『 終息とシャムロック 』

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「さて、そうと分かれば……このまま放っとくこたぁねぇよな」
 自分の気持ちは確かめた。そうなったらあとは行動するだけだ。ライルはベンチから立ち上がると、グラハムを追って駆けだした。
 そのまま全速力で展示室を走り抜け、他の客が白い目を向けるが無視した。そして出口のゲートまで来て漸く見つけた。道路の向かい側に、探した鮮やかな金髪がいた。
「グラハムっ」
 とりあえずライルは叫んだ。
 グラハムは驚いたように顔を上げると、数歩よろめくように後ずさる。
「そこ、絶対ぇ動くな!」
 指差したまま叫んだ。そのまま車列をぬって道路へ飛び出す。幸い、通行量はさほどない。直ぐに道路は横断が出来たが、グラハムもじっとしてはいなかった。背を向けて、直ぐ傍の路地へ歩いていく。
「危ないっ」
 追いかけて路地へ入ったところ、直ぐの交差点でグラハムの目の前に急に車が飛び出してきた。驚いたグラハムが立ち止まっている隙に、ライルは漸く追いついて、グラハムの右手を捕まえることができた。と、腕を掴むや否やグラハムは唐突に立ち止まり歩道へたり込んでしまった。力づくで引き上げようとするが、下半身は力なく蹲るだけで動こうとしない。様子が変だった、息が荒いく顔色が真っ青だ。
「大丈夫か?」
 グラハムは細い肩をカタカタと小刻みに震わせて蹲っている。顔を覗きこむためライルも同じようにしゃがみ込むが、やはり様子がおかしい。
「おい、大丈夫か落ち着いて息をするんだ」
 急に全力疾走したので過呼吸を起し掛けているのかもしれない。ライルは思い切り息を吸い込むと、グラハムの口へ直接息を吹き込んだ。そうやって何度か息を吹き込んでやる。するといつしかグラハムの呼吸も落ち着いた。
 しかしライルはグラハムの呼吸が落ち着いてからも暫く唇を放せなかった。グラハムの手が強く腕を握り締めている痛みに気付いて、漸く口を離すと、ライルの心境を映して、名残惜しげな唾液が糸を引いていた。
「歩けるか?」
 彼が頷いたので、そっと腕をとって人気のない路地へ連れて行く。ひとまず人目を気にせず話せるところならなんでも良かった。路地は店と店の間の路地にはゴミ箱など雑多なものが放置してあって、そのうちの一つ、比較的綺麗そうな箱に自分の革ジャンを掛けて、グラハムを座らせた。
 そしてライルは彼の正面にしゃがみ込んだ。
「……悪ぃ、急に変なこと言って……でも」
 本気なんだ、と続けようとしたところで、グラハムが顔を上げた。表情は大きなサングラスに隠されてよく見えない。焦れたライルはグラハムの瞳を覆うサングラスを外した。彼の目を直に見たかったからだ。真っ青な顔色で、零れおちんばかりに瞳を見開いている。薄暗い路地で、綺麗なエメラルドグリーンの虹彩が拡散して、瞳孔が広がった。瞼を開きすぎたせいで、下瞼の裏の赤い皮膚がめくれて見えた。血管が透けて見える。白眼も薄赤く染まっていた。そんな細部まで判別できるまで、瞬きも惜しむように凝視していると、グラハムの薄い唇が開いた。
「君がニールと同じ顔をして、同じ言葉を喋るたび、胸がえぐれる。私の中で無理やり封印していた彼の思い出が溶けだして、蛇のように胸を締め付ける。出会ったあのパブで、私が動けなかったのは、恐怖で身が竦んでいたからだ。真実を知るのが怖いのだ。この私が!今更恐怖など!!幾多の修羅場を掻い潜り仲間の死の上に生きながらえてきた私が!今更、自分を捨てていった男を前にして恐怖するなど、笑止……」
 グラハムはせき込むような勢いで話し続けた。次第に言葉に鬼気が宿っていく。
「君は言った。ニールとは両親の葬式以来、別の里親に預けられたので逢ってないと。私が情報部に調べさせた結果は違う。ニール・ディランディはテロ事件依頼生死不明と――」
 思いがけない言葉に、今度はライルが驚いて叫んだ。
「そんなバカな!!ユニオンの情報部は無能だな。あのテロ事件で、兄さんはちゃんと生きてて、たった一人生き残って……俺たちは二人で母さんと父さんと……エイミーの棺に白いバラを入れたんだ……ミサのときの兄さんの顔が今だって忘れられない。俺一人がめそめそ泣いて、ニールはただじっとエイミーたちの棺を見ていた。俺たちは手を握り合って……」
 それが最後だった、ニールと直接会ったのは。ライルにとっては忘れようとしても忘れられない記憶だ。それが偽りだといわれて、はいそうですか、といく訳がない。ライルはきつくグラハムを睨んだ。
「君の思い出が偽りだとは思わない」
 グラハムはポツリと呟いた。
 だが、と続けようとして、グラハムは一旦逡巡したのか言葉を切った。
 背筋が震えて、鳥肌が経つのが分かる。ライルはグラハムの言葉を待った。
「記録が改ざんされている可能性がある」
「そんなこと、誰がやるっていうんだっっ!?調べた奴が嘘ついているんじゃないのか?」
 そんなことはない、とグラハムは言う。
「彼は私の戦死した部下の友人だ……私に嘘などつくはずがない。第一そんな必要がどこにある」
 ライルは息を飲んだ。グラハムの推測には一切の根拠がない。信じる必要なんてどこにもない。だが、何故か嘘だと一蹴できない何かがある。ユニオンは今はもう存在しないが、嘗て三台国家群の一翼を担った国だ。その情報機関がただの一般人の身元を洗えないなんてまずないだろう。だがしかし、“ただの一般人”でなかったら?考えてみれば、自分だってニールがどこで何をしていたのか一切しらない。仕送りが来るたび、生きているのだと信じていただけだ。その金だって決して少ない額じゃないのにも関わらず、欠かすことなく続けられていた。同い年のライルには自分が生活してなお且つ同じだけの仕送りをする余裕などない。一体どうやって金を稼いでいたのか?それもほんの十代の頃から。どう考えても、まっとうな仕事をして稼いでいたとは考えられない……ではどういう種類の仕事なのか……そこから先はこれまで眼をそむけてき疑問だった。もしその仕事が裏社会に関わるものなら……そんなはずはない、と否定できないところに、グラハムの言葉を否定できない理由があるのだろう。
 それはグラハムも同じだった。
「君と出会ってからずっと考えていた。ニールは私に自分の素性を隠していた。私はそれを薄々感づきながら業と見過ごして来たんだ。大したことじゃないと、いつかニールがその気になったら話してくれるはずだから、と。だが結局そんなことにはならなかったがね」
 グラハムは寂しげに笑った。
「私は馬鹿な男だ。彼が姿を消したと気付いた時、きっと私に飽きたのだろう、そのくらいにしか考えなかった。単純なものだ。だがもしかすると、事態はもっと複雑だったのではないか……ニールは何か深い事情があって姿を消したのかもしれない。もしあの時私がもっと真剣に彼の行方を探していたら、復讐に駆られてガンダムと戦っていなかったら……だが実際は、自分のことで精いっぱいで、ただ彼のことを忘れようとしていた。最低だ、私は。破局した恋を忘れる為に他人をを利用しようとして」
 ガンダム、久々に聞いた言葉だ。一時期は毎日のようにニュースで流れていたのに、最近は取り上げられることもない。2年前、各地の戦争行為に武力介入をして戦争を壊滅しようとした私設武装組織ソレスタルビーングのモビルスーツの名前だったはずだ
「……その傷、ガンダムとの戦いで?」
。あの戦争で戦ったのか、どこか儚げな雰囲気に忘れがちだったが、この男は軍人だ。だけど馬鹿だ。軍人のくせに、馬鹿で真っ正直で、不器用過ぎる、そうライルは思った。
「アンタが罪悪感を感じる必要なんてないだろ……にそんな傷を負って」
 グラハムは無言で首を振る。力ない仕草にライルの胸も痛んだ。何をそんなに気に病んでいるのだろう。例えば、今他の男の元に身を寄せていることを指しているのなら、そんなのはまったくグラハムのせいじゃない。勝手に2年もほったらかしにしておいたニールのせいだ。兄さん、なんでこんな手のかかる奴を放っておくんだよ、そう恨みごともいいたくなる。


