※一部に男性同士の露骨な生描写が見られます。18歳以下の方は閲覧しないで下さい。



『 Closed 』

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 グラハム・エーカーには夢があった。空を飛ぶのが必然だとしたなら、ふわふわと甘やかで他愛ない望みだったけれど、掌中でそっと守ってきた大切なものだ。
 最愛の恋人が出来たなら、誕生日には抱えられないほどの赤いバラの花束を贈る。そして世界で一番早く、「おめでとう」という言葉を贈り、そして朝になったらキスをして、二人でケーキと少し高めのワインを買ってパーティーをする。レストランに行くのもいいが、ここで一番重要なのは、二人きりで少し特別な一日を過ごし、恋人の生まれた奇跡を祝うということで……その行為自体がとても神聖なものだとグラハムは信じていた。これが彼のひとつの夢の全貌だった。親友のビリー・カタギリに言わせるなら夢というよりかは妄想だそうだが。
 このささやかな夢を知っているのは、ビリーだけだった。今までは。ものの弾みで彼にこの話をしたら、ずいぶんありふれた妄想だね、君らしくない、との感想を述べてくれたものだ。ありふれていようが異常だろうが知ったことじゃない、とグラハムは答えた。確かに彼は自他共に認める変人かも知れないが、恋愛に対しては案外慎ましやかな理想を持っていた。30前には結婚して、一人っ子は寂しいだろうから子供は二人以上で……手垢のついたごくありふれた理想像だ。同年代の多くが抱いている漠然とした人生設計、それをグラハムもごく当たり前に抱いた、普通の男だったのだ。

 にもかかわらず、この夢(ビリーに言わせればティーン並の痛い妄想)は、グラハムのこれまでの二十数年間の人生で一度も叶ったことがなかったのだ。そう、一度も!
 勿論、グラハムとてこれまで恋人がまったくいなかった訳ではない。中には本当に真剣だった恋もある。にもかかわらず、これまで一度も恋人の誕生日を一緒に過ごすことができなかったのは、仕事で出動していたり、相手の誕生日まで続かなかったり、タイミングが悪かったせいだ。一度その不満をビリーにぶちまけたことがある。するとビリーは君らしいと言って笑った。一体どこが私らしさとらしくなさの境界なのか、理解しかねると抗議すると、科学者である彼は論理的かつ懇切丁寧に説明してくれた――もちろん、軽い嫌みも含ませつつ。曰く、グラハムは夢中になりすぎるらしい。そしてその情熱(もしくは執着)の大半がモビルスーツに向けられていて、恋人としてはそのベクトルのずれが不満材料になるとか。恋人の誕生日より、仕事を優先して愚痴の一つも零さないのが何よりの証拠らしい。そんなんじゃ女性は満足しないよ、としたり顔で諭された。それで童貞の君に言われたくない、と言ったら殴られた。

 が、そんなありふれたグラハムの人生が180度変わったのは一人の男との出会いのせいだ。これを運命と言わずに、なんと言えばいいのだろう、そうグラハムはその男のことを思う時、いつも胸のなかで呟いている。その男に出会ったとき、それまで抱いていた漠然とした幸福のイメージがいかに薄っぺらいものだったか思い知らされた。文字通り世界が変わった。それまでの常識の中で与えられた日常が途端に色褪せてしまって、彼の南洋の浜辺のようなターコイズブルーの瞳が世界の色彩に没入していくような。引き込まれたい、そんな強い欲求が私を非常識な行動に駆り立てる、恐ろしいエネルギーだった。逆らえるはずがない。
 具体的に言えば、彼らは出会ったその日に抱き合った。互いの境界を犯して相手の内部に潜り込む行為は、グラハムにそれまでにない満たされると同時に激しい飢餓をもたらして、たった一回の逢瀬で骨の髄まで彼に持って行かれてしまったのだ。

