『一緒に暮らそう』


 9月、夏が終わりいよいよ秋になろうかという頃、グラハムはニールと二人、繁華街を歩いていた。いわゆるデートだな、そう気負ったグラハムは色々迷ったあげくダークグレーのスーツを着ている。対してニールはTシャツにベストといういつものラフな格好で、今も気負いなく通りのウインドウを眺めている。初秋の青空は高く澄みきっている。街路樹の木陰ごしに陽射しは強いが、真夏のように焼けつくようなものではなく、風は微かに冷たさをはらんで肌をなで、歩くのに心地い。
 ブティックに本屋、食料雑貨店、と立ち寄った今、グラハムの手元にはブルーのYシャツが入った紙袋がひとつ、ニールは本が数冊と赤い箱に納められラッピングの施されたウイスキーを一本。これは今夜グラハムの誕生日を祝って開けようとニールが購入したものだ。値段を聞いて驚いたグラハムが、「自分の誕生日祝いならもっと普通の酒でいい、どうせ味の違いなど分からん」と言ったら、ニールは笑って「俺が買いたいからいいの」と譲らず結局購入してしまった。飲めばなくなるアルコールにシャツ2枚分以上の金を掛けるなんて、無駄な出費だと呆れたが、ニールは満足そうだ。グラハムは酒には興味がないので、そこらへんの価値基準が分からない。要するに気持ちよく飲めて酔えればいいという方だった。だからニールと一緒なら、どんな安い酒でも構わないのだが、ニールに言わせるとそうではないらしい。大事な日にはそれに相応しい特別な酒がいいという。だが基本、恋人が笑顔なら言うことがないグラハムにとって、それらはほんの些細な疑問で、二人並んで大通りから一歩奥へ入った小さな裏通りへと歩くうちに忘れてしまった。
 そこは赤と灰色の煉瓦敷きの道の両側に石造りを模した建物が並ぶ瀟洒な街路だ。グラハムは此処に気に入りの店があるという。
 目に鮮やかなで趣向を凝らしたウインドウはみているだけで楽しい。その時、思わずグラハムが緑色の瞳を大きくしてニールのTシャツの裾を掴んで引いていた。

「此処だ、ニール」

 グラハムが興味を示したのは、小さなアンティークショップだった。赤い庇の下のウィンドウからガラスと陶器の器が見える。カランと軽いドアベルの音を立てて、木製のドアを開くと、つんと鼻につく木とニスの匂い。グラハムは真っ直ぐに店の奥へ歩いていく。
「あのテーブルを見せてくれ」
 店主は髭面のいかつい中年男だが、グラハムが声を掛けると一瞬だけ目元を緩めて顎で奥を示した。
 小さな店内に所狭しと並べられている家具や雑貨はどれもシンプルだが趣味のよいものだった。中には東洋の磁器もある。白地に青い釉薬で模様が描かれている陶器はニールも見たことがあった。他に七宝やガラスなどもあり、ヨーロッパ雑貨から東洋まで幅広い品ぞろえだ。だがどれも模様は少なく、形はシンプルで、白やムクの木を基調にしたものが多く、使いやすさを重視している感じだ。壁は漆喰で、天井には太い木の梁がアクセントを与えている。そんな店の奥、グラハムが向かったのは、ガラスの食器類が入った棚のが置かれた一角で、間に置かれているのは白いムクのテーブルだった。5・6人は楽に座れそうな大きさで、長年使いこまれていたのだろう、表面にはナイフで削ったような傷や焦げ跡が何か所もあった。しかし太く四角い脚は頑健で、歪みはなく、ぐらつきも無い。
「もともとはアルプスの修道院で使われていたものらしい。偶然見つけたこの店でまさに一目ぼれだったのだよ」

