それはとても幸せな




「犬を飼います!
家を買います!
山を買います!」

居酒屋で女が友達に熱弁しています。
犬の居る未来、自給自足の慎ましい暮らし。

「犬と二人で町から少し離れた山で暮らせたら、すごく幸せだと思うの!
庭に桜の木とか植えてさ、梅の木も植えたいな。
梅酒とか作っちゃうよ!
山の方に畑作ってさ、あー、絶対幸せだー」

とてもいい笑顔で女はそんな未来を話します。
友達は笑って、羊までは飼わないでよね、と言いました。
久しぶりに会った二人は日頃の不満やら愚痴やらを吐き出しながらお酒を飲みます。

「ハスキーがいいなぁ。可愛いよね!かっこいいよね!」

「いや、あたし犬苦手だから」

「知ってる!
でも、ハスキーの方がどうやっても先に死んじゃうんだよね…」

「しょうがないじゃん」

「…たぶん、もって一週間だ。
ハスキーのお墓作って、毎日花供えに行って、
一週間後くらいに耐え切れなくなって桜の木で首吊ってそう」

「やめてやめて。
そん時は連絡して!
新しいわんわん連れて行くから!」

「うぅ、ありがとう」

女は自分の想像の中でハスキーが死んでしまうことが悲しくて、
そんなことを言ってくれる友達があんまり優しくて、
少しだけ涙が滲んでいました。

「でも、ハスキーいいなぁ」

「もー、ペット可のマンションとかでいいじゃん」

「一軒家がいい!広いとこで放し飼い!その為の山!」

「えぇー、あたしが遊びに行くときはリードで繋いどいてね」

「まかせろ!」

女と友達は朝まで飲み歩いて始発の電車に乗って帰りました。

女は本気でそんな未来を夢見ていました。
どうしようもなく幸せな未来だと思っています。

人に話すと笑われたり、流されたり、頭の心配までされたりしました。

それでも、女の夢はハスキーとの暮らしでした。
その為にたくさん働きました。
今までの人生で一番頑張ってるんじゃないかと思うくらい、働きました。

病気になったりしました。
疲れて泣いたりもしました。
それでも、望む未来の為に頑張り続けてみました。



結局、頑張ったけれど、女は山も家も買うことは出来ませんでした。
それでも、山の側の貸家でハスキーを飼い始めました。
女は理想とは違う現実にちょっとだけ悲しくなりました。
でも、ハスキーと二人で暮らせるならオールオッケーでした。

「ハスキーおいで、ブラッシングしたげる」

にこにこ笑いながら、女はハスキーの体にブラシを入れていきます。
ハスキーは大人しく女の足元にうずくまっています。

静かに毎日が過ぎていきます。
女は仕事を辞めました。
ハスキーと一緒に居るために、暮らしていける分のお金を稼ぐだけになりました。
今、女の中心はハスキーでした。

春には散歩がてら桜の花を見に行きました。
夏には家庭用プールを買ってハスキーと一緒に遊びました。
秋には山の中で一緒に落ち葉を踏みました。
冬にはコタツに入ってハスキーとごろごろしました。

女はあまりにも幸せな毎日に胸がいっぱいでした。

ゆっくりと、穏やかに流れていく時間が、とてもとても愛おしく思えました。

毎日たくさんハスキーに話しかけました。
たくさん抱き締めて、大好きだよと言いました。
夜はいつも一緒に眠りました。

何度も季節は巡ります。
ハスキーは少しずつ、少しずつ、弱っていきました。

病院に連れて行っても、老いが原因だからどうしようもないと言われてしまいました。

一人でトイレに行けなくなったハスキーにオムツを穿かせました。
噛む力が無くなったハスキーの為に柔らかくふやかしたドッグフードを作りました。

女は毎日、ハスキーをブラッシングして、話しかけて、大好きだよと言いました。

ハスキーはとうとう自分で立つことも出来なくなってしまいました。
大きくて重いハスキーを抱き上げて運ぶことは女にはとても大変でした。
それでも、病院に連れて行く為に、女はハスキーを抱き上げました。
火事場の馬鹿力とはこのことか、と女は思いました。

