『 終息とシャムロック 』

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 待ち合わせ場所について、ライルは腕時計の針を確認した。約束の時間まではあと15分しかない。ライルはカーキ色の革のジャケットに黒いシャツ、モノトーンのスリムパンツに黒いブーツを履き、頭には帽子を被っている。少しカッコつけ過ぎのような気もするが、悪くないはずだ。こうして待ち合わせをするのは初めてだから、なんだか緊張する。グラハムの趣味が分からないから、合わせようがないので、とりあえず自分が一番好きな服を選んだ。年相応よりはカジュアルで、かといって崩れすぎることがないように、気を使ったつもりだった。気にいってくれるといいけど、ライルはポケットに手を入れて、博物館の門扉の壁に寄りかかり、表通りを眺めた。ココは博物館と図書館そして大学が集中している地域で、ダブリンでも20世紀そのまま歴史的な建造物が残されている数少ない地域だ。特にこの博物館外観、白い石造りの外壁にエントランス部分が円く飛び出したビクトリア調の特徴的な外観は400年前からほとんど変わっていない。この街の名物の一つになっている。黒い鉄製の門扉には金文字でシンプルに「MUSEUM」とのみ書かれていた。ライルがいるのはその門扉のやや右側になる。鉄製の柵に背骨を添わせるような形で、策を支えるブロック塀に寄りかかり、歩道の石のタイルの目地に尖った靴先を這わしながらぼんやりとしていると、嫌な予感が膨らんでいく。
 グラハムは来るだろうか?
 正直、甘くみて五分五分だと思う。
 日本美術が好きらしいと知って、この博物館へ誘ったのが一昨日のこと、その時、「来られないようなら連絡を」といって自分のアドレスを教えた。その後連絡は一切ない。断られた訳ではないが、かといってあわよくばメールでも来ないかな、と当てにしていた下心も報われなかった。 
それも仕方がないとは思う。日本趣味の他に、彼が自分との約束を守る理由はあまりないような気がした。
(その代わり、避ける理由なら山ほどあるよなぁ…)
 第一は兄さんのこと、自分だって兄さんの昔の男なんて言われれば、絶対に避ける。比べられるなんてまっぴらだ。第二は顔の傷、理由は分からないが傷を人に見られるのを嫌っているようだ。パブでもそれがもとでケンカになっていたし、博物館みたいな人混みは避けているのかもしれない。第三は…これが一番大きいのか。あの着物の男の存在だ。あの夜、タクシーのドア越しに絡んだ視線、思わず背筋が凍るかのような厳しい視線だった。正直、萎縮して言葉が出なかった。ホーマー・カタギリ、彼はグラハムの何なんだろうか。グラハムは彼をどう思っているのか。
 分からないことが多すぎる。でも、
(そんなとこも惹かれるんだよな、たぶん)
 いつの間にか彼のことばかり考えていた。会いたい理由は沢山あって…兄のこと、クラウスのこと、後はそう自分のこと。理由があり過ぎるのも考え物だな、とライルは思った。
(来るかな)
 とりもなおさず、逢えなければどうにもならない。最初は本当に偶然だった。偶然が二回目続いて、単なる偶然ではないような気がした。そして3回目はライルが仕組んだ。四回目、今日逢えるかどうかは偏にグラハムの意志だ。だからこそ余計に、逢いたいと思った。
 もう一度時間を確認しようと顔を上げた時、通りの向こうに、金色の頭が見えた。
「グラハム」
 名を呼んで手を上げる。すると彼は左右を見てから、こちらに向かって駆けてつけてくる。昨日と同じダウンジャケットに、今日は白いパンツを合わせている。マフラーはしていない。その代わりベージュのハイネックで首をすっぽり隠していた。そして顔には大きめのサングラスがのっている。
「すまない、待たせてしまった」
「いや、俺も今来たとこだから」
 サングラスで大きな瞳を隠してしまっているのはもったいない。傷を目立たせないためだろうが、それにしても…童顔なせいだろうか、フードのファーに金髪が跳ねるのが可愛らしいくて似合っている。それだけに余計におしいと思う。そういえば彼の年を聞いていない。まさか年上ってことはあるまいが、どうだろうか。
 落ち合った二人は、正面玄関からエントランスホールに入った。ホールの中は円形の空間でドーム状の天井がスクリーンになっていて博物館の展示品の解説や特別展の紹介映像が流れていた。映像にくぎ付けになっているグラハムの袖を軽く引き、足元を指差した。
「なあ、下見てみ」
 床には十二正座を象った美しいモザイクがある。
「この床はこの建物が創建当初のままなんだ。」
 モザイク画はアクリル板で覆われていて直接触ることはできないが、ライルが子供のころにはまだ直に触ることが出来た。
「初めてこの博物館に父さんと兄さんと一緒に来たとき、兄さんとどっちが先に自分の星座を見つけるか競争したんだ」
「結果は?」
「…俺の勝ち」
 するとサングラスの中で、緑色の目が僅かに眇められた。
「意外だって顔だなぁ…種明かしをすると、兄さんはその前に此処に来たことがあって、最初から場所を知っていたんだ。だから業と俺に勝たせた」
「どうしてそれを知ったんだ?」
「兄さんが知っていることを俺は知ってた。だから業と負けたんだってすぐ気付いたよ。兄さんはそういうとこ空気読み過ぎっていうか、逆に鈍感っていうか…業と負けられたこっちの気持ちになってみろってンだ。おかげでこのモザイクを見るたび、嫌な気分になる」
 するとくつくつと軽い声が聞こえた。グラハムが僅かに声を立てて笑っている。
「君たちは面白いな」
「そうかい?」
 尚も笑い続けるグラハムに、笑うなよ、と愚痴ると、すまないと返された。しかし笑い声は止まない。
「あんたは兄弟がいないって言ったな、一人っ子には分かんないだろうけど、兄弟ってのは色々難しいところもあるんだよ。俺たちは双子だからなおさら、いつも比べられるし、全くうんざりだ」
「確かに君たちは顔は良く似ている…私も最初は区別がつかなかったくらいだし」
 ああそうですかい、と呟いた。まぁね、キスされたくらいだし。そういうのは初めてじゃないし。そこでライルは思わず目をそらしてしまった。そういえば俺コイツとキスしたんだっけか…事故のようなもので、唐突過ぎて感触もなにも憶えていない。惜しいことをした、今になってそう思った。するとグラハムが言った。
「だが、性格は全然違う」
 全く思いがけない言葉に眼を瞠った。
(だったら、何で今日来たんだ?)
 思わず振り返って、問いただしそうになったが、寸でのところで飲み込んだ。
「私は孤児で…子供の頃、兄弟ってやつに憧れていたんだ。しかし、想像と現実はまた違うものなのだな」
 行こう、とグラハムが促すので、エントランスから特別展の会場へ向けて歩き出す。薄暗い館内は展示解説の立体映像によって斑に照らし出されている。影に入ると、彼の表情は分からない。機械の音声が、同じアナウンスを繰り返す。無数の人混みの中、彼の白い頬だけがぼんやりと発光していて、ライルはその頬に掛かる薄い影にじっと魅入った。

++ continued...



2010.1.28