一緒に暮らすようになってまだほんの半年ばかりしか経っていないのだから(そのうち本当の意味で二人で過ごしたのはその何分の一の時間だろうか、なんと嘆かわしいことか)、これからもっと互いのことを深く理解していくにつれて、そういった要望も口にするようになるのかもしれない。がしかし、いつかとは一体いつなのか。
 周知の事実として、私は大変我慢弱い男なのだ。いつまでも待ってはいられない。
 早々にこの現状を打破しなければならない。そうしなければ、気分が塞いで仕方がないし、テストパイロットをしているカタギリの新型で空を飛んでも飛んだ気がしない。
 このままではどちらが年上かわからないではないか。

 そう決心した私は、ある一つの作戦を決行することにした。



 今日の午後、刹那からメールがあった。曰く「今夜は帰れる」だ。通常、一度帰れば数日は家に居るから、今夜は多少羽目を外しても問題ないはず。
「ふふふ、これで君の本音を聞き出してみせるぞ、刹那」
 仕事帰りに、ショッピングモールにあるリカーショップで酒をしこたま買いこんだ。これで刹那の心を溶かし、本音を聞き出してみせよう。


 名付けてヤマタノオロチ作戦。


 すなわち、強い酒を飲ませて敵が酔っぱらった所を襲いかかるという、日本神話の英雄スサノオノミコトが大蛇ヤマタノオロチを退治した物語を参考にした由緒ある作戦だ。酒は百薬の長、飲みにケーションは日本の文化だ。刹那とて酔っぱらって正体を無くせば日ごろ口に出さない本音も漏らしてしまうに違いない。
 私は酒瓶がいっぱい詰まった重い買い物袋を担ぎながら、意気揚々と自宅へと続くな長い坂道を歩いた。