 そしてグラハムは悟った。これまでのささやかな夢が妄想にしかならなかったのは、きっと、この恋人ニール・ディランディに出会うためだったのだと。



 それから半年が経ち。出会ったその日に関係を結んで以来、月に数回のペースで逢いながら、愛を育んできたつもりだ。二人とも仕事があって忙しいため、これでも努力を払った結果だ。特にニールは、移動が多い仕事らしく連絡しても繋がらないことが多い。逢いたいといっても半分くらいは却下される。最初はこちらから一方的に押し掛けるようにして逢うだけだったのが、最近になってようやく彼から連絡が来るようになった。そして今日、始めて彼のほうから逢いたいと連絡がきたのだ。なんという行幸!グラハムは実際飛び上がらんばかりに舞いあがっていた。
 約束はとあるマンションの一室だった。それまではホテルか外で待ち合わせることばかりだったのに。マンションというとてもプライベートな場所が嫌が応でも期待を掻き立てる。ひょっとしたらニールの自宅なのだろうか、だとしたら自宅に招かれるとは大きな進歩だ、グラハムは勝手に想像をふくらまして悦に入った。それまでは個人的なことは何一つ教えてくれなかったというのに!。グラハムは勇んで腕一杯のバラの花束を抱えて約束したマンションのドアを叩いた。心臓の鼓動が痛いほどだった……それが、3月2日の午後6時ごろ。

