『 ねこ日和 』

※名前をつけましょう



 私は猫である。名前はまだない。
「なぁ……こいつ、なんて名前にしようか?」
「君が飼うと決めたんだ、君が決めたまえ」
 しかし、どうやら今目の前にいる人間が私に名前をくれるらしい。彼は真剣に悩んでいた。茶色の髪をガシガシと掻きながら、うー、とかあーとかおよそそれこそ猫みたいなうなり声を上ていた。もう一人はあまり関心がないのか、しかつめらしい顔でそっぽを向いていた。が時折ちらちらこちらを伺うので、私が見返すと、すぐに視線を外してしまう。
 どうやら、今日からこの二人が私の飼い主になるらしい。飼い猫生活がどういう物かはおよそ承知しているつもりだ。不自由はあるが、暖かい寝床と食べ物は保証されている。気楽なものだと聞いている。寒さと空腹で動けなくなったのが、たまたまこの家の縁の下だったのが運の尽きだった。弱って蹲って震えていたところを、いま目の前でうんうんうなっている人間に拾われたのだ。不本意だがしょうがあるまい。私は義理は果たす主義なのだ。
 飼い主は二人いた。一人はもう一人よりわずかに背が高く。茶色の毛並みの雄で、ニールというのだとついさっき知った。もう一人は、明るい毛並みでくるくると跳ねている。名前をグラハムという。
 ニールの方が私を引き取ろうと決めたらしい。いきなり抱き上げられて固まっていると、じっと私の目を見つめられる。
「……おまえ、目が緑っぽいな。なんか、グラハムみてぇ」
 なんと、ともう一人がわざとらしい口調で驚きを顕わにした。
「よし、おまえの名前はグラにしよう」
「まて、ニール。それは安直すぎやしないかね?」
「いいだろ、可愛いじゃねぇか」
 とたんにニールはグラグラグラと連呼しながら私に頬ずりをした。
 まぁいいだろう。及第点と言うところだ。そうして私はグラという名前を貰い、この家の飼い猫となった。

※咬み跡



 ニールの指は甘い匂いがする。だからつい、撫でられると噛みついてしまうのだ。しょうがないだろう、私は猫なのだから。ちょろちょろと目の前で動き回られては、本能的に飛びかかってしまうではないか。
 すると何故だか、グラハムが面白くないという顔をする。そういえば、ニールの人差し指には既に咬み跡が既についていた。私の小さな咬み跡よりも一回り以上大きい。赤く輪を描くように指の付け根に絡みつく。ふと思いついてその咬み跡を舐めてみた。すると、いきなり首根っこを捕まれて、ニールから引き離されてしまった。何をするか、と手足を動かし抵抗すると、グラハムは私とニールの間に割ってはいり、私とよく似た(らしい)若草色の瞳をらんらんと光らせて叫んだ。
「この指は私のだ」
 我慢弱いもう一人の飼い主がそこまでいうのだ、しょうがない、指一本くらいくれてやるか。

※発情期



 寒い日は蒲団に限る。
 この家には、蒲団が一組しかなかった。必然的に私が潜り込むのはその一組に限定される。
来たばかりの頃は良かった。ニールは私が潜り込もうとすれば場所を開けてくれたし、グラハムに押しつぶされないようガードしてくれたものだ。


