※一部に男性同士の露骨な生描写が見られます。18歳以下の方は閲覧しないで下さい。



『 Melty Kiss 』

 日本では、バレンタインデーにチョコレートを贈って愛の告白をするのだと、カタギリに聞いた。何故、チョコレート限定なのかは定かではないが、面白い習慣だと思ったグラハムは自分でもチョコレートを買ってみた。勿論、同棲中の恋人であるニール・ディランディに贈る為だ。選んだのは彼の髪の色と似た、柔らかな明るい茶色のミルクチョコレートで、手のひらほどのハートの形をしている。
 しかしこれだけではどうも味気ないような。
 テレビで見た日本の若い女性たちは、そのチョコわざわざ溶かしなおして型作り、ナッツやドライフルーツ、カラフルなチップで自分なりの装飾を施して楽しんでいるらしい。店にも数々のデコレーション用品があってそれだけで目が回りそうだった。だがこの賑やかさはわくわくするようなどこか懐かしい感じがする。そういえば、子供の頃クリスマスなどでクッキーを作った時、チョコレートなどで顔や文字を書いたのを思い出した。バースデーケーキに乗っている名前やメッセージが書かれたチョコのプレートあんな感じにしたら、いいのではないか。そういう風に思いついたので、菓子売り場で板チョコとデコレーション用のホワイトチョコのチューブを買った。
 今日は非番で、ニールは出かけている。キッチンの大きな木製のテーブルを独占してグラハムは考えた。白いシャツの袖をまくって、ニールの黒いエプロンを借りた。なんとなく気分がいい。普段、ほとんど入らない台所が、なんだか自分の城か秘密基地のように思える。
 とりあえずハート型にして、そこに文字を書こうと思った。書きたいものは決まっている。
 カタギリから教わった日本の文字、「愛」だ。
 これは日本語でもグラハムがもっとも好きな漢字だ。もっとも神聖な言葉といってもいい。だから彼に送るならこれしかないと思った。魅せつけてやろう、ニール・ディランディ!これが私の愛だ!グラハムはうきうきと市販のチョコレート鍋に投入した。まずは溶かさなければならない。熱を加えればいいのだろうと、鍋をコンロに掛ける。が、チョコレートにはあまり変化はない……暫くじっと鍋底を凝視していたが、次第に苛立ちが募ってくる。時計を見るが、ニールが帰ってくるまではまだ時間ある……が、予定を変えて早く帰ってくるかもしれない。今日自分が非番なのは伝えてあるから、恋人の待つ家に一刻も早く帰りたいのが男の性というもの……不測の事態にも対応すべく、行動は迅速でなければならない。
「ええい、ならばいざ、フルブラスト!!」
 火力を最大に上げた。
 もちろん、それで上手く行くはずはない。

 玄関のドアを開けた途端に、甘い匂いが漂ってきて、ニールは眉を顰めた。基本的に甘いものは嫌いではないが、これと言って大好物という程でもない。何事もほどほどが一番だ。だから匂い自体は不快ではないが、玄関先にまで匂いが漂い出てくるという異常な事態には正直、嫌な予感しかしなかった。この家に住んでいるのは自分ともう一人だけで、ということは必然的にこの匂いの原因はその相手ということになる。
 なんだか頭痛がしてきた……
 グラハムがごく真っ当な常識人だったならこんな不安になりはしないだろうが、いかんせん、彼は真っ当でも常識人でもない。とんでもない非常識人だ。だから彼は時々、ニールには想像もつかないことをやる。
「今日がその日じゃねぇといいが」
 すると、物音に気付いたのか、待ちかねたぞ、とばかりにリビングから金髪の男が飛び出して来た。こういう所は正直可愛いと思う。が彼の格好をみて、ほんわかした気持ちは冷たく萎み、嫌な予感がさらに強まった。白いシャツに羽織ったエプロン(これは色からして自分のものだ)がところどころ白く汚れている……グラハムは後ろ手に何かを持って、何やらもじもじしていた。
「お帰り、ニール」
 軽く頬にキスをする。ニールがキスを返すと、今日はバレンタインデーだな、といいだした。
「今年は日本式にしてみた」
 グラハムはニールをソファに座らせると、台所から後ろ手に隠すようにして、自分は床に敷いたラグに直接正座した。そして、茶色の塊が乗った皿を差し出した。
「受け取りたまえ、私の気持ちだ!」
 見上げてくる緑色の瞳は期待にキラキラと輝いていたが、差し出されたものはそんなグラハムとは似ても似つかぬ無骨な外見だ。茶色くてごつごつしている。岩石かと思ったが、よくよく見ると、どうやら違うようだ。その物体を両手で捧げ持つグラハムは、大きな緑色の瞳でニールを見上げてきた。この目が曲者なのだ、この目が。そう分かっていても引きこまれてしまいながら、近付いた距離に、彼の白い頬が黒く汚れていることに気がついた。
 汚れを指で拭いとる。ふと拭いとった指先を口に入れてみた。――甘かった。なるほど、匂いの原因はこれかと、ニールは思わずため息をついた。

