おにいさんと私




「あっつい」
「アイスが食べたいです」
「無理。動いたらとける」
「私はもう話すことも億劫です」
「じゃあ話さなきゃいい」
「………」
「………」
「あつい」
「そうですねー」

おにいさんの部屋は日当たりが悪い。
基本的に昼でも薄暗い。
元々色白のおにいさんはいつも不健康に真っ白だ。

「細くて白いものなーんだ?」
「…もやし?」
「ぶぶー!正解はおにいさんでした!」
「なぜ人は悪意も無く人を傷つけることが出来るのだろう?」
「おにいさんは自分をもやしだと思っているということですね」
「訂正する。なぜ君は悪意を全開にして人を傷つけることが出来るのだろう?」
「やーい、もやしー」
「話を聞け!」

おにいさんは大体いつも本を読んでいる。
漫画だったり小説だったり雑誌だったり、
物の少ない部屋の隅っこで体育座りをして置物みたいに本を読む。
その隣で私は口笛を吹く。
おにいさんに背中を預けて、でもあんまり体重はかけないようにして、
おにいさんに教えてもらった口笛を飽きる事無く吹き続ける。

「ふー、ふふー、ふー」
「ご機嫌だね」
「おにいさんと一緒に居るときはいつだってご機嫌です」
「ヒュー、ヒュウ、ヒュー」
「やめてください。私の口笛がかすっかすなのがバレちゃいます」
「大丈夫、もうバレてるよ」
「そうですか、なら大丈夫です。
ふー、ふふー、ふー」
「ヒュー、ヒュヒュー、ヒュー」

私はぱらぱらと本をめくる音を結構気に入っている。
あくまでおにいさん限定で。
おにいさんが居ない場所でこの音を聞いていたら寝る。
十秒くらいで船は海まで着くだろう。

「君は好きなことないの?」
「別に無いです。おにいさんは?」
「別に無いかな」
「それなら暇つぶしでも学校へ行ったほうが後々人生有利ですよ」
「…君にそのままお返しします」
「返された!ぽーい!」
「何を投げ捨てる動作?」
「会話です」
「なるほど。ぽーい!」
「ぽーい!」

おにいさんは私の頭がお気に入りらしい。
ぽんと手を置いて、そのまま揉む。
もみもみもみもみ。

「君の頭は非常に良い」
「頭脳的な意味で良いと言われているのだと解釈します」
「うん、まぁ……うん、そうだね!」
「傷付いた!」
「うん、君の頭は非常に良い」
「待ってください、弁明の機会を!」
「大丈夫、君の頭は非常に良いよ」
「より深く傷付きました!」

おにいさんの恋人はとても可愛い。
真っ黒の瞳はきらきらと輝くし、
ふわふわの毛を押し当てられて甘えられたらもういちころだ。

「ああ、毛玉!毛玉ああああぁぁぁぁぁ!」
「毛玉ちゃん!毛玉ちゃああああああんんん!」
「引っ掻かれた。君のせいだ」
「おにいさんのせいです」
「先に肉球をぷにぷにしたのは君だ」
「おにいさんが撫で回している時点で相当嫌がってました」
「そんな訳があるか!来い、毛玉!」
「こっちですよ、毛玉ちゃん!」
「フシャー!」

おにいさんは楽しい人だと思う。
でも友達は少ない、もとい、いないみたいだ。
いつも部屋にこもりっぱなしで、
ケータイが鳴っている所に出くわしたことすらない。

「友達百人出来るかなー」
「百人で食べたいなー」
「富っ士山のうっえでっ!」
「おっにぎっりを!」
「でも友達が百人で、百人でおにぎりを食べるということは、
そこに自分は含まれていないという解釈でいいのでしょうか?」
「やめてくれ、とても悲しい」
「大丈夫、私も悲しくなりました」

おにいさんの部屋にはたくさんのオモチャがある。
ゲームにトランプ、レゴ、ジェンガ、ブロック。
狭い押入れの中にはそーいうのしか入っていない。
一緒に遊ぶ相手もいないのに。

「あ、人生ゲーム」
「やる?」
「ボード版とか小学生以来です」

「…ゴール」
「…私もゴールです」
「結婚もせず、家も無く」
「私なんかその上借金まみれです」
「あはは、最下層ー」
「笑うなストイック野朗!」

「気を取り直してドミノ倒しをしましょう!」
「自分、不器用ですから」
「私は器用だから大丈夫です」

「…さっきから一メートルも進んでいませんよ?」
「黙ってください!」
「今まで僕は不器用だと思っていたけれど、そんなことはなかったようだ」
「ふぐううう!黙れえええええ!」
「あはは、最下層ー」
「……純粋な殺意というものを初めて知りました」
「ごめんなさい。いたっ!ドミノを投げないで!」
「あはははは!くたばれー」
「目が笑ってない!いたっ、痛いって!」

おにいさんの部屋にはコタツがある。
コタツ布団はない。
一人用の小さいコタツだ。

「おお、普通の布団でもそれっぽく見える」
「そうですねぇ」
「冷凍庫にアイスがあるんだ、食べていいよ」
「いいですね、持ってきてください」
「無理だ。一度コタツに入ってしまったらもう…」
「私も出たくありません」
「ここは僕の部屋だ。さあ行け!」
「嫌だっつってんだろこのやろー」

