※一部に男性同士の露骨な生描写が見られます。18歳以下の方は閲覧しないで下さい。

『 All or Nothing 』

<< 2 >>



 パーティーが始まってはや二時間以上が経過するにも関わらず、ホールにはまだ沢山の客が残っていた。グラハムが受賞の祝いに話し掛けてくる人波を振りきって、足音も高く、最上階のスイートルームへ戻ってくると、意気揚々と勢いよくドアを開いた。 「刹那!今帰った!!さぁ、思う存分セックスしよう……おや……刹那…?」
 しかし返事はない。
 まさかベッドルームで準備万端整えて待っていてくれているのか。と不安を妄想でごまかしながら、グラハムは最後に分かれたベッドルームへ行った。しかし、というか案の定といおうか…ベッドルームにも求めた少年の姿はなかった。大きなキングサイズのベッドが一つ。ガラス張りの壁からは、夜景のネオンが瞬いている。と申し訳程度にベッドを覆うシーツの上に一枚の紙切れを見つけて、グラハムは眼を瞠った。
つい二時間前には激しい情事で乱れていたベッドが今はシーツで覆われていて、見苦しくない程度には整えられていた。きっと刹那がやったのだろう。

 刹那との約束通り、二時間きっかりでパーティを切り上げたグラハムを待っていたのは、一枚のメモだけだった。

『用ができたのでもどる。すまない』

 レポート用紙に鉛筆で書かれていた簡潔な文面は、書き手の几帳面にまっすぐに罫線のうちに収まっている。書き手の性格が表れているようで、好感が持てるが、内容に少なからず失望していた自分にグラハムは改めて驚いた。引きとめたこともらしくない。これまで来る者は拒まず、去る者は追わずのスタンスでやってきグラハムにとってこういうことはよくある話で、別段格別失望するほどの出来事でもないはずなのに、胸の中は虚しさで覆い尽くされている。十以上年下の若者に振り回されるとは、自分もまだまだ。