 なるほど、バレンタインデーだからか。この見てくれからして手作りチョコということか。見た目はまったく最悪だが、そいうことなら、ニールの引きつっていた頬も緩むというものだ。
 とその時、チョコレートの表面に何やら絵のような記号のような模様が書かれているのにニールは気付いた。
「……これは……?」
 ハート(手作りチョコだと思ってみると、ハートに見えないこともない)のまん中に堂々と日本の漢字が書かれていた。少々左右のバランスは歪だが、読めないことはない。「受」というい字だ。グラハムは日本被れのアメリカ人で、日本のものならなんでも好きだ。勿論漢字も。「日本式に」ということで漢字なのだろう。
 それにしても、これはどういう意味だろう……?「受」という漢字は日常的によく使われる漢字だ。受付、受領、受取、などなど……日本に行けば頻繁に目にする文字だ。しかしバレンタインデーのチョコに書くにはいささか場違いではないだろうか。だが、グラハムはこれが自分の気持ちだという、ニールは考えた。
 ――確か、この文字には受け身のような意味もあって、それが転じて、自分たちのような同性カップルの場合で受け入れる側のことも意味するらしい――と、どこかで聞いたことがある。
 ニールは愕然とした。そういうことなのか?思いついた可能性に背筋に嫌な汗が流れる。
 それを自分に受け取れ、ということは、つまり――俺にそっちの役割をしろということか?!
 まさか、そんなことは……絶対にあり得ない、とニールは思った。第一、今のやり方だって気持ち良くやってるじゃないか。それどころか、いつも欲しがってくるのはあいつの方で……それが不満だというのだろうか。ニールにとっては晴天の霹靂だった。今日はこの街では珍しい本格的な積雪で、厚く垂れこめた雪雲が青空を遮断している。雷ではなく吹雪だが、まぁ珍しいという点では同格だ。
 そんなことはどうでもいい!!
 ニールがぐるぐると煩悶している間も、グラハムは期待を込めた眼差しでニールを見つめてくる。その無垢ともいえる瞳に、混乱は更に深まった。そんな可愛い顔して、俺に挿れたいというのか……!?いや、こいつだってこんな顔をしているがれっきとした男で、だからそういう欲求があったとしても、まったくもって当然なのだが。
 だとしても、それはない、とニールはチョコレートを突き返すと、断固としていった。
「……悪いがあんたの気持に答えることはできない」
 すると、期待に輝いていたグラハムが驚きに見開かれた。
「なんと!」
 私たちは、愛し合っているのではなかったのか…!?と、チョコを押し付けてきた腕を軽く振り払うと言った。
「気持ちだけじゃどうしようもないこともあるんだよ」
 分かるだろ?そうニールが問い掛けても、グラハムは分からないと首を振るばかりだ。
 仕舞いには握り締めた拳を目に見えるほど振るわせ始めた。いささか大げさだな、とは思ったが、大体グラハムは感情の起伏が大仰だ。
「まぁ、チョコだけは貰ってやるから」
 そしいうと、ニールは突然立ち上がると、結構だ、といい棄てて部屋を出て行こうとする。そんなグラハムの態度にはニールは動じなかった。
「出掛けるならコート着てけよ」
「いらないっ」
 怒鳴り声とともに、バタンと勢いよくドアが閉じる音がリビングにまで届いて、グラハムは出て行った。

「そんなにショック受けるようなことかね」
 ニールはグラハムが散らかした台所を片付けながら、といっても生来綺麗好きで几帳面な性格のため、出来栄えほどには散らかっていなかったが、他にすることもないので、チョコが焦げ付いたホウロウ鍋を洗いながら考えていた。
 どう考えても俺には無理だと思った。グラハムだって最初はあんなにきついのを丁寧にならしてやってやっと入るようになったのだ。あんなこと俺にはとっても耐えられない。第一、気持ち良くなるよりも気持ち良くする方が好きだし。グラハムはあんなに気持ち良さそうにしているのだから、そのことに不満があるなんて考えもしなかった。
 それなのに、あんなにショックを受けるなんて……ニールにとってはその方がショックだった。
 チョコを突き返した時の、グラハムの顔がまだ脳裏に残っている。普通でも大きな目を零れおちそうなほど見開いて、唇がうっすらと開いて、息を吐くことも忘れたという風情だった。ピンクに染まっていた頬からさっと血の気が引いていくのが分かるほどだった。そして、グラハムは出て行ってしまった。少し頭を冷やせば気が済むだろう、彼は熱しやすく冷めやすい、そう思ったから止めなかったのだが。
 意外とちゃんと手作りしてたんだな、使いかけのボールや皿をみてふっと心が緩んだ。バレンタインなんて、忘れていると思っていたのに。
「……携帯ぐらいもって出やがれってんだ……馬鹿が」