*** *** ***

「君はもっと甘えた方がいい、いやそうすべきだ。そうしたまえ!」


 穏やかな休日の夜…のはずだった。グラハムのこの言葉がなかったら…唐突に強く背中をたたかれ、思わず飲みかけの芋焼酎(お湯割り)を噴き出しそうになったが、寸でのところで飲み込んだ。勢い込んで飲み込んだせいでアルコールの香りが鼻に抜け、少しだけ噎せた。少し濃すぎるか…ポットに入ったお湯を足そうと伸ばした腕をグラハムが掴む。いつの間にか、ラグの上にじかに座ってローテーブルに寄りかかるようにして飲んでいたグラハムは刹那が座るソファに移動していた。風呂上がりのグラハムは水色のパジャマ姿で、空調から噴き出す風に煽られて、洗いたての金髪がふわふわと靡く。赤い顔をして細い眉間に深い皺を寄せ、コチラを睨む双眸は、充血して僅かに潤んでいる気がするが…きっと酒のせいだ。グラハムは弱くはないが、強くも無い。肌の色が薄いせいで、アルコールが入ると直ぐに赤くなるから一目了然だ。テーブルに残された焼酎瓶を見ると、ほぼ空になっていた。グラハムが今日買って来たばかりなのに。俺はお湯で薄めたのを二杯くらいしか飲んでいないから…半ばグラハムが三分の二は呑んだ感じか。まったく、コイツは加減というものを知らない。
 酔ったせいか手加減なく掴まれた手首が痛い。グラハムは俺の右手を掴んだまま、狭いソファに窮屈そうに肩をすぼめて四つん這いでにじり寄り肩に纏わりついてきた。右肩に顎を乗せるようにして見上げてくる。大きな緑色の瞳がじっとこちらを窺い、とろりと水の膜を張った目はアメ玉のように鈍く光っていた。アメ玉の瞳に濡れて艶を増した髪は飴細工のようで、ふと美味そうだ、そんな感想が頭に浮かんだ。気づくと右手が伸びていのを慌ててひっこめ、身を引いた、がソファの背もたれにぶつかってそれ以上逃げられない。それをいいことに、グラハムがずいっと身を乗り出して呂律の回らない口調でさらに執拗に絡んでくる。
「なぜなのだ、君はいつでも堂々として揺るぎない、それは素晴らしいことだ、惚れ直すぞ。だが、だが私はそれが悲しい…なぜ、君は私に甘えてくれんのだ…私の方が11も年上だというのに、君ときたら甘えるどころかそっけない、いやそっけないなどというレベルではないぞ。そっけないを通り越して冷たい。誤解しないでもらいたいのは、そんな君も、愛しているということだ…がしかし、私の愛とて限界がある。いや、もしかして君は試しているのか?私の愛を!そうだとしたら、是が非でもその期待に応えてみせよう、その覚悟はある。がしかし、答えようにも君の望みが分からないでは注力のしようがないではないか、それとも私が悪いのか?私に包容力が足りないからか、それとも…聞いているのかね、刹那!」
 ところどころ呂律が回らず聞き取りにくいが、途切れなく言葉が流れ出るのに感心していると、頬に温かい息が掛かった。酒臭くて思わず顔をそむけると、目ざとく見つけたグラハムに両手で顔を掴まれ、無理やり正面を向かせられる。…完璧に目が据わっている。
「…すまない、聞いていなかった」
 あまりに取りとめも無いものだから独り言かと思っていた。後半部分は胸の内に収めてしまうと、グラハムが掴みかかって来た。胸グラを掴まれる。
「君という男は…本当に冷たいっ!私が真剣に悩んでいるというのに…」
 正直悩むほどの問題とも思えない。が、確かにグラハムという人間は思考回路が常識の斜め上を言っているから、本人が悩んでいるというなら、悩むだけの価値があるのだろう。そう思うって諦めるしかない。
「俺にどうしろと?」
「簡単なことだ、もっと私に、甘えてほしいのだ…」
 甘える?刹那は首を傾げた。
 王家というスポンサーを失くしたCBは資金繰りが厳しい。そのため現在ほぼ無収入状態だ。だからこの家のローンや生活費は全てグラハムが新型モビルスーツのテストパイロットをして稼いだ給料と貯金で賄っていた。しかも家を開けることの多い自分の代わりに家事や庭の手入れなどもグラハムがやっている。コレではヒモと罵られても文句は言えない…それなのにグラハムは不平一つ言わず、刹那の好きにさせてくれる。
出掛ける時、送りだすグラハムはいつも不安そうな顔をしていた。無表情を装おっていても、彼の心が揺れているのが分かる。これがイノベーターとして覚醒した新しい感覚だろうか。言葉や外見に現われない感情が、ぼんやりとだが、分かるのだ。この感覚を言葉で表すのは難しい。だが確かに、楽しい時と悲しい時で彼の周りの空気が変わる。出がけの時、彼から発せられる感覚は、雨粒をたっぷり含んだ曇り空のようで、重い灰色をしていた。グラハムにそんな色は似合わない。
 そんな風に不安になって欲しくない。そしてそれを隠そうとされると余計辛い。大丈夫だから、と安心させられることが言えればいいのに…その時ばかりは口下手な自分が歯がゆかった。
「俺は、現状でもお前に甘えてばかりで申し訳ないと思っているのだが…」
 言ったそばから、穏やかな寝息が聞こえてきた。
「グラハム?」
 膝に突っ伏したまま、寝てしまったらしい。肩を揺すっても動かない。
 ため息を一つ吐いてから、グラハムを寝室へ連れて行くために動き出した。

 同じぐらいの体格の男を運ぶのは骨が折れた。が朦朧としながらも僅かに意識があったので、引きずるようにしてなんとか歩かせ、寝室のベッドへ運んだ。
 ベッドに投げ落としすとグラハムはそのまま眼を瞑り寝息をたて始めた。
 その横へ腰をおろして彼の顔をじっと眺めた。前髪に指を絡めると、鼻を鳴らして小さな唸り声を上げる。が眼は開かない。輪郭がおぼろげに判別できるだけの明るさのなか、手探りでベッドヘッドのライトのみを点けた。オレンジ色の照明の下でグラハムが穏やかな寝息を立てて眠っている。ライトのせいだろうか、グラハムを中心にオレンジに近い温かくて懐かしい感じがする。