 グラハムを待っていたのは冷え切った微かに寝乱れたベッドだけだった。タキシードのままキングサイズのベッドに倒れ込む。ボフッと空気の抜ける音をたててベッドが沈んだ。仰向けに横たわり、やや乱暴に首からタイを引き抜いた。肺から思いきり息を吐き出すと、アルコールの匂いが鼻を突く。つい三時間ほど前にはここで年下の恋人と激しく愛し合ったベッドはまだわずかにその余韻を残し、シーツはわずかに湿っている気がする。本当なら気持が悪いはずだが、同時にあの時の刹那の熱い吐息とかグラハムの下であえぐ肋骨の影を思い出し、自然と身体が熱くなる。
 しかし身体とは裏腹に、心は失望で冷えていた。彼の都合も考えず無理やり刹那をココへ呼びつけた挙句、待っていろとは我ながら我侭な要求だとは思う。それでもグラハムは待っていて欲しかった。もう一度、刹那に会いたかった。受賞の知らせを聞いて、喜びと、達成感が爆発して、我慢できなくなった。それに、ここは小説家としての自分を世間にアピールする絶好のチャンスだ。ここでいかに如才なくコメントできるか、自分の言動がどうマスコミに取り上げられるかきちんと把握し、コントロールしなければならない、正念場だ。だからこそ刹那に逢って、彼の熱を感じたかった。彼を身内に取り込むことで、自分がもっと強い存在になれるような気がして、それで僅かしか時間がないにも関わらず、気付けば刹那を呼んでいた。一刻も早く刹那と繋がりたくて、後ろを慣らす時間も惜しむ。待っている間、バスルームで自分で後ろを慣らした。足を開き、指を差し込むと物欲しげにヒクヒクと緩むその場所に、刹那自身を迎え入れたい。その一心しかなかった。だから会話もそこそこに、彼を押し倒してしまった…幾らなんでも性急に過ぎた。
 こんなんじゃ足りない。
 本当はもっとたくさん触りたかったし、触ってほしかった。彼の指は細いけれど、関節はしっかりしていて尖った印象がある。その指でもっと深くまでかき回してほしい。グラハムはもどかしげにシャツの半ばのボタンをはずすと、指を肌に這わす。胸の突起に触れると、切なげなため息がこぼれた。そうここも、もっと触ってほしい。つねったりひっかいたりしてほしい。そしてぐずぐずになるまで舐めて、真っ赤に熟れたところに歯を立ててほしい。自分の指ではだめなのだ。気持はいいけど、切なさばかりが溜まっていく。
 もう一度あって、今度こそ、きちんと喜びを伝えたかった。できれば彼からも祝ってほしい。パーティの前は本当に時間がなくて、…受賞が正式に発表になったのは今日の午後で、急遽出版記念パーティが受賞記念に差し替えられた。もっとも、正式発表日と合わせたくらいだから、最初から受賞を当て込んで準備していたのだが。パーティと同時進行で記者会見、インタビューとめまぐるしいスケジュールで仕事をこなした。そしてようやくマスコミ向けの形式的なパーティから解放されて、漸く内輪だけの本当の祝賀会に移行したのを幸いに、乾杯もそこそこにカタギリにだけ告げて部屋に戻ってきたのだが…まぁ、主役などいなくても十分騒げる連中だ。
 不意に、マナーモードにしていた携帯が震えた。
「カタギリか」
『ああ、出てくれたの良かった。悪いんだけど、今ちょっといいかな?仕事のことで、ちょっといいアイディアが浮かんだんだ。で、君の意見が聞きたいんだけど…ああ、ごめん。今はそれどころじゃないよね…』
 カタギリの幾分興奮で上ずった声が、後半からは心底申し訳なさそうな物に、最後にはいくらかのからかいを込めた言葉が耳を打つ。
「問題ない、今は一人だ」
『……刹那くんと一緒じゃないの?』
「ああ、私は振られたらしいぞ」
『今夜の君を捨ておくなんて、彼もなかなかの大物だ』
 くつくつという笑い声が聞こえる。グラハムは面白くなくて唇を尖らせて反論した。
「捨てられたわけじゃない。ただ、たぶん彼も忙しいんだろう。急に呼び出したのは私だしな」
『強引だって自覚はあるんだ。君からそんな愁傷な発言が聞けるとは…驚きだねぇ』
 電話の向こうからは賑やかな雑踏も聞こえる。今日の祝賀会は出版社の関係者やカタギリなどごく親しい友人たちの集まりだ。だからこそグラハムもわがままを言えたわけだが。今頃はみんなで楽しくやっているに違いない。
『今からでもこっちへ来るかい?』
「いや、やめておく……今夜は静かに喜びを味わいたい気分だ」
 自分の発言が矛盾しているのは熟知している。しかしカタギリは助かったとばかりに食いついてきた。
『なら、僕が行ってもいいかい?パーティはいい加減疲れたよ…』
 心底疲れた様子でため息をつく。
「いいぞ、君だけなら大歓迎だ。シャンパンの一本でも手土産にあれば最高だ」
『了解』
 じゃあまたね、と言ってカタギリの電話は切れて、再び静寂が訪れた。不意に別れ際の刹那の顔を思い出す。険しい表情をしていた。といっても笑顔なんてほんの数えるほどしか見たことないが。…いや、あったか?思い起こしてみるが、思いつかない。まだ、付き合い始めるまで、実はその期間が長かった。一方的なグラハムの片思い期間では、時々、大学で友人と話しているときとか、ほんの些細なときで笑顔が垣間見れることがあったが…そういえば、面と向って笑いかけられたことなどあっただろうか?
「なんと衝撃の事実…!」
 思えばこの恋は片思いの期間が長かった。というよりも出会ってからを百とするなら九十はグラハムの片思いだった。最初に彼に出会った時、彼はまだ高校生で、紺色のブレザーの学生服を着た、刹那とすれ違った時、その一瞬でグラハムは恋に落ちたのだ。