 そうして、ニールが悶々と悩んでいるうちに、いつしか日は暮れてすっかり夜になっていた。いつもならとっくに夕食も済ませた時間だが、グラハムは帰ってこない。
 ニールはテーブルに置き去りにされた携帯を睨んで呟いた。相変わらず着信はない。連絡がきたら、直ぐに帰ってくるように怒鳴りつけてやろうと身構えているのに、うんともすんとも言いやしない。二人で座ると少し狭いくらいのソファだが、今は一人だから脚を肘掛けにのせて悠々と伸ばして座れる。ニールはジーンズを履いた長い脚を肘かけに乗せて、読むとなく手に持っていた小説のページに溜息を吐きだした。文字を追おうとしても上滑りするだけで内容が頭に残らない。狭い空間に呼気が籠る。
 別に寂しい訳じゃないからな……とニールは一人ごちた。どうということはない。これまでだって仕事で何も言わずに帰りが遅くなることなんて日常茶飯事のことだった。それどころか、連絡もなく基地に泊まり込みで、数日帰らないことだってあった。だが、今日は非番で、本当だったら今頃は二人きりで過ごしていたはずなのだ。それなのに、部屋を飛び出すほど、ショックだったというのだろうか。
 もう帰って来ないつもりじゃなかろうな。
 そんなことグラハムに限ってありえない。我慢できるはずがない。


 その時、玄関からチャイムがなった。
 ニールは飛び出してドアを開けると、そこにいる人物をみて息を飲んだ。
「……グラハム」
 そこには、出る前と同じ格好をしたグラハムが立っていた。ただエプロンだけは丸めて腕に抱えている。
「ただいま、ニール」
 いつもなら、ニールが出迎えると満面の笑みを返してくれるのに、今日はそれがない。
「おかえり」
 ドアの前で立ち尽くしたグラハムに、ニールは混乱した頭のまま対面した。普段なら出迎えれば満面の笑みを返すのに……今日は互いに表情一つ変えない。やや強ばらせた頬、眉間に皺、どこをどう見ても上機嫌とはいいがたい。それはそうだ。なにせ喧嘩別れのような形で追い出し方をしたのだ、これで上機嫌だったらその方が不自然だ。その時、グラハムがニールの知らないジャケットを羽織っているのに気づいた。家を飛び出した時にはシャツ一枚だったのだから、きっとビリーのところにでも言ったのだろう。明らかに上着の袖が余っている。
 ニールは衝動的にグラハムの二の腕を掴んだ。ニールが着ていけといっても聞かないくせに……そう考えたら、なんだか無性にムカついて、ニールは手の内の細いが堅い腕を引き寄せた。

 抱きしめると、いつもと違う濃い甘い香りが香る。まろやかでどこか懐かしいような、それでいて身内からどろどろとした熱を煽るような。かたりと軽い音を立てて、グラハムの腕からエプロンの固まりが玄関のタイルに落下した。伸び伸びと広がった黒い木綿布の中に無地の白い小箱が見えた。そういえば、昔チョコレートは媚薬と考えられていたんだっけか、首筋に鼻を埋めて深く息を吸い込みながら、そんなことを思い出してニールは苦笑いをこぼした。
 しかし、閉じこめた男は無遠慮にもニールの腕を振り解き、しゃがみ込んでエプロンを拾い上げた。白色の小箱も共に。
「作り直した」
 そういって箱を差し出された箱を受け取った。中身はやはりハート型のチョコレートだ。今度は「愛」という文字が見える。しかし、受け取るやいなやニールは箱を手近にあったシューズボックスの上に置き去りにして、今度はグラハムの頬を引き寄せると有無をいわす暇も与えず、口づけた。

