『 終息とシャムロック 』

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 気がつくと昨日と同じ通りを歩いていた。あんな嫌な思いをしたというのに、何故又同じパブに行くつもりか?ライルは自分でも分からなかった。分からないが、すっきりしない。アレでは自分だけが一方的に被害をこうむっただけで、割が合わない。こうなったら今日こそとことん飲んで憂さ晴らしだ。そう決めて、昨日と同じパブの扉を開いた。
 途端に耳に飛び込んでくる喧騒。昨日と違い時間が遅いためか、店はかなり混んでいた。座りきれない客がフロアに溢れており、立ちながら雑談を交わすもの、静かに杯を開けるもの様々だが、濃いアルコールの匂いに鼻がツンとする。ありふれた酒場の光景。耳がわんわんと震えるほどの雑踏の中に足を踏み入れたライルは、ウィスキーのストレートを頼んだ。テーブルに置かれた小さなグラスに並々注がれた琥珀色の液体を一気に煽った。焼けるような液体が喉を通り、身体がかっと熱くなる。冷え込んだ外気に縮んだ身体を温めるにはこれが一番だ。今夜はとことん飲んでやる、そのつもりだった。
 この店のいいところは、給仕やバーテンが全て人間だということだ。ロボットや自動販売機だけのファストフードじゃやっぱり雰囲気が出ない。今や数少ない伝統的な形式を残したパブだった。味は同じでもライルはこっちの方が好きだった。
 いくつかのスクリーンではフットボールの中継を映し出していた。画面の周りで腕の太い髭面の男が大仰に手を上げて呻き声をあげ、周りでは重い溜息と罵声が響く。どうやら地元チームが点を取られたらしい。シャムロックグリーンのユニフォームを着た男たちが大げさに悲嘆に暮れていた。
 薄暗い店内にスクリーンの明かりが浮いていた。しかし今やフットボールを流していない店に客は入らないから仕方ない。よっぽどの高級レストランでない限り。
 と中継の歓声をぬって、ガシャーンとガラスの砕けた音が広い店内に響いた。一瞬だけ店内が水を打ったように静まり、音がした一角へ客達の視線が集中した。だが、酔っ払い同士の小競り合いなんてこういう店では日常茶飯事で誰も注目したりしない。みんなすぐに自分の会話に戻っていく。だが一人だったライルはふとその喧嘩に目をやってしまった。やってから後悔した。なぜならその中の一人に見覚えがあったからだ。ライルは目を見張った。重そうな黒い革ジャンを着た大柄の男の胸ぐらを掴んでいるのは、昨日の金髪男だった。
 金髪の男は至って真剣な顔で酔っぱらった大男の胸倉をつかみ上げている。が相手は全く堪えていないようだ。アルコールで真っ赤になった顔で、口元には笑みさえ浮かべている。
「前言を撤回したまえ」
 酔っ払いに絡まれ、逆ギレしたのか。金髪は殺気だった顔で相手を睨みつけていた。
「…ハァ、俺は何も間違ったこと言ってねぇし、つうか気にしてるならノコノコ人前に面晒してんじゃねぇよ。…目障りなんだよ、そうやって他人の同情惹こうって魂胆がさ」
 酔っ払いが下卑た笑顔を浮かべていった。
「寂しいなら、慰めてやってもいいぜ…キズモノだって俺は気にしねぇから…」
 すると金髪は掴んでいた相手の胸を乱暴に突き放していった。
「同情憐憫一切無用。貴様こそ、汚い顔の垢を落として出直してこい。」
 そして傍らにあった半分ほど残ったギネスを相手の顔めがけてぶちまけた。
 顔面にビールを掛けられて黙っている男はいない。案の定、酔っ払いは赤い顔を皿に赤くして眼を血走らせて金髪に掴みかかった。男の右フックが金髪の左頬を直撃、テーブルを幾つか巻き込んで床に倒れた…と思った。しかし実際倒れたのは、酔っ払いの方だった。金髪は相手のフックを左に交わすと、カウンターで相手の項にチョップを入れたのだ。ソレを見て、酔っ払いの仲間が騒ぎだし、流石に店内の客達も彼らに注目し始めた。
「テメェ何しやがる!?」「ヤリやがったな!」
 全くもって独創性のカケラも無い展開だ。だが流石にこれは止めた方がいいか…ライルは迷った。相手は仲間を合わせて4人になる。4対一だ。しかし、金髪は殺る気満々といった顔で相手が起き上がる様を腕をだらりと垂らしたポーズでじっと睨んでいる。さっきの身のこなしかたからして見た目によらずケンカ慣れしているようだし…ケンカを売ったのは金髪の方だし、ほっとくか。昨日会話とも言えないハプニングでキスをしてしまったが、端的に説明すれば兄の知り合いというだけの関係だ。確かに何かモヤモヤとした感情はあるが、本来、俺には関係無い人間であり、面倒事はゴメンだ、とライルは早々に結論をだしてスツールから立ち上がると、入口へむかい金髪に背を向けた。そのライルの耳に信じられない言葉が飛び込んできた。
「ライル・ディランディ!」
 名前を呼ばれて、反射的に振り返ってしまった。それがいけなかった。
 4人の視線が一斉にライルへ向けられた。
「…クソっ、最悪だなアンタ」
 これじゃあまるで俺がこの金髪の仲間観たいじゃねぇか…ああ、もう面倒くせぇ、とライルは髪をガシガシと掻きながらおもむろに男たちの元へ近付いた。
「言っても無駄だとは思うがね、俺はこいつの連れでもなんでもねぇぞ。完全に無関係なんだからな。だからこの金髪野郎がどうなろうが正直欠片も興味はない。煮るなり焼くな李好きにしてくれ。けどなぁ、あんたも大概大人げないぜ。最初にケンカを売ったのは確かにこの金髪野郎だが、先に手を出したのはアンタの方だ」
 だからまぁ、悪く思わないでくれよ、と内心一人ごちてから、ライルは手近なテーブルからナイフを一つ失敬し、四人のうち壁際にいた長髪の男に向かって投げつけた。するとナイフはひゅっと音を立て男の顎すれすれに突き刺さる。それを見て男の顔色がさっと変わった。
「先手必勝か、見事」
 金髪が呟いたのを聞いて、ライルは苦々しげな表情を浮かべて答えた。
「それを言うなら三十六計逃げるにしかずだ。さっさと逃げるぞ。」
 ライルは金髪の手を掴むと足早にその場から駆け出した。「逃げるのか」とか「待ちやがれ」などといった男たちの罵声が追いかけてくるが、ライルは人混みに紛れるようにして、何とか店の入り口までたどり着く。途中店員が上手くいなしてくれたので、何とか店の外へ出ることが出来た。
 そしてそのまま、夜の街に駈け出した。

++ continued...



2009.10.17