「俺は…こうしてアンタと暮らしているだけで、信じられないんだ」

帰ってくる家があって、そこにグラハムがいて、日々変わっていく状況と、変わらないものと、穏やかで当たり前の日常がこんなにも愛しいものだと初めて知った。誰もが守りたいと願うのはこんな些細な幸せなのかもしれない。
 そのために他人を傷つけても構わない、とまで思わせる、今は少しだけその必死さが分かる気がした。

「刹那…」
 低く優しいリズムで名を呼ばれて、鼻がくすぐったくなるような甘い匂いがした。

「もっと甘えていいのか?」

 寄り添って、首筋に顔を埋める。全身で覆いかぶさる。隙間なく密着して、彼の顔を覗きこんだ。
 目があった。いつの間にか目を覚ましていたらしい。
 思わず頬が緩んだ。
「ああ…望むところだと言わせてもらおう」
 腕の中の温かい身体を抱き締める。そうするとグラハムも抱き返してくれる。
「キスしてくれ」
 グラハムは子供のようなキスをくれた。最初は鼻に、それから頬と瞼と額にも、最後に漸く唇に触れた時、我慢しきれず刹那から舌を差し出していた。いささか乱暴なキスにもグラハムは小さな笑い声を立てた。
 パジャマの袷を開いて薄く色づいた肌の首筋から胸へと唇を這わし、わざと唾液を絡ませるように、白い肌から茶色く変色した傷跡へと舌を這わせる。頭上から息を詰める気配がして、今度は舌を絡めるようにして小さな突起に吸いついた。するとグラハムが抱きかかえるように腕をまわして髪を撫でる。頭皮に丸い爪先を立てるように掻きまわされるのが、気持ち良かった。
「…くすぐったい」
 尚も止めずに胸を吸い続けると、いつの間にか赤く色づき堅く尖ってきたので、唇で挟むようにして呟いた。
「ダメか…?」
 空いた左手を温かいズボンの中に差し込と、少し汗で湿っている感じがしたが、そこは未だ力なく柔らかいままだった。しかし握り締めて上下に扱くと、グラハムが少しのけぞって息を飲む。その首筋、喉仏の尖りを唇に挿んで愛撫すると今度は短い悲鳴が上がった。

「したい、グラハム」
 茫然と俺を見るグラハムを全身で押さえつけると、浅ましく立ち上がった己自身を擦り付けた。
「アンタの中に入りたい」
 無防備なグラハムからは、温かくて穏やかな感覚が流れ込んでくる。目を閉じてそれに没頭すると、耳の奥にさらさらと風が流れる音がした。流れていく空気の音。飛んでいるのだ。高い空を当ても無く。彼の心の中の空は、どこまでも澄んでいて穏やかで優しい。彼の心から流れ出す風に浸っていると、心の中から言葉が生まれて、ほろりと落ちた。

「ずっとそばにいてくれ」

 己の口から零れたとは信じられないくらい弱い音だった。だが、ふわりと風が軽くなったように感じて、見上げるとグラハムが微笑んでいた。

「憶えていない?」
 翌日、二日酔いのせいで頭が痛いというグラハムに野菜スープを作ってやると(もちろんインスタントだが)、グラハムは苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「あぁ、だが、君が…君が何かとても嬉しい言葉を言ってくれたのは分かる、が、それがどんな言葉だったのかが分からない…」
 何たる不覚…そう呟くグラハムに拍子抜けするが、同時に忘れてくれて助かったとも思った。しかしグラハムは諦めなかった。
「お願いだ。もう一度言ってくれ、刹那」
「さぁな」
 尚も縋りついて繰り返すグラハムを振り払い、俺はなるべくそっけない風を装って言った。

 あんなことそうそう言えるものじゃない。

+end+



2010.2.4