 であるにも関わらず、今私は蒲団から隔てられ独りリビングに置き去りだ。こんな理不尽が許されて良いものか!私は断固抗議する。
「静かにしたまえ」
 ガリガリと扉を引っ掻いていると、グラハムが顔をだした。出たな、諸悪の根源め!いい加減私を蒲団に戻したまえ、そう飛び付いて抗議する。が直ぐに掴み上げられてしまった。
「……君の寝床は此処だろう」
 そういってグラハムが私を連れてきたのは、柔らかい毛布が詰まった真新しいキャットハウスの前だった。こんもりと丸く盛り上がった形で、中にはふかふかのクッションと毛布が敷き詰められており、潜り込めばすっぽり包まれ非常に快適だ。ニールが私の為に購入したこのハウスを私は気に入っていた。だが、今の私にとって問題はそこではない。私はベッドでニールと一緒に寝たいのだ。真っすぐに睨みつけ声を上げて抗議するとグラハムは困ったように腕を組んでうなった。
 するとグラハムの身体に巻き付いているブランケットがずり落ちる。
 その下は裸だった。いつもは毛皮の代わりに何重にも服を着込んでいるのに、冷え込む夜に限って薄着とは、本末転倒もいいところだ。私はブランケットの裾を引っ張り忠告するが、何を勘違いしたのか、グラハムは私を掴み上げて無理矢理ベッドに押し込もうとする。そうではない、そうではないと言っているのに……!まったく猫の気持ちを理解せん男だな。呆れてものも言えない。これがニールなら直ぐに私の希望を察してオヤツなりオモチャなり叶えてくれるというのに、同じ人間の癖に頭の出来は雲泥の差だと言わざるを得ない。まったく残念なことだ。だからと言って、私とて黙っていう通りにすると思ったら大間違いだ。君が実力行使にでるなら私にも考えがある。
 私は腕と寝床の間を縫って外に飛び出した。
「こら、大人しくしないかっ」
 スピードには自信があるのだ。君になど捕まえられるものか。
「……なにやってんだよ、グラハム」
 とそこへニールがやってきた。不機嫌な表情をを全面に出している。珍しい。
 それほど、グラハムの私に対する態度を怒ってくれているのか。やっぱりニールが一番いい。
 私はニールの脚にしがみついた。
 すると心得たニールは私を抱き上げ喉を撫で始めた。ニールの繊細な指使いを堪能し喉を鳴らしながら、私は勝利を確信した。
「……君がそうやって甘やかすから調子に乗るのだ!ちゃんと躾けないと後で困るぞ」
 私たちの相思相愛ぶりに叱咤したのだろうが、我々の仲を引き裂こうなど十年早いぞ。ニールの指に耳をすりつけて丸くなる、しばらくそうしていると、さっきまでギャーギャーと騒いでいたグラハムが急に静かになった。
 ニールの指は長い、だから耳の下の柔らかいところと顎の下を一緒に撫でてくる。そんなふうに気持ちイイところを集中して攻められては堪らない…全身から力が抜けていく。私はうっとりと目を細め、ニールの胸に寄りかかった。
 とそこで私は違和感を覚えた。いつもとは感触が違う。すべすべしていてあの爪に引っ掛かるケバ立ちがない。素肌のままだ。
 ニールは上半身に何も身につけていなかった。
 そんなことでは風邪をひいてしまうぞ、馬鹿で五月蠅いグラハムならいざ知らず、ニールは優しくて賢いからきっと風邪をひいたら大変だ……早くベッドへ入ろうと催促しようと上を向いたところだった。
 見上げると、ニールとグラハムが顔を舐め合っていた。唇をぴったり合わせている。時折のぞく互いの舌は絡まり合って濡れた音をたてた。グラハムは息苦しそうに鼻を鳴らした。のしかかるように、ニールが迫ってくる。それに合わせて徐々に狭まってくる二人の隙間に私ははまり込んでしまった。もはやほとんど隙間はない。グラハムの腕がニールの首にかかり、ニールの手は、どうやらグラハムの腰へまわされているらしい。裸の胸と胸に挟まれて息苦しい。
「……っ……ちょっとまて、ニールっ……グラが、グラを寝かしてからにしよう」
「構うなよ」
 その言い方は心外だぞ、ニール。まるで私がいてもいなくてもいいような言い草だ。断固抗議する、と一声鳴いた。すると、グラハムと目があった。がグラハムは慌てて目を放す。
 グラハムの唇は濡れて光っていた。唇だけではない、ニールは唇を放した後も、舌や唇で顎やら頬やらを舐め続けている。そのせいだろうか、グラハムの顔が真っ赤に染まってしまっていた。
 いつの間にか、グラハムの体を覆っていたブランケットは床に落ちて、全身が露わになっている。すぐに首が届く距離にグラハムの胸があって、その真ん中らへんに他の部分より赤く色づいたものがある。
 下半身もぴったりとくっついている。ニールはグラハムの足の間に自分の太ももを割り込ませて、ゆるゆると上下に動いた。
 毛づくろいのつもりだろうか?では、ニールは猫になったのか?
 それとも……美味いのか?
 無視された腹いせに目につくそれを噛んでみる。
「ひやぁっ……」
 変な声だ。グラハムはさらに真っ赤になって、身を縮こまらせた。

 ……面白い。

 今度は舌で舐めてみた。するとまた変な声でグラハムが鳴いた。他意はない。他意はないが、夢中になると自然としっぽが立って、ぱたぱた揺れる。挟まれたところで動けば……結果は推して知るべし。
「……っう……くっ、やめろグラっ」
 ちょうどしっぽが脇腹の辺りに当たったようだ。自慢ではないが私のしっぽは長くて毛並みも良い。自慢のしっぽだ。
「アンタ……ネコにまで遊ばれてどうするよ」
 ニールが言った。そうだろう、上手に出来ただろう。私は、ほめられるかと思ってさらに強く振った。ところが、ニールは屈んで、私を床に放した。
「……ったく、もう待てないっていってんのに」
 ピント鼻の頭を弾かれた。
 ……ああ、あれか。そこで私はようやく理解した。数日前の夜、寝室のベッドに潜り込んだとき、二人は裸で絡まり合い、猫の毛繕いのようにお互いを舐めあったり噛みついたりしていた。グラハムは伸びをする猫のようにしなやかに反り返り尻だけを突き上げて、そこにニールが覆い被さって腰を叩きつけていた。二人の動きに合わせて軋むベッドと、グラハムの鳴き声が五月蠅くて、しばらく寝付けなかったのを覚えている。肌から滲む二人分の汗の匂いと、高まっていく体温に息が詰まりそうだった。
 今夜の二人からはあのときと同じ匂いがする。……どうやら今夜も同じことをするらしい。
 立ち上がったニールが、再びグラハムの腰に今度は両腕を回して強く引きつける。さらに密着した二人は、もう顔を見ることは出来なかった。
 ため息を一つついて、私は自分のハウスに潜り込んだ。今夜は、ここで眠るしかなさそうだ。

 やれやれ……人間は万年発情期ということか。

+end...?+



2010.2.22
2010.2.25 追加

平成22年2月22日 二のぞろ目vねこの日らしいのでねこ小話