 それからどれくらい時間が経ったのか分からないが、恐らくは既に深夜に近いだろう。

「グラハム、……グラハム、起きろ」

 優しい声で目が覚めた。しかし、グラハムが目を開けたにもかかわらず視界は闇のままだ。差し込むはずの光もない。明かりがないのだろうかと辺りを窺ったとき、自分の両目を覆う違和感に気がついた。視界が何かに覆われていて、真っ暗で何も見えない。しっかりと黒い布で目隠しされているようだ。視覚を完全に奪われたたせいで自分の状況が理解できない。ここはどこだ?何をされている?
 グラハムは記憶をたどった。ニールに呼び出されたマンションの前で何者かに後ろから襲われたのだ。油断した、軍人にあるまじき失態だ。そしてクロロホルムを嗅がされ気絶したあと、目が覚めたらこの有り様だ。
 目隠しをされ、両手は頭上できつく縛られており動かせない。手首を拘束しているのは細い布地のようなものだろう。両手首を堅く隙間なく縛ってはいるが痛みはあまりない。脚はどうだろうか……両脚を動かそうとしたら、何かに当たって上手くいかない。そこで先ほどから感じていた違和感の正体に気付いた。背中にさらりとした布地の感触が直に触れる。それは背中だけでなく下半身も同様だった。身じろぐ度に肌が粟立つ。グラハムは自分が何も身につけていないことに気がついた。しかも両脚を大きく開いた体制だ。焦って閉じようとしたが両足の間に何か大きなものが存在していて邪魔をする。
 さすがに、ここまでされては相手の意図など明白だ。しかし、何故君が……精一杯気持ちを落ち着けるが、声が裏返ってしまう。
「なんのつもりだ、ニールっ」
 ――彼が、どうしてこんなことを――理解できない。ありえない。グラハムは混乱していた。だが、いくら混乱したとてこの声を聞き間違うはずはない。グラハムは確信をもって、拘束されあられもない格好をさせて黙って見ている男の名を呼んだ。
「答えろニール・ディランディ」
 怒りにまかせて怒鳴り散らすが、相手は沈黙を守った。すると、膝にそっと暖かいものが触れた。人の肌だ。吸いつくように膝の丸みを包みこむ。相手は黙ったまま膝を撫で続けている。その温もりに、図らずもグラハムの体温も上がった。きつく唇を噛んで、こんな屈辱を味わいながらも彼を欲しがる己を恥じた。
「どうして、君がこんなことを……」
 きつい口調で問い詰めた。駆け引きが苦手なグラハムは、ここでニールの機嫌をとったり宥めて妥協を引き出そうなどとは考えない。
あくまでも直球勝負だ。それに対してニールはあくまで無言を貫き続ける。しかし肌をさす視線から、ニールがグラハムに無関心である訳ではないことは明らかだ。優しさよりもぴんと張り詰めた厳しさを帯びて、刺すような視線を感じて緊張する。
 グラハムは足をばたつかせて抵抗するが、足首を掴まれて、動きを封じられてしまう。ニールはその足首を更に大きく開かせて、秘部を顕わにしてしまう。
 グラハムの陰毛は淡い。薄い皮膚を守るように生えた部分から、色づいた陰茎が生えていた。一番弱いところを剥き出しにされ、羞恥心と同時に恐怖が芽生える。ニールがこんなことをする訳がないと、信じている。その信頼が僅かに理性を繋ぎとめているが、絶体絶命の状況だということは察知していた。
 ニールが自分にこんな理不尽を働くことが理解できない。なにか理由があるはずだと、ニールをかばうために理由を問いただす。理由次第では許してもいいし、付き合ってもいい。すでに何度も抱き合った関係だ。今更肌を晒すことに抵抗はない。が、こんな風に拘束さえて一方的に嬲られる謂われはない。許せない。
 ニールの視線を感じる。死ぬほど恥ずかしく、焦るグラハムは足をばたつかせて抵抗しようとするがニールの力は思いんのほか強く、手ごたえはあまりなかった。股関節の限界まで開脚させられる。剥き出しになった感覚。全てが顕わにされて、グラハムは懇願した。
「止めてくれ、ニールっ」
 それでもニールは脚を放してくれなかった。それどころかこれほど頼んでも、一言も発しない。
 こうなるともはや体面とかそういう問題ではなかった。唯一自由に動く頭をいやいやと振っても。ニールは解放してはくれなかった。
 かといってそれ以上は行動を起こす訳でもない。ただ全てを顕わにした体勢のまま、時間だけが過ぎて行く。
 それとも、ただ緊張しすぎて時間の感覚がおかしくなったのだろうか、グラハムはそんな風に考えて、気持ちを落ち着けようとする。
しかし、膠着した時間はじきに終わりを告げた。
 男の手が遂に動いた。
 実際はこの時、ニールは裸で、グラハムの脚の間に座っていた。身を乗り出して、きつく噛みしめられたグラハムの唇を凝視している。呼気が触れないように息を殺して。
 グラハムは顔を横向けて、強く唇を噛んでいる。眉はきつく顰められ、形のいい額に深い皺が刻まれていた。
 室内は裸でも風邪をひかないようにやや高めに設定している。そのせいか、いつもよりもグラハムの肌が色づいている。それとも、室温というよりも羞恥心だろうか。
 ふっとニールは表情を和らげた。
 逃げようとしても無駄だ。たとえ脚が自由になっても、まだ両腕は縛られている。視界も利かない。
 恋人に了解もなくこんな仕打ちをするとは最低だという自覚はある。
 そんな仕打ちを受けても、グラハムはまだニールを気遣おうとしている。屈辱に震えながらも、グラハムは手加減をしながら抵抗している。脚を振り回しながらも、ニールの身体に当たると途端にぴたりと動きが止まった。そんなところが可愛く思えて、ニールは微笑んだ。
 しかし、それはグラハムには見えない。
 見えないから、素直になれるものもある。
 ニールは僅かでも彼の感じているだろう苦痛が和らぐようにと、布で縛った手首に口づけた。それから、今度は額に口づけると、びくりとあからさまにグラハムの身体が震えた。ニールの笑みが更に深まる。額から、頬、そして耳へと移動する。その間、二人の上半身が密着した。
 グラハムはニールも何も身につけていないことを知って、熱くなった。あやすように小刻みに触れていく唇と、さらさらと滑らかな皮膚がこすれ合う感触に次第に強張っていた身体から力が抜けてゆく。こんなことで絆されてはいけないと思うが、いつのまにか自然と甘えるようにニールの動きに合わせて顔を寄せた。きちんとキスしてほしい。しかしニールはあくまでも耳やら項やらに落とす軽い口づけばかりに熱心で、肝心なところへはかすりもしない。次第に切なさが込み上がってきて、思わず甘えたような吐息が漏れた。いつしか怒りよりも焦れったさのほうが優っていく。
「……ニールっ……」
 もう焦らさないでくれ、とは声に出せない。
しかし、そんな声なき願いを察したのか、グラハムの唇が熱く湿ったもので覆われた。漸く与えられた唇にグラハムはあっさりと口腔を明け渡した。歯列を割ってそれ自体が意志を持ったように動きまわる舌が侵蝕を開始する。口腔内を縦横無尽に、それでいてグラハムの感じる所ばかりを重点的に攻められて、次第に自分が置かれた状況がすっぽりと抜けて行く。どうせ、キスのときは眼を閉じるのだから同じことだ。しかし両手が縛られているのはいただけない、とグラハムは思った。これでは縋りついて抱きしめることも、柔らかな髪を掻きまわすこともできない。
 そんな不満をこれまた敏感に察知したのだろうか、両腕で強く抱きしめられて、グラハムは微笑んだ。
 やっぱり、彼は優しい。

++ continued...



2011.3.3

ハッピーバースデー ニール&ライル!!