『 終息とシャムロック 』

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 どのくらい時間が立ったのだろうか……ライルは左手に巻いた腕時計で確認すると、博物館に入ってから二時間が経過していた。なるほど、どうりで足が痛い訳だ……こんなことなら格好つけて重いブーツにしないでスニーカーにすれば良かったと後悔した。予定では1時間くらいで博物館を出て、近くのカフェでお茶でもしているはずだった。お互いに展覧会の感想でも話せば、会話も弾むし、上手くやれば展覧会を切っ掛けに日系人らしいホーマー・カタギリについての情報も聞き出せるかもしれない……などと考えていたのだ。それがどうだろう、二時間経っても、グラハムは展示品に飽きる気配も無い。陶器などの工芸品から武器甲冑のコーナーに移ってさらに一点一点にかける時間が長くなる。気にいってもらえたのはいいが、声を掛けてもろくすっぽ返事も無いのは頂けない。これでは一人でいるのと同じだ。思わずため息が出そうになって、寸でのところで飲み込んだ。が一向に展示品から目を放さないグラハムに、改めて盛大にため息を吐く。気づけよ馬鹿野郎、と恨みごとを込めたため息だったが、グラハムは見事にスルーしてくれた。
 正直言ってライルは博物館に興味はなかった。クラウスから画集を借りてきたのも、グラハムの気を引くためだ。この展覧会に誘ったのもしかり。共通の話題があればグラハムも気を許すかもしれない、そんな風に考えたのだが、はてさて。完全に見込み違いだな、そう思った時だった。
「どうかしたか?」
 グラハムが振り返った。別にと微笑むとまた甲冑に向き直る。どうやら無意識に声が出ていたらしい。
 しかし全く眼中にないかと思ったが、そうでもないらしい。相変わらず彼の注意はガラスケース内の甲冑に向けられている。全く気配には聡い男だ。
 彼が夢中なのは日本の中世の甲冑だった。いかつい面覆いをつけ、巨大な前立てを誇示する姿は、また金属の鎧の表面を赤や青の絹で飾られており、兜には金の装飾も施されていたり、無骨な中にも華麗な装飾が目を引く、とても美しいものだった。ライルのように美術にあまり興味がない人間でも普通に綺麗だと思うし、珍しいと思う。
 展示室内は壁も黒く、照明が落とされているため薄暗い。展示ケースの中だけがスポットライトと白色ライトで明るく照らし出されている。じっとケース内を見つめているグラハムの横顔は白いライトが反射して明るく照らされて、ライルのいる場所からみると、グラハム顔の左側だけが見える。
 相変わらず顔だけはいい男だ。
 瞬きをわすれて凝視する、グラハムの緑色の瞳に、展示ケースの照明が映り込んできらきらと光る。甲冑に見入る様子は、とても無邪気で真剣だ。しかしこんな男が軍人とは信じられない。まぁいいか、とライルは思った。楽しんでいるみたいだし、時間はまだあるし、もしグラハムが閉館まで粘るようなら、カフェは止めて夕食にすればいい。そんな風に算段をつけていると、グラハムが次のケースに移動する。
 
 次は日本刀のコーナーだった。
 今度は細いケースに、白い晒しを掛けられた台座に乗った日本刀が数振り展示されていた。解説を読むと、古いものでは千年以上昔の刀もあるらしい……ライルは適当に解説を流し見ただけだが、グラハムは一字一句読みこんでいる。
 数人の観客がケースに張り付くようにして鑑賞しているが、グラハムもその一人だ。覗きこむようにして、特に熱心に見入っている。ライルは一歩下がった所からグラハムの肩越しに日本刀を鑑賞していた。がふとグラハムの様子が変わって、横顔を覗き込む。目つきが変わっていた。瞬きすら忘れて、一点を見つめている。鬼気迫る様子で、食い入るように見つめている。瞬きすら忘れているようだ。あまりに没頭しているのが少し不気味で、思わず声を掛けていた。
「日本刀、好きか?」
「好きではない」
 間髪いれず返された言葉に首を傾げる。嫌いって反応じゃない。展示品の中で一番熱心に鑑賞しているのに。確かに昔は人を殺す道具だったはずだが、目の前にある実物はとてもそんな禍々しいものには見えなかった。帰ってきた返答はライルには理解できないものだった。
「心がざわつく。…心が揺れる自分が嫌だ」
 そういうグラハムの目は暗く濡れたような光を発している。
「私はこの刀のようになりたい。ただ堅く、強く、鋭い」
 魅入られたような視線に、今度はライルの心がざわついた。
 ぽつりとグラハムが呟いた。
「余計なものが多すぎるのか」