 それは、金色の朝焼けに街が燃えるような早朝のこと。グラハムは雑誌の短編小説の締め切り間際で徹夜明けの気分転換に散歩に出た途中、細いコンクリートのブロックで隙間無く覆われた川にかけられた橋の上で、グラハムは徹夜明けのちかちかする視界で金網ごしの街並みを眺めていた。今日の午後が短編の締め切りだった。あらかた仕上げ、非常に疲れていたが、充実感もあった。同時に迷いも。何かが足りない気がする、文脈の中でこう特別に強く訴えかけるものがないのだ。つまりは駄作といえる。しかし…締切はもう間近で、今からではとても書き直している暇はない。どうするか、グラハムは迷っていた。
 そんなとき、ふと視界を上げると、橋の下流方向から一台の自転車がこちらに向かい走ってくる。側道は結構急な坂道になっており、早足に歩くと息が切れるくらいだ。そんな急な坂道を自転車は大きな籠に一杯の新聞紙を積んで、上って来る。しばらくすると乗り手の顔が見えてきた。どうやら、少年のようだ。よく走れるものだとグラハムは感心した。降りた方が楽だろうに、少年は足をつかづ、立ちこぎになりながらも、前傾姿勢で前のめり、ただひたすらに日焼けした細い足でペダルを踏みしめる。前傾姿勢になったせいで、肘が肩の高さまで上がっている。白いTシャツの背中に肩甲骨が浮き出している。その姿に、グラハムは衝撃を受けた。少年のひたむきで、ストイックだった。それでいて褐色の肌はかすかに上気して、黒髪に朝日が反射して眩しい。彼の襟元に汗が一筋流れ落ちる様は(グラハムは視力は2.5だった)、何故かグラハムの視線を強烈に引き寄せた。いっそ官能的なほどに、少年の身体は力強く繊細で、美しかった。グラハムは瞠目した。なんと美しい少年だろう。呆然と見やる。いっそあのサドルになりたい…そんな思考に頬が緩むが、迫ってくる少年の清廉さ、力強さはグラハムのそんな妄想を許さず、あっという間に駆逐する破壊力に満ちていた。一種のカタルシス、天から雷で撃たれたような衝撃がグラハムの脳髄を震わせた。
 そこで悟った、足りなかったのはこれなのだと。
 まさしく愛だ。愛が足りない。
 そう、グラハムは一目で少年に恋してしまった。
 結局、編集者に頼み込んで、締切を二日伸ばしてもらい、最初から書き直した。短編だったのが幸いした。主人公はごく普通のサラリーマンで、主人公が偶然出会った褐色の肌の痩せた少年に恋をする。そんな物語だ。
 そんな運命的な出会いを経て、名も知らぬ少年に魅せられたグラハムは、それから毎日同じ時間にその橋に通った。新聞配達の途中ならきっと明日も通るに違いない…それしか可能性はなかった。が、それ以後少年が同じ道を通ることはなかった。次には新しく新聞の契約をしたりして、配達にくるのを待ち構えたりしたのだが…それも空振り。そうして二年が過ぎ、季節は変わって桜の花が散り始めた頃、思いもかけぬ場所で宿願を叶えることになる。
 たまたま偶然電車を乗り過ごしたグラハムが、気まぐれでその駅でおり、目の前にあったコンビニに入ると刹那がレジに立っていた。なんという行幸!それからは出来る限りその二駅離れた駅におり、コンビニで買い物をするようになった。そうして徐々に徐々に外堀を生めて行き、初めて「ありがとうございました」以外の声を聞いたのが、コンビにで再会してから半年後のことだった。名前を聞いたのはそれから半年後。
 その間、帰宅途中の少年の後をつけてみたり、自宅の前で張り込んでみたり。まぁゴミを漁らなかっただけ褒めてもらいたい。…考えなかったといえば嘘になるが。さすがにそれはやめた。社会人としてその一線は越えられなかった。人として。ただ、カタギリにいわせるとそれらも立派な犯罪だとか。いやはやまったく世の中ロマンを解さぬものばかりだ。彼らは何も分かっていない。自分の少年に向ける愛は決してそんな低次元のものではなく、むしろ性別も年齢も超えた、ある種宇宙的ともいえる、壮大なロマンなのだ。と熱弁を振るうグラハムにも、カタギリは「はいはい」と呆れるばかりで、諌めもしなければ、応援するでもなかった。まぁ、そんな訳で、一番身近な親友からもそんな風に突き放されたグラハムは、結局そのストーカー行為を続けてしまった。まったく、一度決めたら貫き通す男、グラハム・エーカーの真骨頂だ。そして一ヶ月前、初めて刹那から話しかけられ、信じられないことだが二人は付き合うことになったのだ。まさに奇跡だった。