 ぴちゃっと淫らな水音をたてて唇を離すと、絡みついていた舌が赤い唇から名残惜しげに顔を出したので、もう一度角度を変えて食いつくと、待ってましたとばかりに向こうから絡みついてくる。邪魔な上着をはぎ取りながら、リビングへ移動する。その間も二人はキスを止めない。途中、壁やドアに身体が当たり、足にぶつかり何かが倒れて派手な音がたったが、それでもやめなかった。歯列をなぞり口咥内を蹂躙すると、軽くなったグラハムの両腕がニールの首に回って髪をかき混ぜた。ニールはグラハムの腰に手を当てリビングのソファへ押し倒す。さっきまで広すぎると感じたソファは、二人でいると少し狭いが自然に密着する空間には空虚さはない。
 ベージュのレザーに、グラハムの金髪が柔らかな流れを作る。己の腕の中で乱れるそのカーブについ見とれてしまうのは秘密にしている。知られたらきっと生意気な顔をされるから。
 こんなに綺麗な男をこれから蹂躙するのだと思うといつも異常に興奮する。
 そんな風に、さんざん煽っておきながら、挿れさせろなんて冗談じゃない。……だが、満足させていないからそんな不満を抱くのかもしれない。だとしたらそれは自分の責任だ、とニールは思った。
 グラハムのシャツは既に前が全開で、白い胸が顕わになっていた。ニールは鎖骨を舐めながら、シャツの袷に辛うじて隠れていた、胸の突起を指先で撫でる。最初は中指で、すると頭上から息を飲む気配がして、ほくそ笑んだ。そうだ、こんなに感じやすいのだから、大人しく感じていればいいんだ。ニールは思い切ってグラハムの腰に手を伸ばす。そしてスラックスのジッパーを下ろすと、下着まで一緒に引き下ろした。普段は決して他人に見えない肌が顕わになると、籠っていた熱で頬が熱くなる気がする。ニールはその茂みに鼻を寄せた。金色の薄い茂みは、僅かに潤ってしっとりと肌に張り付いてくるようだった。グラハムは抵抗する気か太股を閉じようとするが、それを両手で押さえて逆に淫らに押し開く。抵抗はアッと今に弱まった。ニールがグラハムの欲望の兆しを口に含んだからだ。我慢弱いグラハムは、こういう直接的な刺激に耐えられる訳もない。あっという間にグラハムの全身が弛緩する。しかし裏筋を舐めあげて、そのまま深く加えると、すぐにまた太股の筋肉がぴくりと痙攣を始め、殺しきれない嬌声が聞こえてくる。そらみろ、と一人ごちながら、ニールは鋭い視線を投げかけた。グラハムに耐えられるはずはないんだ。じきに突っ込んでほしくて堪らなくなるくせに、自分から腰を突き出して淫らに強請ってくる癖に。ニールは握り締めた袋を強めに揉みながら、強く先端に吸いついた。咥えていると唾液が零れて、先走りの苦い味が舌に広がる。時々、先端が喉の奥をついて噎せそうになるが、ニールは吐き出さなかった。次第に高まるあられもない嬌声に、ニールの理性が擦り切れて行く。ただ無心でグラハムの快感を煽る行為に熱中していく。
 それだけで、呆気なくグラハムは絶頂に達した。
 口の中に広がったものを飲み込むと、ニールは目の前の光景に息を飲んだ。
 胸が押しつぶされそうで息苦しい。ニールは身に着けていたセーターを脱ぎ棄てると、裸の胸でグラハムを抱き締めた。ぴったりと重なった二人の胸がそれぞれ鼓動と呼吸を刻んでいく。そのリズムはばらばらだが、不思議とハーモニーがあった。
 耳を澄ませて、漸く息が整ってきたグラハムの胸に恭しくキスを落とした。白い肌は面白いように跡がつくから楽しいくて、さらに行為を続けようとするニールに、まだ不満げな振りをするグラハムは言った。
「……折角作り直したんだが?」
 あのチョコレートのことを指しているんだろう。さすがにニールも自分の勘違いに気付いていた。そもそも、グラハムは一度も「自分が攻めになりたい」とは言っていない。すべてニールの勘違いだったのだ。気付いてしまえば馬鹿馬鹿しさに苦笑するしかない。が、今はもうそんなことはどうでもよかった。
「お前が満足できなかったんなら、これからはもっと努力するからさ」
 グラハムは戸惑っていた。
「……なんの話だ?」
 勘違いから始まったこの騒動だが、結果的にはまぁ悪くなかったな、とニールは思った。
「挿れさせろよ、グラハム」
 真剣に請うと、グラハムが頬を真っ赤にしてニールを見た。その目は僅かに潤んで、幸せに溶けた瞳は、そこらへんのチョコレートよりも甘く光っていた。

+ end +



2011.2.24

ハッピーバレンタイン!