おにいさんは橋の下が好きだ。
極々たまーに外に出ると遠回りをして橋の下に行く。
そのままぼーっと川を眺めている。

「寒い」
「同意します。帰りましょうよ」
「んー、もう少し」
「はいはい」
「そういえば昔川を眺めていたら鯉のぼりが降ってきたよ」
「意味が分かりません」
「どこかから飛ばされてきたんだろうけど、
思わずはしゃいで、一緒に川に入ったら溺れた」
「あれ、泳ぎは得意って言ってましたよね」
「うん、泳ぎは得意だよ。
まあ、鯉のぼりの中に入って川に入っちゃ駄目ってことだ」
「はしゃぎすぎです」
「うん、はしゃぎすぎた」
「帰りましょうか」
「そうだね」

おにいさんは蕎麦が嫌いだ。
拭いきれない粉っぽさが苦手らしい。
私も蕎麦よりうどんが好きだ。

「しかし年越しうどんって新年っぽさがないですね」
「初詣に行けばぽいんじゃないかな」
「なるほど!珍しく名案ですね!」
「君はいつだって無礼だよ」
「でもわざわざ寒い中、人ごみで長時間待つのは苦痛です」
「僕も嫌だから行くなら一人で行っておいで」
「ならばなぜ言った」

おにいさんは私のくだらない話を律儀に聞く。
どんなつまらないことも、きちんと言葉を返してくれる。
とても、とても優しい人だ。

「おにいさんは友達がいません」
「…そうだね」
「おにいさんは一人ぼっちです」
「…そうだね」
「私はとても優越感を感じます」
「知っているかい?会話っていうのはキャッチボールなんだよ」
「やーい、根暗ー」
「会話とは優しさを持って行われるべきだと思うんだ」
「ぼっちの昼行灯ー」
「君はこれが一方的なドッヂボールだと気付いているのかな?」
「そうですね」
「あんまりだ!」
「ふふふ、私おにいさんの泣き顔が好きみたいです」
「笑ってる!このドS!」

卵にマジックで顔を描く。
とても描きづらい。
そして気付いたことは卵を立てることが出来ない。

「この歪な顔の卵は一体…」
「今日はひな祭りですから」
「せめて笑顔で描いてあげようよ」
「精一杯の笑顔ですよ」
「そして卵に顔だけだとひな祭りって言われないと気付かない」
「それは私も作っていて思いました」
「で、どうするの?これ」
「明日は目玉焼きですね」
「…え、これを割るとかなにそれえぐい」
「ふぁいと!」

たんぽぽの綿毛が窓の外をふよふよと漂っていった。
外の日差しは大分暖かくなった。
今頃はきっと桜が咲いているんだろう。

「私おにいさんが好きですよ」
「へぇ、僕は君が嫌いだよ」
「わあ!知らなかった!」
「四月一日だからね」
「あ、本当だ」
「僕は心底君が大嫌いだ」
「私もおにいさんが世界で一番大嫌いです」

部屋の中に居ても随分暑くなった。
季節が経つのはとても早い。
楽しければ楽しいほど、一瞬だ。

「もうお盆の時期ですねぇ」
「あー、もうそんな時期か」
「ええ、そして今日が最終日です」
「……なんかやんなきゃ駄目?」
「駄目ですね」
「君、なす嫌いじゃないか」
「食べなければそれほどでも!」
「………じゃあ、最高の乗り心地の牛を作ってやろうじゃあないか!」
「楽しみです」

「出来た!」
「それ明らかに足折れてますよね」
「精一杯だ!」
「最低な乗り心地は保障されたわけですね」
「…文句があるなら自分で作りなさい」
「見てろ!」

「…出来ました」
「もうお尻ついてんじゃん
最初から歩く気ないじゃん」
「煩い煩い!」
「あはは、最下層ー」
「このほんのりぶきっちょがあああああ!」
「痛い!なすって案外痛い!」

「それじゃ、もう行きますね」
「…また来年?」
「ええ。足の折れた馬に乗って会いに来てあげますよ」
「一言余計だ」
「ふふふ、乗り心地は最悪でした」
「ごめんなさい」
「ああ、一つ良いことを教えてあげます」
「君の言う良いことで本当に良かったためしがない」
「黙れ」
「あはは」

「おにいさんはよく俯いていますけど、
そのままもう少し前のめりになればいいんですよ」
「転べということか」
「その前に足が出ます。
そうするともう片足も出ます。
そうすれば、惰性で案外どこまでも歩けてしまうものですよ」
「……珍しくまともなことを」
「この一年とても楽しかったので、せめてもの助言です」
「ああ、うん。
僕もこの一年、すごく楽しかったよ」
「来年はちゃんとお盆の期間中に馬と牛を作ってくださいね」
「次は足が折れないように頑張ってみるよ」
「期待しています」
「それじゃ、気をつけて」
「ええ、また来年」
「うん、また来年」













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