笹船











藤色の着物を纏った可憐な姫に、
目を奪われたのは幼き日

空色の瞳が、透けるような肌が、
夢のように美しかった

帰りたくないと泣く姫と
手を取り合って海辺で座り込んでいた

不恰好な笹船を海に流し、
いつか二人であの海の向こうへ行こうなんて、
そんな他愛も無い約束を交わして、
沈まなければ良いと、
海の向こうの国に流れ着けば良いと、
願ったのは遠い昔




痛い程に抱き寄せる大きな腕
いつも海に居るせいか、体からは潮の香りがする

「毛利、俺を選べ」

「痴れ者が、我が望むは毛利家の安泰のみぞ」

厚い胸板から聞こえる鼓動にひどく心が安らぐのを感じる
すがり付いてしまいたい、と思った

「本当に、それが望みか?」

「フン、貴様程度に我の何が分かろうものか」

あの日泣いていた小さな姫はどこにも居ない

色の薄い髪を、肌を嘆き、
引っ込み思案で人の陰に隠れ、
不安そうな表情を浮かべていたあの姫は
もうどこにも居ないのだ

キラキラと輝く海を眺め、
どこかに行きたいとつぶやいた言葉を
もうこの男は忘れてしまったんだろうか?

それとも、もう自ら道を作っていくこの男は
我の手など必要としないのだろうか?

国の境も、人の心も
容易く飛び越え笑うこの男は、
もう泣くことは無いのだろうか?

あの日海に流した笹舟は、
どこかに辿り着くことが出来たのだろうか?

「俺は、お前が欲しい」

「フン」

切なげに顔を歪め、
ギラギラとした光を宿す瞳は、
あの日の姫とは重ならない

「我だけを選ばぬ貴様を何故我が選ぶと思うのか、理解に苦しむわ」

我を欲しいなどと戯言を口にしても、
この男は国を、民を、兵を、
仲間を切り捨てることなど出来はしない

全てを捨て去る覚悟も無く、
我が手に入るなどと思い上がりも甚だしい

熱く強い指先が
どれ程我を掴もうと
この心までは掴めはしない

「…毛利」

「話は終いよ、早々に立ち去るがよい」

長曽我部に背を向け、日輪を見詰める

温かくこの身を照らす光に
ゆっくりと目を閉じる

躊躇いながらも、徐々に遠ざかっていく足音に
一つため息を吐いた

何の迷いも無く、
この手を掴んでくれたなら、
きっとあの日の約束を果たすのに

幼い約束を乗せたあの笹船は、
きっと海に沈んで消えたのだろう

幼い願いを乗せたままに
どこかに辿り着くことも無く、
海の藻屑となったのだろう

「…馬鹿者が」

口から漏れた言葉を聞く者は、
我以外には居なかった

あの日と変わらない海が無性に歯痒かった






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