 日本刀に魅入られているグラハムは鬼気迫るものがあり、真剣すぎて不気味だった。好奇心で煌めいた瞳がいつしか文字通り刃のように鋭い光に沈んでいる。

 出会って初めて、グラハムを怖いと感じた。そんな風に感じた自分が嫌だった。


 それに気づいた途端、いても経ってもいられなくて、ライルはグラハムの腕を掴んでいた。周りにいる観客にも構わず、強引に彼の手を引いて歩き出す。突然のことに驚いた彼が静止の声をあげるが構わず歩き続ける。
「どうしたというのだ……」
 君はいつも行き成りだなと、呟くグラハムを無視して、ずんずんと歩き続ける。途中、警備員が不審げな顔を向けているのに気づいてグラハムが抵抗を止めて大人しくなった。好都合だ。不審者扱いされても構うものか、どうせまた暫くは来やしないんだ、ライルは立ち止まる人波をかき分けて、出口まで急いだ。そのまま館外へでる。出口は入り口とは逆方向で、博物館の中庭へ通じる回廊へ出る。中世の建物を移築した回廊は、半円形のアーチが掛かった柱に囲まれており、まるで千年前にタイムスリップしたような趣だ。立木の向こうから覗く太陽は西に傾き、ライル達の足元にアーチの影を落とした。カツカツと高い音を立てながら歩き続ける。途中、エントランスへ向かう曲がり角に来た時、ライルは迷わず、反対側の中庭へ通じる方向へ曲がった。途端に人通りが少なくなっていく。するとさっきまで大人しく手を繋がれていたグラハムがもぞもぞと動き出して立ち止まった。
「いい加減放してくれ、まるで逃げ出すみたいに……ひょっとしてパブで絡まれた連中がいたとのか……」
 逃げたんじゃないというライルに、グラハムは戸惑い顔で、コチラを見上げる。ライルは正面切って告白した。
「あんたが好きだ」

 西日が深く差し込む影の中で、緑色の瞳が見開かれる様を息を飲んで見つめる。
 すると唐突に右手が綺麗な弧を描いて飛んできた。パチンと小気味よい音が耳に入って、続いて鋭い痛みが頬を襲う。殴られたと分かったのは、顔を上げてからだった。
「冗談も、大概にしろ」
 そのままグラハムは外へ向かって駆けだした。堅い足音も高く走り去る後姿を見送ると、ライルは全身から力が抜けて、思わず近くのベンチに座り込んでしまった。
「なんであんなこと言っちまったのかな?」
 石のベンチに腰掛け、背もたれに首を預けて天井を睨で呟いた。グラハムに叩かれた頬がピリピリと痛んだ。意外に手が早い。黙っていれば天使のような外見なのに、好戦的で気性が荒く腕力が強い。


 あんなこと、言うつもりはなかった。
 まったく、唐突すぎる。まだ逢って一週間も経たないし、まともな会話もほとんどしてない。おまけにグラハムは行方不明の兄の恋人だった男で、兄に棄てられたと思っている。その兄と瓜二つの男を前にして、平常心でいられる訳も無く。そこへ付け込んだ自覚はあった。だからこそ慎重にすべきだったのだ。
 それなのに……なに焦っているんだか……ライルは懐を探って煙草を探す、が禁煙だったことを思い出してため息を吐いて諦めた。アレでは余計警戒されてしまうだろう。本当は次につながるように当たりさわりのない、なお且つ彼の興味を引き出して、次の約束を取り付けるつもりだった。
 それなのに、だ。
 まだ電話番号も聞いていない。逢えなければ、弁解すらできない。
 後悔が波のように襲ってきて、思わず頭を抱え込んで考えた。あんなこと言うべきじゃなかった。でも、嘘ではない、ライルは無防備に口をついて出た言葉に含まれる気持ちに気づかざるを得なかった。
「好きだ」
 兄の恋人だったとか、スパイのこととか、彼に近付いた理由はいくつかあって、正直自分でもなぜココまで拘るのかよく分からないところがあった。がもう決定的だと思った。
「やっぱ双子は趣味も似るのかね」
 理由があり過ぎるのも考え物だな、とふと思う。おかげで一番大事なことが分からなくなるところだった。
 最初から明らかだったことだ。
 どうやら自分は、彼に一目でイカれてしまっていたらしい。気づくのが遅かったというだけだ

++ continued...



2010.2.10