「ふうん…」
 確かに飾り気が全くなく、禁欲的な作りだ。しかし、よく見ると角は面取りが施してあるし、板は分厚い一枚板で、上質な木材を使っているのだと分かる。
「気にいったかね?」
 しげしげとテーブルを観察するニールに、グラハムが大きな緑色の目を爛々と輝かせて、ニールの顔を見上げてきた。触れるほど近くで見つめられると、数センチの身長差でも見上げる角度になってしまうから、そうするとグラハムの睫毛のカールや真っ直ぐに通った鼻筋がよくわかる。思わず引き気味になるニールだが、僅かに身をそらしただけで食器棚のガラス扉に肘が当たって、カシャンと軽い音が立って動けない。
「ああいいな。だけど、意外だな。あんたにこんな趣味があるなんて」
 家具とか装飾品には一切興味がないかと思ってた。ニールは殺風景なグラハムの部屋を思い出していた。1LDKの部屋にあるのはテレビとソファがひとつ、あとは備え付けのクローゼットとベッドだけ。必要最小限のものしかない。殺風景な部屋。ニールの周りには割とそういうタイプが多いせいで違和感はないが、それにしても体外にしろと思うときはある。何せ、初めて部屋に上がった時、コーヒーが飲みたいと言ったら缶コーヒーを出されて驚いたのは他でもない。電子レンジ以外に何もない、文字通り空っぽのキッチンなんて初めての経験だった…うっすらとコンロに綿ぼこりが積っているのに慄然としたのも今は昔…最近ではニールが出入りするようになって少しは調理器具が増えている。真っ先に買ったのはコーヒーメーカーだった。せめてコーヒーは淹れたてがいい。
 そんな感慨にふけるニールをよそに、グラハムはゆっくりとテーブルを撫でている。
「確かに君の言うとおりインテリアに関してはさっぱり分からないし、興味もない。が、これは例外だ。…そうだな、なんと説明したらいいか分からんが、取り立てて美しいわけでもないし、華やかさも無い。が、存在するだけで場の空気を作る、そんな存在感があるように思う。アルプスの山奥の修道院から、このアメリカまで海を渡って来たという、この何の変哲もないテーブルが…そこにロマンを感じるからかもしれんな」
 そう言って、でグラハムは大事そうにテーブルを撫でた。
 思わずニールの口から言葉が零れた。
「買ってやろうか?」
 今日誕生日だろうと続けようとしたニールを遮るように、グラハムゆっくりと首を振って答えた。
「私の部屋には大きすぎるよ」
 確かに、あの部屋にこの大きなテーブルを入れたら満足に歩く隙間もなくなるかもしれない。
「だから、君が買いたまえ…それとも私が買って君の部屋に置こうか?見知らぬ他人に買われるのは口惜しい」
 いやいや待て待て…ニールは慌てた。
「欲しいのはあんただろう?それに俺の部屋にもでか過ぎるって」
 それを聞いてグラハムはむうと唇を尖らせた。子供っぽい表情だが、それが何故かグラハムには違和感がなくて、思わずしょうがねぇなあと言いそうになるのを、甘やかせてはダメだ、こいつはすぐに調子にのるから、とニールはぐっとこらえた。
 なおもグラハムは諦めがつかないらしい。恨めしそうにテーブルを睨んでいる。
「なんということだ。これほど官舎住まいを恨めしく思ったことはない。だが、しかし…もしこれを購入するなら、やはり広い部屋がいい。ダイニングに置きたいな。それか少し広めのリビングで、そうすれば、君がキッチンに立つ間、私はここで、君の後姿を隣に感じながら、やり残した事務仕事をこなすことができる。」
 最初は沈んでいたグラハムだったが、想像した光景に、途中から口調に熱が籠り、最後には楽しげな笑みも浮かんでいた。
「家に仕事なんて持ち込むなよ」
「残業するよりはいい」
「ならしょうがねぇ、俺は忙しいあんたのためにコーヒーでも淹れてやるさ」
 グラハムはくつくつと笑って答える。
「君が淹れたコーヒーは濃いから、仕事もはかどるに違いない」
 ニールも同様にこのテーブルを囲む二人の生活を想像する。すぐにひとつの光景が自然と浮かんだ。
「これだけあれば、あんた一人がパソコン開いててもかなりスペースが空くな。なら、いっそ俺は反対側でパスタでも作ろうか?それともパンを焼こうか…これだけ広いスペースがあれば何でもできるな」
 で買いオーブンでも買うか、と考えていたら楽しくなった。ニールの声も弾んでいる。
「なんと、君はパンも焼けるのか?!」
 グラハムにとってパンとは店で買うものであって、自分で作ろうという発想すら思いもつかない。まったく異次元の存在だ。美人な上にパンまで焼けるとは、本当に自分の恋人は素晴らしい!グラハムは改めて実感していた。
 感動するグラハムをよそに、ニールは何か思案顔だ。考え込むニールも素晴らしい…俯き加減で考え込むニールの形の良い額に茶色い柔らかい前髪がはらりと落ちる。キスしたくなるその風情に見とれていたグラハムに、ニールがおもむろに向き直っていった。

「買おうぜ」

「なんと?」



「二人で使うなら丁度いいだろ」


 今ニールはなんと言ったのだろうか。唐突な言葉についていけないグラハムに、ニールが続けた。

「…あーーー、二人なら家賃も半分にできるし、そうすりゃかなり広い部屋にも住めるからさ」
 と、いきなり額を掴まれて髪を掻き混ぜられてグラハムが目を瞑る。
「つまりそういうこと…分かれよなぁ」
 ぶっきら棒な言い方だが、そらされた横顔で、ニールが前髪を耳に掛けている。それはニールが緊張している時の癖だった。
 心拍数が上がっていく。
「言葉にされねば分からんよ。私は、自他共に認める、空気の読めない男だ…」
 ああ、彼は何を言おうとしているのだろう。期待感で息が上がって、同時に、先走りそうな自分を抑えようとして身体が強張り指先に震えが走った。相反する感情が嵐のように全身を駆け回り、グラハムは息を呑んで、ニールの緑青色の瞳を見つめ続けた。
 彼の唇が薄く開いて、白い歯がのぞく。言葉が零れた。
「なんつうかさ、俺たち今更じゃね。逢うたびに別の部屋に帰るの」

 零れた言葉が耳を通り脳へ伝達されるまでの刹那、そして彼の言葉を理解するまでの数秒間。ニールの指がグラハムの頬に触れて、掠めるようなキスが落ちた。

「だから、一緒に暮らそう」


 小さなアンティークショップの隅に置かれた、大きなテーブルの前で、告げることではないと思う。しかし、グラハムはそんなありふれた抗議の言葉より、もっと直截で素直な言葉を、返事を探した。そして、答えはすぐに出た。
 グラハムはニールを引き寄せ、彼の唇に直接、イエスと吹き込んだのだった。


+end+

2009.09.06 ハム誕