病院で、ハスキーは緩やかな呼吸を繰り返すばかりです。

お医者の先生は、どうしようもないと言いました。
女は心の中で藪医者め!と悪態を吐きながら、頭を下げました。
そしてまた火事場の馬鹿力を発揮してハスキーと家に帰りました。

「ハスキー、大好きだよ」

女はいつもと同じようにハスキーをブラッシングします。
いろんな話をします。
ハスキーと会う前の自分のこと。
ハスキーと会ってからのこと。
楽しかったこと、悲しかったこと、イラっとしたこと。
今までよりもたくさんの時間をかけて、たくさんの話をしました。

そうして、ハスキーを抱き締めて大好きだよと言いました。

何度も何度も、大好きだよと言いました。

ハスキーの頭の上に涙がぽたぽたと落ちました。
それでもハスキーをぎゅうっと抱き締めて、女は大好きだよと繰り返します。

女は、ハスキーに出会えて本当に本当に幸せだったのです。

次の日の夜はとても静かでした。

ゆっくりと息を止めたハスキーを抱き締めて、女はぼろぼろ泣きました。

冷たくなっていくハスキーを抱き締めて、声も無く涙を流しました。

女はペットの葬儀が出来るところでハスキーのお葬式をしました。
一人でハスキーの骨を拾い、骨壷におさめました。
そうして、骨になったハスキーと一緒に家に帰りました。

女には家の中はやけに広く感じられました。
今までハスキーと一緒に居たから気にならなかった無音が女を包みます。

あそこでハスキーがお昼寝してたな
あそこでハスキーと遊んだな

女はハスキーとの思い出が多すぎるこの家が辛くて辛くてたまりませんでした。

ハスキーの遺品を整理しながら、
ああ、この玩具気に入って貰えなかったな
こっちはお気に入りでぼろぼろになっても離さなかったな
なんてことを考えて、また一人で泣いてしまいました。

ハスキーの骨を抱いて、眠れない夜を繰り返しました。

ずうっと前に友達が言った優しい言葉を思い出しました。
きっと友達は連絡をしたらすぐに飛んできてくれるんだろうな、と女は思いました。
それでも、ケータイを手に取ることも億劫で、
やっぱりハスキーの骨を抱いたまま静かに涙を零しました。

ハスキーが死んでから一週間がたちました。

女は深い隈を作り、山道を歩いていました。

女とハスキーには山の中にお気に入りの場所がありました。
女が勝手に思っているだけで、ハスキーが実際はどうだったかは分かりません。
それでも、二人でたくさん遊んだお気に入りの場所です。

山の中腹の、町が見渡せる場所です。

季節ごとに色を変え、優しい木漏れ日が降り注ぐ場所です。

山の所有権なんか知ったことか!と女は思います。
これは不法投棄にあたるのか?だがしかし知るか!と女は心の中でぼやきます。

持ってきたスコップで深い深い穴を掘りました。
気が付いたら日が暮れるまで穴を掘っていました。
街灯の無い山の中は真っ暗で、女はとても悲しくなりました。

深い深い穴の中にハスキーの骨壷を埋めました。

女は、これでもう、本当にさよならなんだと思いました。

少しずつ土に隠れていく骨壷を眺めながら、女は涙を零します。

「ハスキー、大好きだよ」

すっかり土に埋もれてしまったハスキーだったものに、同じように繰り返します。
何度も何度も、大好きだよと言います。

ハスキーが死んでしまったあの日と同じように。

「ほんとにほんとに、大好きだよ」

女は友達の顔を思い出しました。
次に昔付き合っていた人の顔を思い出しました。
最後に両親や兄の顔を思い出しました。

それでも、そのどれもが女を引き止めることは出来ませんでした。

女はごめんなさいも、さようならも言えない自分をとてもひどい奴だと思いました。
それでも女にはやっぱり、ここに留まる理由が見つけられませんでした。

次の日の朝はとても静かでした。

女が作ったハスキーのお墓には綺麗な花が添えられています。

そのすぐ側の木から、女がお墓を見下ろしたまま冷たくなっていました。













←独り言top ←top