「俺は別に利用されても構わない」

「君じゃない」
 頑なに否定するグラハムの金髪にそっと指を絡めた。落ち着かせるように、深呼吸をするのと同じリズムでゆっくりと撫でる。
「俺にしとけば?」
 するとカッと激昂したグラハムが言った。
「ふざけるな、君に私の何が分かる」
 売り言葉に買い言葉でライルも叫んだ。
「ふざけてんのはアンタだろっ、いつまでもニール、ニールって昔の男の幻影ばかり追いかけて……少しは目の前にいる人間を見ろよ!俺はニールじゃない。」
 その時、自分が何を考えていたのか、ライルはよく覚えていない。覚えているのは強く抱きしめたグラハムの肩が驚くほど痩せて堅かったこと。まるで肉など無いかのようで、力を入れ過ぎればガラスのようにパリンと割れてしまうのではないかと恐怖を感じた。
「誰かに棄てられた痛みなんて、そう簡単に忘れられるはずねぇだろ……誰かに頼ってもいいんじゃねぇ」
 知った風な口を利くじゃねぇか、ライルは内心呆れていた。だが、少なくとも自分の場合、家族を一度に失った悲しみが完全に癒えた訳ではなくても、とりあえずこれまで真っ当に生きてこれたのは、ニールがいたからだと思う。言葉で慰めることはなくても、傍でなくても、存在してくれるだけで救いになることもある。
 ニールからの連絡がなくなった今になって、漸く分かったことだ。

「兄さんはきっと生きているよ。見た目よりずっとタフな男だから。そんでもってある日ひょこり帰ってきたら、アンタが俺のことを好きになっててさ、悔し泣きするんだぜ」
 自業自得さ、そういうとグラハムは僅かに目元を潤ませた。この男もきっと今まで泣いてなかったんだろうな、とライルは思った。泣くのが下手なところはニールと似ている。

++ continued...



2010.8.20