 とその時、グラハムの妄想を一蹴するように部屋のインターオンがひとつなった。


「なに君、こんな時まで仕事してるの?」
 グラハムはソファーに座って、ノートパソコンを開いていた。ビリーは仕立ての良さそうなタキシードを着たままで、パソコンの横にこれ見よがしに大きなシャンパンのボトルを置く。大きな音に、グラハムが顔を上げた。すると顔の真横にビリーの細い腕があって、次の瞬間にはパソコンの画面を閉じられた。抗議を込めて睨みつけると、アルコールのせいか微かに頬が上気していて、いつもの穏やかだが油断のない視線が、今日はアルコールのせいか幾分あからんでいた。その肩からはいくつかの香水の匂いがした。
「君もなかなか隅に置けないな」
 残り香のことを指摘すると、カタギリは困ったように笑って言った。 「誤解だよ…まったく、叔父さんときたらグラハムを出汁に僕に見合いをさせるつもりなんだよ。主役の君を差し置いてとっかえひっかえあっちこっちのお嬢さんを紹介されて…本当、疲れたよ」
 本当に突かれたのだろう、カタギリにしては珍しく乱暴な仕草でソファーに座ると、首の蝶ネクタイを引き抜いた。その仕草は普段の穏やかなモノとは違って、荒々しくグラハムの無理やり押さえつけた欲求を揺り起こした。
「ああ、なるほど。今回の発起人にホーマー氏が名を連ねていたのはそのためか」
「ごめんね」
「君が謝る必要はあるまい。君を思えばこそだし、どんな思惑があろうとお忙しいなか私のために心を砕いてくださったのには変わりない」
 そこでグラハムは嫣然と笑った。
「君がいつまでも決まった恋人を作らないから、心配しているのさ」
 するとビリーは眉を顰め複雑な表情で、短い溜息を吐いた。
「…君がそれをいうかな…」
 グラハムは胸を張って宣言する。
「乙女座の私は恋に一図にできている」
 しかし、軽くビリーが頬を撫でて顎を上げさせると、グラハムは拒むことなく瞳を閉じた。それを合図にビリーが柔らかく触れるだけの口づけを落とす。ただ穏やかに合わせるだけの口づけを終わらせたのはグラハムだった。両腕でビリーの頭を固定すると、自ら舌を出し、角度を変えながらビリーの唇を割って口づけを深くする。
「…恋人以外の男に唇を許すのは、一図とは言わないよ」
 グラハムは嫣然と笑って見せた。
「君は特別さ」
 要するに欲求不満なんだろう、とビリーが言うとグラハムは「そうともいう」とソファに肘をついてビリーのスラックスのボタンを外す。顕わになった雄が僅かに立ちあがっているのを確認し思わず喉を鳴らすと、くつくつと笑われたので、意趣返しに下着越しの先端に歯を立てた。
「…ちょっ、いきなりナニするのさ!?」
「君だってその気ではないか」
 ああ…もう、と苛立つビリーの呟きをよそに、グラハムはさらに深く咥えこむ。気持ちいいのか、ビリーは熱い息を吐き出して呟いた。
「彼が苛立つのも分かる気がするよ」

+end+



2009.09.13